story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

幻想の店

2020年08月28日 22時54分23秒 | 小説

眠っている頭の中にお湯が沸いている音が聞こえた
そう、昔、ストーブの上にのせたヤカンのお湯が沸き
湯気が出ているあの音だ

部屋は暖かく適度な湿気で僕は満たされている

ふっと、僕の額を撫でる掌の感触に気が付いた
「起きた?」
女の声がする
僕は目を開けた
部屋の明かりは消されているが
窓から夕陽のオレンジが差し込んで部屋を満たしている
「うん、おかげでよく眠れたよ」
僕がそう答えると女は優しく笑みを浮かべ
僕に覆いかぶさるように顔を近づける

薄いシュミーズをつけただけの
女の胸がゆっくり迫る
女はシュミーズをたくし上げ
僕に更に覆いかぶさる

ぶら下がる果実のような豊かな乳房が僕の顔に触れる
僕は赤子のように女の乳首を口にくわえる

湯気が立つ音だけのする空間
暖かさに身体中が寛ぎ緩み
それでも僕は夢中で女の乳首を吸う

そこから何かが出てくるわけではないが
女が少し身体をのけぞらせ
小さな喘ぎ声が湯気で満たされたその部屋に拡がる

僕は両手を上げて
女の背に腕を回し、女を抱きしめる
女はゆっくりと僕の腕の中に身体を預けてくれる

「このまま、このまま」
女は僕の耳元でかすかに囁く
「うん」
はるか昔、このようなシーンがあったことを思い出した
あれは母の胸に抱かれたときだろうか
女は僕の身体全てに掌を這わせ
そして自分の唇、舌をなぞらせる
極上の快感が僕を包み込んでいく

男が女に求めるものは
結局は母が自分に為してくれていたあの愛なのだろうか
一瞬、そんなことを思うがどうでも良い
身体中の緊張がほぐれ
数か月ぶりかで僕は身体の中に溜まった全てを出し切っていた

名残を惜しむかのように女はゆっくりと僕の身体の全てをもう一度まさぐり
その柔らかな感触が僕の心をさらに開いていくが
不思議と眠くて仕方がない

そして最後
女は僕に軽く口づけをした
「おやすみ・・」
優しい母の声に聞こえる

僕はそのまま、また眠りに入る

******

起きた
女はいない

時計を見る、ずいぶん時間が経っている
「出なければ」
僕はゆっくりと衣服をつけ
フロントに向かう
ここ数日、凝り固まっていた肩は解れ
風呂上がりのような気持ちになっている気がする
いや、実際に最初、軽く風呂には入れてもらったのだが

きちんと接客用のスーツに身を包んだ美しい女性が応対してくれる
もちろん、さっきの女とは別人だ
「チェックアウトで」
女性は軽く頷き「では1時間のオーバータイムで」
と確かめるように言い
「こちらです」と、メモを見せてくれる。
都合四時間、サービス料、消費税込みで121,100円
僕が確認する間、フロントの女性は礼の姿勢をしたままだ

クレジットカードで支払い、僕はその店を出た
身体の中に満足の気が満ちている
だが・・
その店は何処から見ても、質素なビジネスホテルにしか見えない

いや、店を出て数分も歩くともう、その店がどこにあったかすら忘れてしまう
だが、数か月も経って僕に疲れがたまったころにはまた
店からの招待状がポストに届けられるシステムなのだ

そしてその都度、店の場所は違っていた。

日の沈んだ町へ
僕は先ほどの女の感触を思い返しながら
ゆっくりと歩いていく。

 

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