story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

あの夏を・・

2006年04月07日 14時07分29秒 | 小説

午後・・もう夕方に近い時間・・
一日の取引先周りでくたくたになった僕は、混雑する姫路駅のホームに立っていた。
これから神戸市内の自分の社に戻り、今日一日の仕事を整理しなくてはならない・・
僕は写真関連の決して大きくはない問屋の営業マンなのだ。
けれども、あるメーカーの写真業界からの撤退報道が、業界人の知らぬままになされたこともあり、取引先のDPEショップや写真スタジオ、カメラ店などの小売店の店主達は動揺していた。
その動揺は、そのまま僕に向けられた。
激昂する店主、落胆する店主・・
写真に夢をかけ、不景気風の吹く業界の中で踏ん張ってきた店主達のその希望を打ち砕いたのがK社の見事なまでの逃げっぷりだったわけだ。

まだ写真業界に未来はある・・
まだ、C社、N社、F社と言った老舗メーカーの大半は逃げてはいない・・
僕の説明にも、既にメーカーを信じられなくなった店主達の悲痛なまでの、時には涙混じりの叫びや悲鳴は収まるどころか一層、激しくなってくるのだった。

僕は心底、疲れ果てていた。
ようやく入線してきた新快速電車は座る事すら難しい様子で、出来ればこのまま休みたかった僕には、乗車がためらわれた。
仕方なく反対のホームを見ると、次発の普通電車が、がらすきで停車していた。
この電車は明石から先は快速電車になる。
三ノ宮までこの電車で帰ろうか・・
とにかく、少し休みたかった。
ゆったりとしていそうな座席がきちんと前を向いて揃えられている。
・・僕は、多少の時間がかかるのは覚悟の上で、普通電車に乗りこんだ。
乗ってすぐに、ゆったりとした座席に体を預け、目を瞑った。

一瞬、眠ったと思ったが携帯電話が胸の内ポケットで震えている。
取りだし、発信者を見ると今日の顧客の一人・・泣きながら叫んでいた小さな店の店主だ。
留守番モードに設定してあるので、出る必要はない。
けれども、電話は切れてもまたかかってくる・・
電車は、もう走り出していて、姫路市街地の東にある鉄橋を渡るところだ。
さすがに同じ人から三度の電話があると出ようという気になる。
眠りかけていた頭で、僕は小さな声で・・電話に出た。
「もしもし・・社長さん!いま、電車の中なので・・」
後で掛け直すと言いかけたが、先方の声がかぶさってくる。
「あんたはええわいな!あんたら問屋はなんでも売れば済むやないか!」
「ですから・・電車の中ですので・・」
相手は、こちらの話など聞いていない・・
一方的にこの業界にいて、自分はどうなるのか・・
そんなことばかりを叫びつづける。
電車はその間に小さな駅に停車し、走り出した。
僕は、すっかりうんざりしていた。
少し走ってまた、電車は駅に停車するらしい・・
僕は意を決して、下車することにした。
携帯電話で小声で喋りながら・・この電車の少ない乗客たちも別に気にしている風ではなかったが、やはり小心者の僕は電車の中で長い通話をする勇気は持ち合わせていなかった。

