story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

夢想旅生

2012年01月17日 22時03分44秒 | 小説

・・アーナンダよ・・ここはどこか・・
師よ・・ここはクシナーラーのマツバ族のウパヴァッタナです。
・・私は、どうしてここに居るのか・・
師よ、師は私たちがとめるのも聞かれず、ここを目指されました。
・・そうか、それはお前たちに迷惑をかけたかもしれない・・
いえ、師よ、そのようなことはありません、師の行く先についていくのが私たちの願いです。
・・花が咲いたな・・

今、師と呼ばれるシッダルタの目には美しい花が見えていた。
時ならぬ沙羅双樹の花が開きつつあった。

師よ、確かに、先ほどから沙羅双樹が咲き始めております。
・・そうか、お前たちにも見えるか・・
師よ、どうかされましたか?
・・アーナンダよ、弟子たちを集めてほしい・・
師よ、いま少し、お休みになられては如何でしょう?
・・アーナンダよ、頼む、弟子たちを集めてほしい・・
かしこまりました。

アーナンダが去っていくその後姿に花が重なって見えた。
・・この世は・・すべてが美しい・・

シッダルタは、ふっと呟いて涙を流した。

「上人様、お気づきですか?」
「うん、ここは何処だろう?」
「武蔵の国、私の先祖代々の土地です」
「そうか、宗仲どの・・あなたは私をずっとそうやって見ていてくれたのか・・」
「上人様、私一人ではありません・・御弟子僧の方々も、弟宗長も、四条の中務も控えております・・」
「そうか、皆で私を守ってくれたのだな」
「守っただなど、もったいないお言葉です」
「かたじけぬ・・私ごときのために・・」
「いえ、上人様は私たちの、いえ、日本の柱でございます・・」
「そう思ってくれるか・・私は果報者よ・・」
「ですので、早くご快癒され、またぜひご活躍を・・」

病床の日蓮は、宗仲に寂しい笑顔を見せる。
・・それは叶わぬ願いであろう・・

「夢を見た・・」
「上人様、どのような夢でございますか」
「うん、釈尊が息を引き取る前の夢だ」
「は・・」
「宗仲どの、集められる限りの弟子たちを集めてほしい・・ここ七日の内に・・」
「は!・・」
「桜が咲けば、私は皆と別れなければならぬ・・」
「桜でございますか・・しかし、さようなことは・・宗仲、信じられませぬ・・」
「案ずるな・・人は必ず死ぬ・・」

そのとき、宗仲はその言葉には返事をせずに、ただ俯いて泣いた。
それでも彼を動かしたのは、今はまだ桜の咲く季節ではないという常識だった。
つまり、上人は少なくとも春までは生きてくれる・・

なにやら、人の騒ぎ声が聞こえる。
押し問答をしているようだ。
・・アーナンダよ・・どうしたのか、なにかあったのか・・
師よ、今、地元のスパッダというものが来て、師の教えを請いたいと願うのです。
私は師が病床にあるからとお断りしたのですが・・
・・アーナンダよ、構わない、ここに招き入れてあげなさい・・
は、しかし、師は大変にお疲れになっておられます。
・・私は疲れてなどいない・・どうか、そのスパッダというものをここに招き入れてあげなさい・・
しかし・・
・・法を求めるものを拒んではならない、私の最後の弟子になるべき人を拒んではならないのだ・・
動かぬ身体を、無理に起こし、アーナンダに支えられるかのように、シッダルタは囲いの外に出た。
粗末な身なりの小男が平伏していた。
「これは、世尊・・お休みのところ、申し訳ございません」
・・スパッダどのか・・ようこそ、私のところへ来られましたね・・
「世尊・・早速ですが、教えていただきたいことがある・・」
小男は思いつめた表情でシッダルタに向かう。
・・なんなりと・・
シッダルタは優しく彼に応える。
雨季が終わる頃、咲き始めた多くの花に混じって時ならぬ沙羅双樹の花が目立ち始めていた。

なにやら人の騒ぎ声が聞こえる。
押し問答をしているようだ。
「宗仲どの、どうされた?何かあったのだろうか?」
「ただいま、伊勢法印と申すもの、部下数十騎ほか徒のものなど連れて上人様に法論を申し込んできております」
「なるほど、鎌倉の二階堂殿のご子息、出家して叡山にでたあの男であろう・・」
「は・・まさしく」
「世間知らず、怖いもの知らず、自分を大きく見せたいだけの若者に過ぎぬ・・」
「しかし、あまりにも大仰でございまして」
「ま・・鎌倉殿に仕える武士には、少々扱いにくい輩よのう・・」
「は・・」
「卿公・・を出せ・・それで十分だ」
「は・・されど・・」
「案ずるな、若い者には若い者が向かえばよい・・卿公ならば平然と片付けるだろう」

一刻もしないうちにあたりは静かになった。

「教主釈尊・・あなたは最後の時に弟子を得た・・私は最後のときに我が弟子の力を信じた・・」
日蓮は、呟くとまた深い眠りに入っていく。

秋が深まり、花の咲く気配はない。
だが、池のほとり、屋敷から程近いところで桜の蕾が膨らんだのを知っている人は居なかった。

歪みを持たない眼で物事を見、我欲を離れた心で思索し、素直で美しい言葉を語り、欲望の赴くままに物事を為すことせず、善い事を行い、冷静に自分を見据えて、雑念なく心を定めること・・
どこかの寺院で聞いたような説法が頭の中に広がる。
僅かにトンネルの出口のような光が見え、やがてその光が近づいてくる。

たとえ、一度であっても南無妙法蓮華経と唱えたものは未来にわたって幸せになれる・・
どこかの社会運動家のような男の声がする。
トンネルの先の光は大きくなり、俺を包み込んでいく。

だが・・俺は決して人に誉められるような生き方をしてきたわけではない。
経を唱えるようなことも全くなかったはずだ。
金も欲しかったし、女も、住む家も、世間の評判もそのすべてが欲しかったはずだ。
だのに、聖者たちよ、何故にあなた方は。、こんな俺にあなた方の臨終の際の夢を見せるのか・・
俺もまた、まもなく死ぬだろう。
だが、俺はあなた方とは違う。

欲望のままに生き、欲望のままに人を欺き、欲望のままに身体を使い、果てはたった一つの身体を壊してこうして死に行く場面にあるはずだ。

俺は聖者たちとはその生きる世界が違うのだ。

「あなたは、私の弟子です」
誰かのかすかな声が聞こえる。
会ったことはないが、この声は釈尊だろうか。
「貴殿の力を信じていますよ」
力強いがやや年配の男の声もする。
会ったことはないが、この声こそ、日蓮だろうか。

俺は別に仏教の信者ではないはずだ。
ましてや日蓮宗などではない。

ただ、ここに来る何日か前、いつも酒を舐めながら相手をしてくれる古本屋の親父に薦められた何冊かの本をドヤに持ちこみ・・そして、次の日もその次の日も雨だったから・・為すべきこともなくてひたすら貪るように、その本を読んだだけだ。
・・そういえば、その本の中に出てきた題目を一度、口に出したかもしれない。

そして雨が上がって・・
仕事にありついて・・

なぜか今はここにいる・・多分、病院だろうか・・
俺はまもなく死ぬのか・・

なにやら人の声がする。
「眼が覚めましたか?」
太い声がした。
だが、その顔は僧ではなく、白衣の医師だ。
「よくぞ助かりました・・」
助かった?
そんなはずはない。
俺は死んだはずだ。
だからこそ、聖者たちは俺に自らの死の直前の姿を見せてくれたのではないのか。

「素晴らしい生命力ですよ」
白衣の男が言う。
なにか、反論したい。
だが、声が出ない。

生きなければならないらしい・・
生きて、何かを語らなければならないらしい・・
何かをしなければならないらしい・・
それも、しんどいことではある・・

そのときの俺は、ふっとそう思ってまた眠りに入っていってしまったのだ。

コメント
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