言の葉綴り

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共同幻想論 ③ 起源論…その2

2020-08-12 12:26:00 | 言の葉綴り

言の葉99 共同幻想論 

③起源論その2




NHKテキスト20207月 ●Eテレ100de名著

吉本隆明『共同幻想論』

著者 先崎彰容 より




吉本隆明全著作集11 思想論II             共同幻想論 著者吉本隆明 発行所勁草書房 昭和四七年九月三〇日第一印刷発行 より抜粋


起源論その2


この問題を〈法〉的な側面から検討してみよう。

魏志によれば邪馬台的な段階の倭国では〈法〉を犯すと、軽い者はその妻子を没収し、重いものは一族と親族を滅した。また祖調をとりたてた。また国々には市場が立ち、そこで物品の交換がおこなわれ、邪馬台からの派遣官によって監督された。

くだって『隋書倭国伝』はやや後世におけるおそらく大和王権によって統一部族国家が出現したあとの〈法〉について記している。

それによれば、殺人、強盗および姦淫するものは死罪であり、盗みにたいしては盗品に応じて物品を弁償させ、財のないものはその身を没して使奴とした。そのほかの罪にたいしては軽重によって流罪あるいは杖刑にした。また、罪状を追及しても自白しないものは、木をもって膝を圧し、あるいは強弓を張って弦で頸すじを鋸した。あるいは小石を沸いた湯の中において、訴訟の双方にこの小石を拾わせ、手が爛れるほうを不正あるものとした。また蛇をかめの中において、手でつかませ、不正なものは噛まれるとした。

隋書の記載は推古期に関連しており、聖徳による憲法が制定されたころの記載であり、すでに安定したかなり強大な部族国家権力の成立をうかがわせる。これにくらべれば魏志の記載の段階では、それほど法的な整序性はないとしても、すでに安定した政治体制の成立なしにはとうていかんがえられない統御がおこなわれている。このいずれのばあいも、わたしたちが〈国家〉のプリミティヴな構成とみなすものからくらべれば、はるかに新しく高度な段階にあるといえる。どんな意味でも、これらの記載から〈国家〉の起源を論ずることができないものである。

わたしたちがここで関心をもつのは起源的な〈国家〉における〈共同幻想〉の構成であるが、じっさいには魏志に記された倭の三十国でさえ列島のどこにあったかを断定する手段は存在していない。ただ風俗や習慣についての断片的な記載から海辺に面した九州地方の〈国家〉をさしているだろうと推定できるだけである。

魏志によれば、倭の漁夫たちは、水にもぐって魚や貝を取り、顔や躰にいれずみ(いれずみに傍点、以下同じ)して魚や水鳥にたいする擬装とした。このいれずみはのちには装飾の意味をもつようになった。諸国によっていれずみの個処や大小のちがい、身分によってもちがっていた。

わたしたちの知見では、漁夫たちは近代になっても顔をのぞけば全身にいれずみしていたものが珍しくなかったから、このような記載からただちにその〈国家〉の所在した地域を推定することはできない。ただ、いれずみの個処や大小のちがいや文様によって身分や地域が異なるという記載についていえば、このような俗習がはっきりと知られているのは、わが南島についてである。

小原一夫の論文『南島の入墨(針突)に就て」は、わが南島では島ごとに女たちのいれずみの文様と個処がちがっており、その観念は「夫欲しさも一といき 刀自欲しさも一といき 彩入墨欲しさは命かぎり」という歌にあるように宗教的ともいえる永続観念にもとずいているとのべている。そして、奄美大島で魚の型をしたいれずみをした老婆たちに、なぜ魚の型をしたいれずみをしたかときくと「魚がよく取れるように」と一人がこたえ、他のものはわからぬとこたえたとのべている。また、沖永良部島で左手の文様を「アマム」とよび「ヤドカリ」をシンボライズした動物紋で、島の女たちは質問にこたえて、先祖は『アマム」から生まれてきたものであるから、その子孫であるじぶんたちも「アマム」の模様をいれずみしたのだとこたえたと記している。

小原一夫によれば、南島のいれずみの観念も〈婚姻〉に関係した永続観念と〈海〉に関係した南方からきたらしい信仰的な観念とが複合しているらしいとされているが、魏志に記された漁夫たちのいれずみと身分や地域によって異なるいれずみとはまったくちがった意味をもつものの複合らしくおもわれる。ただ魏志における漁夫のいれずみは観念の層としては、南島の女性たちによってなされたいれずみの観念よりも新しいだろうと推測することができよう。なぜならば、魏志に記されている漁夫たちのいれずみは宗教的な意味をすでにうしなっており、ただ装飾性や生活のためにや必要な擬装の意味しかもっていないからである。


(中略)


わたしたちはここで『古事記』の神代および初期天皇群についての記載と『魏志倭人伝』の記載とをいかに関係づけ、いかに接続しうるかという問題に当面する。

魏志の記載につけばわたしたちは邪馬台国家群をモデルにしてつぎのような〈共同幻想〉の構造を想定することができる。

いくつかの既知の国家群があるとそのなかに中心的な国家があり、そこでは宗教的な権力と権威と強制力とを具現した女王がいて、この女王の〈兄弟〉が政治的な実権を掌握している。その王権のもとに管制があり主要な大官とそれを補佐する官人がある。この上層官僚は〈ヒコ〉とか〈ミミ〉とか〈ワケ〉とか呼ばれて国政を担当している。下層の官としては各戸を掌握する〈イナキ〉があり、〈イナキ〉の上位は国政にむすびつくか、〈アガタ〉にむすびついている。

中心的な国家は連合している国家群におそらくは補佐的な副大官を派遣して各国家群の大官あるいは国王にたいし補佐と監視をかねている。

初期の段階ではいかなる官によって司られていたかは不明であるが、刑事と民事についての司法官が存在し、殺人、盗み、農耕についての争い、婚姻にまつわる破戒などについての訴訟が決裁されている。

各村落は海辺では漁獲と農耕に従事する戸人がおり、河川に沿った平野や上流の盆地では農耕がおもに営まれ、山間では鳥獣の捕獲、農耕用具の製造などに従事する移動部族がいる。村落の戸人にとっておそらく〈イナキ〉あるいは〈イナキ〉に結びついたものが首長である。そしてその由来は確立できないが村落のの戸人たちの下層には群がいる。おそらくは村落のの争いにおける戦敗や犯罪行為などによって戸人を没収された同族または先住あるいは後住の異族である。大陸に対してはこれと接涉する官を適所に派遣してこれにあたらせている。

そして初期においてこのような国家連合は、大陸から照明されたかぎりでは三十国であるが、わが列島の全体にわたっては百余国である。


(中略)


わたしのかんがえでは、魏志の邪馬台国家群はかなり高度な新しい〈国家〉の段階にあるとみるべきであって、すこしもその権力の構成(ゲシュタルト)は〈原始〉的ではない。

しかしそれにもかかわらずその〈共同幻想〉の構成(ゲシュタルト)は上層構造部分で強く氏族的(あるいは前氏族的)な遺制を保存している。そしてその保存の仕方は、邪馬台についてみればきわめて呪術的で政治権力に対して不関的であるとさえいえる。いいかえれば世襲的な王位の継承はおそらく宗権的あるいはシャーマン的な呪力の継承という意味が強大であって、かれら自身によって政治権力の掌握とは一応別個のものとかんがえられていた公算がおおきい。そして邪馬台が女王権を保持したという記録は、この世襲的な呪術的王位の継承に関するかぎりは氏族的(前氏族的)な〈兄弟〉と〈姉妹〉が神権と政権を分担する権威を保存していたとみることができる。

この世襲的な宗教的王権に関するかぎり、魏志の邪馬台的な〈国家〉に起源的な〈家族〉および〈国家〉本質からつぎのような段階をへて転化したものと想定することができる。

(一)〈家族〉〈戸〉における〈兄弟〉←→〈姉妹〉婚の禁制。〈父母〉←→〈息娘〉婚の罪制。

(二)漁撈権と農耕権の占有と土地の私有の発生。

(三)村落における血縁共同制崩壊。〈戸〉の成立。〈〉層と〈大人(首長)〉層の成立。

(四)部族的な共同体の成立。いいかえれば〈クニ〉の成立。

これらの前邪馬台的な段階の期間はおそらく邪馬台から現代にいたる期間よりはるかに多くの年数を想定しなければならないだろう。

ところで邪馬台的な段階の〈国家〉は、世襲的な王権以外の政治的な構成については、かなり高度に発達したものとかんがえるべきで、そこには行政、司法、外交、軍事にわたる

諸分権が確定されている。

たとえば魏志の記載によれば、邪馬台的な国家の段階では殺人、強盗などについて〈家族〉や宗族の資格を没収するというような刑罰が確立されていたとみられるが、このような刑罰は、すでに強力な政治的権威なしには不可能なものと見做すことができよう。







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