story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ワルの悔み

2010年08月23日 21時27分52秒 | 小説

悔やんでも悔やみきれないということが、普通に生きている人にも幾度かはあるのかもしれない。
それはその大半が自分の人生を振り返って「あのとき、こうしていれば」的な悔悟の念かもしれない。

だが、こと、俺に関しては自分が自分にしたことではなく、他人やほかの命に対する強烈な悔悟の念とも言えようか。

今、こうして病院のベッドの上で、ほとんど自分の意識を表すすべもなく、ただなされるがままに生きていいることもまた、俺にとっては過去の報いであるようにも思え、だから、俺は今のこの状況を素直に受け入れているのだ。
だが、おれが今の状況を受け入れていることすら、俺の周りの人間たちには届いていないのもまた、確かなことだ。

あれは、俺がまだ小学生だった頃。
小学生の・・2年生くらいか。
公園のジャングルジムの横に段ボール箱が置いてあった。
その中をのぞいてみると、そこには生まれて間もない子猫が数匹、小さな声をあげて泣いていた。
「目、見えてえへんのかな」
友達だったK君が言う。
「見えてえへんみたいや・・」
俺はそう答えながら一匹の猫の首根っこを持ってぶら下げてみた。
まだら模様の猫は、痛そうに声を変えて泣く。
「どないする?」
K君が心配そうに見る。
「どないもできひん」
俺はぶら下げていた子猫を箱に戻した。

小学生のことだ。
俺たちはそのあとはもう、猫のことは忘れ、遊び続けた。

そして、K君と別れて家に帰る途中のことだ。
俺はさっきの猫を思い出した。
走ってジャングルジムのところへ行くと、先ほどの段ボールはまだそこにあった。
箱の中では、先ほどと同じように子猫が数匹泣いている。

俺は箱を持った。
そして、その箱を近くの川べりに運んだ。
猫たちは泣いている。
おれは箱を川に浮かべた。
箱は川に浮かんで、流れていくはずだった。
俺はそうなると思っていた。
「猫の旅立ちだ」
そう呟きながら、箱を川に浮かべた。

箱は少し流れた。
流れ始めてすぐ、箱は斜めに沈み始めた。
猫たちが泣いている。

わずか数メートル、箱が流れて、そして沈んだ。
子猫たちは必死になって箱から出て浮かぼうとしていた。
だが、やがてその猫たちも鳴き声を残して沈んでしまった。

夕闇の迫る川岸で、俺は怖くなって逃げた。
あの、猫たちの声が耳から離れない。

必死で走って家に飛び込んだ。
「どうしたん?」
やさしい母親が、心配そうに声を掛けてくれた。
「どないもせえへん・・お腹空いただけや」

そう答えたものの、俺はその日の夕食を残した。

あれは中学生のころ。
俺は自転車で商店街を走っていた。
時刻は・・そう、やはり夕方だろうか。
商店街は全体が軽い下り勾配になっていて、自転車は快調に走る。
俺は買い物客で混雑する商店街で、器用に人を避けながらそれでも、ブレーキはかけず、自転車をころがす。
どうしても避けられない位置に、中年の女性が立っていた。
「どけよ!」
俺は叫び、その女性の尻を蹴った。
女性は叫びながら倒れた。
俺の知ったことではない。
俺はさらに自転車を進ませる。

別に何か用事があってこの商店街に来たのではない。
ただ、虫が明かりに集まるように、俺も明るく、人の集まるこの場所に寄ってみたかっただけだ。
交差点がある。
その先に幹線道路が横たわる。
おれは幹線道路へ入ろうとしたが、ちょうど信号は赤で、幾人かの人が信号を待っていた。
俺は構わず、その交差点に入りこもうとした。
信号待ちをしている先ほどの女性より年かさの女性が邪魔だった。
「邪魔や!」叫ぶのと、おれがその女性を蹴るのとはほとんど一緒だった。
女性は倒れた。
それも、前のめりに・・
そこは幹線道路の車道だ。
おれは女性の倒れた脇を、知らぬ顔で通り過ぎる。
雑踏の人々の何人かが叫ぶ。
「危ない!」
俺は幹線道路の車道に出た。
バン!
俺の背後で大きな音がした。
俺の知ったことではない。
人々の悲鳴が聞こえる。
車のブレーキの音、鉄と鉄がぶつかるような音。
おれは自転車を止めて後ろを振り返った。
車が停車して、その車の横から人間の胴体が見えている。
そして、その車の後ろに何台かの車が重なっている。
交差点にいた人たちが群れをなして集まり始める。

俺の知ったことではない。
俺はそこから逃げた。

そして、とくに警察からの呼び出しもなかった。
だが、それから一月ほどは、俺はいつ警察に連れて行かれるかと怯えていたのだ。

あれは高校生のころか。
夏の夜だ。
コンビニエンスストアの明かりの前に、数人の友人とたむろしていた。
別に用事はない。
家に帰ればそれはそれで、冷房付きの快適な俺の部屋と、何も言わない両親がいるだけで・・だから「家の中に居場所はない」というのとは違っていた。
ただ、こうして集まることが何か面白かっただけだ。

バイクを盗んで改造し、それを走りまわらせて集まる。
どこでも見られる不良高校生の集団だったわけだ。

「腹が減ったな」
誰かがつぶやく。
「カネがないぞ」
別の誰かが諦めたように笑う。
「カネやったら・・あそこにあるで」
俺はちょうどコンビニを出て行ったサラリーマン風の男の背中を指さした。
「ははは・・そこにはあるやろうが」
また誰かが言う。
「カネ取ってきたるわ」
俺はそうつぶやくと、しばらくしてバイクを走らせた。
情けない原付の爆音が響く。
サラリーマン風の男は、後ろからのバイクの音など気にも掛けないように歩いている。
俺はバイクをその男の背中にぶつけた。
「わあ!」
男は叫びながら倒れた。
俺は、倒れた男の背中に乗り、「カネだ」と凄んだ。
「何をする!」
男は体の向きを変え、反撃しようとする。
おれは男の顔を蹴り飛ばした。
男の口から血が吹き出る。
思いきり、頭を踏んだ。
そこへ俺の仲間がやってきた。
「スーツの中や」
俺は仲間に指図して確かにそこにあった財布を奪わせた。

俺たちはそのままバイクに乗ってそこから逃げた。
俺が倒した男のことなど、俺の知ったことではない。

この時も警察は何も言ってこなかった。
俺は内心は怯えていたのだ。

高校を卒業して建設会社に就職した。
会社の先輩や上司は厳しく、仕事は面白くない。
それでも、俺はおとなしくしていたから、結構、会社の人たちには好かれた。
だが、好かれても仕事などは面白くならない。
あれは年末の忘年会か。
大量の酒を飲まされて、俺はしたたかに酔っていた。
酔うと、性への欲望が強くなる。

「早く寝ろよ」
俺をタクシーで家まで送ってくれた上司はそう言いながら、笑っていた。
「えらそうにしやがって」
上司だろうがなんだろうが、俺に偉そうにする奴には腹が立つ。

家の前で車を降りても、すぐに家には入らない。
家の近くの公園のベンチで、しばし夜風を吸う。
ふと、公園脇の道を若い女が歩いているのを見つけた。

俺は女に気づかれないように、静かに立ち上がり、そして、後ろからその女に近づいた。
「お嬢さん・・」
俺は女にいきなり声をかけた。
女は驚いて振り返った。

その次の瞬間、おれは女の顔を殴っていた。
女は倒れた。
俺は女の手を引き、道端の草むらに連れ込んだ。
女は恐怖のためか、なんの抵抗もしなかった。
おれは黙って女の衣服を剥ぎとり、俺の汚い欲望を見ず知らずの女に放出する。

終わって女を見ると、裸のまま泣いていた。
俺の知ったことではない。
おれは、裸の女を置き去りに、そこから離れた。

俺はこの時も怯えていた。
警察から呼ばれるのではないかと・・内心はびくびくしていたのだ。
だが、俺にはどこからの呼び出しもなかった。

自分の車を持って、俺はその車で仕事へ行くようになった。
あれは春だったか。
俺は仕事場へ急いでいた。
幹線道路を直進する。
次の信号が青から黄色に変わるのが見えた。
俺はブレーキなど掛けない。
信号はやがて黄色から赤になる。
俺は無頓着に車を進ませる。
交差道路の車が発車しかけて急停止する。
俺の知ったことではない。

俺の車は、信号が完全に赤に変わった交差点を高速で通過する。
バシッ!
何かにあたった。
人の影のようなものが飛ぶ。
俺はブレーキもかけず、そのまま突っ切った。

しばらく走って車を止めて車体を見た。
買ったばかりのミニバン、その左のフェンダーが少し凹んでいる。
「あの野郎・・」
俺は、たぶん俺の車に撥ねられただろう歩行者に腹を立てた。
だが、その歩行者が生きているか、怪我をしているかといったことなど、俺の知ったことではない。

だが、この時も、俺は一月ほど怯えていたのだ。
それでも、警察からの呼び出しはなかった。

このころから時折、夢の中に猫が出るようになった。
必死で箱から逃げ出そうとしながら、泣きながら沈んでいったあの子猫たちだ。
猫の夢を見た後はひどく疲れた。
寝汗で布団が濡れていた。

あるときなど、俺が猫と一緒に沈む夢を見た。
夢の中で俺は猫と同じ大きさになっていて、箱の中に入っていた。
息をしようとしてもできない。
苦しくて、でも俺はその苦しさから逃れる目覚めにたどりつけない。

やがて、俺は結婚し、すぐに娘が生まれた。
妻は美しく優しく娘は可愛い。
結婚は俺が内心嫌っている上司からの紹介だった。

結婚後も猫の夢を見た。
いや、その夢は結婚後のほうが増えた。
叫んで、寝汗をかく俺を、優しい妻が心配してくれる。

妻の声が聞こえ、俺はほっとする・・そんなことが続いた。

だがある時、夢の中に優しい妻が出てきた。
俺は妻を呼ぼうとした。
振り向いた妻は素っ裸で、夜の草むらに沈んだあの時の女の顔になっていた。
「悪かった!助けてくれ!」
俺は叫んだ。
「しっかりして!」
女が叫ぶ。
ハッと気がつくと、俺に必死で声をかけている妻の顔がそこにあった。

それからはあの女の顔も、いや、俺が殴り倒した男の顔も、俺が蹴り飛ばした年配の女性の姿も、そして・・車で撥ねたあの時の感触も・・もちろん、あのときの子猫たちも夢に出るようになった。

俺は夢を見るのが怖くなった。
妻の体にしがみつかないと眠れなくなった。
だが、娘はまだ小さい。
娘が寝付くまで、妻の体は俺のものではない。

妻は娘が寝静まるのを待ってから自分にしがみつく俺に、最初は戸惑いを、やがて何か可笑しさのようなものを感じるようになったようだ。
「あなたは、何か相当、怖い思いをいてきたのね」
妻は俺に優しくそう言ってくれる。
だが、俺は俺のしてきたことを例え妻にでも言えるはずがない。

そんなことをしたら、妻は俺のもとを離れてしまう。

そんなある日のことだ。
俺は会社が休みで、気分転換に散歩をしていた。
久しぶりに一人になりたかった。
夢はまだ続いている。
夢からは逃げられない・・それは俺の受けるべき報いだろう・・俺は自分が能々と温かな家庭を持ち、幸せに暮らしていることにすら疑問を持つようになった。

考えれば当たり前のことだ。
俺は犯してはならない罪をいくつも犯しながら、それに対する何らの報いも受けていない。
夢は報いの一つかもしれないが、それは俺が勝手にみているだけであって、俺の被害者たちはそんなことでは納得しないだろう。

町はずれの踏切に来た。
踏切の警報機が鳴りだし、遮断機が下りる。
遠くに列車のヘッドライトが見える。

その時だ。
踏切の手前に立っていた女性が遮断棒を押し上げて踏切に入った。
そして、その女は踏切の線路の真ん中に座りこんだ。

俺はとっさに踏切に飛び込んだ。
「なにをするんや!」
叫び、女の体を抱きかかえ、俺は踏切の向こうの外まで走り去ろうとした。
女は激しく抵抗した。
それでも、俺は持てる力のすべてを使って女の体を踏切の向こうに押し出した。
その瞬間、俺は猛烈な衝撃を感じた。

そして気がつけば・・
こうしてたぶん、病院だろう場所で横たわっていたということだ。

報いとしてはこれほどふさわしい報いはない。
だが・・俺の被害者たちは俺がこうして報いを受けていることを知る由もなく、だから被害者たちは俺の無様な姿を見て喝采を叫ぶこともない。

暗くて静かなたぶん・・ベッドの上。
だが、体を触られる感触だけはわかるのだ。

それに、少し周りの音が聞こえているような気がする。
もう少し、はっきりと聞こえたら・・
俺はそう願う。
だが、他人をひどい目にあわせた俺が、そう願うのもまた勝手な話だと自分で苦笑する。

「パパ!」
耳元、くすぐったいような感触のその声は・・娘か・・

動けるようになったら、自首しないと・・

俺はぼんやり考えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする