story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

武士一人

2004年11月10日 15時26分00秒 | 小説

永禄2年、年の瀬。
駿府の市街を数人の大男たちが歩いていた。
今年も年の瀬がきた・・男はそう実感しながら、提灯をあちらこちらへ向け、この頃になると多発する夜討ち、人殺し、泥棒を防ぐために、今川義元馬回りの彼らが、夜回りの役を言いつけられていたのだ。
「寒いのう・・」なかでもとびきり大きな男が、そう呟く。
男の名は高谷秀重、尾張出身、髭面でむさくるしいが、案外、年は若く、いまだ二十歳だった。
「早く、お城に帰って湯など飲まねば、寒くてやってられんわい」
秀重の同僚も相槌を打つ。

今年の年の瀬は静かだった。
年が明ければ、いよいよ今川軍の西上作戦が始まる。
他国からの間者と思しきものも、多く商人や旅の僧に混じって流れ込んでいた。
すでに兵站の準備も始まっている。
今川家は、ここ数年、戦らしい戦をしていなかった。武田、北条との三国同盟が上手く機能していたのだ。
けれども、それは砂上の楼閣でしかない。
織田との戦は、せねばならず、織田と戦を開いたなら、織田と同盟をむすんでいる美濃、斎藤とも戦になる。
結局、はじめた戦を終えるにはそのまま京までのぼるしかなかった。
今川家は将軍家になりうる権威を持った家柄である。
京までのぼり、天下に号令をかけ、戦国の世を終わらせる・・
本当のところは、義元自身が権力を得たいためであろうことは、誰の目にも推察できるが、かといって、戦国の世、いずれ誰かが治め
ねばならぬ・・それならば我らが御館様が・・そう思うのは自然の道理である。

大作戦は年が明け、春になると始まるだろう・・駿府にいる誰もが、期待と不安の入り混じった複雑な心境で迎える新年である。

「誰だ!」
高谷秀重は叫ぶやそちらへ走っていった。
堀の横でうずくまっている人物を発見した。声をかけられるや、その人物は走り出した。
「止まれ!斬るぞ!」
秀重は叫ぶ。
秀重は足には自信があった。暗闇の中、人物を追う。
「何処の者だ!」
足をとられたのか逃げていた人物が転んだ。
「殺さないでくれ!」
男の声だ。それもか弱い、秀重が聞いたこともないような弱い男の声だ。
「何処の者だ!間者か?」
「違う・・今川の・・今川に世話になっている・・主人が・・そこのものだ・・」
他の男たちが追いついてきた。
「貴様は・・もしかすると・・」
追いついてきた男が、つぶやく・・
「来い!」秀重は男を引っ立て、男の着物の襟首を掴んだ」
そのとき、秀重の同僚が、叫んだ。
「甚内じゃないか・・」
別の同僚も叫ぶ。
「桑原か!ならば捨て置け!」
「高谷殿・・こやつは桑原甚内といってのう、武田信虎様の家中の者じゃ・・」
秀重はいぶかしく思いながらも男の襟首から手を離した。
「武田信虎様の手の者が、かような夜中に何をなさっておられるのか・・ちとばかりご事情をば御聞かせ頂きどうござる」
秀重は甚内を放してからも、言葉を和らげながら問い詰めていた。
「秀重殿、捨て置け!碌な事はござらんぞ!」
「信虎様の家中の者なればこそ、捨て置くのが一番よ」
風が吹いた。
今宵は寒さが厳しい。
「動かなければ余計に寒さが身にしみる。甚内は秀重殿に任せて、我らは、先へ行くが・・それでよいか?」
同僚の一人がそう言って、クスリと笑いを漏らし、呆れたのかその場を去ってしまった。
あとに秀重と甚内が残った。

桑原甚内は黙って、突っ立ったままだった。
堀の水を見ているようだったが、年末も押し迫り、新月近い月明かりでは、堀の水は黒いだけで何も見えなかった。
「おぬし・・泣いておったのか?」
秀重の問いに甚内は頷いた。
お互い、顔が見えるわけではない。
「おぬしも武士であろう・・武士たる者が何故に泣くのか?」
「拙者は、武士などというものが、つくづく嫌になってしまい申した」
甚内はやっと搾り出すようにそれだけを言った。

「まあ、呑まぬか・・」
秀重は腰に下げた竹筒の酒を差し出した。寒い夜回り、酒でも食らいながらでないと夜回りなどやっておれぬ・・誰かがそう言い出し、同僚共々、酒を竹筒に入れて持参していたのだった。
「ここでおぬしに出会ったのも何かの縁でござろう・・拙者で良ければ、武士が泣くほどのこと、話して下されぬか」
甚内は差し出された酒を一口含んだ。
野犬の吼えるのが聞こえるだけの、寒く、静かな夜である。

桑原甚内は、武田晴信によって甲斐を追われた晴信の父、信虎の身の回りの世話をするために、古府中から呼び出された。
信虎は駿河で食客となったが、もちろん人質の意味もあった。
甲斐からも内密ということにして、金や米が送られていたし、信虎の面倒を見てもらうために、今川家の当主、義元にも莫大な贈り物がされていた。
信虎は「身の回りの世話が粗雑にすぎる」と、甲斐に苦情を伝えていたので、数人の若い武士が甲斐から送られてきた。
その中に桑原甚内も入っていたのだ。
武士にしては、おとなしく、医術もでき、器用な甚内は、うってつけの人材かと思われたが、過激な性分の信虎には合わなかった。
次から次へと難題を吹っかけられ、ついにこの日「側女をもう一人所望いたすゆえ、義元殿の御縁の中より見目良き女性を、差し出してもらえ」・・そういわれ、無理を承知で、義元に面会をしてもらった甚内は、義元からも、側近からも馬鹿者扱いをされた上、、大笑いされてしまった。
以前から、信虎が今川家に無理難題を吹っかける時は、決まって、甚内を使っていたので、今川の者達は甚内を、信虎の男妾と、子馬鹿にしていたのだ。
さて、その日の状況を信虎に恐る恐る報告した彼に降りかかってきたのは信虎の罵声と、続いて信じられない太刀の光だった。
一目散に逃げ出し、ここで途方に暮れて泣いていたのだと言う。

甚内は語りながらもさらに涙声になり、女のように嗚咽を漏らしていた。
「桑原殿・・武士というものは、あるいは、お勤めと申すものは、辛いものよのう・・」
甚内は頷いた。
「しかし、ここぞという時のために、今しばし、我慢が肝要でおざろう・・」
甚内は・・首を横に振った。
「拙者・・武士など御免でござる。辛き思いをいたしとて、その先にあるものはいかに死ぬかでござろう・・さような生き方は拙者には合い申さぬ・・」
「では・・百姓でもされるか・・」
さすがに秀重も気の毒になってきた。
このような男に武士の道など、極めることはできない・・ならば、他にも生き方はあるだろう・・そう思った。
「拙者、少々、医術の心得がありまする」
それを聞いて、秀重は彼の生まれ故郷を思い出した。

秀重の故郷は尾張の国、それもほとんど三河の国との国境に近い低い丘陵がそこら中に点在する、貧乏な村だった。秀重の父が松平家に勤めていた関係で、秀重も早くから松平家に伺候していた。今川家に人質として留め置かれている松平元康の世話のために駿府へきたのだった。
駿府へ来てすぐ、当主の義元は秀重の人並み優れた体躯に、今川の馬回りに呉れと元康に求めた。
元康は断れるはずもなく、高谷秀重は先ごろ、今川家の中に入った。
尾張の、彼の生まれ育った村は、松平と織田の戦にいつも巻き込まれていた。
村の者や城の武士が戦で怪我をしても、治療にあたるべき医者はいなかった。

