story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

過去からの恋

2024年01月18日 21時26分36秒 | 小説

いつも乗る電車の中で時折出会う女性がいた。
肩までの黒髪、服装は基本的にフォーマルで、事務職か何かだろうか。
彼女は僕が通勤で使う郊外の駅のまだ前から乗っているらしかった。

その朝も件の女性を見かけた。
いつも乗る快速急行の前から3両目で、彼女はドアのところで壁にもたれ、手にはスマホを持っているものの、見るとはなしにドア窓の外を眺めている。
そう言えばほかの乗客のように一心にスマホを見ているわけではなく、時折目を落としたり、操作していたりするがすぐにまた視線は窓の向こうだ。
僕が降りるのは都心の駅だが、彼女はいつもまだ乗り続けていて、その駅で両側のドアが開いて大勢の乗客が錯綜する中、空いた座席に座るでもなく同じ所に立っている。
僕はここしばらくは、彼女がそのまま乗っていく列車を、ホームで見送るのが日課になっていた。

惚れているのかもしれない。
いや、惚れているのだろう、名前も素性も知らぬ女性に・・

彼女が乗った赤い列車が、発車して行ってすぐに別の方向への特急列車が入ってくる。
この駅では長く余韻に浸ることなどはできない。

夕方、職場の友人に誘われて自宅とは反対方向の繁華街でかなり呑んだ。
ずいぶん遅くなって、その駅から都心駅を経由して、いつも乗り降りする駅へ直通する準急に乗ろうとした。
駅のホームで乗車列に並んでいたが、ふっと、隣の列を見ると間違いない、今朝も見かけたあの女性がそこに立っていた。
どうやら僕と同じ電車に乗るようだ。

気持ちが高まり心臓の鼓動が聴こえる。
けれど、僕は彼女に声をかけるなんて大胆なことは出来っこない・・・
そう、この優柔不断さが三十をいくつも過ぎていながらいまだに彼女の一人もいない現状を招いている。
彼女に声をかけたい。
だが声を掛けてそれが上手くいかなかったら・・明日から通勤電車の時刻もしくは車両を変えねばならない・・そんなことまで考えてしまう。
「俺もたわけだよな、つまらんことばっか先に考えて動けんなんて」
乗りこんだ銀色の電車で、自嘲しながらも、やや離れた席に座っている彼女を見る。
走り出した電車で彼女の視線と僕の視線が一瞬交じり合った。
「あかん、気づかれた」
なにがダメなのか、僕は一瞬、俯いてしまった。
だがこの日はたらふく呑んでいる。
その状況にあっても時間差で深くなる酔いは思わぬことをしてしまう。

やがて都心駅でたくさんの乗客が乗ってきて、立ち客で彼女の姿も見えなくなる。
いくつかの停車駅を過ぎ、僕の下車駅が近づいてきた。
その頃になると車内は立ち客がちらほらという状況で、また彼女の姿もよく見えるようになった。
彼女はスマホを手に持ちながら視線は座っている座席の向かいの窓辺りに向いているようだ。
僕は自分の下車駅に電車が停車しても席を立たなかった。
意外だったのは彼女がその時、僕の方を見ていたことだ。
もしかして気づかれとるのか・・

準急電車はその駅から各駅停車になる。
そうして五つ目くらいの駅で彼女は席を立った。
僕は、すぐに出ると怪しまれると思い、彼女がドアを出てしばらく、十秒ほどして「ドアを閉めます」の案内があってから車両を出た。
彼女の後姿が見えている。
改札を抜け、彼女は駅を右に出ていく。
大きな葬祭関係の建物の脇を通り、小さな橋を渡る。
僕は20メートルほど離れて後を付けている。
まるで、ストーカーやねえかと自嘲しながら。
そのときだ、バイクの爆音がした。

バイクは二台通りかかり、こともあろうに彼女の横で停止した。
「おう、ねえちゃんよ、ちょっと遊ばへんか」
太い声が聞こえる。
「ちょっとくらい、かまへんやろが」
彼女は身体を避けるようにしてそこを通ろうとした。
男の一人がバイクを彼女の前に持ってくる。
「逃げんなや」
立ちすくむ彼女。

僕はその瞬間、何も考えずに走っていた。
「おいおまえら!」
男たちは僕の方を見た。
「僕の彼女に何をしとるのだ」
男の一人が笑う。
「お前の彼女?ほう、ホンマかいな」
「そうだ、まぎれものう、この人は僕の彼女だがね!」
男たちは彼女を見た。
「おい、こいつがお前の彼氏なんか」
彼女は即座に大きな声で答えた。
「そうです、彼氏です」
そう言って僕の方を向き直った。
「遅かったじゃない!」
思わず僕も「ごめんな、仕事で遅なって」と返す。
そうして精いっぱいの力で彼らを睨みつけた。

「頼りなさそうな彼氏やけど、ま、他を当たらなしゃあないのう」
ひとりがそう言い、男たちはバイクの爆音を上げて去っていった。

静かになった小さな橋のところで僕はへたり込んでしまった。
脂汗が吹いて出る。
「ありがとうございました」
彼女が声を掛けてくれる。
「いや、彼女だなんて失礼しました」
「いえいえ、嬉しかったですよ・・」
「でも、連中、恨んどらんでしょうか」
「多分大丈夫、あの人たち、関西弁だったしバイクも地元のナンバーじゃなかったし」
「だったらいいのですけど」
小さな川を並んで渡る。
「いつも同じ電車に乗っておられる方ですね」
彼女がふっと問いかけてくる。
「はい、いつもちょっと離れて・・」
「時折、見てますよね・・わたしに気があるのかなと」
「あ・・気づいておられたのですか」
「そりゃあ、毎日会う人で、ちらちらこちらを見ている人・・」
「ストーカーみたいで・・ごめんなさい」
「今日、助けてもらったからもういいですよ、明日からはお話出来る人ができたってことで」
彼女のアパートは川を渡ったすぐのところだった。

******

僕は荒涼とした大地にいる。
目の前は昨日まで自分がいた城だ。
部隊が城を出て追っていった敵には散々に打ち負かされ、同朋の多くが討ち死にし、その中を僕は一人、命からがら逃げ帰ってきたところだ。
はやく帰って戦などせず、田畑を耕そう・・とそればかり考えながら。
そして城が敵の手にわたっていることを知った。
敵には別動隊があって、城を裏手から攻めたのだろう。
城の中にはまだ、自分たちの妻子眷属がいるはずだ。

やがて女の悲鳴が上がる。
中に突撃して自分の妻を助けたい。
だが、城地から姿を見られただけでも向こうの矢の餌食になることは見えていた。
「やだぁ、やだぁ、」
女たちの集団が敵兵に囲まれ、縄で縛られて連れられて行く。
僕は思わず立ち上がった。
自分の妻の姿もあった。
「あんたぁ!」
刀を振り上げて敵に向かう・・勇気は出ずただ茫然と眺めてしまう。
敵兵は立ち尽くす僕にはただ嘲笑をくれただけで、矢を射ることもない。
「雑魚はいらねぇ・・どこかへ行きな!」
呆然と見送り、やがて僕はその場を去った。
もはや今世では妻に逢えぬかもしれぬ・・悲しみが大きかった。

******

なんだ、今朝の夢は・・
僕は自分の部屋で朝日を浴びながら妙にはっきりした夢を噛み締める。
別にテレビドラマで戦国時代ものを見たわけでもないし・・・

そう思いながら支度していつもの電車に乗るべく家を出る。
今日からは彼女と話しながら電車に乗れる・・
改札を入り、今日は銀色の電車が来た快速急行の3両目に乗る。
彼女はドアのところで立っていて、僕を見て微笑んでくれる。
「おはようございます、昨夜はありがとうございました!」
「あ、おはようございます・・」
「ね、四百年ぶりに助けてもらえたのって、嬉しい・・」
「四百年?」
「ゆうべ、夢を見ませんでしたか?」
「あ・・」

電車は郊外を突っ走る。

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