story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ホテルスタジオ

2007年08月15日 16時26分26秒 | 小説

俺、東城俊治は、今日も路線バスを走らせる。
真夏の暑い日、雲一つない空・・
田圃と小山に挟まれたワンマンバス回転地の中にバスを止め、折り返しの15分ほどの時間潰しをしている。
虫の音、セミの鳴き声、鳥の囀り、風に揺れる緑の稲・・
エンジンを止め、運転席横の窓を開け、反対側の降車扉を開け放す。

冷房は止まるが、静かな音だけが残り、夏の午後の風が開けた窓から入る。

今日は最終便まで、この系統の往復だ。
ニュータウンの駅から住宅地を抜け、公営のリゾート施設の前を経由し、いくつかの集落の中のバス停にこまめに停車し、そして、ここから先は山と言う・・この場所で折り返す。

片道40分ほど、運行間隔はほぼ1時間ごとで、もう一人の同僚と組んで、朝7時台から夜8時台まで、のんびり走れば一日の仕事は終わりだ。

俺は、バスから降りた。

抜けるような青空に、オレンジ色の車体のバスはなかなか格好が良い。
煙草に火をつけ、思いきり吸い込む。
煙を吐くと同時に疲れも吐き出せているような気分になる。

そう言えば、今日の乗客・・あれはフリーのカメラマンだな・・そんな事が頭を過ぎる。

駅前から大きなアルミバックを持ち、真夏だと言うのにきちんとスーツの上着を着て、ネクタイを締めた青年が乗ってきた。
乗ってすぐ、俺の所、つまり、運転席の脇に来て、こう尋ねた。
「これは、グリーンランドに行きますか?」
途中にある公営のリゾート施設だ。
「はい、行きますよ。大体、20分ほどで到着します」
俺は、そう答えながらそいつの格好を見て、俺の、ついこの間までの姿とだぶって思えたのだ。

俺はついこの間・・そう3ヶ月ほど前まで大阪のある高級ホテルの中に入っている写真室に勤務していた。
ブライダルカメラマンだったのだ。

あれは、秋のシーズン、以前に比べれば随分暇になったとは言っても、やはり忙しさの波の中にあった日だ。
土曜日とあって、朝早くから撮影の予定が組まれていた。
俺は、撮影のある日は他のスタッフの誰よりも早く、スタジオに入っていた。
その日もそうだ。

スタジオに入ると、俺が来るのを待っていたかのように美容師の貴子が顔を出した。
「おはよう!」
「ああ・・おはよう!今日もよろしく!」
スタッフ同士のお決まりのような挨拶を交わした後、貴子は悪戯っぽい笑顔を向けた。
「今日は何時に終わるの?」
「後撮りになると・・分からないけど、それがなければ7時ごろかな」
「あたしもね・・・それくらいかも・・終わったら連絡頂戴ね!」
「ああ・・終わり次第、携帯に電話入れるよ」

俺にとって貴子は信頼できるスタッフであるとともに、俺の女でもある。
貴子から見れば俺は彼女のオトコだ。
昨夜は会えなかった。
お互い、週末の用意があるからだ。
今週は会えても短時間で別れなければならない日が続いていた。
それだけ、忙しいのだ。

貴子と抱きあう時間を持つのは、シーズン中は難しい。
しかも、お互い、家庭のある身だ。

何故か、妻には感じないエロチシズムを彼女には感じることが出来る。
それに何より、彼女と居ると緊張感がほぐれていく実感が味わえた。

やがてスタッフも揃い、スタジオの準備も整い、最初の予定の客・・新郎新婦が介添えに導かれてスタジオに入ってきた。
昨今、相次ぐ芸能人たちによる結婚式での衣裳に使われ、復活したかに目える打ち掛けの花嫁に紋付き袴の新郎だ。

「おめでとうございます」
俺は、威儀を正し、新郎新婦に礼をした。
「ありがとうございます」
いささか堅くなっている新郎は、表情を変えず、重い打ち掛けを着ている花嫁の表情が少しほころぶ。
「こちらへどうぞお越しください」
スタッフがバック紙中央に二人を誘導する。

俺はクリップを持って花嫁の前に立つ。
「当ホテルスタジオの担当者、東城と申します。よろしくお願いいたします」
そして、花嫁の足元の位置を決め、「少々、窮屈かと存じますが、良いお写真を撮影させて頂きます為、しばしの間、御辛抱下さいませ」
そう言い、花嫁の振り付けに入る。

まず 、 美容師としてついてきた貴子が花嫁の打ち掛けを 形崩れしないように止めていたベルトを外し、打ち掛けの下に着ている無地の掛下を降ろしてくれる。
俺は大き目のクリップ3個を持ち、掛下の下のラインを決め、花嫁の腰あたりで止める。
その上から打ち掛けを絞りながら合わせ、花嫁の両腕と手元の位置を決めることで固定する。

花嫁の体形を細く見せる為に打ち掛けの裾のほうを絞り込み、クリップで固定する。
助手が後ろへ回り、俺が決めた右袖の位置と帯山の形を整える位置と、打ち掛け左裾の形を整えながらクリップで留めてくれる。

俺は、いったんカメラ位置まで下がり、自分の表情を柔らかくすることを忘れずに、花嫁の全体の形を見る。
「ああ・・新婦さま、すごくお似合いでいらっしゃいますね!」
助手が形を作ってくれた右裾を少し手直しをして、新郎を誘導する。
「新郎さま、こちらの所へお御足をお置き下さい」
新郎は少し戸惑いながらそこに立つ。

新郎の位置を決めると、「失礼します!」助手の声がする。
フラッシュが光る。
助手がカメラのセッティングを完了した印だ。

新郎の裾を手直しし、紋付きの紋をきちんと出す。
右手に持たせた扇子を良い位置に移し、新郎の襟元を触りながら、語り掛ける。
「新郎さま、本日の花嫁さまはいかがですか?」
新郎は少し照れながら、「ええ・・すごくきれいです」と答えてくれる。
「惚れ直したでしょう」
「はい、それはもちろん」
後ろで、貴子がおかしくて仕方がないと言う表情で笑っている。
・・誰に対しても言うことは大体同じなのだから・・

カメラ位置に行き、フラッシュのモデリングライト以外の明かりをすべて消す。
余分な明かりは消され、フラッシュのあたる部分だけが闇に浮かび上がる。
ライティングはきちんと決まり、新郎新婦はクラシカルなムードの中で屹立している。
「では、参りますね!大きく笑わなくて結構です・・やさしく、軽い笑顔でカメラ全体をご覧くださいね・・もう少し笑みがこぼれる感じで・・」
フラッシュが光る。
俺は大型カメラに差し込まれたホルダーを裏返し、シャッターチャージをしてから引き蓋を抜く・・
「続けてまいりますよ・・やさしくね~」
フラッシュが光る。
「今度はこちらのカメラをご覧くださいね」
大型カメラの横にすえつけている中型カメラのレリーズを手に取る。
「軽い笑顔でね!」
シャッターを続けて3回押し、モータードライブの音が響く。
フラッシュが光る。
「お疲れさまでございました!」
大きな声で、俺がそういうと、助手がスタジオの照明をつけてくれる。
「はい・・おつかれさま・・とってもきれいでしたよ」
貴子が新郎新婦に近づきながら、笑顔で語り掛ける。
俺はクリップの類をすべて外し、貴子に引き継ぐ。

貴子は掛下をまとめ、紐を通し、打ち掛けをベルトで止めて、「おからげ」と言う歩きやすいような形にまとめて、花嫁の手を引く。
「はい・・ではまいりましょう」
介添え係が二人の前に立ち、花嫁の手を美容師から受け取り、二人を誘導していく。

「はい!おつかれさま!本日最初のお客様終了!」
俺は手伝ってくれていた助手たちにそう言い、彼らの労をねぎらう。
「ありがとうございました!」
元気な声が返ってくる。

次は15分ほど後の洋装だ・・

と、そこへ受付をしてくれている女の子がメモを持ってやってきた。
「すみません、東城さん、本社専務からです」
ああ・・そう返事しながら俺はそのメモを開けた。
「今日、7時ごろから美容部、衣裳部、ビデオ室、写真室合同のミーティングをします。可能な限り全員参加でお願いします」
ついに来たか・・
俺はそう思った。
噂が本当になってきたな・・

俺のいたホテルは日本最初の巨大ホテルだ。
全てのものに最高のものをという思想から、特にブライダル部門の専門的な職種を外注化せず、ホテルの子会社として運営してきた。
つまり、ホテル社員と専門分野の職人はほとんど同じ位置づけにしていたと言って良い。

経営していたのは立志伝中の人物であり、戦後の日本経済躍進の看板にもなっていた男だ。
けれど、長引く不況に加え、創業者、創業者の息子が相次いで亡くなってからは経営に陰りが見えるようになっていった。
ついに、昨年から、外資系企業への売却交渉が進んでいると言う噂が流れ始めた。
まったく根拠のないものではなく、実際に視察のような雰囲気の外国人がホテル内部をお付きを従えて歩き回ることもあった。

もしも、ホテルが売却されると、ホテル本体よりも経営基盤の脆弱なブライダル専門分野の仕事などホテルから切り離して売却されるだろう・・そういう話がまことしやかに囁かれ始めた。

週刊誌にも経営者一族の醜聞が掲載されるようになった。
それまでは、世界の大富豪一族として、堂々と構えていた筈の経営者が変な新興宗教にはまり込み、時折、ホテルに水や塩を撒く行事をするようになってきた。

俺がこの時考えたのは、そういった事を踏まえて、ついに、ホテル売却かブライダル部門の整理の話が現実になるのではないかと言うことだった。

その日、少なくなったとは言っても8組の婚礼写真を撮影し、婚礼の式場や披露宴へのカメラマンを派遣し、やっと忙しさが治まった頃、スタジオに東京の本社からわざわざやってきた専務の姿が見えた。

スタジオの集合写真撮影用の階段を使い、その前に椅子を並べ、座りきれない人は立って専務の話を聞いた。
夕方の7時過ぎ・・すでに疲れが出始めている頃だ。

初老の専務は皆の前で深々と頭を下げた。
そして、以下の内容の話をした。

1・・当ホテルは米国の投資会社に売却する。ホテル従業員は基本的にそのまま引き継ぐ。
2・・ブライダル部門の専門分野は、ホテルと分離し、有力な地元企業にそれぞれ分割の上、売却する。従業員は各売却先の会社において改めて面接を行うが、出来る限り継続採用されるよう努力する。
3・・当ホテルグループに残りたいものは東京のホテルに移動する形となる。

その夜・・
ホテルの従業員通用口を出ると貴子が待っていてくれた。
「大変だね・・うちの会社・・」
貴子は少し疲れた様子でそう言う。
横顔が美しい。
「どうなるか・・しばらく様子を見るしかないなあ・・」
「ほんと・・でも、私はここに残りたいなあ・・第一慣れているもの」
「残るか・・残っても仕事のペースなどは随分変わるかもしれない・・」
「あなたはどうするの?」
「わからん・・写真から足を洗うかもな・・」

ライトアップされた城郭が見える。
俺と貴子は、そこから幾らも距離がない夜の町へと入っていった。
食事の後はお決まりのコースだ。

その夜の貴子は俺が辟易するような熱情を見せた。
狂ったように喘ぎ、身体をくねらせ、俺に迫ってくる。
俺はすでに彼女をコントロールできない自分の力の無さを感じていた。
俺はもう、かなり疲れているのかもしれない。

その後、しばらくして写真室は地元有力写真会社への売却が決まった。
年が明け、ようやく春のシーズンが見えてきた頃、俺達スタジオのスタッフはその会社からやってきた経営者一族に面接をしてもらうことになった。

一応、写真室のチーフになっている俺に、面接をしたその会社の常務は厳しかった。
「君の写真は化石だ!新しい時代を牽引するような力がない」
俺には俺のプライドもある。
「じゃ、どのような写真なら化石じゃないのでしょうか」
「君は雑誌やテレビを見ないのか!新しい表現があふれているじゃないか」
「それはコマーシャルフォトの世界の作品でしょう。営業写真においては撮影料を支払うのは写ったモデルその人です。私としてはブライダルに昨今のおぞましいような表現をするつもりはまったくありません」
「新しい表現をおぞましいなどと言うのは、君が固定観念にとらわれているからだ。自分への保守的な気持ちが、新しいものを否定しているだけだ」
「そうは思いません。私は基本的にブライダルフォトと言うものは優しく、暖かく、明るく、幸せを実感できる方向から進まないといけないと考えています」
「そんな考え方だからこのホテルはうまく行かないんだ」
「ホテルはともかく、うちの写真は好評です。」
「好評だと思って満足しているからそこから先へ進めないんだ」
「満足はしていないですよ。ただし、ブライダルを含む営業写真には営業写真にしか出来ないことがあるわけで、コマーシャルフォトや雑誌グラビアの真似をする必要は何処にもありません」

面接は決裂した。
俺は、新しい会社には採用してもらえないことになった。

ブライダルの基本路線を踏み外したものなど、一時的にはもてはやされても、いずれ時流が収まれば、廃れていく・・俺はそう考えていた。

俺は新会社に採用してもらえないことから、伝手を頼って再就職の活動をはじめたけれども、デジタル化で大打撃を受けている写真業界に俺の居場所はなかった。
あっても、収入はこれまでの半分以下で、これでは妻子を養うことなど出来ない。

写真業界を去るか・・
本気でそう考え始めた俺の目に、新聞折り込みの求人情報が飛び込んできた。
「バス運転士募集!普通免許取得3年以上なら当社で養成します!」
俺は何かに手を引いてもらったかのように・・そのバス会社へ電話を入れていた。

「バスの運転士になるよ」
俺は貴子と睦みあったあと、そういった。
「勿体無いじゃない!今までのあなたの20年は何だったの?」
「もう疲れたよ。それより、社会の中でしっかり貢献しているような実感が欲しい」
「じゃ、もう、あのホテルにあなたはいなくなるの?」
「ああ・・写真の世界に20年もいたんだ。もういいよ・・」
しばらく沈黙した後、貴子は俺にしがみつくように抱き着いてきた。
「私は残る。まだまだ今からが楽しそうなんだもん」
貴子は俺に胸を触らせながら、俺を見詰める。
彼女の目には野心の炎が燃えている気がする。

野心もあっても良い。
俺にも 、もちろんある筈だ。
でも、今の俺は誰かの言いなりになって、好きな写真の方向を切り替えるよりは、この世界から外に出て、しばらく眺めていたい気のほうが強かった。
俺をじっと見詰める彼女をもう一度、求めに行く。
貴子はまた、狂ったように喘ぎ続ける。
・・俺は、この女のような目は持てないかもしれない・・
貴子は俺よりは10歳ほど年下だ。
それだけに、ちょうど仕事の脂も乗りきった頃だろうし、もっとも野心に燃える頃だろう。
新しい会社で、自分らしさを思いきり表現しながら、力づくで仕事をしていくに違いない。
俺は、ふと、自分の力のない目を思い起こしていた。

春のシーズンが過ぎ、梅雨の季節に入った頃、俺は正式に会社を退職した。
そして、決まっていたバス会社に連絡を入れ、自動車教習所へ2週間通い続けた。
なんとか、検定も落ちずに通り、警察の試験場で行う筆記試験も無事に通過した。

そして、梅雨の終わりごろから、社内研修と称する技術と精神修養を伴う研修を受けた。
やっと、夏真っ盛りの今月からこうしてローカル路線に乗務しているのだ。

緑の風が俺を包む。
「気持ちが良い!」
心底そう思う。

ふと、バックに入れた携帯電話を出してみた。
メールの着信が入っている。
貴子からだ。

「お元気ですか?こちらは毎日、いろいろとしんどいです。」
すぐに返事を打った。
「ご苦労さん。俺は今、山の中で折り返し待ちです。風が気持ち良いよ」
またすぐに彼女からレスだ。
「いいなあ・・何だかとても幸せそうですね。久々に会いたいよ」
そう言えば、あれから彼女と会っていなかったなあ・・
俺はここしばらく、転職にエネルギーを使っていたことを思い起こしていた。

・・でもまあ・・しばらくは会うのは止そう・・
彼女の、怖いような目がどれだけ変化したか、興味が涌いたけれども、俺を包み込むようなセミの鳴き声に、そう思うことがとても自然だと感じていた。

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