story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

板宿、心の疼き

2016年11月13日 10時07分10秒 | 詩・散文

昭和51年の6月頃か・・

僕は、鉄道の実習を午前で終えた土曜日、定時制高校は土曜は休みなので加古川市内の自宅で週末を過ごすために戻るのだが、その日、国鉄ではなく山陽電車を使った。

当時は電鉄高砂駅から北条街道を走る路線バスがあって、それに乗れば自宅近くのバス停に到着したからだ。

(このバス路線は現在は本数を激減して、高砂からはわずかに一日一本だけの運行となっている)

ただ、当時は板宿駅には山陽電車の特急は停車せず、各駅停車に乗って須磨で特急に乗り換える必要があった。

 

未だ週休二日制など知らぬ時代、土曜日の昼下がりは開放感あふれる学生やサラ―リーマンで賑わうのだが、板宿は駅近くに高等学校が多く、通学の学生たちであふれていて。商店街入り口の幅の広い踏切は、ここから北へ数十メートルだけ自動車道路も兼ねていて、いつも人や車で賑わう・・というより混雑していた。

ホーム端で駅員がメガホンを持ち、遮断機が下りても渡ろうとする人や車をどやしつけているのも日常の光景だ。

それでも、降りかけた幅広の遮断機をくぐって特に高校生たちは我勝ちに踏切を渡っていく。

この路線には山陽電車だけではなく、阪急や阪神の電車も頻繁に乗り入れるのだが、運転士はそれぞれの所属会社のまま乗り入れてきて、板宿の喧騒に派手にタイフォン(電車の警笛)を鳴らす。

踏切を渡りかけている人があっても、電車は急制動などかけず、普通の減速の仕方でホームに入るが、山陽特急だけはこの駅が通過とあって、ゆっくりながらも止まることなく駅に入り込んでくる。

電車の本数は日中の片道方向で毎時14本という多さで、これが上下それぞれに来るのだから単純に1時間当たりの本数は28本、2分に一回は電車が来る計算になる。

つまり、閉塞区間に電車が入ることを考えると、日中ですらここの踏切は、上がっているより下がって閉じられている時間のほうが長くなる・・そんなところだった。

 

板宿駅は北側(上り線)には立派な母屋があり、定期券の発売所や電鉄系列の「山陽そば」の店などもあったが、南側(下り線)は掘っ建て小屋一つ、自動改札機が3台だけの質素な駅舎だった。

僕はその駅舎を目指して南から歩いている。

ちょうどその時、上りの、ブルーとクリームに塗られたツートンカラーの特急電車が通過し終え踏切が開いた。

 

どっとこちらへ向かってくる買い物客や学生、路線バスや一般のクルマ・・

そしてその中に、紛れもない、貴女を見たのだ。

グレーのスカート、白いブラウス、当時流行の狼カットにした髪、色白で可愛い貴女を見つけたのだ。

加古川の中学校であなたに惹かれてから、ずっと会うことを念願していた。

その貴女が突然、目の前に現れた。

 

数人の友達と一緒に、楽しそうに話をしながら貴女が歩いてくる。

貴女の方でも僕に気が付いたようで、一瞬、僕と貴女は立ち止まって、お互いを見つめあった。

僕の顔に血が上る。

自分の頬が紅潮していくのがわかる。

貴女も頬を赤らめ、そして、次の瞬間、友達と駅の改札へ吸い込まれていく。

 

会いたい人に会えた。

今の僕なら、追いかけていろいろ話をして、一気に和気藹々と持って行けただろう・・

だが、当時の僕にはそれができなかった。

やってきた山陽電車2010号のステンレスカーの、貴女は2両目に、僕は3両目に乗車してしまう。

貴女は当時は四駅先の須磨まで山陽電車に乗り、須磨から国鉄の快速に乗り換えて自宅近くの宝殿まで帰っていたはずだ。

早く隣の車両に行けば、貴女と話ができる・・・

そう思ったのはもちろんだが、当時の電車の多くがそうだった・・幅広の、ドアのない貫通路が恨めしく思うほどに僕は動けなかった。

東須磨、月見山、須磨寺と過ぎ、特急に乗り換えるために降りた須磨の駅のホームでもう一度、貴女とすれ違う、。

けれど、お互い俯いたままだ。

声をかけるなど、とても出来っこない。

僕らは成す術もなくすれ違って、そして貴女は盛り土の上にある電鉄須磨駅の、下へ降りる階段を下りて行った。

 

貴女と初めて出会ったのは、僕ら家族が父親を失い、当時の加古川市役所の方々の好意で加古川市の山の手の方向にある市営住宅に入居した時だ。

二軒隣の住人が貴女方家族だった。

何度か貴女が歩く姿、自転車で走る姿を見て、なんと可愛い子がいるものだと・・惹かれたのだ。

いちど、僕はその市営住宅の裏手の擁壁の上から自転車ごと転落、2メートルほど下の道路でしたたかに額を打って、かなりの出血があった。

ちょうど、庭で花壇の手入れをしていた貴女のお父様が、それを見て、すぐさま自家用車を出してくれ、知り合いのいるという病院へ連れて行ってくれたことがあった。

おかげで事なきを得、貴女のご両親とは打ち解けて話ができるようになったのだけれど、貴女とはまともに話などできなかった。

(余談だがこの時の傷跡は今も僕の額にわずかに残っている)

やがて貴女方ご家族は転居され、自転車で行かねばならない4キロほど先の、僕も通う生徒数1500人というマンモス中学校近くの戸建てに移った。

もう、貴女に会えなくなったと思った時、中学三年最初のクラス替えで貴女が同じクラスになった。

しかも、最初の教室での席はあなたが僕の隣に並んでくれた。

嬉しかったが、それを顔に出すこともできず、貴女に話しかけることもできず、貴重な一年は過ぎていく

 

不思議に、当時の僕には何人かのガールフレンドがあり、彼女たちとはずいぶん馬鹿げた遊びもできたのだけれど、貴女は僕の中では別格の存在だった。

趣味になりかけていたカメラで、貴女の姿を撮影したこともあったけれど、それはいつもあなたの横にいる、僕にとって気安い友達に声をかけて撮影出来たものばかりで、なぜかあなたには声をかけられない。

それでも、中学時代の僕のアルバムには何枚かのあなたの写真がある。

その写真の貴女は周囲の友達の様に笑ってはおらず、何かきつい目をして僕を睨んでいるようだ。

 

その頃の僕にはガールフレンドもいた・・当時の僕は「ウブ」というよりは、どちらかといえば女の子の友達が多く、しかも、転校前の学校でクラスメイトだった二人の女の子と文通もしていて、そのうちの一人とは結構、頻繁に会ってもいた。

だのに、貴女にはこの体たらくなのだ。

 

中学を卒業し、男ばかりの国鉄の寄宿舎に入り、なんとも味気ないことになったのだけれど、文通は続いていて、その相手と山陽電車で一緒に帰ったこともあった。

でも、貴女にだけ声がかけられない状況が、やがて、文通相手どころか、自分の従妹などにも声がかけられない、深刻な女性恐怖症の状態になってしまう。

周囲はこれまで経験したことのない男ばかりの世界になってしまっていて、好きな鉄道車両は常に身近にあっても、女っ気のない味気無さは変わらない。

いや、味気ないどころか、女性に声をかけられない深刻な状況はこの後、文通相手の女の子に振られ余計に度を増す。

(この女性恐怖症が完治?したのは二十三歳のころ、国鉄部内の配置転換で鷹取に転勤し、悪友たちと三宮で遊ぶようになってからだ)

 

国鉄の寄宿舎にいる間、土曜日の帰宅はほとんど山陽電車を使ったのは、やはり貴女に会いたい一心からだったと今ではいえるだろう。

だが、お互いが高校生の年頃の間は、時に貴女に出会えることはあっても、やがて、その時を過ぎ、以来全く貴女の姿を見ることはなくなった。

よく遊んだ共通の友達からは貴女の噂は聞いたけれど、それも、僕が国鉄にいる間までのことだ。

国鉄を辞め、やがて神戸での写真の仕事に入った僕は、また板宿に住み着いたけれど、もちろんそこに貴女の姿はなく、それでも、あのけたたましい踏切の風情を見るたびに、グレーのスカートの貴女が友達と談笑しながら歩いてくる姿を思い浮かべたものだ。

 

板宿もまた阪神淡路大震災で被災し、山陽電鉄では地上部の駅を建設中の地下駅に切り替え、地上線は放棄することになった。

電車が地下に潜った板宿の風景は変貌し、もはやここを貴女が歩いてくる姿を思い浮かべるのは難しくなった。

そして僕はその街で最初の独立に失敗したのだがそれはまた後の話だ。

 

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モノクロ暗室

2016年11月05日 22時47分36秒 | 詩・散文

セーフティライトの僅かなオレンジ色の明かり
現像液や酢酸、定着液の匂いが漂う暗室
棚の上に置いたラジオから好きな歌が流れる

カチッ、スイッチの音が暗闇に沁みる
エンラージャ―の手元にそこだけ光が差し
かすかに浮かび上がる君のシルエット
「イチ、ニ、サン、シ、ゴ・・・・ジュウ、ジュウイチ」
君が呟くように秒数を数え、カチッ、スイッチが切れる
イーゼルを外す音がして
広がっていたペーパーをセーフティライトすぐ下の現像液に漬す
竹ピンセットで紙の淵の持つ部分を変えながら、液体の中の印画紙を揺らす
やがてぼんやりと、そして次第にはっきりと黒と白から成す画像が浮かび上がる
「もう少し、もう少し黒が締まって現像の進行が止まるまで」
今にもペーパーを引き上げようとする君に慌てないようにと僕が呟く
一心にバットの中の印画紙を振る君の
その胸のあたりの柔らかそうなシルエット
「はい、もうすこしですね・・あ・・なるほど、黒が締まってきました」
「暗室の中で見る黒は実際よりは薄く感じるから、ちょっと慣れが必要なんや」
「はい、もう少しですね」
液体の中で紙を揺らせ続ける君の竹ピンセット
「もう、ここまで来たら揺らさなくても大丈夫・・さぁ、そろそろいいよ」
「はい」
「一気に停止液にね、ムラができないように」
「はい」
一瞬、揺らされた酢酸の表面から甘酸っぱい香りが漂う
「よし、定着!そろっと、でも一気に・・」
「はい」
定着液の普段の生活ではありえないあの香りが鼻を衝く
「しっかり浸したかい?」
「はい」
「印画紙はすべて箱の中にしまったね?」
「はい」
「じゃ、明かりをつけるよ」
いきなりついた白熱灯の明かり、そして定着液に浸された四つ切のモノクロ写真
「どうですか?」
心配そうに君が訊ねてくる
ストレートの黒髪、うすく広がる汗
フジフィルムのエプロンを付けたその下にはTシャツに包まれた柔らかそうな胸
「うん、いい写真やね、ただもう少し黒が締まってほしいなぁ‥」
「どうすればいいんでしょう?」
「露光時間ではなく、絞りを半分あけよう」
「はい」
またセーフティライトの明かりだけになった暗室で、作業が再開される
現像液、停止液、定着液の香りが広がる
君が一心にバットに向かって竹ピンセットを動かすシルエット・・
こうして僕は君が二十枚ほどの写真を焼くのを横で指導していた。
そして君の一生懸命な柔らかさを目で楽しんでいた
「ありがとうございました」
白熱灯を付けた暗室で君は汗をにじませて笑顔を見せる
「こちらこそ」
そういいながら僕は明かりを消して
またセーフティライトのかすかなオレンジのなか
肩を引き寄せ、口づけを交わす
暗室の壁に君を押し付け、僕は君の身体から
君の甘い養分を吸い取ることに余念がなく

写真薬品の匂いに汗や体液の匂いが混ざる
かすかな君の喘ぎ声と無口な自分自身
暗闇に支配された僅かなオレンジ色は
君の身体の柔らかい部分を浮かび上がらせながら
そして君の長い黒髪が暗室の壁に張り付いていく
僕にはこのひと時が永遠であればと、そう願っているのだが

先ほどデジタルカメラで撮影した画像を
パソコンの中のPhotoshopで修正していく
横に置いたスピーカーからはあの時と同じ好きな歌が流れる
それはパソコンの別窓で出しているデジタル音源
ふっと思い出す、青春のあやふやな気持ち
ふっと蘇る青春の、つかみ損ねた大切なもの・・・
キーボード横のグラスには濃い水割り

 

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