story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ブルートレイン

2005年04月17日 16時48分57秒 | 小説

僕は巨大なターミナルの隅で空を眺めていた。
ホームの端に立ち尽くし、暮れてしまった空を眺めていた。
通勤列車の長い編成が、家路につく乗客を満載して、車窓からの明かりも眩しく走り去っていく。
子供のころ、ここで親父から借りたカメラを使って、特急列車の写真を何度も撮ったことがあったな・・・
あのころは何も知らず、何でも出来ると思い込んでいたし、何より幸せだった・・
無邪気な頃が懐かしく、何故、人は大人になると無邪気ではいられないのだろうかなどと、意味のない思いが頭をよぎる。
複々線を並んでライトを照らし、競うように特急列車と快速電車が入線してきた。
出る列車、入る列車の窓は明るく、車内は暖かそうだ。

あの頃のように、また電車でも好きになろうか・・
めまぐるしく変化した自分の生き方に、半ば嘲笑を覚えているぐらいだ。
新天地とは言っても、何か全く新しい全てが待っているわけではないさ・・
・・ただ違うのは僕にとって、この町は故郷であり、これまで永く住んだ町ではあるけれど、次の町は全く知らない、ただ・・シゴトという生きるためのものに引きずられるだけのことだ。
ピークを過ぎているとはいえ、夜のラッシュ時の余韻がまだ残り、ホームの中ほどは人で混雑していた。
だが、僕のいるホームの端は、明かりも少なく、人もおらず、後ろからかすかに喧騒が聞こえるだけの、置き去りにされたかのような空間だ。

この町に言いたいことは山ほどある。
この町の人への未練もある。
もしも、僕がこの町に残ったとして、どんな仕事の進め方ができるだろうかという思いもある。
けれども、もう、先方の、かの地の会社へは返事をしたのだ。
何が何でも、僕は新天地で頑張り続けなくてはならない。
だけれども・・正直疲れた。
鋼のように硬くなった肩は、僕に休養を求めていた。

やがて、遠くのほうから甲高い警笛とともに、電気機関車が客車を従えてやってくるのが見えた。
ヘッドライトの明かりで、よくは分からないけれど、それは・・
僕は列車がホームの明かりに照らされた時、思わず歓声を挙げた。
僕が子供の頃に、憧れた、乗りたくて乗りたくて、乗れなかったそのままの列車が・・今、僕の前に姿を現したからだ。
その時、僕の前に、子供の頃の僕が現れた。
一心に機関車を見て、機関車のヘッドマークを大きな目をさらに大きくして追っていた。
後ろに続く青い客車の銀の帯と、窓からこぼれる明るい輝きと・・そして、列車の全てが自分の前から通り過ぎると、今度は最後尾の車両のテールマークを、感動の面持ちで追っていく。

僕は走り出した。
いや、子供の頃の僕が走り出したというわけか・・最後尾の車両にはエンジンが積んであり、列車の照明や冷暖房をまかなうのだとは、その頃に聞いた話だ。
そのエンジンの音が、ホームの中ほどに停車した列車から響いてくる。
僕はホームの一番端にいたので、列車の停車したところまではかなりの距離があった。
スーツケースをかかえて、なぜかネクタイを締めて、今の僕が走っている。
カメラをぶら下げて、小脇には鉄道雑誌を抱えて、子供時代の僕が走っている。

ブルーの車体は近づけば傷まみれに見えた。
あちらこちらがへこんでいたし、それが為か疲れているように見えた。
それでも、折りたたみ式のドアの上のB寝台の文字と、その脇の星が三つのマークは輝かしく見える。
ドアが開き、いくらもいない乗客とともに、僕も始めて、かつての憧れだった列車に乗り込んだ。
明るい車内、出入り口と客室を分ける軽いアルミ製の開き戸、そこはまばゆいばかりの憧れの空間・・
子供時代の僕も一緒に乗り込んでいるようだ。
僕は指定された寝台を探した。
そこは客室のちょうど真ん中あたり、2段ベッドが向かい合うコンパ-トメントには誰も相席はいなかった。

指定されたベッドは下段だった。
僕は、ベッドに上着やら荷物を投げ出し、少し身軽になって、酒を取り出した。
そのままベッドで飲む気になれず、通路の腰掛を下ろして、そこに腰掛け、カップ酒の栓を開けた。
列車は衝撃とともに出発した。

僕は、思いもかけず、今の僕と一緒に乗り込んできた子供時代の僕に語りかけている。
「ぼくは、自分がこんな人生を歩くとは思わなかった・・」
「どうしたの?列車の運転士には、なれなかったの?」
「列車の運転士?」
「そうだよ・・特急列車に乗るのが夢なんだ」
「そうだったかなあ・・そうかもしれないなあ・・」
「今、何やってんの?」
「いまか・・」
「うん・・運転士じゃなければ・・駅員?、それとも車掌?」
「いやあ・・鉄道じゃないよ・・・」
「え?どうして?」
「僕が学校を卒業する頃には、鉄道に入社する試験がなかったんだ・・」
「どうして・・・?」
「国鉄改革の時だったからね・・」
「ふーん・・よくわかんないや・・で・・今、何をやってるのさ?」
「デザイナーだよ・・商店や事務所の・・」
「よくわかんないな・・」
「そうだよね・・」
子供の頃の僕には想像もできない仕事だろう。。

列車は速度を上げて走っていた。
複々線区間で、快速電車が並んで走っている。
僕は一つ目のカップ酒を飲んでしまい、二つ目にかかろうとして、窓の外を見ると、つり革にぶら下がった快速電車の乗客と目があった。
彼は初老の紳士だった。
うらやましそうに僕のほうを見ている。
つり革にぶら下がった彼と、寝台特急でゆったりとカップ酒を飲んでいる僕とでは、列車に乗るということに関しては僕のほうが幸せな感じだろう・・
「でもね・・僕は、あんたのほうがうらやましいんだよ・・多分家庭も持っておられることでしょう・・通勤地獄も家に帰れば奥さんと、そして多分、子供さんもおられるでしょうね・・僕には自分を癒してくれるものが何もないのですよ・・」
併走していた快速電車は急に速度を落とし、その男性は遠ざかってしまった。
まもなく大きな明るい駅を通過する。
ホームには仕事帰りの人らしい姿があふれている。
「ねえ・・結婚もしていないの?」
子供時代の僕が尋ねる。
「いや・・結婚はしたよ」
「じゃ、どうして、あの人に子供さんがあるのが、うらやましいの?」
「それはね・・結婚はしたし、子供も出来たけど、別れちゃったんだ・・」
「ふーん・・離婚ってやつか・・」
「そうだな・・まさか、自分が離婚するなんて、思わなかっただろう?」
「うん・・思わなかった・・でもさ・・離婚したならしたで、次の奥さんを探せばいいじゃん・・」
「簡単に言うなよ・・結構難しいぞ・・」
「僕が運動会のリレーで転んで泣いていた時、お父さんが言ってたよ・・今度頑張ればいいって・・」
「親父の言葉かぁ・・久しく思い出すこともなかったなあ・・」
「いい言葉だよね・・」
「そうだね・・でも、思い通りに行かない時もあるさ・・」
「そのときはまた頑張ればいいよ・・今も、好きなブルトレに乗ってるじゃない・・」
好きなブルトレ・・
どうして列車が好きだったのだろう・・少し酔いが回ってきたようだ。
それより、どうして僕はかの地へ行くのに、酔狂にも夜行列車を選んだのだろう・・
心の奥に憧れが残っていたのだろうか・・

遠くに並んで、私鉄の列車が同じ方向へ向けて走っている。
向こうからこの列車を見ればどう見えるのだろう・・
夜汽車はきっと、明かりを長くつなげて、遠くへ向かっているように見えるのだろうか?
あの列車の中にも人がいる。
そういえば、列車の中だけでなく、もっとたくさんの人が通過する沿線の住宅に住んでいる。
それぞれに人生があり、それぞれに悲哀や喜びがあるはずだ・・
「ね・・自分だけが苦しいのじゃないよ・・きっと・・」
子供時代の僕が慰めてくれている。
「そうだよな・・人生だもん、たまには転ぶこともあるよね」
「僕だって、リレーで転ぶなんて、予想できなかったよ」
「そうだったよなあ・・あれは、僕が第3走者で、山野君がトップでバトンを渡してくれたんだ・・でも、僕が受け損なって転んでしまった。結局、僕で4位にまで落ちて、最終走者の清水君が頑張ってくれてやっと3位に入ったんだったよな・・」
「みんなは慰めてくれたけど、悔しくてさ・・・・」
「でも、その悔しさの向こうに本当の勝利があるって・・」
「担任の山岡先生だ・・」
「みんなで泣いたね・・」
「だからね・・離婚したのなら、また結婚すればいいじゃない!」
「出来るかな?」
「出来るよ・・人類の半分は・・」
「女の子だ」
「頑張ろうよ!」
「そうだね・・頑張ろうか・・」

列車は大きなヤードの中を走っている。
明かりの消えた通勤電車が並ぶ。また朝になれば走り出す電車たち・・
毎日、毎日、同じことの繰り返し・・人生とはそう言うものではなかったか・・
僕は、何かを捨てるような気で、この列車に乗ったはずだった。
何かを捨てて、人間であることも捨てて、シゴトを機械的にこなしていく動物になろうとしていたのかもしれない。
だが、人間は機械にも、人間以外の動物にもなれない。

「チャンスは何回でもある・・山岡先生の口癖だよね・・覚えている?」
子供時代の僕が語りかけてくれる。
酒は3本目に入った。
「思い出したな・・おかげで、思い出したよ・・」
「チャンスは何回でもある・・何度失敗しても構わない・・でもどんな時も、絶対大丈夫だっていう気持ちを持とうってね・・」
「そうだよね・・」
「もっと良いこと言ってるよ・・どんな苦難も乗り越えられない苦難はありえない」
「ああ、そうだった・・そう言ってくれたね」
「頑張ろうよ・・きっとチャンスがやってくるから・・」
「そうだね・・そうだよ・・がんばらなくちゃ・・」

列車は最初の停車駅に滑り込んでいく。
すでに深夜時間帯となりひっそりとしたホームとホームの間に、明日の始発に使われるのだろうか・・普通電車が明かりを消して休んでいる。
「チャンスだよ・・きっと・・」
子供時代の僕がそう耳元で言う。
そのとき、乗車してきた若い女性が、大きな荷物を引きずるようにして、僕のとなりのコンパートメントに入ってきた。
荷物を上の棚に上げようとしているが、重くて出来ないらしい・・
「あ・・僕が上げましょう・・」
「ありがとう・・助かります・・」
笑顔のきれいな女性だ。

ブルートレインは、走る。
明かりを、闇に染まった町に、一瞬だけ撒き散らしながら・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誘拐できない男

