story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

真夏の女性客

2023年07月22日 22時04分02秒 | 小説

 

僕の運転するタクシーは真夏の昼下がり、明石市のとあるマンションに配車となった。
マンションの玄関で待っても客の姿は現れない。
空は雲一つなく、気温が高い。
10分が経過したころ、マンションの脇の道から女性が走ってきた。
「ごめんなさい、お待たせしました」
そう詫びながら乗ってきたのは若い女性だ。
「いえいえ、マンションの中から来られるとばかり思っておりました」
僕がそう言うと女性は「近くに良い目印がここしかなかったもので」と答える
「なるほど、そう言う事だったんですね」
そう言うと微笑んでくれるが、この暑いのに紺のスーツを着ている。
それも、胸のところのボタンがはち切れそうだ。
スーツが身体に合ってないのはすぐに分った。
「では、どちらに参りましょう」
僕の問いに彼女はスマホを見ながら「神戸市須磨区M町3丁目5番地13号」という。
「では、カーナビに打ち込みますね」
僕はそう言ってカーナビを操作したが5番地13号は検索に出ず、5番地12号なら出た。
「あ、それならそこでいいです、高速で行ってください」
「このお昼間だったら国道でも充分速いですよ」
「でも、高速代は構いませんので高速で」
「分かりました」
「若宮インターで降りたら早そうですね」
「いえ、そこは乗るためだけのインターなので」
「あ、では月見山かな」
「いえ、そこも乗るだけで、降りるのでしたら手前の須磨インターか、ずっと先の湊川インターですが、湊川だとかなり行き過ぎで却って時間がかかりそうです」
「それじゃあ、須磨インターでお願いします」
「畏まりました」
僕は話をしながらクルマを現地からほど近い大蔵谷インターに向けた。
だが、おかしいではないか・・
地元の人間ならほとんどこれらのインターチェンジのことは知っているはずだ。
・・いやいや、普段クルマと縁のない生活をしている人なら分からないというのもあるのだろう・・と思い直した。
だが、バックミラーに映る、胸のところがはち切れそうになったスーツが気になる。

小柄で黒髪をきちんと後ろで束ねて、大きな眼鏡、白いブラウス、化粧っけはなく、韓流ドラマのような赤い口紅を付けてはいるが女性は充分に清楚だ。
ただ、身体に、いや・・胸の大きさに合わないスーツを除いては・・

そこへスマホに着信があったようだ。
「電話に出ていいですか?」女性が可愛く訊いてくる。
「もちろん、電車やバスじゃあるまいし、ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます」そう礼を言ってから彼女は着信を受ける。
・・はい、ええ、そうですね、今、別件で時間をとってしまっていました。
そちらに向かっております、そうですね、20分ほどで到着できるかと思いますのでお待ちいただけますか・・
何の仕事をしているのだろう、この子・・と思った。
可愛い女性だが年齢的にはまだ二十歳になるかならないか、どう考えても営業や公務で飛び回るような経験値があるようには見えない。

少し走ると女性は鼻をぐずぐずとし始めた。
「寒いですか、エアコンを弱くしましょうか」
僕が伺うと「いえ、これはアレルギーなので・・暑がりですのでこのままのエアコンにしていてください」という。
そして「すみません、ティッシュ持っておられませんか」と訊いてきた。
「ああ、ありますよ、ちょっと待ってね」
僕がコンソールの中から会社の宣伝用のポケットティッシュを渡してやると「ありがとうございます、助かります」という。
女性の身だしなみとしてハンケチやティッシュの類は持ってないのだろうか。
まぁ、自分の娘もドジなところがあるから、似たような性分の人かもしれない。

クルマは20分ほどで須磨区M町3丁目5番地12号と、ナビが指定した場所に着いた
そこには大きな集合住宅がある。
「ここで宜しいでしょうか」と僕が伺うと「もう少し先です、あ、そこの角を曲がってください」という。
だがその場所はすでに3丁目ではなく2丁目だ。
「すみません、ここで待っていていただけませんでしょうか、お金は先に一万円を置いておきますので」という。
「いいですよ、どれくらいのお時間ですか?」
「そうですね、10分もかからないと思います」
女性はそう言っていったん降りた。
クルマの後方へ向かい、さっきクルマが曲がった角を小走りで曲がる。

5分ほどしただろうか、女性が小走りで後ろからかけてくるのがバックミラーに見えた
「お待たせしてごめんなさい」そう言って乗ってきたかと思うと、女性は自分ですぐドアを閉めた。
「急いで・・えっと・・一番近い新幹線へ」と息を切らせながら言う。
「ここからでしたら新神戸で宜しいですか?」
「はい、どこでも新幹線に乗れるところなら」
僕はクルマを動かそうとした。
そのとき、一瞬だけ女性を追ってきたような人がバックミラーに映っていることに気が付いた。
だが、女性が何も言わないので僕は構わずクルマを出す。
バックミラーに映る女性はさっき僕が手渡したティッシュでしきりに汗を拭いている。
僕はエアコンの温度を下げ、風量を最大にする。
もう一つティッシュをだして「どうぞ」と後ろの席へ手渡してやる。
「ありがとうございます、外が暑くて」
「それでしたら、新神戸に着くまで、上着を脱がれてはどうですか」
「あ、そうですね!」
女性は上着を脱ぐ。
バックミラーに、ブラウスも胸の大きさにあっていないらしい様子が映る。
大きな胸がそこから飛び出してきそうだ。

女性のスマホに呼び出しがあった。
だが、女性はスマホの画面を一瞬見ただけでその着信を取らない。

高速に入りなおし、新神戸駅へ向かう。
15分ほどでタクシー降車場につき、タクシー運賃は先に一万円札を預かっていたので、その釣りを渡した。
「領収書はお入り用ですね」僕の問いに女性は「いえ、結構です」という。
公務、あるいは社用ではないのかと疑問に思う。
どうも今日のお客は疑問に思うことが多い。
そして彼女が降りようとしたその時、クルマの外に男女数人が立ちはだかった。
「ちょっと来てもらおうか」
男の一人が手帳のようなものを女性に見せている。
別の男が僕の方にも近づいてきた。
運転席の窓を開けると男は「警察です」と言いながら手帳を見せた。
「あなたにも事情聴取をさせていただきます、申し訳ありませんが我々と御足労願えますか」
「いったい何なのですか?」
男の目を見つめながら僕は問う。
「特殊詐欺の実行犯です、あなたがここまで乗せてこられた様子を伺いたいのです」男は冷静に答える。
先ほどの女性は数人の男女に囲まれたまま、タクシー降車場の前方に停車している警察車両に連れていかれるようだ。
「ごめんなさい」
女性は僕の方に向かって泣きそうな表情で頭を下げた。
少し抵抗したのか、ブラウスのボタンが外れて、下着が見えている。

その日、僕はS警察署で4時間以上の事情聴取をうけた。
もはや、一日の仕事の成績など望めるはずもない。
会社には警察署へ向かう道すがら無線で連絡を入れた。
「さっき、配車してもらったお客さん、詐欺容疑とかで警察に連れていかれてね、私も今から事情聴取です、暫く帰社できません」
配車係は「了解しました、また結果が分かれば連絡ください」と淡々と宣う。
配車したのはお前だろうがと、少し苛つきながら「了解~」と無線を切った。

女性は所謂「受け子」で、明石では訪問先の人物が余りにも痴呆が来ていて話にならず、須磨ではまんまとキャッシュカードを騙し取ろうとしたものの、応対中にそこの息子が帰宅し、なにをしてるんやと問い詰められ、適当に言いつくろって玄関を出た。
息子は一瞬後に女性を追いかけたが、女性は僕のクルマに乗って出てしまった、それでもなんとか去りつつあるクルマの写真をスマホで撮影して、警察を呼んだのだという。
ただ、どうやら女性は初犯だったようで、しかもまだ高校生だという。

ひと月ほどして僕はいつも待機している駅で晩夏の午後の猛暑をクルマの中で凌いでいた。
だが、色の黒いタクシー車両は夏の熱をいくらでも吸収し、停車して待機している状態ではコンプレッサーが動かず、冷房なんてほとんど効かない。
「今年はいつもより暑い期間が長いなぁ」と愚痴も出る。
そのときだ、クルマの窓を叩く音が聞こえた。
見ると、可愛い女性が僕のクルマをのぞき込んでいる。
窓を開け、女性を見る。
先だっての詐欺事件の犯人ではないか。
着ているのは若い女性らしいパステル調のワンピースで、口紅も塗っていない。
ワンピースは胸の大きさには合っているようで、良く似合っている。
「先だっては、ご迷惑をおかけしました」
女性は殊勝に頭を下げた。
「いやいや、あれからどうなったんですか」
「はい、初犯で未遂に終わりましたので、一月ほどして釈放されました」
「それはなにより、それより君は高校生ではないの?」
「はい、学校は退学になりました」
「それは、えらい失敗やったね、もうあんなことはしないことやな」
「はい、ただ、ご迷惑をおかけしたことだけ、お詫びしたくて」
そう言って頭を下げる。
そして彼女はすっと踵を返して駅の改札の方に向かっていく。
後ろ姿、パステル調のワンピースのひらひらが、やけに印象に残る。
「暑い・・」
独り言が出て僕はクルマの窓を閉めた。
「あのスーツは家族の誰かからでも借りたのだろうか」
ふっと、そう思った。
大きな胸を包むには小さすぎるスーツとブラウスが思い出され、少し可笑しくなった。


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