「桑原殿・・医術ができると仰せであったのう・・」
「いかにも・・拙者、唐からの医術も、日ノ本古来よりの医術も、少々わきまえてござる」
「されば・・話は早い・・拙者が村長に紹介状を書くがゆえ、尾張の、拙者の故郷で、医術を開いてはどうであろうか?」
「誠にてござるか!」
「そのかわり、武士の面目は捨てねばならぬが・・それでいかがであろうか?」
「願ってもない話でおざる。是非、そのようにして下されぬか!ああ・・神仏は我を見放しはしなかった・・ここで高谷殿にお会いできるとは・・」
「では、さっそく、明日にでも、書面を用意いたそう・・」
それを聞くと、甚内は哀願するような口調になった。感情の起伏の激しい男らしい。
「お願いでござる・・武士の情け・・今、書いていただきとうござる・・拙者・・そのまま逐電いたす」
秀重はいぶかしがった。
しばらく黙っていた。
「拙者、もう、信虎様のところへは戻れませぬ。信虎様は気性のお荒いお方、拙者、間違いなく斬られまする」
「今川の者にもこれ以上の蔑みを受けるのは屈辱にて・・」
哀願する甚内を見ていると、さらに哀れに思えてきた。
「やむを得ぬ・・拙者についてお越しあれ・・」
秀重は立ち上がった。
城の門近くで甚内にまっているように伝えると、番所に帰って、すぐに書状をしたためた。
書状とはいっても、簡単なものだ。
村長に「ただ、この男を医者として村にとどめ置かれるよう」そう書いて、城の外で、待っていた甚内に手渡してやった。
「運を祈るぞ!」
「有難く存ずる・・誠にいかに礼を言うべきか、その言葉すらも出てまいらぬ・・」
遠くのかがり火で、かすかに甚内の顔が判った。優形の女のように色の白い顔が、涙で濡れていた。
「かくなる上は、一村人として生き、武士の世界などに帰るではないぞ」
そう言葉をかけてやった。
「秀重殿、武田信虎様を、お守りくだされ・・秀重殿のできうることで構いませぬ。信虎殿は気性はお荒いし、酒を過ぎると見境もございませぬが、人は至極気の良いお方で、おざリますゆえ・・」
「分かった・・拙者の出来得る事でならお守りいたそう・・」
「秀重殿・・・拙者、貴君以外の今川の侍は好きになれぬ。それに義元様に掻かされた満座の恥は、生涯忘れぬであろう・・」
「何を言われるかと思えば・・もはや貴君は武士にてあらず、忘れられい、そのようなことは・・覚えておかれても碌な事に成り申さぬ故に・・」
そうたしなめて、秀重は甚内を見送った。
ようやく朝の気配がする・・一番鳥が鳴いた。あわせるかのように野犬が吼える。

番所に帰った秀重に同僚が尋ねた。
「桑原はどうなり申した・・」
秀重は酒をあおって答えた。
「目を離した隙に、逃げられておざる・・面目ない・・」
「信虎様のところへ帰ったか?」
「いや・・逐電でござろう・・」
同僚達が低く笑った。
まもなく朝だ。

永禄3年5月今川軍は西上の軍を起こした。
高谷秀重は義元の近くにいた。
義元は輿に乗り、周りを屈強な兵で守られている。
軍列は三河の国を超えた。
梅雨時である。蒸し暑い。
「松平様よりご伝言にて、丸根砦、思いのほか堅固にて至急、援軍を差し向けられたし、とのことでごります」
義元の輿に向かって大声で叫ぶ者がある。
松平元康は明け方から丸根砦の攻撃を開始していた。
守備をするのは織田の中でも剛勇をうたわれた佐久間盛重。
佐久間は砦にこもらず、城外にて果敢にゲリラ戦を挑んできていた。
「高谷よ!」
秀重が輿の中から呼ばれた。
「は!」
「直ちに、松平の応援に行け!おぬしなれば、元康も安心であろう!」
「御館様!かたじけなく、ご指図、しかと承って候」
一瞬、義元の顔が見えた。重代の鎧兜に身を固めた義元は、今世で最高に高貴な存在に思えた。
義元はふっと表情を緩めた。目が優しかった。
秀重は馬を駆って義元の本陣を飛び出した。雨が降ってきた。大粒の雨だ。

秀重の生まれ故郷の野山である。道は知りつくしている。
義元から預かった数十の兵と共に、丸根砦へ向かう。
雨で前が良く見えない。甲冑の中も雨と汗でずぶぬれになっていた。

丸根砦が雨煙の向こうに見えた。
砦の外で激戦が行なわれていた。本陣と思しきところへ駆ける。
ちょうど、馬を駆って、向かう武将を見つけた。手に采配を持っている。
「元康様!」
雨の中、声をかけた。
「おお!秀重!久しぶりであるぞ!手柄を立てよ!」
元康が怒鳴り返した。それ以上のことは言葉がなくとも分かる。若い二人は並んで、駆けた。
鉄砲が炸裂する。
が、雨が激しく、鉄砲は用を成さない。
火矢が飛ぶ。城方の猪武者が、いきなり目の前に現れる。次の瞬間、血煙が上がり、猪武者は吹っ飛んでいく。

丸根の戦が終わった。
義元が気にかかる・・秀重は、朝来た道を義元の本陣へ駆けた。
谷合を駆けめぐりながら、心が穏やかではない自分に、不安がよぎる。
彼の郎党はついてこれない。彼はそれでも構わず馬を走らせた。
ふと、農耕用の駄馬に乗って遠くを駆けている男を見かけた。
「何奴!」叫びながら男に近づいていく。
蓑傘の男は、驚いて秀重を見た。
「貴様は!」
男は逃げようとしていたが、秀重を見て、諦めたように立ち止まった。
「桑原殿ではないか!何をしている!」
「おお!高谷殿!」
桑原甚内は懐かしそうに声を上げた。
「丁度良い!今川義元殿のご本陣は何処へ!」
甚内は少し考えて、「向こうだ!」と叫んだ。
「かたじけない!また会おう!」
秀重はそう答えて、馬を駆った。

しばらくして、秀重は悟った。
「この方向に今川軍はいない・・」
しまった・・彼は必死で違う道を進んだ・・こちらの方向は桶狭間であろう・・もし、今川軍が進んだ先が、あんなところだと大軍はまとまることができない上に、織田軍から丸見えになってしまう。
しかもこの雨だ・・地理に詳しい松平元康はここにはいない。
何故・・何故・・久方ぶりに出会った甚内が嘘をついたのか・・
そうか・・奴は今川を恨むと言っていた。
しかし、よくもまあ・・わしに嘘をつけたものよ・・天晴れな奴・・
大雨の中、遠くで人の声が聞こえる・・やはり・・桶狭間だ!
複雑な地形の丘の上、周りを見渡すには良いが、軍は分断され、合戦向きではない・・

やがて雨が上がった。
軍隊がこちらへ向かって駆けてくる。
今川の者達だ。
「どうしたあ!」
「負け戦だ!逃げろ!」

兵達が血相を変えて走りゆく・・大軍が逃げ失せる間、秀重は丘の上でそれを眺めていた。
かの屈強を誇る今川の兵が、取るものもとりあえず、必死で逃げる様はあさましかった。
武士とは何ぞや・・秀重は頭の中が空になってしまった。
雲の合間から夕日が顔を出す。
彼は、ゆっくりと合戦のあったであろう場所へ向かった。

小高い山の頂上に旗指物が乱れ、死体が転がっていた。
呻き声が聞こえる。
死にきれない武者か・・見覚えのある輿があった。
どれが誰の死体か分からない。ほとんどの死体には首がなかった。
血の匂い、死臭がみちている。
今川義元の使っていた輿が打ち捨ててあった。その近くに、義元のものらしい立派な武将の胴体があった。
「つい・・つい・・今朝方お会いした方のお姿とは思えぬ・・・」
秀重には、だからといって涙は出なかった。
義元とて武将・・負ける戦もあり、負けるときは己が命もないことは悟っていよう・・

義元の胴体のすぐ近くに、一つだけ、首のある死体があった。
まるで百姓のような格好の・・とても武士とは思えぬその死体に、見覚えがあった。
近づいてみた。
「桑原殿・・」
先ほど会ったばかりの桑原甚内の変わり果てた姿だった。
彼は、手に短刀を持ったまま、肩先から切り下げられて絶命していた。
「武士・・武士であることを何故に捨てきれなかったのか・・」
不覚にも秀重の頬を涙が流れた。
甚内の血まみれだが、安らかな死に顔は、何か世の中を達観したかのような表情に見えた。
日が暮れる。ここも明日には織田軍によって片づけられるだろう・・

秀重は一旦、丸根砦に行くことにした。
今後の身の振り方も考えねば、ならない。
「しかし・・武士という者は、なんとも辛い宿業を持っていることよ・・」
ひとりごとである。
武士を辞めるはずの甚内が、結局、武士の宿業で死んでいった。
武士にとって、死とは如何なるものぞ・・死ぬは一定と人は言う、
だからこそ、武士は死に様を大切にする・・
町人や農民は死に様よりは常に生きるほうを望む。
虫ですら、踏みつけられて、それでも生きているときは、まだ生きようとする。

生きるとは、死ぬとはどういうことか・・秀重には分からなかった。
日が暮れてきた。
甚内のように、奴が今川を命を捨ててまで憎んだように、俺も、命がけで織田を憎んでもいいな・・
別に織田が憎いという感情は湧かなかったが、それが武士の宿業なれば、あえて、その宿業のままに生きるのも良いかも知れぬ。
身体がだるい・・あの、丸根砦陥落の充実感はどこへ行ってしまったのか・・

すっかり日が暮れて、月が輝いていた。
いびつな、不思議な形だ・・
月とはなんなのだろうか?
あそこに神がいるのだろうか・・
だったら・・神よ・・俺がいい顔で死ねるように、俺の人生を見守ってくれないか・・
彼はゆっくりと馬を歩ませていた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする