story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

鬼子母神と日蓮

2020年06月11日 23時28分46秒 | 小説

文永元年(千二百六十四年)
秋も深まる安房を進む、僧侶を囲む一行があった。

一行の中には僧の弟子とも思える若い僧や身分のありそうな武士とその郎党もいて、さながら小さな軍勢のようだ。
「上人様、このあたりは東条景信殿の領地ゆえ、少々お気を付けくださいませ」
馬上の武士が、やはり馬に乗った僧侶に声をかける。
「うむ、油断はならぬ・・・かの東条殿は拙僧をずっと恨み続けておるのでな」
そう言って苦笑する。

僧侶は前年に伊豆の流罪から放免された日蓮、武士はこの近く、天津の地頭である工藤吉隆という壮年である。

日蓮は、自らの生母が深い病と知り、見舞いに天津小湊を訪れていたものだったが、祈りの甲斐あってか日蓮の母は深刻な病状を脱し、快癒できた。
鎌倉へは君津から船を使う予定だが、その途次に日蓮の熱心な信者である工藤吉隆は日蓮を自分の館に招いて講義をしてもらった。

その講義の感動冷めやらぬまま、工藤吉隆は日蓮を今宵の宿所まで警備についてきたのである。
「それにしても、東条殿はいつごろから上人様を恨んでおられるのでしょう」
馬を並べて吉隆が日蓮に訊く。
日蓮は馬の扱いが僧とは思えぬほどに巧く、心地よさげに馬の揺れに身体を任せている。
「あれは、拙僧が清澄寺において南無妙法蓮華経と唱えたその日から、もう十年以上になる」
「しつこい奴ですな」
「さよう、ただ、拙僧にとっては彼もまた善知識、批判をされることにより我自らも進んでいけるとは思う」

吉隆は何度か東条景信と会ったことがある。
天津と東条は境を接していて、いわば隣人でもあるのだ。

一度、幕府に出仕した時、若宮大路の御所で出会ったこともあった。
「工藤殿」
声をかけてきたのは東条景信の方だ。
「貴殿も日蓮に被れていると聞いたがまことか」
「ああ、日蓮上人のお教えは本当に素晴らしいと恩っている」
景信は目を怒らせて吉隆に対峙する。
「日蓮が素晴らしいだと。わが安房において念仏を捨てよ、さなくば地獄に落ちるべし、とのたもうた大悪僧であるぞ。師匠もおられ永年の修行に出してくれたその恩も忘れ、清澄寺を裏切ったのだぞ」顔を真っ赤にして目の前に仁王立ちする景信に吉隆は閉口し、そこが幕府の館ということもあり騒ぎになると面倒と、「東条殿、ここは御所であるが故、議論はまたの機会にいたしましょうぞ」と諭してその場を離れた。

まさか、地頭たるもの、武力を持たぬ僧になど手出しはせぬとも思うが、その真っ赤に猛り狂った表情を思い出すと不安になるのだ。


一行が海岸沿いの曲がりくねった道を行くと、近くで女性が怒鳴る声が聞こえた。
子供の泣き声も続く。
それも一人や二人ではない。
何人もの子供が泣きながら詫びているようだ。

「なんだろう・・」
日蓮が訝しがる。
そのまま進むと、海辺のあばら屋の脇で、数人の子供を女が叱り飛ばしているのが見えた。

女は自分の腕に幼児になった年頃の子を抱いている。


「なんで、こんな小さな子に、あんな高いところから飛び降りさせたんだって聞いてるんだよ」
女の前にいる数人の子供は十歳前後だろうか。
ぶたれたのだろうか、頬を赤く腫らしている子もある。
女が抱いている幼児は膝に怪我をしているようで、出血していた。
「こら、答えなよ!」
女は並ぶ子供たちの一人に迫っていく。
腕を大きく上げてまさに、頬を打とうとするとき、日蓮が太く大きな声を上げた。
「待たれよ、女子どの!」
女は馬に乗った僧や武士の一行を見て少し怯んだようだ。
「どこの子であっても、手にかけてよいことなどありませぬぞ」
日蓮は女を睨みつける。
女はその日蓮をぐっと睨む。

「御坊、うちの子はこんなに怪我をさせられた。なぜに怒ってはいけないのか」
日蓮は馬を下りて、女の元へ寄った。
「見せてごらんなさい」
そう言って、女が抱えている子どもの膝を見た。
「日郎、膏薬があったであろう」
一行の若い僧に声をかける。
「よく拭いて、膏薬を塗って布で縛ってあげなさい」
「は!」
日郎と呼ばれた青年僧は荷物の中から膏薬と手ぬぐいを取り出し、女が抱いている子どもの膝にそっと手を添えた。
「痛くないか、もし膝を曲げて痛いようなら私に言っておくれ」
日郎は子供と女と両方を見て声をかけ、子どもの膝を動かしてみた。
子どもは痛いという顔をするが、泣くほどではないらしい。
「折れてはおらぬようです。傷だけなのでこうして数日置けば癒えるでしょう」
手当が終わり、日郎は女にそういう。
女は何も言えず、日郎の為すことを見ていた。

日蓮が女の子供の手当てを済ませた日郎にさらに声をかける。
「そこの、ぶたれて頬が赤くなっている子たちにも膏薬を塗ってあげようか」
先ほどの叱られていた子供たちは立ちすくんだまま、一行がすることを見ていた。
「は、では順に・・・」
日郎は返事をして、子どもたちの頬にもゆっくりと膏薬を塗りこんでいく。

全てが終わり、日蓮は女に声をかけた。
「子供の遊びで怪我は付き物、いちいち目くじらを立てるべきものではないと思うが」
女は日蓮を見つめて何も言わない。
「あなたは、自分の子供が特に可愛いのでしょう、それは何も特別なことではなく、母親としては当たり前のことです」
女はやっと軽く頷いた。
「でも、どの子の親も自分の子供が可愛いのです。子供一人一人に親があって、我が子を本当に愛おしいと思っている。あなたも、他の親も同じです」
「はい」
女は小さく答えた。
「どうか、あなたに子供の頬をぶたれたその子の親がどう思うか、想像してみてください。悲しくて腹が立って、今度はあなたにきつく言ってくるかもしれません」
「でも、悪いのはあの子たちです」
今度は少し強く、女が言う。
「子供の世界のことは子供に任せましょう、親が出しゃばっては、子供はなかなか仲間に入れないし、よほど危ない時だけは見ておかねばなりませぬが此度はさほどの心配は要らなさそうです」
「おらたち、こいつはまだ小さいから、あそこから飛び降りたらだめだって、止めたんだ」
子どもの一人が日蓮に言う。
悔しくて仕方がないようで、目に涙をためている。
子どもが指さす先には大きな岩があって、その下は砂浜だ。
「なるほど、あそこは少し高いね」
日郎が子供たちに寄り添っていく。

「子供には子供なりの社会があると、わたしは思います」
日蓮はそう女を諭す。

女は少し考えていたようだが顔を上げた。
なにか反発したそうだったが、それを飲み込んではっきりと言う。
「分かりました。御坊はさぞかし、名のある方でございましょう。御名をお聞かせください」
「拙僧は名乗るほどのものではございませんが、名乗らねばこの場合は失礼かと存じます。日蓮と申します。小湊にいる母を見舞って鎌倉へ戻るところです」
「日蓮様ですか、このご恩は忘れませぬ」
「わたしのことなどお忘れいただいても構いませんが、他所のお子でもご自分のお子と同じように大切に思って下さることだけはお忘れなきように」
「忘れないように努力します。忘れた時は御坊のお顔を思い出します」
「そうそう、この坊主の顔を思い出してくだされ」
日蓮は笑う。
「おらはオニと申します」
「これはこれは、オニどの、鬼もまた仏教の守護神、また会いましょう」

一行がそこを離れた時には日が暮れる寸前になっていた。
「あのオニという女性(にょしょう)、なんだか、鬼子母神みたいですね」
日郎がふっと口に出した。
「しかし、鬼子母神と言うのは五百人の子供があったんでしょう」
工藤吉隆が返す。
「五百人の子供というのが鬼子母神の話で大切なことではなく、それは可愛がる度合いの大きさを表しているだけなのだ」
日蓮は苦笑しながら口をはさんだ。

ちょうど一行が松原に差し掛かった時、笛の音が聞こえた。
「危のうございます!」
吉隆が叫ぶ。
いきなり、松の大木の間から矢が飛んできた。
「上人様、樹の陰に!」
吉隆が叫ぶが、彼の周りは刀を持った武装兵で囲まれている。
武装兵は数百人はいるだろうか、まったく戦時の軍そのものである。
日郎は必死に日蓮の馬を宥めて曳き、樹の陰の隠れようとした。

日暁という同行の僧一人が武装兵に斬られた。
彼は元々が武士で、仏門に入り、その後に日蓮の法門に帰依した人物だった。
吉隆は日暁を助けようとしたが、周りを武装兵に囲まれて、全身を斬られその場で絶命した。
日蓮にも武装兵がせまり、額を斬られ、腕を折られた。
「これまでか」さすがの日蓮も覚悟を決めた時、馬で迫ってくる武士が夕景の中で見えた。
「東条殿か!」
日蓮が叫ぶ。
「如何にも!ご覚悟あれ!」
馬に乗った武士は突進してくるが、いきなり馬が脚をくじいた。
馬上の景信は放り出され、大木に身体を打ち付けて地面に叩きつけられた。

東条の郎党が集まってくる。
彼らが動揺しているとき、さっと、日蓮の袖を引くものがあった。
「こちらへ」
女の声だ。
先程会ったばかりの女の声だ。

誘われるままに日蓮と日郎ほか、数人が女とその郎党たちに連れられてその場を離れた。
「御坊が村を離れた時に、兵が後を追っていくのが見えました」
女は声を潜めててそう言い、彼らを少し離れた岩屋の奥に押し込んだ。
「ここなら気付かれることもないかと、しばし、ここでお休みください」
女の言葉に日蓮はほっと一息をつく。

「この周りを警備で固めよ」
女は仲間にそう叫ぶ。
「しばし、お待ちを・・・」
そう言ってその場から離れた。

やがて、その岩屋に先ほどの襲撃で傷ついたものたちが運ばれてきた。
「上人様、ご無事でしたか・・」男におぶわれてきた日暁はやっとそれだけ言うと、目をつぶってしまう。

秋の終わりの日暮れは早い。
周囲は暗くなってしまった。
日郎が荷物から燭台をだし、明かりを灯す。

「残念ながら・・この方は亡くなられています」
女の仲間の一人がそういう。
工藤吉隆は全身から血を流し横たえられていた。
「工藤殿・・・」
日蓮は泣いた。
「如来現在猶多怨嫉 況滅度後」
・・此の経は如来の現在すらなお怨嫉多し、いわんや滅度の後をや・・
(如来→釈迦のこと、滅度の後→釈迦が亡くなったのち)
法華経法師品にある言葉である。
だが、日蓮はその経を身をもって読んだことを知ると同時に、自身の不甲斐なさを強く感じていた。
弟子を死なせてしまった・・
これからもこのようなことが続くのだろうか。
「教主釈尊、わたしはこれからも、このような思いをしなければならないのでしょうか」
横たわる怪我人を手探りで診ながら、岩屋の入り口に向かって泣く日蓮だった。

「食べ物と水と、何か寒さを防ぐものをと持ってまいりました」
女の声がした。
「オニどの・・・」
日郎が感極まったように声を出した。
「遅くなり、大変失礼しました、此度はわが夫とその郎党に無理を聞いてもらいました」
オニは暗がりの中で凛とした声を出した。
彼女と夫は仲間に適切に指図をし、寒さと怖さに震える同行者たちに食事と綿などを配った。
日郎は持っている限りの膏薬と布切れを使って負傷者の応急措置をする。

日蓮にも日郎にもオニとその夫、郎党が仏教を守護する諸天善神にみえた。
「教主釈尊、此度は鬼子母神を派遣していただき、誠にかたじけなく、ありがとうござりました」
日蓮は少し落ち着いてから岩屋の外に向かってゆっくりと題目を唱える。
動揺していた心が鎮まっていくのを感じた。
だが、今後は弟子たちに命に及ぶ難があってはならない、これは自分の祈りの弱さでもあるのだと彼はそう顧みて誓う。

鬼子母神が現れて日蓮一行を助けた伝説は、こうしてこの地域に根付いていった。


鬼子母神:

釈尊在世の時、500人の子供を持つ女がいた。
彼女はその子たちを育てるために他人の子を攫ってはその肉を食らうということを繰り返し、土地の人たちから恐れられていた。
これを見かねた釈尊は、女の末っ子を隠した。
末っ子がいなくなったことで嘆き悲しみ気がふれそうになった女は、釈尊に相談をした。
「多くの子を持ちながら、一人を失っただけであなたはそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、たった一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか」と女を叱る。
「仏教に帰依し人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐに末っ子に会えるだろう」と諭した。
女は釈尊のいうとおりに仏教に帰依し、やがて末っ子は元気に帰ってきた。
この説話が鬼子母神信仰の元だとされる。

なお、本作品はあくまでも史実を参考にした創作であり、宗教的な意義とは程遠いところにあると認識している。
宗教的意義からのご意見などは固くお断りさせていただきます。

 

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