2005年04月10日 10時48分00秒 | 小説
「泣いた誘拐犯・・続編」

第1幕・・姫路市飾磨区、大岡弘のアパート

弘が眠っている。
だらしなく、深く、眠っている。
ベッドの回りには散乱する週刊誌やビールの空き缶、煙草の灰皿。
電話が鳴る。

「はい・・大岡探偵事務所」
寝ぼけまなこで、それでも必死で営業用の声を出して、彼は電話に出た。
「おう!ヒロシはん!久しぶりやな!」
相手の声を聞いて、はじめは誰か分からなかったが、やがて、嫌な思い出がよみがえってきた。
「あ・・所長さん・・どうもです」
ぼんやりと弘は答えながら、寒気がするのを覚えた。
「どないや・・元気にしとるか?・・ちゃんと仕事はあるか?」
大きなお世話だ・・そう思いながら、弘は「ええ・・仕事は、もう一つぱっとしないのですが・・なんとかバイトで食っています」そう答える。
「そうか・・ほな・・久々に仕事や!どないや・・うまく行けば100万円や・・やるか!」
弘の頭がすっきりしてきた。
目が醒めた。それでも、かつての苦い思い出があるので・・ちょっと慎重になっていた。
「100万ですか・・もう少し欲しいのですが・・」
「よっしゃ!110万でどないや!」
「あ・・ありがとうございます」
「明日、1時にJR明石駅4番線のホーム、前のほうにおってくれ!」
「明石駅・・ですか」
「そや!頼んだで!」
それだけ言うと電話が切れた。
やった・・これで少しボーナスが手に入る。
思わず弘は顔がにやけてくるのを感じた。

そこで、はたと思いとどまった。
「電車賃もない・・」
駅で仕事を聞くのはカモフラージュとしては最高だ。
だが、仕事はクルマがなければ、どうにもならない。
どこかでレンタカーを借りなければならないだろう・・
弘は壁にかけてある上着の中から、消費者金融のカードを取り出した。
「使いたくはないけれど・・」
そう思ったけれども、カネをつくる方法が他にない。
「ま・・110万円入るから・・それで良いか・・」
・・しかし・・不払いで使えなくなっている携帯電話も準備しなくてはならないし・・

第2幕・・大阪島之内、東郷社会調査所

大阪ミナミ、島之内、ラブホテルのような建物の2階に東郷社会調査所はあった。
かつてはこの建物の隣にあったが、あまりにもくたびれた建物だったため、ちょうど、隣のラブホテルが廃業したのを、これ幸いと借金をして買い取り、適当に余った各部屋を事務所として貸し出しているのだ。
しかし・・元が元だけに部屋にはガラス張りの風呂場がそのままあるし、天井にも鏡が貼ってあった。
「よっしゃ!110万でどないや!」
所長の東郷が電話を切った。
「今度は、下手を打たないでしょうね・・あのイケメン・・」
長い脚をスーツのスカートからはみ出させ、持て余したようにその脚を組んで書類を作っていた事務員の洋子が、不審気に聞く。
「もうだいじょうぶやろ・・もともとは、あいつは仕事の手の早い男やからな・・」
「ふうん・・」
洋子があごで悟ったような返事をする。
色っぽい。
「洋子はん・・あんたは色っぽいな・・」
「所長!それ・・セクハラですわよ・・」
ちらと横目で見つめられる。
東郷は思わず背筋が凍る思いになる。いつ見てもいい女だが、怖い。
「あ・・勘弁やで・・明日、ヒルの1時に明石駅、4番ホーム、前よりで待ち合わせや・・たのむで・・」
・・返事の変わりに洋子はJR明石駅の見取り図をパソコンのプリンターから取り出した。

ドアのチャイムが鳴る。
入ってきたのは、若手の実業家という感じの男だ。
ジーンズ、Yシャツ、軽い上着にネクタイは締めてはいない。
「所長さん・・どうです?・・段取りはつきましたか?」
「あ!これはこれは・・大江はん・・・」
所長は大江を風呂場を改造したガラス張りの応接室に案内する。
「いまさっき・・鉄砲を決めましたんや・・仕事の確実なやつですさかい、大丈夫ですわ」
「それをお聞きして安心しました。しかし・・くれぐれも、官憲に知られぬように・・」
「それは・・当然のことですがな。警察にばれたら私らもこれですわ」
東郷は両手をくくられるような素振りをした。
「もひとつ・・怖いのんは、これですな」
東郷はそういい、自分の頬に指で傷をなぞるようなまねをした。
「そっちの方も嗅ぎ付けますでしょうか?」
「そら・・儲かる話にはたいてい入って来まんがな・・そこで相談ですねん」
「何でも・・仕事さえ成功させてもらえたら・・」
「ちょっと上乗せ、頼めまっか・・」
東郷はにやりとしながら、大江の顔の前で指でカネの形を作って見せた。
そのとき、洋子がお茶を持って入ってきた。
さっきはブラウスのボタンを全部はめていたのに、今はボタンをいくつか外し、胸の谷間が丸見えだ。
「いらっしゃいませ」
そう言いながら、大江の前にコーヒーを、東郷の前にお茶を置いた。
「洋子はん・・ワシもコーヒー・・」
東郷が思わずそう言うのを無視して、洋子は大江に話し掛けた。
「大江社長にお会いできるなんて、夢のようですわ・・」
軽くウィンクをして、わざと胸を揺さぶり、部屋を出て行った。
「・・素敵な方ですね・・」
大江が放心したように彼女の去ったあとを眺めるのを、東郷は諦めたように見ているだけだった。

第3幕・・山陽明石駅4番ホーム

上りの直通特急が到着する。
6両編成の列車から乗客がどっと降りてくる。
ホームで待っていた乗客が乗り込み、電車がドアを閉める直前「待ってくれーー!」叫んで男が降りてきた。
弘だった。
「ああ・・あぶない・・寝過ごすところだった。昨夜はコンビニの徹夜だもんなあ・・」
独り言を言いながら、彼はあたりを見回した。
ちょうど今降りたホームが3番線、向かいの普通電車の止まっているホームが4番線だ。
「ちょうどいい・・ここで待つだけだ・・」
ベンチがあった。太陽が燦燦とあたり、気持ちがよい。ベンチに腰掛けて、彼は煙草を取り出した。
火をつけ、思い切り吸い込んで、一気に吐き出した・・うまい!・・そう思った瞬間肩を叩かれた。
「しまった!誰かに見張られている!」
彼は咄嗟に身構え、後ろのほうを見た。
「お客さん!お煙草は喫煙コーナーで願いますよ!」
横に停車していた普通電車の車掌らしかった。
「すみません・・」平謝りに謝って、お辞儀をしている中、ホームのブザーがなり、車掌はさっさと電車に乗って出発してしまった。
しかし・・眠い・・彼は暖かい日差しの中、うとうとと眠ってしまった。
電車が行き来する音が聞こえる・・うるさいなあ・・そう思っているといきなり、大きなショックを感じて、彼はベンチから地面に叩き落された。
「あんた!誰がこっちの4番線って言ったの!」
見ると、女が仁王立ちになって、彼を睨みつけている。
え?・・またこの女・・弘が前回の件を思い出し、呆然となりかけるのを遮るように、女は叫んだ。
「ジェイアール明石駅4番線だったわよね!」
「え・・俺は・・ただ明石駅と・・」
「ほう・・あんたにとっては、ここが明石駅かもしれないけど、メジャーなのはあっちの方だわよ!」
洋子はすぐ隣の駅を指差した。
JR明石駅だ。
「おまけに、今、何時だと思ってんのよ!」
「え・・まだ1時になってない・・」
「1時13分だわ・・これじゃ、今回も失敗かもね!」
「すみません・・でも・俺は1時前にはここにいたのですから・・」
「ここにね・・アタシがどれだけ探したか・・分かっておられるのかしら?」
「すみません・・ごめんなさい・・」
「ま・・いいわ・・座りなさいよ」
ベンチの横で謝り続けていた弘は、洋子の横に座った。
「恋人のフリよ・・分かってるわね・・イケメンちゃん・・」洋子は弘の耳に口を近づけ、囁いた。
無言で弘は頷いた。
「これが・・マンションのカード・キー、これがターゲット、これが目標の住所」
洋子が肩を寄せて手元に少しずつ、資料を出して説明してくれる。
「はい・・はい・・」そう言いながら、弘は洋子の胸元を見ていた。
「この3人のうちの、ピンクのブラウスの女性・・分かった・・?」
3人が写った写真を見せながら、その真ん中の女性を指差している。けれども、弘は写真を見ていなかった。
「ピンクの・・ですね・・ブラジャー・・」
「は?」
「いや・・あの・・ピンクのブラ・・」
「どこみてるの?おにいさん・・」
洋子はそう言った瞬間に弘の頬を殴った。よろけてベンチから落ちそうになった彼を、さらに洋子の長い脚が待ち受けていた。
「ぎゃー!」
ホームにいた他の人が怪訝そうに彼らを見る。
「恋人同士の喧嘩やろか・・」
「えらい・・強そうなオナゴですな・・」
「男前の兄ちゃん・・・かわいそうやな」そんな声が聞こえる。

第4幕・・高級マンション、サン・アタルデ

朝霧駅近くの丘の上に立つ高級マンション。
そのホールの前に、白い高級乗用車が停車した。
サングラス、グレーのスーツの弘が、ゆっくりと車から降り、ホールのオートロックセンサーにカードを近づけた。
開かない。
もう一度、開かない・・
もう一度・・やはり開かない。
焦ってはダメだ。威厳を保持しなければ・・
弘はゆっくりと、一旦下がり、様子を見ることにした。
幸い、すぐに学校帰りらしい子供が数人、入ってきた。
見ると一人が入った後はほんの一瞬、扉が開いたままになるようだ・・彼らについていけばいい・・弘はそう考え、何人目かの子供が入ろうとするときに、ついて入った。
「おじさん!きちんとカードを通さなきゃ、ダメでしょ!」
4年生くらいの少女に睨まれてしまった。
カードは近づけてもダメで、カードリーダーに通すタイプのものだった。
「すみません・・すみません・・」
なぜか、少女にひたすら誤りながら、彼は思った・・この少女と同じエレベーターに乗るのはまずい・・
「おじさん、乗らないの?」
少女がエレベーターから彼に声をかける。
「あ・・俺は階段で・・」
「ふうん・・へんなの・・」
少女はそう言って、さっさとエレベーターのドアを閉めてしまった。

しばらくエレベーターホールで煙草を吸い、時間をつぶしてから、彼は誰もいないエレベーターに乗り込んだ。最上階12階の1203号室、山田宅にターゲットがいるはずだった。
さすがに12階になると景色が良い。
思わず、見とれてしまいそうになる海の景色を横目に、弘は1203号室に向かった。
その部屋の前に来て、深呼吸をし、身支度を整える。
チャイムを押す。
「はーい」
出て来たのは、先ほどの少女だった。
「あれ・・さっきのおじちゃん!」
思わず後ずさりしそうになった。
「はい・・すみません・・あの・・山田佳代さんは・・」
何を子供に丁寧に喋っているんだと、弘は自分で情けなくなってきた。けれど110万円のためにはここでひと踏ん張りしなくてはならぬ・・それが男だ。
「おじょうちゃん・・ごめんね・・おじさん、山田佳代さんに用事があるんだ」
「ヤマダカヨ・・お母さんのこと?」
・・この子が娘だったのか・・これでほぼ勝負はついた・・・そう思う。
「じゃ、そのお母さんは何処にいるのかな?」
「寝てる」
「は?」
「だから寝てるってバ!」
「寝てるの?どうして?」
「いつもだよ。あたしが帰ってきたら寝ているの・・」
「ほんとに?」
「嘘じゃないよ・・見てみる?」
弘は少女にくっついて部屋の中に入っていった。
ゆったりとしたソファの上で、この家の主婦らしい女性が口をあけて鼾をかいて眠っている。
あどけない幼さの残る顔は先ほど、写真で確認した本人に間違いはない。
テレビはつけっぱなしだ。
「だれ?タエちゃん・・」
主婦が気配に目を醒まして尋ねる。
「よそのおじちゃん!」
「へ!」
素っ頓狂な声を出して主婦は飛び起きた。
「あなた誰!」
一瞬、弘はひるんだけれど、ある程度の抵抗は予想済みだ。
「奥さん・・山田佳代さんですね・・一緒にきてもらいますよ・・」
「きゃー!!!!」
いきなり大声で叫ばれた。
「どろぼー!!!」
「あの・・俺は泥棒じゃなくて・・」
「きゃー!!!」
主婦は手当たり次第にそこらのものを投げ始めた。ガラスが割れる。テーブルまで飛んでくる。
「あぶない!」そう叫んで、弘は少女をかばって、そのまま部屋を出た。二人は慌てて廊下を走り、慌ててエレベーターに乗って、慌ててマンションの外のクルマに飛び乗った。
エンジンをかけて、一目散に逃げようとしてみると警官が数人たっていた。
「止まってください!」
警官の静止を無視してクルマを走らせて、マンションの玄関前から飛び出した。

第5幕・・レンタカー

携帯電話の音にはっと我に帰った弘。
「どうや・・そろそろターゲットを捕まえたか??」
東郷からの電話だ。
「いやその・・ターゲットがとんでもない女で・・」
そこまで答えて助手席に少女がいるのに気がついた。
「ですが・・そのターゲットの娘を確保しました」
「へ!娘!そんなん捕まえて、クルマに乗せたんかいな・・」
「はあ・・・何かいけませんでしょうか?」
「あほかいな!それやったら誘拐やがな!」
「だって・・確保せよと・・」
「おまえの甘いマスクで口説いて、体よく連れ出したらよかったんや!どないすんねん・・今ごろ大騒ぎになっとるぞ!」
・・俺・・誘拐犯・・こいつの・・
助手席の少女は楽しそうに彼の顔を見ていた。
「おじちゃん、何処へ連れて行ってくれるの?」
この口の利きかたは・・どこかで聞いたことがあるような・・
しかし・・このままでは俺は誘拐犯になってしまう・・それも幼児だ・・危なすぎる・・弘の頭の中を後悔が占める。
クルマは何処を走っているかもわからない。
「おじちゃん、どうしたの??心配なことでもあるの?」
少女が聞いてくれる。
「おじちゃん、誘拐犯人に間違えられるかもしれないんだ」
「どうして??」
「君を乗せているからだよ・・どうしよう・・」
情けなくなってきた。
少女がなだめるように言う。
「ふうん・・じゃ・・電話を貸して」
少女はそう言うと、彼の携帯電話のボタンを小さな指で器用にうち始めた。
「あ!お母さん!あたし・・」
「ああ!タエ!どうしたの!今、警察に連絡しようと思っていたのよ!大丈夫!?」
「ちがうよ・・おじちゃんが、お母さんにも一緒に来て欲しかったんだって!」
「え・・何行ってるの・・誘拐でしょ・・身代金はいくら!」
「ちがうよ・・そんなに怖いおじちゃんじゃないよ・・」
「本当?」
「ホントだよ・・」
「そうなの??で・・その人は誰なの?」
「うーんとね・・わからない!」
「わからない人と、どうして一緒にいるの!」
「ちょっと聞くね・・」
少女は電話を耳から外して弘のほうを見た。
「おじちゃんは・・どうしてお母さんに用事があったの?」
何の思考も浮かばない。ここで、なんとか逆転しなければと思う気持ちが、そのまま言葉になった。
「母さんに会わないといけない、ワケがあるんだ」
「どんなわけ?」
「おじさんの人生がかかっているんだ!」
「ジンセイ?ということはケッコンね!」
「いや・・あのそう言う・・ことではなくて・・」
タエは勝手に納得して、とんでもないことを母親に言い出した。
「おじちゃん、お母さんのことが好きなんだって!」
「まあ・・訳がわからないわ・・」
「ジンセイがかかっているんだって!」
「え・・どうしましょ・・」
「だから会って上げれば!」
「なんだか突然でわけがわからないわ・・とにかく一緒に帰っていらっしゃい!」
「どうする・・お母さんもいっしょにどこかへ行く?」
「馬鹿なことを言ってないで、とにかく、その人と帰ってらっしゃい・・」
「はーい!」
少女は電話を切り、弘に渡しながら「とにかく、うちに帰っていらっしゃいって・・」という。
「え・・うちに帰るのか・・」
そうだ!これで誘拐犯でない上に、山田佳代を確保する再びのチャンスが生まれたのだ。
「やったー!」
叫ぶ弘を見て少女は「本当にお母さんのことが好きなのね!」とつぶやいた。

第6幕・・大阪島之内、東郷社会調査所

所長の東郷がテレビを見ている。
そこへ洋子が帰ってくる。
「おかえり!・・どないや・・今度は大丈夫やろ!」
東郷の脳天気な問いかけに、「ダメですわ・・今度も失敗する方に賭けますけど・・」洋子は溜息をつきながらそう答える。
「ま・・今回はターゲットに株の売却を進めるだけやし、話は大江はんところのもんがするしな・・」
東郷はたしなめるように言う。
「はじまったで!洋子はん・・テレビ見てみいな・・」
テレビでは大江社長の記者会見の模様が生放送で映し出されていた。
テロップには「ライフシェア、セトウチデンキ子会社のヤマダ工作所を買収か!」と、派手な文字が躍っている。
画面でアップになった大江社長は自信満々の表情をしている。
「私ども、IT情報についての充分な技術的蓄積は、このたびのヤマダ工作所の吸収合併によって、さらに大きく花開くものと確信いたします」
記者が質問をしている。
「ヤマダ工作所の親会社であるセトウチデンキ側の対応はどうなのでしょうか?」
ちょっと難しい顔をして
「まあ、それはセトウチデンキさんがわの都合でしょうから、私どもでは分かりかねますが、必ずや我々にご協力いただけるものと確信しております」
「子会社化の発表自体が早すぎるのではないのでしょうか?」
「いえ・・実はですね・・ちょっと・・」
大江社長は後ろを振り向き、部下らしき人に何かを求めた。
軽く部下が耳打ちしながら資料を手渡す。
「すでに、ヤマダ工作所の株式について、発行済み株式の39パーセントまで取得しておりまして、あと12パーセント程度は見込みがついております」
おお!記者席がどよめく。
「株式ですが、どのような方法を使って、取得されたのでしょうか?」
「今朝方の時間外取引にて、取得させていただきました」
「ヤマダ工作所に限らず、セトウチデンキにも何らかの資本参加というか、そう言う可能性はあるのでしょうか?」
「今の段階では申し上げられませんが・・将来的には、おたがいの協力関係を発展させる可能性は充分にありえると思います」
「それは、提携ということでしょうか?」
「提携といいますか・・買収・・じゃなかった・・すみません・・」

「大江さんって、やり手で、お金はありそうですけど、口が軽いですわね・・」
洋子は東郷の机に腰掛けて、長い脚を組んで画面を見ている。
「まあ、いいですわ・・所長・・この・・12パーセントの可能性が・・?」
東郷は溜息をつきながら「そうや・・山田佳代なんやがな。山田二郎が、株を娘の名義にしている・・」
「それで、その株・・佳代をうまく取り込もうというわけですわね・・」
「そうや・・けど、ちょっとやばい感じやなあ・・」
「やり方を変えたほうがよろしいのでは・・」
洋子は自分の分だけコーヒーを入れてうまそうに飲み始めた。
そこへ電話がかかる。
「目標捕捉完了です・・」

第7幕・・マンション、サン・アタルデ玄関前

玄関前に到着する弘のレンタカー
少女が先に降りてくる。
「お母さん!」
少女が叫ぶ。少女の母親・・山田佳代が少女に歩み寄る。
「タエちゃん!ダメじゃないの!勝手に他所の人と飛び出しちゃあ!」
「だって・・お母さんがいっぱい物を投げつけるから危なくて逃げたんじゃない!」
弘がクルマから降りる。
突然、警察官が二人、弘の前に立ちはだかる。
「あなたね!公務執行妨害ですよ!」
「え?俺?・・」
警察の制服を見ただけで弘は思考が停止してしまった。
「あの・・おれ・・誘拐はしていません・・間違いだったんです!」
いきなり弘が警官に謝り始める。
「は?誘拐?何のことです?」
「え?・・だって・・警察?」
「私達は駐車違反の取締りをしていたのですが・・ご自分のクルマのフロントを見てください」
「は?」
意味がわからず、それでも弘はクルマの前を見た。
駐車違反のワッペンが貼られている。
「あ!」
「あなた・・さっき・・誘拐がどうのと?」
「いえ・・それはその・・」
しどろもどろで逃げようとする弘。
「ちょっと警察署まできていただきましょう・・」
警官が彼の腕を掴んでいこうとする・・
そのとき・・
「警察のおじちゃん!このおじちゃんはお母さんに用があってきたんだよ・・」
少女・・タエが叫ぶ。
警官「え・・ほんと?」
タエ「うん!」
「じゃあ・・これだけ・・サインしてもらおうかな・・」
「なんですか?」弘が聞く。
「駐車違反の切符ですよ・・」
「あ・・」
カネがないのに・・そう思ったけれど、すぐに、目標ゲット・・110万円は近い・・思い直した。

警察官に小言を言われて、ひたすら頭を下げる弘を山田母子がじっと見ていた。
「おじちゃん!お母さんが好きなのよね!」
タエは警官とのやり取りが済むと、待っていましたとばかりに、大声を出した。
「いや・・その・・」
「あのう・・私になんの御用なのでしょうか?」
佳代が不審気に聞く。
「あ・・はい・・あのですね・・」
「好きなのよね!」タエがまた無邪気に叫ぶ。
「あ・・ハイ・・好きです!僕ときてください!」
どうでもいい、こいつを連れ出せばいいんだ・・やけになってそう口走ってしまった。
佳代はそれを聞くと俯いて、黙ってしまった。
そしてやや間が空いてから・・「あ・・はい・・あの・・お茶でも・・」
恥かしそうに言って、勝手に弘のクルマに乗り込んでしまった。
弘は慌てて、運転席に座った。
「では・・お茶でも・・」
「わー!おじちゃん!お顔が真っ赤だよ!」タエが冷やかす。
「これ・・タエちゃん・・大人をからかわないの・・」
佳代がたしなめる。弘はクルマをもう一度走らせる。

第8幕・・レンタカー

クルマは適当に走っている。
目標は捕捉した。あとは指示を仰がねばならない・・弘はそう考えようとしたけれど、なんだか気恥ずかしく、汗がにじみ出るのを覚えていた。
佳代がタエに小声で何か話をしている。
「うん・・そうだね・・」
「そうそう・・だからね・・」
「あ・・それがいいかも・・」
「楽しくなるしね・・」
二人のヒソヒソ話が、弘には気になった。
「何のお話ですか??」
佳代は窓の外を見たまま、タエが答えた。
「あのね・・おじちゃん!もう一人だけ誘ってもいいかな?」
「もう一人?」
「うん・・お母さん、恥かしいんだって!」
「これ!」間髪を入れす、佳代がたしなめる。
「おじちゃん!智恵おねえちゃんのところに行って欲しいの・・」
ま・・もう一人、人質が増えるだけか・・世話がなくていいや・・弘はそう思い、快諾した。
「じゃ、その次の信号を右に曲がって!」
タエの言うようにクルマを走らせた。
大きなマンションの前についた。
見たことがあるような景色だ。
「ちょっと・・待っててね!」
タエがいうと、「あ・・アタシが・・」佳代のほうがクルマから降りて、マンションの中に消えていった。
・・そうだ、今のうちに電話・・
東郷の事務所に電話をした。
「目標捕捉完了です!これからどうしましょう?」
東郷の明るい声が聞こえた。
「お!やったな!これで逆転や!・・しばらく確保頼む・・大江がそっちへ行くから・・」
そう言って切れた。
「おじちゃん・・誰に電話したの?」タエが聞いてくる。
「あ・・会社だよ・・会社・・」
「目標ホソクってなあに?」
「あ・・あの・・会社の言葉だよ・・」
「ふうん・・」
そのとき、ドアが開いて、佳代が入ってきた。
「ごめんあさいね!こちら・・妹の智恵なんです・・」
「あ・・どうも・・」
そう言って、後ろを振り向いた弘は地球がひっくり返ったかというくらいにビックリした。
あの・・智恵だ!
今日も高校の制服を着て、髪はさらに赤くなったように見えた。
「あれ!」
「あ・・どうも・・」
「ヒロシパパじゃない!どうしたの!」
「あら・・知り合い?」佳代が智恵に聞く。
「うん!バイトのお客さん!」
「あらら・・あなたのバイトの??」
「そうそう・・お散歩のお客さん!」
後ろの席には佳代と智恵、助手席にはタエが座っている。
ピクニックにでも行くかのような、華やいだ雰囲気に、弘は気が気でない・・その気が気でないまま、クルマを走らせた。
「ヒロシパパ!今日もカラオケ?」
「あ・・カラオケ・・怖い・・」ヒロシは思わず、そう口走ったけれど、誰も聞いてはいなかった。
「カラオケ!いいわねえ・・久しぶり!」
「ほんと!思い切り歌おうか!」
「アニメのカラオケも歌っていいでしょ・・」
女3人のやかましさに圧倒され、彼女達の指す方向にクルマを走らせているうち、カラオケ「ガキカラ」に着いていた。


第9幕・・カラオケ「ガキカラ」303号室

部屋の外、通路で弘が携帯電話をかけている。
「ターゲットと、[ガキカラ]303号室にいます。」
「よっしゃ!上出来や!もう、大江はんはそっちに向かってるさかい、あと小一時間ほど支えとってくれ!」
東郷の上機嫌の声が聞こえる。
110万円まであと少しだ。
「なにしてるのお!」
「早くおいでよ!」
女たちが部屋の中から叫ぶ。
「あ・・はいはい・・」
弘は女3人の部屋に入った。
「ヒロシパパ、ビールだわね!」
智恵が言う。・・断らなければ・・その思いもむなしく、智恵の手には注文用のリモコンが握られている。
「あれ・・クルマの運転・・」
佳代が訝しがる。
「いいの・・ちょっとぐらい大丈夫よ!」
いきなり音楽が流れ出す。
「あ・・あたし!」
タエが叫んでマイクを取る。モニターはアニメの画面になり、主題歌らしき曲が始まる。
タエは元気よく踊りながら歌う。
歌っている最中に、飲みものが届けられた。
一つだけジュースがあって、あとはビールと酎ハイだ。
「カンパーイ」佳代が叫び、仕方なく、弘もビールを流し込む。
・・まだ大丈夫だ・・今日は酔ってはならぬぞ・・自分に言い聞かせ、弘は女たちの騒ぎの中で、小さくなっていた。
「ヒロシパパ!姉さんが好きなの?」
智恵がとんでもないことを聞く。
「あ・・いえ・・は・・その・・」
佳代は顔を赤くして恥ずかしそうにしている。
娘がいるとは思えない可愛い女性だ・・弘の目が少し回りだした。
歌が続く、次々に料理や飲み物が運ばれてくる。
智恵が歌っている。
制服で踊る姿は愛くるしい・・大き目の胸も躍る。
・・可愛いなあ・・弘は智恵を見ている。
・・でも・・佳代さんも捨てがたいな・・夢のようだと思った。
タエもおしゃまで、これまた可愛い少女だ。
夢のようで、このままここにいれば安心で、そして本当に夢の中・・
それでも無意識の中で何かを飲んで、何かを歌って、時間はたっていく。

