story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

おんな哀歌

2006年12月04日 20時21分04秒 | 小説

時は天正8年(1578年)夏、所は播磨の国、明石の町を東へ一里ほど外れた海岸の松林である。
このころの明石は海岸縁に漁師達の棲家が固まるのが中心であったけれど、それでも、明るく温暖な気候に恵まれ、淡路や四国との海上交通、それと西国街道や三木街道が交錯する交通の要所でもあり、人の往来が多かった。

けれども、ここの松林の奥のあばら家が数軒、固まっているあたりは昼間から人が通る事も少なく、周囲に田畑もあるわけでもなく、目の前の海岸には朽ちた船が捨てられているだけの閑散さである。

しかし、まったく人が通らないかと言えば、そうではなく、時折、人の目を盗むようにして男が数軒の家のどれかに引き込まれるかのように入っていく姿を見る事が出来たし、荒れた松林では数人の子供たちの歓声がこだましている。

今も一人の男が、そんなあばら家の端の家に入るところだった。
「おう!たまどの・・おるんかい」
さして広くない家の奥から女の声がする。
「おるわいな。何処に目ぇつけとるんや」
「暗うて分からんわい・・」
「待ったで・・ホンマに、長い事、待たせるんやな」
「いやあ・・今ごろが午の刻やろ・・」
「あんたの午の刻はお天道様が西向いて寝んねはじめてからやわ・・」

明るい表を歩いてきた人の目には、暗い家の中は、最初はまったく見えないものだ。
男の目にも、ようやくぼんやりと、この家の女の姿が見え始めていた。
「えらい、済まんかったわ・・そないに怒らんといてや・・」
男は何とか、“たま”と言う女にすがるようにして謝っている。
「ええで・・約束通り、していってくれるんやったら・・」
女はもう、怒っていたのを忘れたかのように男に優しい目をむけている。
「ほな・・これでええか・・」
男は女の手に銭をいくらかつかませる。
「ほう・・ええ案配なんやな、あんたの商売・・おおきに・・貰とくで・・」
そう言ったかと思うと、女は男の肩にしな垂れかかる。
「すぐ、するか?それとも、酒でも飲むか?」
「いや・・わし、もう、我慢でけへんねん・・」
間もなく、二人の会話は途切れ、女の喘ぐ声と、男の息遣いが狭く暗い家の中に広がる。

時折、海から波の音が聞こえ、松林の枝を吹き鳴らす風の音が聞こえる。
萱や葉を葺いた屋根の隙間から空の明るさが星の光のように・・女には見える。

・・こうして抱かれているのならまだ良い・・
たまは、男に抱かれるとき、いつもそう思う。
あれは2年前の事・・
城を包む猛火の中で、男は斬られ、女は犯されたあとに殺されていった。
炎の向こうで、泣き叫ぶ彼女の周囲の女達・・
本当は彼女もそこに残って、あらゆる辱めを受けて、そして犬や猫の死骸のように、裸のまま、そこらに放り捨てられるべきだったかもしれない。
けれど、息子次郎をなんとしても守りたい・・
彼女は、あの猛炎の中から、次郎を着物の前で布を被せて隠し、混乱の隙間を見つけ、山火事の広がる城山へ走り込んだのだ。
結局は死ぬしかないのかもしれない・・
けれども、少なくとも織田の男達の欲望と一緒に捨て去られるのはごめんだ・・

胸元に抱いた息子が動こうとする気配で目が覚めた。
戦は終わっていたようだったし、人の気配もなかった。
城山は大半が焼け失せていたが、彼女の回りには火が回らずに・・そこで失神していた彼女はその為に助かったのだった。
夜になるまで、その場でうずくまっていた。
夜になって、山を下り、焼け果てた田畑をひたすら歩いた。
途中、一人の武士に出会った。
「何処のものだ!」
彼女は何も答えなかった。
「何処のものだ!」
武士は、何度かそう訪ねたが、彼女は何も答えなかった。
月のあかりは、彼女と息子の顔を照らした。
「何処へ行く」
武士は誰何する。
彼女は答えない・・
やがて、武士は彼女の顔をじっと見詰めて、こう言った。
「東のほうなら戦も終わっていよう・・気を付けていけ・・」
けれども、播磨一国中・・何処へ行っても戦に明け暮れる様相の中、東へ東へと逃げていった彼女はここ、摂津の国との国境の海岸にようやく落ち着いていた。

たまは今、男に体を預けながら、福崎の向こう・・秋霜山の城が落ちるときの事を思い起こしている。
いつも、思い出してしまう・・そう、諦めに似た気持ちに浸りながら・・

夫だった男・・江藤基国は、彼の兄の守る城に立て篭もり、最期を遂げた。
最期を遂げたかどうかは彼女は確認したわけではないが、それは十の内十までも間違いがないだろう・・

あの状況下であの場所から逃げ出したものが、自分達以外にあるとは彼女には思えなかったのだ。

それにしても、自分を見つけながら逃がしてくれたあの武士は誰だろう・・

「おい、たまはんよ・・もうええか・・わし、いてまいそうや」
たまは、「は・・!」とした。
男に揺らされながら気持ちがまったく違うところを飛んでいた。
「もうええのんかいな・・情けない男やな・・うちが、もうちょいと・・ええようにしてやろ・・・」
たまは、男をからかいながら、今度は男と身体の位置を変える。

外が少し暗くなってきたころ、たまは表に出て叫んだ。
「次郎や!帰っといでや!」
その声に、他の数軒のあばら家の主たちも、引き摺られるかのように、声を出し始めた。
「三太や!」「はまや!かえっといで!」
やがて、夜の帳が落ちて、あたりは真っ暗になってしまう。
波の音、風の音、夜目に見える松の木の影・・
遠くの淡路島の島影・・・

世の中から捨てられた女たちの、それでも生きようとする命が、ここにしっかり根づいていた。

数日後、浜辺で子供たちが遊んでいた。
そこへ、立派なみなりをした武士が数人、連れ立ってやってきた。
「おうい!坊!ちょっと教えてくれぬか!」
子供たちは怖そうな武士の姿に、遊びを止めて立ち尽くしてしまう。
「怖がらなくても良い。教えてもらいたい事があるのでな」

しばらく、子供たちは黙ったままだったが、中で一番年長の女の子、“はま”が恐る恐る声を出した。
「お武家様・・何のようで来たのや?・・ここは、女ばかりの村だで・・」
「おお!済まぬな・・わしはの、人を探しておるんや・・」
「誰を探しているのか、知らへんけど・・女しかおらへん・・」
「うむ・・それは存知の上じゃ・・」
武士の一人は出来るだけ子供を怖がらせまいとする配慮か、腰をかがめ、娘の目線で話をしている。
「実はの、この村に“たま”という母御と、次郎という男の子がおらんかと・・思うての・・」
子供たちは凍り付いたように立ちすくんでしまった。
自分達の仲間である。
その仲間を恐ろしげな武者が探しているのだ。
しかも、当の次郎は皆の中に居て・・子供ながらにも自分が名指しされたのを分かっている。
次郎はまだ五つだったが、武士が嫌いだった。
あの、母とともに必死で逃げた恐ろしい記憶が、武士を見ると蘇ってしまう。

子供たちは凍り付いたまま、何も言えなくなってしまった。
「なるほど・・この中に、次郎どのは居られるらしいの・・」
武者は、子供たちを嘗め回すように見詰め、背を伸ばした。
「分かりもうした・・坊や娘っこを怖がらせては何にもならぬのでな・・村のほうで伺うと致そう・・」
武者はそういうと、仲間を引き連れ、あばら家の村のほうへ向かっていった。

子供たちは、何か恐ろしい事が身の上に起るのではないかと、震え、そして泣き始めた。
母達の待つ村へ帰らねばならなかったが、そうするとあの武者達が居る・・それは何より恐ろしい事のように思えるのだ。

武者達はあばら家の前で洗濯物を干している女に声をかけた。
「少々お尋ね申す。この村に“たま”と言われる方は居られませぬか・・」
女は武士のほうをちらっと見てから無碍にこういう。
「知らんね・・誰がたまで誰が石か・・」
「いや・・別にそのものに危害を加えると言うのではござらぬ・・我らの話を聞いて頂きたい・・それだけの事でござるが・・」
女はじっと、武士を見詰めた。
「いややわ・・武士なんて・・ろくなもんやあらへん・・とっとと消えてんか!」
「いや・・その、我らは決しておかしなものでは・・」
「わてら、武士が嫌いやねん!あんたらは客でとるのも嫌やねん!」
その時、連れ立ってきた他の武士が刀を抜いた。
「女!我らをなんだと思っておるのじゃ!」
「ほうらほうら!すぐ刀を抜くやないの・・欲しいものがあれば殺して取り・・そんな連中は、いらへんのや!」
「何を!」
刀を抜いた武士が女に向かおうとしたとき、中心に居たひときわ立派な武士がそれを押しとどめる。
「待て!わしの命に逆らうな!」
刀を抜いた武士は、悔しそうに刀を収める。
「失礼仕る・・我ら、黒田家の者でござる。このたびは、主君の命によりて、まかりこしてござる・・失礼の段、まことに申し訳なく・・お詫び申し上げる・・」
一時は表情を引きつらせた女も、やや、穏やかな表情になりつつあった。

その時、騒ぎを聞いて、他の女達が集まってきた。
「なんか、あったんけ?」
「なにや・・このお武家さんたち・・」

武者の中心に居るひときわ立派な男が、改めて女達に挨拶をした。
「騒がせてしまい、申し訳ない。実は、この村に“たま”という女性(にょしょう)とその連れ子である次郎と言う男の子が居ると聞き、まかり越してござる」
女達は押し黙ったままだ。
「何も危害を加えると言うのではござらぬ・・我らは黒田家のもの・・主君の命によりてその方々をお迎えいたしたく・・」

ここの女達はみな、戦に巻き込まれ、夫を失い、子を失い、親兄弟を失い、棲家を追われ、生きる糧を失い、流れ着いてきたものばかりだ。
いわば、彼女たちは元々が武家の関わりのある女達でもあった。
彼女たちそれぞれも筆舌につくせぬ苦闘の末に、何となく松の木が並んでいて、隠れ家になりそうなこの地に自然に集まったものだった。

ここは西国街道の外れ・・
西国街道は明石の町より海岸を迂回するように丘陵の間を抜け、小高い峠をいくつも越えて摂津の国、兵庫の津へ向かっていた。
女達の居る松林の先には断崖絶壁の海岸があり、それは延々と一里あまりも続いて摂津の国へ至るのだが、そこは漁師でもなければ越える事の出来ない難所でもあった。
つまり、彼女たちは播磨の国の最果てに居着いたわけだ。
そして、そこで女が出来る事と言えば・・自らの身体を売る事だけでもあった。

「わたしが“たま”です。」
ついにたまは名乗り出た。
これ以上、黙っていれば、結局は人の良い仲間を苦しませる結果になる。
「たまさん、あんた、名乗らんでもええやんか!」
「うちらの仲間やさかい・・」
「こんな武家の言葉なんか、信じたらあかん!」
周囲の女達は口々に叫ぶ・・

「ええんや・・わたしが・・皆に迷惑かけられへん・・」
たまは、そう小さく言うと、武士の前に進み出た。
「如何なる御用でござりましょうや!」
久々に城主の弟の妻・・である彼女に武家の言葉が戻ってきた。
「たまどの・・お名乗り頂き、かたじけなく存じます・・」
武士の一人が礼の姿勢をとる。
「黒田のものがわたしに何の用ですか?・・黒田官兵衛どのが小寺殿をお裏切りになられて以来、当家との関係はなくなっておる筈です」
「たまどの・・あれは、小寺殿が織田殿を裏切ったのでございます・・」
「何を言われる・・織田などは所詮は盗人・・播磨は赤松殿の国・・小寺・別所・神吉といった御歴々が厳然とおわすのに、何故に黒田官兵衛殿は織田や織田の部下に過ぎぬ羽柴になど尻尾を振られたのでございましょう・・」
「たまどの・・時でござる。時を見誤ればお家どころか国そのものが滅びかねませぬ・・」
「ああ・・かような話はしとうもない・・わたしに何の用でござりますか?」

立派な武士は姿勢を正した。
「たまどの・・播磨の名家である江藤のお家が、このまま滅びるのを見るのは忍びませぬ故、たまどのと次郎どのに是非、当家居城である妻鹿へお越し頂きとうござる・・これが、我らが主君、黒田官兵衛どののお言葉にて・・」
「そう言いながら、羽柴の命によってわたしを殺すのでありましょう」
「何をおっしゃいます・・主君はさような人ではございませぬ・・もしも、あなたさまや御子息に何かがありましたときは、拙者、命に代えましてお守り申し上げます」
武士は必死の表情で訴える。

「三木城も落ちてござる・・今は播磨は羽柴さまの御領地・・」
別の武士がそう呟く・・
「さよう、我が主君は秀吉様の軍師にてござる・・軍師たるもの、曲がった事は申されませぬ・・」
「では、何故、官兵衛どのが直々にこられない?わたしたちがあなた方の言葉を疑う事くらいは分かっておられよう・・」
「主君、官兵衛・・怪我を致してござる・・長く歩く事が難しいゆえ・・」

一時の沈黙が流れる。
「たまさん!騙されたらあかんで!」
仲間の女がそう叫ぶ・・
たまはあたりを見回した。
やや離れた位置に子供たちが立っているのが見えた。
次郎は泣いた目を腫らしている。
「たまさん!武家なんか!信じたらアカン!」
別の女が叫ぶ・・

けれども、たまは、この短い時間に考えた。
このまま、次郎がここに居ても・・所詮は遊び女の子供・・ろくなものになる筈もない。
いや、いずれは人買いに売られていくしかないかもしれない・・

別の考えも浮かぶ・・たまさえ、しっかりしていれば次郎を村の漁師に頼む事も出来るかもしれない。
そうすれば・・次郎は戦とは関わりなく生きていけるかもしれない。
しかし、武家は戦になると漁師も百姓も見境なく徴用もするし、戦に関わらずとも殺される事も多い・・

「わかりました・・黒田様を信じる事にしましょう・・その代わりにお願いがございますが・・」
「なんなりと、お申し出下され・・」
たまは、黙って突っ立っている女達のほうを見た。
「このものたちが、ここで安心して暮らせるように・・手配頂けませぬか・・」
「畏まってございます。必ずやこの方々が安心して暮らせるように取り計らいますれば・・」

松林は風がなく蒸し暑い・・
夕凪の時刻だ。
波の音も頼りなく、立ったままの人間たちは汗のしたたるのも忘れ、その場の結末を見ようとしている。
武士の後ろに夕日が降りてきて武士の顔は女達には良く見えない・・

やがて、たまが自分の子を呼ぶ。
「次郎!」
息子はよたよたと走ってきて母親の膝にしがみついた。

ややあって、未だ沈みきらぬ夕日に向かい、武家の一団と一組の母子が歩き始めた。
「今宵は林の城にて宿を借り申そう・・」
中心の男は、そういうと、松林の外れに繋いであった馬にまたがった。
「坊!馬に乗せてやろう!」
口を真一文字に閉じ、嫌々と首を振る次郎だったが、「乗せてもらいなさい」との母の言葉に、こわごわ、別の武士に抱かれ、馬の背に乗った。

一団は急ぐ事もなく、のんびりと去っていった。

後にこの子は成人し、武功を上げ続け、黒田家の重臣にまでなったと言う。
けれども、大阪夏の陣で豊臣方に組みし、亡くなったそうだ。
母親のほうは、子供が元服するまでは城に居たらしいが、その後は何処へ行ったか、分からなくなってしまった。
松林のあの村に、彼女に似た女がまた住みついていると誰かの噂に聞こえる。

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