story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

消える日

2004年08月24日 10時35分00秒 | 小説
今日、僕は由貴に会うために舞子駅から電車に乗った。
よく晴れた午後、サービス業の僕は平日に休みが貰えるし、僕の彼女である由貴もまた、デパートの販売員だから同じような曜日に休めることが多いのだ。
由貴とは快速電車の2両目の車両で落ち合うことになっていた。僕は舞子駅から、彼女は新長田駅から普通電車に乗り、更に兵庫駅でこの電車に乗ってくるはずで、あとは大阪ででも散歩をしようというものだった。
電車に乗る前、ホームの上空を戦闘機のような飛行機が飛んでいくのが見えた。

午後の快速電車は空いていた。
8両編成のニ番めの車両の一角に空いているボックスを見つけて、僕はそこに座った。電車が走り出すと車窓からの海がキラキラしてとてもきれいだ。
海の上をまたジェット機が東へ向かって飛んでいった。
須磨海岸の、海が車窓いっぱいに広がる。今日はお天気も良く、電車も空いているからリラックスが出来る・・そう感じていたとき、いきなり東の空がオレンジに染まった。
電車はちょうど、大阪や堺の町が見渡せるところを走っていた。
大阪の町のほうに大きなキノコ雲が上がった。
電車は停車した。車窓には海が広がるけれど、空の色が少し変わり始めてきていた。
「何が、起こったんだ?」他の乗客の声がする。
反対側の車窓を見ると、クルマは何時ものように流れている。けれども国道の向こうの山陽電車の線路上でも電車が停車していた。
空はにわかに掻き曇り、海にも波が立ってきた。電車の窓は開かないから、外の様子はガラス越しに見えることしか分からない。空調も止まってしまったらしく、車内はやけに静かになってしまった。
雲の中でも雷のような光るものが時折見える。
「あれは何だ!」
誰かが叫んだ。海が盛り上がってこちらへ迫ってくる。
津波!そう感じた次の瞬間、電車は波に呑まれた。車体が大きく揺れた。空調やドアのところから容赦なく水が飛び込んでくる。
僕はとっさに電車の壁に身体をくっつけた。車体が横転する。僕は車体から剥がされるように落ち、反対側の座席のほうへたたきつけられた。そこにいた、誰かの上に乗ってしまった。
海の水がシャワーのように入り込む。

気がつくと、水は引いていた。
僕の下には人が居た。
「苦しい・・どいてくれ・・」男だった。
僕はゆっくりと体の異常がないかを確かめながら、立ち上がった。男もゆっくりと立ち上がってきた。
「津波ですか?」
僕がそう言うと、「空が変や・・」男が答えた。この電車は完全に水没はしなかった。あちらこちらで乗り合わせたほかの乗客たちが立ち上がってきた。電車の部品やガラスの破片でけがをした人も居るようだった。
外に出なければ成らない。窓が頭の上にある。
空は真っ黒な雲に覆われているようだった。電車の座席を踏み段にして、先ほどの男がドアを触ろうとしている。
けれども、ドアには手が届かない。横転した車体では出入り口には足を載せるものが何もないのだ。
「駄目か・・」男はつぶやいて車内を見渡した。
僕も車内を見渡した。ふと、車両の端から光が漏れていることに気がついた。
隣の車両との連結面にある幌の部分だった。いくつかの座席の背もたれや肘掛を足がかりに、そこへ近づいてみた。ちょうど、連結面にある扉は下のほうに引っ込んだままになって、幌が破れ、そこから出られそうだった。
「ここならいけそうですよ・・」
僕は男や他の乗客に聞こえるように言った。
何とか幌の破れ目から外に出ることが出来た。
国道ではクルマが軒並み横転していた。仰向けに成っているクルマもあった。電車の屋根の向こうには電車より大きな船がひっくり返っていた。
人々が外に出てきて騒いでいた。クルマの下敷きになっている人も居る。
線路の上で電車が横たわっている姿はあの、神戸の大地震で見て以来だ。そのときも船が線路に上がる事はなかった。
泣き声が聞こえる。亡くなった人も居るのだろうか・・
僕は、神戸の大地震の日、なかなか警察や救急が来なかったことを思い出した。
しかし、何故、大阪湾で津波が起こったのだろう、あの、オレンジ色の光は何だったのだろう・・
僕は由貴に会わなければならない。彼女はどうだったのだろう・・携帯電話を取り出してみた。
ポケットに入っていて、水に完全に浸かったようには見えないけれど、どのボタンを押しても何の反応もない。
線路を歩くことにした。線路の上では電車がまだ何本か横転していた。
どの電車からも乗客たちが外に出て騒いでいる。しばらく進むと住宅が見えた。住宅も壊れているものがたくさんあった。
船が突き刺さっている住宅もあった。
僕は何より由貴の無事な姿が見たかった。
線路を半ば駆け足で歩く。津波の影響は市街地に入ればそれほどでもないようだった。
床下浸水程度で収まっているところもあった。
空はますます暗い。雨が降りそうだ。
鷹取駅が見えてきた。ここでは新快速電車が脱線もせずに停車していた。
「線路を歩かないで下さい・・危ないですから」
停車している電車の運転士らしき人が僕を呼び止めた。
「電車は動かないでしょ。少なくともここから西は・・」
僕の答えに運転士はむっとしたようだった。
「津波で電車が転覆していますよ。須磨駅のあたりで何本か・・」
「嘘を言うな・・」
「本当です。知らないのですか・・」運転士は黙ってしまった。
そのとき、僕の後ろから同じように歩いてやってきた人たちが後ろのほうに見えた。運転士は何も言わずそっちの方向を見るだけだった。

僕は停車中の電車の脇を通り過ぎた。僕を見て、ホームにいるほかの乗客たちも線路に下りて歩き始めた。
空はますます暗く、ついに雨が降り始めた。
すすが混じっているかのような黒い雨だった。雨はすぐに強くなり、土砂降りになってしまった。黒い雨はやがて、普通の雨の色になった。
線路は高架になっていて、付近の町が津波で水浸しになっても、ここだけは関係が無いかのようだ。
このあたりでは水はまだ引かず、まるで湖に家が浮いているかのような景色だった。更に歩くと、新長田駅へ続く坂になる。
線路の枕木の上は歩きにくい。息が苦しくなる。
雨はまだ降っていた。
貨物列車が停車している。機関士がドアをあけて、出入り口に腰掛けている。僕を見ても何も言わなかった。
新長田駅のところにブルーの電車が停まっているのが見えた。
もしかして・・僕はとっさにそう思った。
線路を歩く僕の足が速くなった。もしかしたら、彼女が、由貴がまだここにいるかもしれない。新長田駅のホームが近づいてきた。
ふと、線路の下を見ると、湖のようになった、町の中で水に浮かんでいる人がたくさん見えた。死んでいるのだろうか・・
地下街や地下鉄の駅にいて、あの津波を受けた人たちだろうか・・ヘリコプターが飛んでいる。ジェット戦闘機も飛んでいる。
津波からすでに1時間が経とうとしている。
そろそろ何らかの救援部隊が来てもいいころだ。それにしても警察は何をしているのだろう。パトカーのサイレンも聞こえない。
新長田駅に入りかけたところに青い普通電車が停車していた。
ホームには人が溢れている。
僕はホームに上がり、人ごみを掻き分けて前のほうへ進んだ。由貴・・生きていてくれ!そう願いながら・・
ホームの前のほうへくると人々はホームの先に集まっていた。
ここからは結構遠くまで見渡せる。いつしか雨が上がっていた。
「シンジ!」
由貴だ!僕は声のほうへ走った。由貴がそこに立っていた。
「無事でよかった!」僕は彼女を抱きしめた。

東の方向は真っ暗である程度から向こうは何も見えなかった。
僕たちは手をつないで、東の方向を見ていた。
灰色の雲に覆われた空には何機ものヘリコプターが飛んでいる。ジェット戦闘機も上空を行き来している。
何があったのだろう・・
寒くなってきた。
由貴が僕の手を握る力が強くなってきた。彼女も怖いのだ。
ホームにいる人々も、不安のまなざしを空に向けている。
赤ん坊の泣き声がする。
そのとき、明らかにミサイルか何かのようなものが北の方向から、東の、三宮のあたりへ尾を引いて落ちるのが見えた。
オレンジ色の光があたりを包み込む。
風が強く吹いてきた。

**********

20XX年、秋、東アジアにあって、独裁を続けていたJ国に痺れを切らしたB国は核を飛ばした。
正確に首都を狙ったが、状況を察知していたJ国の指導者達はR国との国境付近に逃げて無事だった。
報復はB国にではなく、同盟関係で、かつ、直接国境を接していないこの国に対する核ミサイル攻撃で行なわれた。
核ミサイルは3発発射され、最初の1発は大阪に、2発めが神戸に、そして3発目は若狭湾に着弾した。
東京を狙わなかったのは交渉を有利にするため、この国の首脳を生きさせるためだった。
全面核戦争の危機だったが、なぜかB国はJ国と国境を接するT国、大国のR国、C国との間でこれ以上の攻撃はお互いに不要との取り決めを作っていた。全面核戦争は回避されたが、関西とJ国の首都を中心に500万人以上のの死者を出し、、今後数十年はその場に立ち入れない広大な放射能汚染が、永く人類を苦しめることになった。
日本は関西一帯を消失させられ、東側をR国、西側をB国、南部をC国が統治する事になった。




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神がいた浜

2004年08月12日 15時01分00秒 | 小説
戦国の世は鬼の住む世。
人の命ははかなく、夢などはこの世にないものと、下々のものが思う世の中。
現世を捨て来世に望みをかけ、人々は念仏を唱えることしか知らぬ世に、けれどもその念仏の仏という字は、何のためにあるのかと問いかけも出来ぬ恐ろしい世の中。

嵐のようにやってきた織田の軍勢は、三木城一つを落とす為、周囲の集落を焼き尽くした。焼き尽くすだけではない。
鬼そのものの鉄の髭をつけた足軽どもは、村にある全てを奪い尽くし、あらん限りの凶行を働いた。それは戦に名をかりた強盗であり、暴行であり、強姦であり、殺人だった。

サトはもう、涙も枯れ果てていた
生き残ったものが、死体を焼いていた。
夏の日差しの中、それはのんびりとしたただの野焼きの光景にも思えた。

昨夜、いきなり、男たちが村を取り囲んだ。
村長は男たちと交渉をしようと出て行ったが、頭を下げて男たちに近づくも、いきなり鉄砲で撃たれ、その場で息絶えた。
村のものはそこから逃げようとしたが、すでに包囲され蟻の這い出る隙もない。
彼らの頭領風の男がなにやら合図をすると、男たちはいっせいに村人達へ飛び掛ってきたのだ。
村の男は全て首を切られた。手を合わせ、何故自分が謝るのかわからぬほどに男たちに命乞いをするものも容赦なく一刀の下に切られた。
村の女は侵略者達の餌食になった。そこら中で女の悲鳴が聞こえ、用がすむと多くの女は殺された。

サトはその光景を思い出したくはなかった。
サトは三木城がどこにあるのかは知らない。ただ、村を抑えている武士達のさらにその上の武士が三木という立派な城にいて自分達を治めているらしいことしか知らなかった。
侵略者達はまず、村の近くの寺を攻撃した。
寺は大きく、えらい坊さんがたくさんいたが、寺は全て焼く尽くされ、坊さん達が首だけになって河原にさらされたとき、サトたち村の者の運命は決まっていたのだ。けれども、寺が焼かれたのは三木のものを寺でかくまっていたからだと村長は説明した。
村は何百年も同じ時間が流れているようなところだった。
小高い丘や、森に囲まれ、普段はさして水量の多くない川が村のはずれに流れていた。
川のおかげで水に困らず、豊かとはいえないが、村には落ち着いた生活があった。
サトの思い出したくない光景が頭の中に次々と広がる。
裸足で血まみれの足の痛さも、あの恐ろしさに比べればなんでもなかった。

サトには両親と兄がいた。
その日は雨だった。畑も早めに切り上げ、家の帰ったばかりの頃、男たちが村にやってきたのだ。
自分達は今の戦と係わりがない・・村長はいつもそう言っていた。
織田が来ても、何か村から差し出すなり、合力をすれば、戦はせずとも済む・・村長はみなの前で確かにそう言っていた。
けれど、侵略者達は村を一気に侵略した。
サトの目の前で父と兄は槍で刺し殺された。サトは母がどこかへ拉致されていったあと、数人の男に囲まれた。
殺される・・彼女はそう思った。
男たちがサトの着物を剥ぎ取り、押し倒したときだ。
「俺にやらせろ!」
太い声がした。「頭ですかい・・これは上物なんですがねえ・・」
「俺が目をつけていた娘だ。この娘はおれのものだ」
「頭ぁ、こいつだけはわしら足軽の楽しみでございますからね」
「他へ行け、それとも俺と斬り合いでもするか・・」
サトの近くにいた男たちは何かぶつぶつ言いながら、後からきた男に譲ったのか彼女から離れた。
サトは目を瞑っていた。
その男が彼女の着物に触れた。怖かった。
けれど、男は、サトのはだけていた着物を合わせると、その場に座り込んでしまった。

「この二人は家族のものか?」
男がサトに問い掛けた。怖くて目があけられない。身体が震える。
「安心しろ・・お前には他の者に手を触れさせない」
男は言ったがサトには言葉が出なかった。
「大丈夫だ・・目をあけろ」
男が叱るように、けれど静かな声で言った。
目を開けた。
父と兄が死体となって横たわっていた。けれど、首がなかった。
「この二人は家族のものか?」
男はもう一度訊ねてきた。
サトは声が出ず、首を縦に振って頷いた。
「申し訳のないことをした。今は戦国の世、こうなるのも前世からの宿業ととらえてくれ」
男はサトの背を起こし、彼女の前で謝った。
「誰かあるか!」
男は家の玄関から道に出て怒鳴った。雨が激しく降っている。
「は!」若い男の声がした。
「わしは疲れたがゆえ、今宵はここにて休む。皆の者にも明日は早いゆえ、さっさと飯を食らって寝ろと言っておけ!」
「確かに承ってござります」「うむ、それと、ここにも食うものと酒を持ってきてくれ」
「は!」若い男の声は去っていった。
雨が降りしきる。古く簡便なつくりの家は雨漏りが多い。
「朝になればここからどこかへ行くと良い・・どこかに行くあてはあるのか?」
男は自分を殺さない・・・サトはようやくそのことが判ってきた。
「かあさまは、どこへ連れて行かれたのじゃ?」
初めて言葉が出た。
「ここから連れ出された女か・・」「そうじゃ、うちのかあさまじゃ・・」
男はサトを見た。ため息をついた。
「多分・・殺されておるであろう・・そう言うことに決まっていたからの」
サトは声を上げて泣いた。けれどもすぐに男がサトの口を塞いだ。
「大声を出すな・・お前はわしが楽しむためにとりあえず命を助けていることになっている・・」
サトの口を塞いだ男の手は大きく、暖かかった。
「わしはお前には何もせぬ。じっとして、わしの言うとおりにしていれば明日の朝には逃げられるようにする」

男はサトに焼き米をかじらせてくれた。サトが無心に焼き米を食う間、男は酒を呑んでいた。
男は甲冑を外さず、そのままの格好で座っていた。
食事が終わると、サトは男の言うように男の脇で横たわっていた。家族が死んだ悲しみが広がってくる。

朝、ようやく夜が明け始めた頃、男はサトを連れて村を出た。
寝ずの番に就いていた男の部下達は、何も言わず、見て見ない振りをしているかのようだった。
近くの峠の上でサトは離された。
「お前はわしの惚れた女に似ている。そいつも戦に巻き込まれて死んでしまったがな・・」
男は始めて軽く笑顔を見せた。
雨は上がり、雲の間から太陽が顔を出す。男の顔にも日の光が当たる。
髭で覆われているが、案外、若い男だった。
「娘・・名はなんと言う?」
「サトや」
「わしは戦のあとにもここを通る。この度の戦がすめば・・三木が落ちれば、また会おう・・」
男は懐から路銀を出して少し分けてくれた。焼き米の入った袋もくれた。
そして、早く行けと、サトを峠から追い落とすようにしてそこから去ってしまった。

峠を降りて、しばらく歩いた。川に沿って、焼けた村を見てしばらく行くと寺の前に出た。
サトの村にある寺とは宗旨の異なる、こちらも大きな寺院だった。
けれども寺はここでも焼かれていた。大きな塔のあったところは瓦礫とすすばかりになっていた。坊さん達が後片付けをしていた。
「サトやないのか?」
年配の坊さんが彼女を見て声をかけてくれた。
「峠向こうのサトやないか・・どうや、そっちはやられたか?」
「坊さん・・うちのこと知ってるんか?」
「そらのう・・おまえの母様はこの村の出やさかいのう・・」
そういえば、何年か前、母とこの寺に法事に来たことがあった・・サトは急に抑えていたものが噴き出したかのように泣き出した。
坊さんは、片づけの手を休めてサトの話を聞いてくれた。
昨日のこと、自分だけが助けられたことを、前後の脈略も見境なしにしゃべった。
「峠の向こうは、全滅かいなぁ・・織田の者ども、無茶をしよるなあ・・」
坊さんは溜息をつきながら空を見上げた。
「お前を助けた武者は・・どうしてお前だけを助けたのやろうかな?」
「うちが・・昔惚れた女に似とるって言いよった」
「ほう・・もしかしたら、お前にだけは神様がついてたのかも知れぬの」
「神様・・そんなものがあるんか?」
「そうや、御仏を信じるものを守るのが神様の役目や・・人の姿をしている神様もあれば、風や雨の姿をしている神様もいるのや」
「うち・・仏様は信じとらへん・・父様も母様も、一生懸命信じておったんや・・なんで、神様がみんなを助けなかったのや?」
坊さんはサトの顔をじっと見た。坊さんは涙を流していた。
「宿命があるからなあ・・人間には自分の宿命は見えんのや・・サトにはサトがすることがあるのかも知れぬなあ・・」
サトはまた泣き出してしまった。「仏様も神様も信じられんわ・・」と言いながら・・

サトは坊さんの紹介で寺から一里ほど離れた漁村の家で手伝いをしながら住まわせてもらうことになった。
漁村の仕事は多く、朝早くから日の暮れるまで、村の女達とともに働いた。
時折襲い来る悲しみと恐怖は、仕事に精を出すことで忘れることを覚え、とにかくよく動いた。
男が漁に出ている間、女は畑や田を作り、干物を作り、魚をそこからまた一里ほど離れた町へ売りに行った。村には活気があった。
どういうものかこの村は、織田に攻められても死者を出さずに済んでいた。
水軍に通じる漁師達は情勢に敏感で、いち早く織田軍への合力を申し出ていたからかもしれないし、町との取引で銭を扱うことに慣れている村のものが織田軍に銭を贈って制札を確保していたからかもしれない。
織田軍はこの村では示威行動だけですぐに通り過ぎたという。

秋が過ぎ、冬がきた。
冬の厳しさはサトの村とは比べ物にならなかった。海からの風が吹きすさぶ浜辺では身体の芯まで冷えた。けれどもサトはいつも仕事を率先してしていた。
サトの生活が落ち着くと、彼女は年頃相応に美しくなっていった。
彼女を娶わせる話も村人の間では囁かれていたけれど、サトはまだ心にわだかまりがあった。
気持ちが落ち着いてくると自分を助けた男をもう一度見たいと思うようになったが、そのことは誰にも言わないでいた。
「三木城が落ちるらしい・・」「そりゃぁ・・織田に楯突いて勝てるはずはなかろうて・・」「別所殿ともあろうお方が、時勢を読み間違えたとはねえ・・」「毛利の後ろがあると、信じとったんやろうなあ」
噂が村人達の話題にのぼった。三木城は、その頃兵糧攻めにされ、幾日も持たない状態になっていた。
サトは、三木城が落ちたら会おうといった男を思い出した。
男が自分に会いに来る気がしていた。

正月二十日過ぎ、そろそろ梅の花が咲く時期、男たちを送り出したあと、サトはしばらく浜に佇んでいた。
雲が厚い。灰色の雲間から日の光が斜めに差し込んでくる。
一条、二条、日の光は灰色に染まった海を、あちらこちらで照らし始める。
ふと西のほうを見た。遠くの島がはっきりと見える。
浜辺を片足を引きずりながら歩いている人の姿が見える。
町の人?それとも今日の漁を休んでいる村の人?
男はゆっくりと近づいてくる。
サトの胸が何故だか高鳴る。
胸の鼓動は大きくなる。
「サトか・・」男は彼女の姿を認めてそう言った。
サトは立ち尽くしていた。
「サトか・・きれいになったなあ・・」
サトは男を見据えたまま問い掛けた。
「お武家様は神様かい?」
男はサトの前で立ち止まった。「わしか?わしは神じゃあないぞ・・」
「坊さんがうちの神様かもと教えてくれたんや」
男はサトを見て、そして笑った。
「神様か!こんな汚い神様か!」笑いながら、サトの肩を持った。
「わしは、お暇をいただいた。もう、血に酔うのは御免こうむる。浪々の身の神様か!」
サトは自分の肩を持つ男の手にあの時と同じ暖かさを感じた。
「何で、うちだけを助けた?」
男はしばらく思案しているようだったが、「わからぬ、ただ、お前の顔を見て途端に戦が嫌になったのかも知れぬ」と答えた。
「父様と母様はなんで助けてくれなんだ」
男は彼女の肩から手を離して海を見た。
「間に合わなかったのだ。早馬が来て、村は攻めるなと・・村には制札が出ておると、けれど、そのときはもう、わしの手のものが村を襲っているときだったのだ」
「あんたは、鬼か?」
サトは目に涙をためてそう聞いた。
「鬼かも知れぬ・・いいや、まさしく鬼であろう、わしもわしの手の者も・・鬼になってしまった人間は止められない。わしにはお前を助けることしか出来なかった」
サトは声を上げて泣き出した。海に向かって思い切り泣いた。
いつのまにか近くに村の女達が来ていた。女達は遠巻きにしてみていた。
「すまぬ、許せとはいわぬ、わしを斬ってくれ」
男はサトの前に刀を置き、土下座をした。サトはそれでも泣き続けていた。
泣き続け、涙も出なくなり、ふと見ると男はまだ土下座をしたままだった。
「サト、わしを斬れ!わしは己が失敗を、ここで償いに来たのだ」
サトは目の前においてある刀を取り上げた。鍬を持つように刀を持つと、男に向かって振り下ろした。
近くで見ていた女が悲鳴をあげた。
刀は男を外れて、砂に突き刺さった。
サトは肩で息をしていた。刀から手を離した。
「早く斬れ!」男はせかすように言う。
「うち・・神様は斬れぬわ・・」サトはそう言うと、刀を砂から抜いた。
男は今度は胡座をかき、刀を持った。
「腹切りもごめんだ・・うちはもう、血は見たくない」
サトは男にそう言うと、海のほうを見た。
「お武家様は神様や、うちには神様や・・」
今度は男が声を上げて泣き出した。
この娘は俺の神だ・・男はそう思った。
サトはずっと海を見ていた。
男は座ったまま、サトの背中を見ていた。
波は荒く、いつしか雲が晴れ、青空が広がっていた。

















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何かが消えた日

2004年08月03日 17時43分00秒 | 小説
俺は、その朝も海辺のマンションで目覚めた。
ここは俺のオンナ、ミオの部屋だ。
南の窓が開け放され、潮風が部屋の中に入ってくる。この部屋はいつでも俺の疲れた身体を癒してくれる。
ただし、ミオの性格だけは別だ。俺にはきつい。
好きな部分もあり、付き合い始めて2年になるが未だに俺は結婚を決めかねている。
ミオのほうも、俺の頼りない部分が好きになれないらしいし、結婚して自分の一生を預ける相手としては不服なようだ。

「ねえ・・マサト・・今日はネットがおかしいの」
俺が起きた気配にミオが話し掛けてきた。まだ眠い。頭がぼんやりしている。
ネット・・じゃあプロバイダーだろ・・ぼんやりとそう答えた。
「何も画面が出ないのよ」
・・パソコンは立ち上がったのかい?・・
「だから・・パソコンの画面が真っ白なのよ」
じゃあパソコンの故障かな・・そう思って俺はリビングにあるパソコンを見に行った。
ノートパソコンの画面全体が、ただ真っ白で何も映っていなかった。電源は入っていた。
「いったん、電源を落として、立ち上げなおそうよ」
「もう、何度もしたわ・・」
ミオが諦めたようにいう。俺もテレビのリモコンを持ってスイッチを入れた。
スイッチは入るし、チャンネルの数字は出るのだが画面は真っ白だ。チャンネルを変えてみた。
どこも写らない。砂嵐にもならない。
ようやく一つだけ映った。
地元のローカル局だった。再放送モノのアニメーションが流れている。
そのとき、外が異様に明るくなった。
・・なんだろう・・俺は窓の外を見た。海と、その向こうの島が見えるはずなのだが、一面強烈な光で覆われ、真っ白なだけになっていた。大きな音がした。ジェット旅客機が低空を飛ぶような音だ。
音は数秒続いた。音が一番大きくなったとき、部屋の中にまで光が入り込んできた。何も見えない・・真っ白になってしまった。
身体が少し痺れる。耳の奥で何か甲高い音がする。身体の血液が逆流するかのような異常な内側からの圧力を感じる。
一瞬、こめかみのあたりが突き刺すように痛む。脳の奥が麻痺する感じだ。

ふと気がつくと、部屋の中も窓の外も、いつもの景色に戻っていた。音も去ってしまっていた。
逆行気味の青い海、島、島と結ぶ巨大な橋がいつものようにそこにあった。
クラクションの音があちらこちらで鳴っている。
部屋から海と反対側を眺めて驚いた。
信号機の明かりが消えて車が交差点で立ち往生している。
道路の横に、鉄道会社の異なる二つの鉄道線路があったが、高架を走っている線路上で電車が停車していた。
「何が起こったの?」
ミオが俺に抱きついてきた。
「ただの停電だろ・・」
そう答えたものの、俺にも何がなんだか分からない。
「朝飯を食おう・・」そう言ってリビングに戻った。それでも外が気になり、海のほうを見ると、船はいつもどおり浮かんでいる。
安心してすぐ近くの巨大な橋を見ると車が数珠繋ぎになっていた。
テレビは相変わらず、再放送のアニメしか映らない。海から吹き込む風が心地よい。
俺は自分でトーストを焼き、ミオがコーヒーを立ててくれる。
「まてよ・・この部屋は停電になっていないのに・・どうして信号が消えているんだ・・」俺がそう言った途端、部屋の明かりが消えた。テレビもパソコンも電源が落ちてしまった。
とりあえず、会社の友人に電話を入れてみよう・・俺はそう思って携帯電話を取り出したけれど、画面には何も映っていない。
「携帯も停電か・・」
「何いってるの?携帯電話は充電が切れるまで大丈夫でしょう」
「え・・でも・・消えてるぜ・・」
・・そうだ・・俺は部屋の中の一般加入電話の受話器をとった。
音はしない。受話器も静まり返ったままだ。
ドーン!音とともに地響きがした。慌てて海のほうを見ると、巨大な橋の橋脚に貨物船が突っ込んで止まっていた。
船の警笛が聞こえる。それも一隻や二隻ではない。
海を良く見ると、大きな船ほどあらぬ方向へ向かっているようだ。

俺とミオはしばらくそのままじっとしていた。
クルマのクラクションと船の警笛はするものの、他の音がない。
「いつまで停電が続くんだろうね」
ミオが心配そうに聞く。
「俺には何もわからない・・何か変なことが始まっているのじゃないか?」
窓の外、空は抜けるようなブルー、時間が止まってしまったかのような錯覚を覚える。
しばらくしてパトカーのサイレンが聞こえてきた。
スピーカーで何かしゃべっている。
「なに?」
ミオが立ち上がり、玄関へ行こうとする。俺も立ち上がってついていった。
「こちらは県警です・・皆さんにお知らせします。決して外に出ないで下さい。外出中の方は近くの安全な建物に入ってください・・繰り返しお知らせします・・ただいま大規模な停電のようです。原因がはっきりするまで、慌てた行動は慎んでください・・」」
パトカーは車が団子になっている交差点を器用に抜けて、ゆっくりと過ぎていく。
俺たちはそれをマンションの通路から眺めている。高架上の電車はまだ停まったままだ。
パソコンも電話も使えない。電車は動かない。
俺は会社に行く気もなく、あとはなすがままにと言う気持ちになった。
しかし・・ただの停電なら、どうして携帯電話が使えなくなったり、船の動きがおかしくなったりするのだろう?
それ以上何も考えたくなくなってしまった。けだるい。
俺はまたベッドに横になって寝ることにした。
いつのまにかミオも俺の横に来て、二人とも眠ってしまった。

気がつくと昼ごろだろうか・・太陽の位置が高い。時計を見た。枕元の電池式の時計は1時をさしている。
静かだ。クラクションの音も聞こえない。
玄関を出て、また通路から外を見てみた。
車はゆっくりと動いている。交差点では警官が手信号でクルマをさばいていた。高架上の電車は停まったままだ。
部屋に戻り、海のほうを見た。
のどかな昼下がりの海だ。船は浮かんでいるが動いてはいないようだ。巨大な橋の上も車が行儀よく並んでいる。
「どう?停電なおった?」
ミオが眠そうな顔で聞いてきた。
「いやあ・・そのままだよ・・」
俺も眠気をかみ殺してそう答えた。ふと海のほうを見ると海岸で釣りをしている人がいる。
「気持ちよさそうだなあ・・釣りか・・」
ぼんやり俺がそう言うと「ねえ、海岸に出てみようか・・気持ちよさそうだし・・」ミオがつぶやく。
二人して外に出ることにした。
エレベーターは止まっている。
階段で下まで降り、国道から建物を回りこんで海のほうへ向かった。

海岸で釣りをしている人は一人だけだった。
中年の男性が海に向かって釣り竿を出している。
男性の横にはラジオがあった。
「釣れますか?」俺は聞いてみた。
「・・魚か・・釣る気はないのだよ・・こうしてラジオを聞いているんだ」
男は少し笑顔を見せて答えてくれた。
「ラジオ・・何かわかりますか?停電のこと・・」
男は、おや・・というように俺とミオの顔を交互に見た。
「停電なんかじゃないよ・・そんな生易しいものじゃあない・・」
「じゃあ・・なんなのです・・この状況は・・」
ふうっと男はため息をついて海のほうを見ながら言った。
「今、聞いているのは北京放送だよ。ここだとラジオが電波を拾いやすいからねえ・・」
「北京放送で何かわかりますか?」ミオが男に聞いた。
「余り大声で言うな・・パニックになるぞ・・さっき、巨大な隕石が通過しただろ・・あれから日本と連絡が取れないらしい・・」
「どういうことですか・・」俺はこの男が何か知っている気がしてきた。
「いったい、何があったというのですか?」
「僕にも分からないけれど、どうやら、日本中の情報が全てなくなってしまっているらしいんだ。衛星からの情報も含めて考えると、日本で大きな戦争があるとか、そう言うことではなくて、ただ情報というものが消えてしまったみたいなんだ」
・・情報が消えた・・どういうことなのだろう・・
「日本は今、コントロールがまったく出来ない状態になっているらしい」
「じゃあ・・その情報が戻ればいいんですよね」
「消えてしまったデータを取り出す方法はあるのだろうか・・僕は今、それを考えているところなんだ」

俺にはわからなかった。
データというものがこの世から消えてなくなるとどうなるのだろう?
いまやほとんどのものはデジタルデータで管理されている・・その管理が全く出来なくなったら・・
考えても分からない・・
「第一、電気だって、コンピューターで管理されてるだろう・・そのデータが一切なくなれば、停まるしかないだろう・・」
男は俺たちのほうを見て笑った。
「今ごろ、大半の人は君達のように停電だと思っているのだろうな・・」
波が打ち寄せる海岸で、コンクリートブロックの上に座って俺たちは海の遠くのほうを見ていた。
船も止まっている。
「船はGPSで航行を管理していますでしょう・・だったら、日本のデータが消えても衛星だから動けるのではないですか」
俺の問いかけに男は「GPSは大丈夫だと思うよ・・でもそれを受けるソフトが消えていたら・・」
「原発も停止、新幹線も停止、航空機は日本の領域に入れない・・携帯電話も駄目・・水道なんかは大丈夫かもしれないけれど、コントロールは出来ない・・」
男がつぶやく・・俺にも何がなんだかわからない。
「こういうときに何が出てくると思う?」
男は俺に問い掛けた。謎解きゲームみたいだ。
「えと・・自衛隊ですか・・」
「自衛隊は国家からの要請がないと動けない。国家は要請を出すことも出来ない。日本がコントロール不能・・あと何時間で最低限のことが動き始めるか・・それまでに動くものは・・」
男が俺ににやりと笑いながら続けて聞いてくる。
・・米軍!・・
「そうだよ・・あ・・中国軍もね・・」
「それはどういう口実で・・」
「口実などいらないだろうけれど、強いて口実を作れば、日本の治安確保のためだろうね・・」

波の音が何かを引きずり込むような気にさせる。
「なんだか・・身体が軽いわ・・」
ミオがそんなことを言う。
・・あ・・俺も肩こりが少し楽になっている・・
「強力な電磁波で肩こりも治ったのかな・・?」男が俺たちのほうを見て微笑む。
猫が近づいてきた。男はクーラーボックスの中の魚を猫に投げ与えた。
午後の日差しがまぶしい。
「来たみたいだね・・」
男が静かに言う。海の彼方、低空飛行で小さな航空機がこちらへ向かってくる。
それは見る見る近づいて、確かに米軍のものだと分かる近さで通過して、あっという間に去っていった。
「そろそろ帰ろう・・僕も自宅で様子をみることにするよ・・」
男は米軍機を見たことで目的を果たしたようだった。釣り道具を片づけ、ゆっくりと立ち去ってしまった。

俺とミオはしばらくそのまま海岸にいた。
じゃれ付いてくる野良猫の相手をしていることが何より大切なことのように思えた。
一時間も経っただろうか・・今度は航空機の編隊が西のほうからやってきて、東へ去っていった。
航空機は数十機という、俺が見たことのない大きな編隊だった。







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