「おじゃましまーす!」
男が入ってきた。弘は驚いて、目を醒ました。
女3人も驚いたようだったけれど、それはすぐに、信じられないことが起こったときの、感激の表情に変わっていった。
ちょうどマイクを持っていた佳代が、歌うのを止めて、入ってきた男を見つめている。
「すみません・・」男のあとから、女も入ってきた。洋子fだ。
「ご紹介します・・こちら・・ライフシェアの大江社長です」
洋子は皆の前でそう言って、佳代の横に大江を座らせた。
「ヒロシパパの番だよ!」
智恵が叫んでいる。
「あ・・おれですか・・はい・・」
そう言って弘はマイクを取り、ウルトラマンのテーマを歌い始めた。
「あ・・あの・・」洋子が何か言いたそうにしていたが、泥酔状態に近い、弘の大声に遮られ、とても言い出せない。
大江は、目をうるませて彼を見ていた佳代の耳に口を当て、囁くように何かを喋っている。
弘の歌が終わった。
誰も次に歌わない。
「大江社長って素敵!」佳代が大江をずっと見ている。
「あれ!お母さん、おじちゃんのほうが先よ!」タエが口をとがらせている。
「へえ・・姉さん!離婚から3ヶ月、もう次の可能性ね!」
・・離婚?・・
弘の耳に届いたのはその部分だけだ。
「え!じゃあ・・今はお一人なんですか!」大江が佳代に聞く。
「いえ・・娘と二人ですの・・」
「いやあ・・もったいない、こんなに美しい方が・・」
「あらあ・・ありがとうございますう・・」
酔いも回ってか、佳代がしなだれるような姿勢をつくる。
「大江社長・・お話のほうを・・」
洋子は長い脚を組んで、ことさらに見せながら大江を急かせる。
「話・・ああ・・そうですね・・」
大江は洋子の脚を眺めながら、それでも佳代がもたれかかるままにさせていた。
「おじちゃん可愛そうだね・・お母さんを取られちゃったよ・・」
タエが、弘を見て、慰めるように言う。弘は頭に酒が回り、何がなんだか分からない。
「奥様・・ちょっとお願いがありまして・・」
大江が佳代の耳元で囁くように言う。
「あ・・はーい・・何でもいいですわ・・信じられないの・・アタシ・・大江社長がテレビの中じゃなくて、あたしの横にいらっしゃるのが・・」
佳代はすっかり、大江に気を奪われているようだ。
洋子は尚更に脚を大江に近づけ、大江の足と絡めようとしている。
「奥様・・実はですね・・」
大江の言葉に佳代が「いやよ!奥様だなんて・・アタシは自由よ・・佳代って・・呼んでくださらない?」
「あ・・ハイ・・佳代さん!」
「なあに・・何でも聞くわ・・」
ドアが開く・・智恵が勝手に飲み物を注文していたようだった。
佳代は酎ハイを一気に飲み込んでから、あからさまに大江に抱きついた。
タエ「おかあさん・・恋に落ちちゃったね・・」
智恵「いいじゃない!恋はたくさんすれば!」
智恵は自分も酎ハイを飲みながら、カラオケのリモコンを触っている。
弘は酔いが回り、何がなんだか分からない。勧められるままにまたビールを飲む。
大江「佳代さん・・あの・・相談なのですが・・」
佳代「はーい・・どうぞ!何でも聞くっていったでしょう」
大江「株を譲っていただきたくて・・」
佳代「なーんだ・・そんなことぉ!つまらない・・」
大江「すみません・・つまらないことで・・」
佳代「株なんかより・・」
大江「株なんかより?」
佳代「あたしを譲ってあげる!」
大江「は?」
佳代「アタシを譲ってあげるからぁ!」
大江「あ・・それはちょっと・・」
佳代「いやなのぉ?あたしだわよぉ・・会社の重役になれるかもよぉ・・」
大江「会社の??」
佳代「そそ!あたしはセトウチデンキの娘よお!」
大江「ほんと?重役に?」
佳代「アタシの旦那よぉ・・重役になんないで、何になるのよお・・」
弘が突然、アニメソングを歌い始める。
大江と佳代が部屋から出て行く。追いかけるようにして洋子も出て行く。
弘、タエ、智恵が取り残された。タエと智恵は呆然としている。
・・??何で、みんな出て行ったのだろう・・ぼんやり考えていきなり弘ははっとなった。
・・いかん・・確保を続けなければ・・
弘は部屋を出て行こうとした。
「もうお仕舞い?どこかへ行こうよ!」
二人がくっついて出てくる。
当然、弘は全員の料金を支払って外に出た。支払ったことすらも良くわからない・・彼は泥酔状態だった。

第10幕・・カラオケ「ガキカラ」前

弘はクルマに乗り込んだ。
「また、前みたいに無茶な運転しないでね・・」
智恵が心配そうに聞く。
「きょうは!大丈夫!」
素っ頓狂な声で弘が返事をする。
「おじちゃん・・止めた方がいいかも・・!」
タエが言う。
「ショーガクセーは・・黙ってなさい!」
エンジンをかけて、そのまま前の道へ出る。
ふらついて走るクルマ。
すぐに目の前で赤いランプが揺れた。
「止まりなさい!」
パトカーだ。
「うるせー!どけ!」
弘はクルマを止めない。
「やばいよ・・」智恵が逃げ腰になっている。
「仕方ない・・止まってやるか!」
弘はまた素っ頓狂に叫ぶ。
「はい!免許証!早く見せて!これ、レンタカーだね!酔っているのじゃないの?」
智恵とタエが後ろの席で小さくなっている。
「後ろの人は?家族?」
「うしろ?・・可愛いでしょ・・」
「いや・・可愛いとかじゃなくて・・あんた、酔ってるね・・降りてもらおう!」
「ん?降りる?いやあ・・俺には任務があってね・・そうは行かないんだ!」
「任務?何を訳のわからないことを言っているのだ?とにかく降りて!」
「やーだよ!」
弘は急に車を発進させようとした。
けれども警察車が前方をふさぐように置かれていて、それにぶつかってしまう・・
「あ・・!」
警官が叫んだ。無理にドアをあけて弘を出そうとする。
その隙に智恵はタエをつれて外に飛び出してしまった。
「あ!待って!」
「あたしたち、関係ないから!」そのまま二人はさっさと消えてしまった。
弘は二人の行く先を酔った目で追いながら、ドアをあけようとする警官に抵抗していた。
「そうだ・・こうしてはおれない・・俺には任務があるのだ・・」
いきなりドアロックを外し、ドアをあけた。警官が不意をつかれて転んだ。
「こら!待て!」
「あ・・さっきの駐車違反オトコ!」
別の警官が叫ぶ。
「あ・・ホントだ!」
「逮捕ダー!」
警官の声が遠くなる・・弘は全力で走って逃げた。必死で走りながら、弘には何故、自分が逃げる羽目になるのか全くわからなかった。
けれども逃げなければつかまってしまう・・
俺・・何かしたかな?
夕日に向かってひたすら走り続ける弘だった。

********************

翌日の某新聞紙トップ記事

「ライフシェア、急転、セトウチデンキの傘下へ!」
大江社長、謎の数時間、何が彼をそうさせたか?

ヤマダ工作所の株式の半数以上取得目前にして、㈱ライフシェアは急転、セトウチデンキの傘下に収まることが確実となった・・午後の記者会見の後、何が起こったのか?・・・・・








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする