言の葉綴り

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信の構造3 天皇制・宗教論集成 吉本隆明 ③天皇制および日本宗教の諸問題その2 3| 宗教としての天皇制の起源、4|制度としての天皇制

2022-01-16 09:36:00 | 言の葉綴り

131〈信〉の構造天皇制・宗教論集成

吉本隆明

③天皇制および日本宗教の諸問題その2

3| 宗教としての天皇制の起源、4|制度としての天皇制


投稿者 古賀克之助





〈信〉の構造3ーー天皇制・宗教論集成

○○四年十二月十五日 新装版第一刷発行 著者ー吉本隆明 発行所ー株式会社春秋社

天皇制および日本宗教の諸問題より抜粋







3| 宗教としての天皇制の起源



ーーその「宗教としての天皇制」を吉本さんはもうすこし詳しく言っておられます。空間的には「来訪神」で、時間的には「祖先崇拝」であると。その「来訪神」は、ある意味では外からやってきたものです。「 祖先崇拝」は、縄文時代というとずいぶん長いんですが、天皇制もやっぱり途中で日本民族のなかに生まれてきたというふうにおもわれます。

そこで、その以前からの日本民族の宗教思想と、そこに入ってきた、天皇崇拝としての新しい宗教とは、どのように関係するんでしょうか。


そこがいちばん難しいところでしょう。曖昧でわかりにくいところなんじゃないでしょうか。そこを解明しなければ、天皇制を解明したことにはならない。山口昌男のように、アフリカ王権のあり方から天皇制のことを云っても、何も云ったことにはならないとおもいます。それで、じぶんの関心のありどころがもっぱらそのへんに集約してきているとおもっているわけです。そして、いまのほうが以前よりいくらかわかってきてるんじゃないかなとおもっています。

「来訪神」という意味は、二つあります。「水平来訪神」と「垂直来訪神」です。来訪神の信仰は、実際にそとからやってきたかどうかとは、あまり関係がないことだとおもいます。つまり、海の彼方に原郷があって、そこから神々がやってくるという信仰があります。また、高い所に岩とか名だたる巨木というものを伝わって、神は天のほうからやってくるという信仰があります。その両方の痕跡があります。それは地域、地勢によるんです。ほんとうに小さい島で、すぐに海に出ちゃうようなところでしたら、天からやってくるという信仰よりも、海の向こうからやってくるという信仰、つまり、水平的に来訪神をかんがえやすいし、また、そういう信仰の要素が多いかもしれません。ところが、盆地の村里みたいなところでは、山の頂とか、部落の外れの森の、名だたる樹木を伝わって、神は上のほうから垂直に地上に降りてくるという信仰になります。これが「来訪神」にたいする考え方の二つのあり方ではないでしょうか。

だから、天からやってくると信じているのはある種族で、海の向こうからやってくると信じているのは、またちがう種族であるとかんがえて結びつけると、まちがえてしまう気がします。地域、地勢で、いかようにも変換しますから。いま、いちばんわからないとおもえるのは、その信仰がいつからはじまったかということです。これには、二つないし三つの考え方があります。

ひとつは、江上波夫さんのいうように、天皇制は騎馬民族で外からやってきた王権だというものです。この考え方からすれば、その信仰の歴史はせいぜい千数百年を出ないわけです。つまり、天皇制のはじまりからしかないわけです。

もうひとつは、農耕村落ないし海辺の村落(漁村)にある太古からの信仰なんだというものです。あとあとに残っている痕跡からいいますと、それは縄文時代からの信仰ということになります。

それから磐座信仰とか樹木信仰で、それは縄文時代からの信仰だということになります。

とにかく、ある時期にある勢力を持った王権のはじまりは、その土地のその時における信仰を受け入れ、それを儀礼化して代々やってきたんだという観点になります。これらの三つの観点を明瞭なかたちて確定することは、、いまのところ不可能だとおもいます。ただ、わからないけれども、詰めるところはそこなんだ、というふうにおもっています。そこが天皇制のいちばんの問題のようにおもえます。

だから、さしあたって、言葉の面からと、『古事記』『日本書紀』という神話的な面からふりわけしたいわけです。これは大和朝廷的(古代的)、これは弥生的、これは縄文的というふうに。大ざっぱにいうと、縄文的というのは、「アフリカ的」という世界史的段階に該当するとおもいます。弥生的というのは、「アジア的」に該当するとおもいます。

もうひとつは、梅原猛さんがやっておられるアイヌが残している信仰は縄文的だという観点。アイヌ人は縄文人の末裔で、かなりよく混血とかを避けてきて、孤立した村落をつくってきたものですから、縄文時代の、信仰から言葉からいろんなものがのこっているというのです。

それから、柳田國男のように、民俗学的にさまざまな習俗とか考古学的遺物をよく探っていって、そこから制度を再現するといいましょうか信仰を再現する。たとえば、土偶があれば、土偶とはどういう信仰と関係があるか、信仰のかたちを再現する。沖縄もそうです。縄文期から民俗学的にも言葉の上からも探ることができます。

それらをぜんぶ総合していかないと、とうてい到達できないでしょう。縄文信仰と、社会のあり方と、言葉のあり方とがはっきりしてきたら、天皇の問題はそれよりは新しいことは確実ですから、それは解明したということになるとおもうんです。

ただ、天皇制だって、じぶんたちは縄文時代からちゃんと日本列島にいると神話では云っているわけです。いまでいえば宮崎県の延岡から車で三、四時間で行ける日向国の山奥のところが、じぶんたちの出身地で、天から降りてきたんだと云ったいるわけです。それを否定するのは、そんなに簡単ではないとおもいます。

天から降りてきたというのは何かといったら、神は天上から山の頂に降りてくるものだとか、樹木を伝わって降りてくるものだという信仰をもっていた、ということですよ。その信仰は古いんだよ、ということをじぶんたちは云っているわけです。つまり、じぶんたちの祖先を縄文人だと云っているわけです。だいたい、あの辺は縄文中期から晩期の村落があったところですからね。あるいは江上さんのいうとおり、大陸から来たのかもしれない。千何百年前に来ただけなのかもしれない。しかし少なくとも天皇制自身の神話は、そうは云ってないんです。

だから現在、もし、歴史とか、考古学とか、民俗学とかが天皇制に関してなにかを解明しようというなら、そこが各人各節のせめぎあうところだとおもいます。



4| 制度としての天皇制


ーーいまおっしゃったように、宗教としての天皇制はの起源はたいへん古く、またいろいろな説があって、それを確定するのは困難だということですが、ちょっと位相を変えまして、宗教としての天皇制だけではなくて、制度としての天皇制の問題についても、お話をうかがいたいとおもいます。

吉本さんは、資本主義が倒れたら天皇制はなくなるという意味での天皇制は次第に衰退していき、そしてなくなるだろうということを言っておられます。

しかし、戦後の「象徴天皇制」は、民主的な世の中で個人の自覚なり人権なりがかなり発達した時代にあって、なおかつ、国民の七割以上の支持があるという、そういう統計もありまして、「象徴天皇制」は、ある意味でたいへん受けているわけです。最近の天皇の重病なんかに関しても、若い人がかなり自発的に記帳に行ったりして、天皇は気の毒だというような、ヒューマンなある種の心情的な感性が一般的にあるわけです。「象徴天皇制」は、天皇制を延命させるための巧妙なやり方であったとおもうし、自然の成り行きだったともおもいますが、簡単になくなるような気は、私はあまりしないんです。資本主義の運命というのも、これまた倒れるといってもなかなか倒れない……

そこで、いわゆる制度としての天皇制が

どのあたりまで行くだろうか、また、その問題と宗教性としての天皇制との関連はどういうことか、そのへんのことをおうかがいしたいとおもいます。


笠原さんの云われたように、日本の資本主義が倒れれば、もちろん天皇制は根底からなくなってしまうだろうというふうにおもいます。しかし、この問題をもうすこし具象性を加えたところでいえば、日本の農耕社会がなくなったときには、天皇制はなくなるだろうとおもいます。そのときに、日本の資本主義はなくなっていないかもしれませんが。ただ、なくなるといっても、制度としての天皇制、つまり、「日本国民統合の象徴」であると憲法に云われているものはなくならないかもしれない。ぼくの解釈のしかたは、あっても、なきがごとき存在のしかたというのはあるわけで、そうなるだろうなということは云えるような気がします。

これは農業社会でも同じで、毎年毎年、農業人口は減っているし、耕地面積も減っていますから、これをそのままの割合で外挿しますと、ぼくが計算したところでは、零になるには二百年かかります。だけど、ぼくはなくならないとおもいます。つまり、いま、専業農家は、全農家の一五六パーセントくらいです。それがたぶん、一パーセント以下のところでとまって、日本社会から農業はなくならないとおもいます。ハイテク産業になるかどうかはわかりませんが、専業農家はそのぐらいのパーセントで存続するだろうと予測します。

そういう予測とパラレルにいえば、「天皇は日本国民の統合」であるという規定はのこり、伝統文化の保持者みたいなかたちでのこるかもしれない。でも、そういうふうにのこっているものを、ほんとうにのこっているというかどうか。のこっていても、形だけのこっているというかどうか、存続するか否かという問題でいえば、天皇制の問題はそれでよろしいんじゃないかとおもっています。

