story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

詩小説・残照追う

2011年12月30日 18時39分16秒 | 詩・散文

秋の夕刻、昼間の暖かさとはうらはらの北風が音を為して吹くその時刻のこと
僕は一人、山陽本線加古川駅で快速電車を降りて歩き始める
もはやこの町に居ても貴女に会えるはずがないことは解っているのだけれど
それでもなにか、あなたの放つ残照のようなものを見ることが出来ないか
あるいは僅かでも貴女に繋がる香りのようなものを嗅ぎ取ることは出来ないか
強いて言えば、そのような想いで僕は縁の深いこの町の
それも貴女の香りには少し遠い駅前から歩いてみようと思ったのだ

十月の末、すでに日没は早く、街中は強いオレンジの光で染まる
光のとどかない影はことのほか暗さを感じるのだが
西国街道を伸びる商店街に入った途端、更に暗さが実感された。
定休日の店が多いゆえか、それとも廃業してしまった店が多いのだろうか
商店街はアーケードの明かりだけのわびしい空間に成り果てて
僕たちが秋の夕方、制服で自転車に乗り、自由に走り回ったその頃の
あの華やかさも喧騒も感じることが出来ない

あの頃の貴女は美しかった
女性を美しいと思うような繊細な感性を未だ持ち合わせぬ中学生の僕は
それでも颯爽と自転車に乗る貴女に心をときめかせたものだ

僕は時折、風が吹き抜ける長く暗い商店街を歩きとおすしかなく、
その僕の心は何十年ぶりかで貴女で占められていく
貴女の今思えば何物にも代えがたい笑顔だけではなく
僕らの他愛もない悪戯に怒ったりすねたりしたあの表情
そしてごくごく普通に授業で見えるきりりと引き締まったあの表情
制服に包まれた胸のふくらみ、
自転車で颯爽と行く貴女のスカートが風に流れるその様子

クラスの、いや学校中の男子の視線を浴び続けてはいても、
それが自分には何の関係もないことであるかのように自由気ままに振舞う貴女
強く、気品に満ちていたと書けば、
所詮は中学生の、世間知らずであったが故のことかもしれず
実のところ、貴女は僕が思うほどには強くなかったのかもしれない

僕らが使うと汚いはずの播州弁も
貴女が愛らしい小さな口元から発すれば
はんなりとした優しい言葉になってしまう
「あんた、そないな阿呆なことばっか、ようするわ」
ちょっと苦笑いを浮かべて一瞬僕のほうを見てくれ、
諌めるように言ってくれるのだが
それがまた僕にはことのほかうれしい瞬間でもあったのだ

道路はやがてアーケードを抜ける
それでも商店街のはずれといった風情がまだ続き、
さる大歌手の実家などと言うものも今もしっかり存在していたりする

左へ曲がりながら坂道を上がるとそこは加古川の川だ。
すでに夕日は高御位山のむこうに落ちてしまって、残照の時刻であり
風は強く十月というのには寒い
川には残照が反射しているがそれも力なく
僕は無数のクルマが渋滞するヘッドライトやテールライトで染まる橋の脇の
自転車と歩行者がすれ違えないような幅の歩道を西へ向かって歩く

川面に窓の明かりを反射させながら快速電車が走っていく
あの頃とは代替わりしたステンレスカーが、僕が今居る時代を改めて思い知らせる

時間は流れ後からあとから押し寄せてくる
僕らはその時間の流れの中で抗いながら諦めながら生きていくしかなく
やがては僕も年老いてしまう
それはまるで残照へ向かう列車であるかのようだ

昔はなかった線路際の小道を西へ歩くと目的地はもうすぐそこだ
遠くで踏切警報機の音が鳴り、やがて新快速電車が猛烈なスピードで通過していく

住宅地を抜けたところに、家と家の間に小さな歩道だけの踏切がある
時刻は午後六時四〇分を過ぎたところだ。

空はすっかり暮れてしまい、
西の端、低い山の稜線のあたりだけがかろうじて残照を受け止めている
そう、一月前なら、確かにこの時刻は
僕が駅頭で見たあの夕日の時刻だったに違いない

意図したかといわれれば確かに意図してこの時刻にこの場所に来た
しかも日付けも今日があの時と同じ二十七日なのだ

午後六時四十五分
踏切の警報機が鳴る
あたりは住宅と田んぼだ

僕がここを通学で通っていた頃に比べれば住宅は増えたが
その場所の雰囲気はさほど変わらないかもれない

貨物列車が警笛を鳴らしながらやってくる
電気機関車の轟音、強いヘッドライト
この列車は「新南陽貨物ターミナル発越谷貨物ターミナル行き」だ
この時刻、間違いなくこの時刻の貨物列車だ

「来てくれたん?」
「うん」
「やさしいね」
「いや、お別れができひんかったし」
「お別れなん?」
「え?」
「お別れって寂しいやん」
「お別れとちがうんか」
「まだまだ会えるかもしれへん」
「そんなん、ゆうたかて・・」

電気機関車EF二一〇がゆっくりと目の前を通過していく
何両も何十両も連なるコンテナ貨車が地響きを立てながら過ぎ去っていく

「この列車、こないな具合にゆっくり走りよるんやな・・」
普段は列車が大好きな僕だが、この貨物列車の通過だけは怖いと感じた。

秋の夕刻、寂寥感に駆られる残照の時刻
この踏切の向こうで何か約束があったらしい貴女が
ここで列車に身を投げたのは自ら選んだものなのだろうか
それとも寂寥感に耐え切れず、心が暴走してしまった結果なのだろうか

「なんで、死んだん?」
「うち、なんや怖かってん」
「生きるのんが?」
「ようわかれへんなぁ」

貴女が僕の悪戯を諌めたときの 
あの苦笑するかのような表情を一瞬、垣間見た気がする
けれども、僅かに残った残照も消えていくしかなく
列車が行き過ぎた後の静けさが、また踏切の音で破られる
僕は貴女の姿を田んぼの暗がりに求めるがそこには何もなく
やがて強いヘッドライトが迫ってくるのが見えた

貴女はあの日、線路に蹲り、動かなかったという
ゆっくりと迫る巨大な電気機関車の轟音や警笛が
貴女をどんなにか恐怖に陥れただろう

それでも
貴女は気丈にその場に居続けて
貨物列車は非常制動の甲斐なく貴女を撥ねてしまう
長い編成の貨物列車が非常制動の金属音を立て続けて停止するまで
どれほどの時間を要しただろうか

だが、列車が完全に停止した頃
美しかった貴女の姿はそこになく
貴女の持ち物や衣服やあるいは貴女だったものたちがあるだけになっていただろう

そうしてたぶん、今日と同じように
西へ沈む太陽の残照があたりを照らしていたことだろう
生活には何の不自由もなく裕福な家庭に生まれ
優しい家族に囲まれたはずの貴女の人生がこの踏切、この列車で途絶えた
それを知ってから僕は貴女の心の傷みを知らなかったことを貴女に詫びたかった
許しを請うつもりなどなく
ただ、知らなかったことを詫びたかった
本当のところはそれだけがこの時刻にここに来た理由だったのかもしれない

願わくば貴女の命よ
どうか幸あれと
どうか来世というものがあるのなら
次こそは幸せを得られんことをと祈りながら
僕は残照が消えるまで、その場に立ち竦むしかなかった

(銀河・詩の手帖250号掲載作品)

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