そこはなんだか閑散とした駅だった。
僕は電話を持ったままホームに下りて、相手と話を続けていた。
「ですから・・社長・・まだまだ頑張ろうと言う企業もたくさんあります。それらの企業と私たち問屋や、ラボや、そういったところと、社長のお店のようなしっかり地域に根っこを張れるお店とでですね・・この難局を乗り切るしかないではないですか・・・」
「難局やて!難局にしたのはあんたらやないか!」
「それはどうしてですか?」
「要らん投資ばっかりさせてからに・・デジタルミニラボだけでも月にナンボのリースがある思てるのや!」
「業界のものはほとんど現在の状況を読むことはできなかったと思いますよ。それは最大手のF社さんだって同じこと・・撤退を表明したK社さんなどは三ヶ月前には、まだまだ今までの仕事で頑張ると・・言っておられたくらいですから・・」
「その話は聞き飽きたわ!」
僕は、正直、困惑していた。
その社長が何を言いたいのか・・何をどうして欲しいのか・・まったく理解できなかったからだ・・
一瞬、黙ってしまった僕は、ふと、あたりを見渡した。
向かい側のプラットホームのすぐ横には貨物列車が止まっているようだった。
トラックが走りまわり、コンテナがあたりに積み上げてある・・その向こうは新幹線の線路だ。
新幹線の白い車体が、流れていく。
「なにか言えよ!」
電話の向こうでは怒鳴っている様子だ。
決して広い店舗ではない。
社長とは言っても個人商店の店主だ。
普段は店主のほかに一人か二人のパート従業員がいるだけの店だった。
電話で怒鳴っていれば、従業員もそれを聞くだろうし、そこへ客が入ってこないとも限らない・・
「社長・・社長はいったい、私にどうしろと・・おっしゃるのですか?」
僕は思いきってはっきりと訊く事にした。
「どうしろだぁ?あんたに何かをしてもらおうとは思わないね!」
「じゃあ、先から私に電話をかけて・・何をおっしゃりたいのですか?」
「あんたやない・・あんたの会社や!あんたの会社の社長や!」
「うちの社長ですか・・では、社長にしっかり伝えますので、一番おっしゃりたいことを教えてくださいませんか?」
一瞬、相手は黙った。
ホームには列車の接近が自動で放送される。
新快速電車が轟音を残して去っていく・・
「何をおっしゃりたいのでしょうか?」
僕は改めて電話の向こうの相手に語りかけた。
「機械を買い取れ!」
「機械?」
「そうや・・デジタル・ミニラボをうちが払うリース総額で買い取れ!」
僕は絶句した。
言っていることは無茶だ。
元々デジタル・ミニラボを導入したいと言ったのは先方の方だった。
僕は相談にのっただけだ。
僕も、僕の会社もなにも悪いことはしていない・・
だのに、リース総額と言えば一千万以上の金額になる。
これは脅しではないか・・
怒りに足が震えてきた。
けれども、ぐっと堪えた。
「社長・・じゃあ、お店をやめると・・そう言うことですか?」
なるべく自分の頭に血が上らないように喋った。
「そうや!こんな儲かれへん業界は・・やめや!」
向こうも精一杯見栄を張っているのだろうか・・相手の息遣いの荒さも伝わってくる。
僕は一息いれて、自分がいるホームの、後ろを見た。
ちょっとしたスーパーと、小さな駅前広場と、田舎の国道らしい道路と高くない山と、道に沿う形の民家や工場・・そしてちょっとした病院のいくつかの建物が見えた。
「おっしゃりたいことだけは良くわかりました。機械の買取についてはリース会社の契約との問題や、買取価格の問題がありますが、今ならリース総額とは言えませんが、それなりの数字は出せると思います。ですので、社長とも相談してみますが、二日だけ・・お時間を頂ければと思います」
僕は思いきってそこまで喋った。
相手は意外に静かで、言葉のトーンを落としてきた。
「まあな・・リース総額言うのは・・無茶やと俺も思てる・・そやけど、損だけせんように頼むさかい・・社長はんとよう、話合うてくれや・・」
ほっとした。
僕は、ようやく、泣き声や叫び声から解放された。
電話を持っていた手に汗がにじんでいた。
ちょうどいい・・次の電車がくるまで、ここで休憩することにしよう・・
僕はそう割りきることにして、また、向かいのホーム越しに貨物の駅や新幹線を眺めた。
新幹線の白い車体が何両も連なって流れていく・・
その向こうはやはり小さな山だ。
新幹線の列車を目で追った僕は、どきりとした。
僕は振りかえり、自分の居るホームの裏側に見えていた病院を見た。
「あ!」
思わず僕は叫んでしまった。
その病院の建物には「I病院」と大きな看板が載っていた。
病院の前から駅までの間は田圃か空き地だった。

そのとき、僕の後ろを列車が通過していった。
僕は、また振りかえり、列車を見た。
ステンレス製だろう銀色の車体の新快速電車が一瞬にして去っていくところだ。

*************

夏の暑い日・・
僕は緑の絨毯のような田圃を前に、いきなり現れた人生最大の危機を今だ信じられない思いで味わっていた。
あれは、僕がまだ13歳の頃・・
中学に入って最初の夏休みの話だ。
僕の父親は、夏の前頃から体調を崩し、しばらくは自宅で養生していたがついに大喀血して、その当時、大きな外科手術をできる病院が近くになかったからか・・二つ隣の市の、田圃に囲まれた病院まで搬送されたのだ。
父は、二度の大手術の甲斐もなく、入院から僅か二週間でこの世を去ってしまった。
まだ36歳の若さだったのだ。
僕は、父の病気平癒祈願の為に祖母が信仰する大阪の神社へ連れていかれた。
果たしてそれが効くのやらどうやら、僕にはわからなかったが、とにかく重大な用事を言いつけられて、僕は大阪へ一人で向かった。
大阪では叔母夫婦が待っていてくれて、翌日に神社へ連れていってくれた。
神社で長い祈願をしてもらったあと、叔母夫婦の車に乗せて貰い、この病院に着いたとき、既に父は息を引き取った直後だったのだ。
母も祖母も、叔母も声を上げて泣いていた。
そこにあるのは大人たちのあたり構わず泣き叫ぶ風景だった。
末期の水をと祖母に言われ、僕は筆で父の唇を拭いた。
それがどんな意味なのかも僕は知らなかったが、大人たちが真剣に行う行事に不思議な滑稽さも見ていたような気がする。
やがて、僕はその場に居たたまれなくなり、そっとそこを離れた。
病院の脇から鉄道線路が見えた。
山陽本線と山陽新幹線・・
僕は幼少のころから電車を見るのがなにより好きな子供だった。
田圃のみどり越しにオレンジとグリーンの快速電車がたくさん車両を連ねて走っていくのが見えた。
電車の甲高いモーターの音が僕の気持ちを落ちつかせた。
飽くことなく線路を眺めていると・・新幹線の線路を長い列車が、数多くのパンタグラフから火花を散らしながらせわしげに通過していった。
その手前の線路を雑多な貨車を何十両も連ねた貨物列車が、ガチャガチャとゆっくりと行く。

風が吹いて、田圃の緑が揺れる。
空は青く、底が抜けたように感じた。

しばらくそこに佇んだ後、僕は病室へ戻った。
今まで泣いていた人たちは、なにやら難しい話を病院の医師や看護婦としているところだった。
僕の姿を見ても、母も祖母も叔母も、僕を気にすることなく話を続けている・・
僕はまた、外に出ようとした。
「何処へ行くの?」
母が僕に尋ねた。
「電車を見てる」
「遠くへ行ったら・・あかんよ」
「うん・・病院のすぐ横やから」
僕はまた先ほどの場所で、電車を眺め続ける。
白鷺が一羽、ゆったりと降りてきて、田圃の中にきりりと立っているように見える。
白鷺と同じような色合いの新幹線電車が流れ去る・・・
白鷺は新幹線の騒音も知らぬ風で、じっと立っている。

**************

僕は、思い出していた。
間違いない・・あの病院のあの建物の脇で、僕は、今、僕が立っているこの場所を走る列車を眺めていたのだ。
あたりは病院以外は田圃しかなかったように思う。
あるいは、特に思い出が深く残る病院だけしか覚えていなかったのかもしれない。
あれは、そう、8月の26日だ。
13歳の8月26日は僕にとって特別な日となった。
それから、僕は苦労を重ねた。
僕のほかに弟一人と妹四人が居る大家族だった。
父親なしで生活ができるはずもなかった。
その苦労をここでは思い出したくはない。
僕は、とにかく自力で定時制高校を出て、別の仕事で10年も頑張って、人の紹介で今の会社に入ったのだ・・

僕は、もう一度、じっくりと「I病院」の建物を見た。
間違いない・・あのコンクリートの脇で、僕は立っていた。
あそこで、複雑な顔をして、こちらを見ている。
あれが僕だ。
中学生の僕だ。
難しい表情・・その頃の僕にはきっと悲しみを持つ余裕すらなかったのだ。
僕は、自分が立っていたその場所へ行きたくなった。
自動改札を出て、何故か足早に・・僕はそこへ向かった。
確かにあのときの病院だ。
あの建物は、何度も改築されているようだけど、間違いなくあのときのままの建物だ・・
建物の横・・コンクリートの土台の脇に僕は佇んでいたはずだ。

僕はまさしくそこに居た。
そこで線路を走る列車を見ていた。
あのときのオレンジとグリーンの快速電車は今は走っていないのだろうか・・
白い車体の新しい快速電車がゆっくりとやってきて停車する。
反対行きの銀色の新快速電車が、モーターの音も高らかに通過していく。
その向こうは貨物列車の駅だ。
電気機関車が、貨車の編成から離れて休憩をしているように見える。
その後ろをグレーの車体の新幹線電車が静かに通過していく。
パンタグラフから火花を散らすこともなく、騒音を撒き散らすこともなく・・

僕は中学生の僕に語りかけた。
「よう頑張ったなあ・・」
「うん・・」
中学生の僕は線路を見たまま答えた。
「あのときは、本当は明日がどないなるのか、こんな大事件が起こることが自分にあるのか・・そればかり考えてたよな・・」
「うん・・・」
「ホンマは悲しかったのにな・・」
「う~ん・・・」
中学生の僕はそこではちょっと、戸惑うようだった。
「悲しくなかったか?」
「みんなみたいに、僕は涙が出えへんかった・・悲しいって、どう言うことか分からへん」
「ああ・・そうやったな・・そうやった・・僕には、悲しむと言うことが理解できなかったなあ」
「うん・・涙が出ぇへんから・・恥ずかしいねん・・」
僕は苦笑した。
そう言えばそうだった。
あのとき、僕がずっと悲しがっていたのは、その後の僕の思い出の中で作られたことなのかもしれない・・
「そやけど・・後で泣くでぇ・・お葬式の終わった後でなぁ・・」
「へえ・・じゃあ、僕も涙がきちんと出て来るんや・・」
「そうや・・そやけどな、お母ぁちゃん・・その時にな、今ごろ泣くやなんて変な子や・・ゆうねんで・・」
「へえ・・お母ぁちゃんは、もう、悲しくないのかな・・」
「悲しいやろうけど、大人はすることが仰山、あるさかいな」
「ふ~ん・・大人も大変なんや」
中学生の僕は笑顔を見せて振り向いた。
僕も笑顔で返した。

あの頃は田圃だった。
空き地の向こうをあの頃はオレンジとグリーンだった快速電車が白い車体になって走っている。
僕はあのときと同じように立ちすくみながら、溢れる涙を止めることができなくなっていた。
向かいの建物から白衣を着た女性看護士が数人、出てきた。
病院の寮らしい・・
彼女たちは建物脇で立ち尽くしている僕に気を向けることもなく、談笑しながら病院の建物に入っていった。
「そう言えば、あの頃は“看護婦”だったなあ・・」
どうでも良いことが僕の頭に入ったときに、僕の涙は止まっていた。

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