それから、笠原さんが云われた記帳に行く人についても、個々のケースで探っていけば、人さまざまな気持ちだとおもいます。大ざっぱにいえば、象徴天皇制として、天皇は国民統合の象徴ということで、それだけの敬愛を受けている。若い人だって一種の敬愛の念はあるんだということと、もうひとつは、やっぱり昔ながらの、現人神とはいわないまでも伝統的な天皇制というものにたいする感じ方があって、それで心配して記帳に行くとか、その両方がまじっているとおもいます。

それから、もうひとつの要素があります。それは、偉大さとしては最後の天皇(「最後」というのは、存続するかしないかという意味ではなく)だということは、若い人もお年寄りの人もみんな、無意識のうちに知っているんじゃないでしょうか。だからこれは、そうとうすごいことなんだとおもう気持ちがどこかにあるんじゃないでしょうか。「偉大な最後の天皇」が死ぬ生きるかというところだから、これだけたくさんの人が記帳しに行ったのではないか、というのがぼくの理解のしかたです。


ーーその「偉大さ」というのはこういう意味でしょうか。いまの天皇が象徴天皇になったのは、昭和二十一年からですから、それまでの明治、大正、昭和ときた天皇のもっていた偉大さ、とくに明治天皇なんかそうですね。それをいまの天皇がずっと引きずっていて、いまもそれがのこっている、という意味ですか。今度即位するであろう皇太子になると、もう完全に象徴天皇だけのかたちでつづく。だから、そういう意味での地位としての偉大さがなくなる。ところが昭和の天皇は、そういう時代的なものをまだもっているという意味ですか。


そういう意味でもありますが、ぼくが云いたいのは、そうじゃなくて、第一に、神聖なる現人神から人間天皇へ激変したというか、それを一身に体験しているわけです。そんな天皇は、歴代の天皇のなかにないんです。つまり、天皇制の歴史ではこれが最後といってもいいくらいで、とどめの「偉大な最後の天皇」だとぼくはおもいます。

たから、民衆のイデオロギーが左であろうと右であろうと、無意識のうちでは、そうおもっているとおもいます。日本の知識人を見ても同じです。連中の騒ぎ方を見てごらんなさい。ぼくに云わせれば、あんなの冗談じゃないわけです。あの騒ぎ方は、やっぱり無意識のうちに偉大だとおもっているからです。そうじゃなければ、あんな騒ぎ方はしないです。


ーーなるほど、保守的というか、そういう人たちが天皇を利用しようとしてやっていることにたいして、また反対の運動をしょうという左翼知識人も、すでに潜在的にその偉大さというのを認めていると、こういうことですね。


そうだとおもいます。個々に聞いてみれば、そう云うとおもいます。小田実に、この天皇をどうおもうかときいたら、やっぱり、偉大だと云うとおもいますね。あの人たちは象徴天皇制はつづくとおもっているかもしれないが、ぼくは、最後の偉大な天皇とおもっています。あとはつづいても形骸だけです。いま申しあげましたとおり、まだ解明すべき点がたくさんありますが、天皇制が農耕社会の象徴としてはじまったことは確かなんで、そして象徴としてなくなるだろうということも確かですね。それは、まちがいないだろうとおもいます。



ーー天皇制が、おっしゃられるようなかたちになるとして、たとえば、いまの天皇が亡くなったあと、すぐにということではないにしても、将来、天皇制がなんらかのかたちでたいへん衰微して、新しい元首大統領というようなものを選挙で選ぶとかということに、日本では簡単にならないと私はおもうんてます。

やっぱり天皇は日本人の伝統意識といいますか美意識といいますか、あるいは儀式志向といいますか、そういうものの象徴として憲法上の象徴だけじゃなくて、あるとおもうんです。美しいとはかぎらないが、京都の古い文化をのこそうという気持ちとおなじようなものがあります。そうしますと、首相と天皇の二本立てというのが、複数文化の日本にはふさわしいんじゃないか、というようなことになるような気がするんです。吉本さんは、どうおもわれますか。



そこはなかなか日本人のわかりにくところだし、東洋人のわかりにくいところだとおもいます。それは脱アジアがどこまですすむかということにかかわるんじゃないでしょうか。その脱アジアが十全にすすんでいったとしたら、二つのかたちでしかのこらないような気がします。ひとつはいわゆるイギリスのような立憲君主制というかたち、もうひとつは、大統領制みたいなかたち、そのどちらかでしかのこらないんじゃないでしょうか。

だから、脱アジアということが、どこまで実際的にも意識的にもいくかということには、農業社会が零になるのに単純計算しても二百年かかるのとおなじように、かなりの年月がかかるでしょうが、いずれはなくなってしまうだろうということは確実なようにおもえます。そのあとどんな天皇制でも、形としてはどれだけのころうとどうということはない。どちらでも、どうであっても、けっこうなことだというふうになりそうな気がします。


(以下略)