言の葉綴り

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〈信〉の構造 吉本隆明•全仏教論集成1944.5〜1983.9 ⑧『最後の親鸞』のこと

2021-05-17 12:38:00 | 言の葉綴り

118〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成1944.51983.9

⑧『最後の親鸞』のこと


投稿者 古賀克之助







〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成

1944.51983.9 昭和五十八年十二月15日第一刷発行 著者吉本隆明 発行所 株式会社 春秋社 4『最後の親鸞』のこと より抜粋







『最後の親鸞』のこと







1


前略


『最後の親鸞』が、おおくの親鸞論や親鸞研究のあいだで、どういう意味をもちどういう位置が与えられるのか、わたしにはわからないし、そういうことは第二義以下のことにおもわれる。また、わたしの親鸞論の外在的な意義が、すこしも与えられなかったとしても、自分の思想詩の体験として充分に内在的な充実感が満たされていて、格別の不服もないとおもった。

ここで描き出された親鸞論は、あるいは宗教内部の人々が抱いているものと異なるかもしれない。これは致し方のないことである。〈信〉というものの構造を、極限まで解体してみせた親鸞の思想的な営為が、わたしにとって最大の魅力であり、また、最大の関心事であった。これは親鸞では、自己欺瞞の解体の仕方としてあらわれている。かれは僧侶であるゆえに思想家であるのではなく、思想がたまたま時代的に仏法の形としてあらわれたゆえに僧侶であるにすぎなかった。〈非僧非俗〉がその境涯を集約するところに、わたしは親鸞を描きたかった。そして親鸞が充分にこれに耐える思想家であることがわたしを喜ばせた。この本をまとめて胸のつかえがひとつおりた感じがしている。もう少しさきまで歩んでいけるかもしれない。


2


こんど『最後の親鸞』という本をつくった。読んでくれればその論旨は明瞭だといえばそれまでだが、いくつかの点でこの種の仏教的な思想家を俎上にのせるばあいに、眼に視えない困難があることを云っておくのが親切なことだと考える。簡単なところから入ってゆくと、現代の批評家といえども、パスカルを論じたり、ルッターを論じたりことはありうる。また現代の研究者がパスカルやルッターを対象にして論著をつくるというばあいもありうる。こういうばあい、読者は、現代にあって獲得している諸概念さえあれば、そのままこれらの論著にとりつき、読みとおすのに困難を覚えないだろう。困難があったとしても知識の有無に関することだけである。

ところが不思議なことに親鸞や道元や日蓮を対象にして作家や批評家が論著をつくったとしてみる。このばあいには現代の論者も読者も共に、現に獲得している諸概念で論ずることも読むこともきわめて難しいという事態が生ずる。論者の方は、抹香臭い雰囲気を掻き分けて、まず現代の諸概念の流通する広場へももってくることだけで、息が切れるほどの困難に出遇うのである。下手にこれをやろうとすると、現代のパターンで往古の時代の 仏教思想家を割りつけることになるし、のめり込めば自ら抹香臭い雰囲気をふりまくことになる。おおくの宗教家によって論じられた親鸞や道元や日蓮が、漢訳を通した抹香臭い雰囲気にどっぷり首をひたしたものになるのはそのためである。これは感覚的な云い方だから、すこし云い直すと仏教の諸概念に分け入るとき、すでにどっぷり抹香臭さにひたることなしに理解できないということになる。まして理解した上でひき返すのがとても困難なのだ。では、文学者や哲学者の書いた親鸞や道元や日蓮はどうか。云わぬが花というものだ。かれらは自前の思想なんぞ持ち合わせていないのだから、抹香臭さそのもののなかに思想をみることなどできようはずがない。読者もまた同じ困難さに遭遇する。親鸞や道元や日蓮という名辞が、すでに先験的に抹香臭いのだ。現代の読者はパスカルやルッターにとりつくおなじ虚心さで親鸞や道元や日蓮にとりつくことができない。またとりついてみたら予想どおりに抹香臭かったという失望感をしこたま体験することになる。本来的にいって、こういう馬鹿気たことは無いはずである。しかし、あらゆる意味で現在でも西欧の宗教思想とわが国の宗教思想を理解するについて、この種の倒錯した困難が存在することは疑いない。これをわが国の近代以後の思想と文学との悲劇的な、あるいは喜劇的な宿命とすればよいのか。この種の名状し難い困難に眼を閉じて比較文学などやっている連中の貌が、ひとしなみに間が抜けているのは当然でなければならぬ。

わたしは親鸞を論じながら、この種の眼に視えぬ困難ともっともおおく確執した。これを書くことに則していえば、どこへも責任をもってゆきようがない不毛な困難さであった。ともすればこの確執に負けそうにもなった。またこういう確執をとおして道をつけてくれていない近代以後の文学や思想の歴史に恨み言をもってゆきたい気持ちがした。読者がもし、『最後の親鸞』をパスカルやルッター論を読むのと同じように虚心に読むことができたとしたら、わたしにとっては大半の意味は成ったということになるし、名辞からして抹香臭いという先入見なしにとりついてくれたら、それ相応の世界が親鸞論なかに在ることがしれるだろうと思っている。

マックスウェーバーは、親鸞教の性格についてつぎのように云っている。


真宗は、クリシュナ崇拝から成長したインドのパクティ宗教意識ーーこれについては、まもなく論ずるーーに類似しているが、けれども、古代ヒンドゥ教の主知主義的救拯論から生じた一切の宗教意識に特有な、いかなる狂躁的恍惚的要素をも拒否しているという点では、パクティ宗教意識とは異なっている。阿弥陀仏は、救難聖人であり、それを信頼することが、ただ救済をもたらす内面的態度であった。それゆえ真宗は、僧侶の独身や出家主義(メンヒトウーム)一般を排除した唯一の仏教宗派であった。仏僧(ポルトガル人によって「坊主(ポンズ)」といやしめられた」は、妻帯し、ただ仕事のうえでは、特有の服装〔僧衣〕を着た僧侶であるが、その他の生活態度では、俗人のそれと変わるところはなかった。妻帯は、他の仏教的諸宗派においては、日本の内部であっても、外部であっても、戒律の堕落した産物であったが、真宗では、それは、多分にまず自覚的な現象として現れたのである。(『アジア宗教の基本的性格』池田山折日限訳)


インドから中国を経て極東の島国で開花した大乗仏教の一宗派の特徴を、これだけ概観できる透徹した理解力は、羨望にたえない気がする。わたしたちは、たぶん現在でも西欧のキリスト教の一地方的な小宗派の教義をこれだけ的確に概観することはできないだろう。だがウェーバーの方法の基本的な弱点も同時に、これだけの断片からでもみることはできる。ウェーバーにとっては、宗教は宗教であるという認識の世界普遍性が信じられている。けれどほんとうは、宗教は法や国家や倫理や政治や文学の、時代的な一変態であるにすぎない性格をもっている。現在でも〈科学〉的な識知が宗教的にあらわれたりしているのは、誰でも知っている。特に古来からの文化の辺縁地帯では、人間存在の仕方についての基本的な構えの考察と、その実行は、ある時代には仏教、ある時代には儒教、またある時代にはキリスト教の言語と教義的な迷路の仮面をつけてあらわれる。親鸞をはじめ中世の新仏教の創始者たちは、たんに宗教改革者だっただけでなく宗教の解体を体現している面をもっていた。特に親鸞ではその度合いが徹底的にであった。

真宗の始祖親鸞は信仰によって僧侶で在ったのではなく、知識がたまたま〈信〉の形をとらざるを得ない時代だったから僧侶にすぎなかった。また、僧侶だったから浄土門の経典を註釈したのではなく、思想がたまたま仏教の形をとらざるを得ない時代だったから、仏教的であったにすぎない。この意味は、ウェーバーの方法からはとうてい理解に達することはできないものである。特に親鸞にあらわれている口称念仏による往生論は、すでに大乗仏教におけるユートピアとしての浄土が、観念的な異空間に描くことができないものであることを象徴していた。つまり観想力による浄土のイメージは、親鸞ではすでに解体されていた。それが無意味なことは僧侶によっても民衆によっても、かなりはっきりと自覚されていた。親鸞はそれに思想的な内容をあたえたといいうる。それを根拠づけるために親鸞がやったことは〈善〉と〈悪〉との価値を転倒してみせることであった。かれは、ある絶対善にたいして、善行よりも悪行の方が近くにあるという概念を造りだした。ただこの悪行は、意志的に(あるいは目的意識的に)なされるかぎり、直ちに善行よりも絶対善にたいして、かえって迂回路に滑りこむという保留か与えられたのである。こういう理念は、ウェーバーがいうような意味では宗教的なものではなく、宗教からの逸脱であり、また宗教の解体であるといってよい。

宗教にたいする通念のうち、もうひとつ難解なのは、宗教すなわち観念論的迷蒙という概念が、どうしても支配的にでてくることである。また、浄土という概念がただちに空想的ユートピアだという考えに陥りやすいことである。これは一般に、ウェーバーのような実証的(と称する)方法が陥りやすい迷蒙である。宗教には、思想がユートピア的な構想をとらざるを得ない時代だったからユートピアが想定されたにすぎないという面がある。このことは逆に、現在〈科学〉と称する思想が宗教的に受容されている側面をもっているのとおなじである。日本における大乗仏教の浄土もそういう側面をもつものであった。ユートピア的な浄土の概念を捨てきれなかったがゆえに、日本の大乗仏教は、空想的「観念的なのではない。また、宗教が一般に空想的観念的なのでもない。ここを誤解しないことは、たぶん宗教を理解するばあいの要をなしている。おおくの宗教研究家(たとえば服部之総)はここのところを曲解し、曲解の歴史を造ってきた。かれらは宗教の宗派が、その教理のうちに実践的な性格をもつかどうか、実践的な反体制運動をしたかどうかに、宗派の進歩性と反動性を類別する基準をみつけようとした。あるいはある宗派が、どういう社会的な階層を基盤にしているかに、進歩が反動かを類別する目安をみつけようと試みてきた。そして信者層の社会経済的な基盤の分析に意を用いた。けれどこういう分析には本来的にいってかくべつ進歩か反動かを区別する目安は存在しない。また、そんなことにかくべつの宗教の意味は存在しない。宗教はどんな宗教であれ観念の構造そのもののなかに本質的な意義をもつもので、その現実的な形態に本質をもつものではない。ある宗派の観念の構造のなかに、時代の必然的な形がどのように正確に把えられ、どのような萌芽が在るかが問題のすべてであるといっても過言ではない。親鸞がユートピア的な浄土の観念をほとんど否定しようとしたところには、たんに時代的な〈信〉の解体を正確に把えている面だけではなく、それ以後に永続的になつながる課題にたいする漠然とした予見があったといってよい。

たぶんわたしがここで云っていることは、じぶんの著書にたいする外側からの予備的な前提と一般的な位置付けを読者に強要していることになっているとおもう。そしてそれは自分の著書を解説してみせることが、照れくさいことに起因している。








〈信〉の構造 吉本隆明•全仏教論集成1944.5〜1983.9 ⑦親鸞について…その3

2021-05-10 13:12:00 | 言の葉綴り

117〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成1944.51983.9

⑦親鸞についてその3


投稿者 古賀克之助







〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成

1944.51983.9 昭和五十八年十二月15日第一刷発行 著者吉本隆明 発行所 株式会社 春秋社 4親鸞について抜粋







親鸞についてその3


承前


そういう契機あるいは因縁、機縁ということを視点としてめぐってゆく人間の行為、あるいは人間の思想でもいいんですけども、そういうもののあり方というものを、『歎異抄』のなかの唯円と親鸞との問答はよく示しているようにおもいます。親鸞が絶対他力の考え方を、最後に解体させるさせ方の見事さというのは、ちょっとたとえようもありません。例えば、『弥陀の五劫思惟の願』というのは本願ということでしょうけども、よくよくみてみると、それは「親鸞一人が為なり」なんていうことをいうわけです。そういうふうに云っちゃったら、少なくとも宗派としての宗教は成り立たないことになるわけですけども、結局、そこまで云い切ってしまっているわけです。そうなれば理念宗教としては解体する以外にないというところだとおもいます。「それもてみな一人が為なり」というならば、それっきりじゃないか、それよりほか云いようがないじゃないかということになるわけでそういう解体のさせ方のポイントというものは、やっぱり最後に親鸞というのはやっているようにおもえます。その種の表現はいくらでもみつかります。それは善悪みたいなことでも、先ほど云いました、念仏称名して浄土へ往くか地獄へ往くか、そんなことは存知せずという云われ方もそうですけども、善悪についてもそうなんであって、そんなのはわからんよという云い方を到るところでやっています。こういうじぶんが最後にして最初というところで築いた浄土真宗の真髄である絶対他力みたいな考え方を、結局は自己解体させるというところにやっぱりいっているようにおもいます。

例えば晩年になってくると徹底していて、浄土真宗でも各地各方での分派闘争みたいなのが起って混乱が生ずるわけですけども、それにたいして親鸞は書簡でもって答えたりしているわけです。その中で、もう徹底しちゃって、じぶんは眼も衰えてしまった、どんなこともみんな忘れちゃった、だから浄土宗のことはたれか学者にでも聞いたほうがいいでしょう、というふうなことを、ちゃんと明からさまに云っているわけです。自らは愚者にも接近して、絶対的に愚者に一致したというところまで自己解体せしめたと云っているんだとおもいます。だけども本当の愚者にはなれなくて、いくら接近しても、そこにはどうしても紙一枚の深淵があるわけで、例えば親鸞の、じぶんは眼も衰えてしまった、もうろくしてしまった、覚えたこともみんな忘れちゃった、いろんな浄土宗のことだったら学者に聞いてくれという、その云い方をこちらで受け取るときには、それが逆説を云っているみたい聞こえるわけです。しかしおそらく親鸞自体の意図は、そういう逆説を使っているということじゃなくて、本当に〈知識〉というものが、あるいは宗教でもイデオロギーでもいいんですけども、いわば〈還相〉という過程を、つまり〈愚〉を把えるという過程を、どこまでもつきつめていったばあいに、究極的に到達したところは、しぶんが愚者になってこれでおわりですよと、そういうふうに云っているんだとおもうんです。しぶんはまったく愚者と同じになっちゃった、紙一枚の深淵もあるかなしかわからない、とにかくそこへいっちゃったんだ、そういうようになっちゃったんだといっているだけにちがいないのですけども、これをわれわれが受け取るばあいには、一種のイロニー、あるいはパラドックスみたいなものとして受け取られるところがあるんです。それはなぜかといいますと、今いいましたように、本来的な愚者というものと、愚者を把える過程で、あるいは愚者に限りなく接近する課題こそが知識にとって最後の課題だという、そういうところをずっとつきつめて、愚者になりきったというふうにかんかえた親鸞との、世界の経めぐり方が、同じくポイントに立っているんだけども、こちらのほうは、なにか知らんけど一回り回ってそこへいったという、それと、本来的にそこのポイントにいたという者との微妙なちがいに基づいているとおもわれます。しかし明らかに絶対他力という考え方自体も相対化してしまうということで、親鸞の思想が志したところは、結局は愚者にいっちゃえということ、いっちゃって一巻のおわりという、そこまでいっちゃう課題をつきつめないと、知識の課題というか、思想の課題というのは、おわらない、そういうことだろうとおもいます。

当時、知識人たちは、念仏を一口となえれば浄土へ往けるみたいなばか気たデタラメなことをいう坊主が出てきたということで顰蹙したわけです。しかしその顰蹙というものの範囲は、思想なり知識なり信仰なりというものは、どこの領域にいれば顰蹙する観点になり、どこまで愚者に近づいちゃえば顰蹙される観点になるかというのは、つまり顰蹙する観点というのは、どこからどこまでの範囲であろうか、あるいは、ちがう云い方をしますと、人間のは思想でも、あるいは現実生活でもいいんですけども、そういうものが相対性に絶えずさらされている領域はどこからどこまでであって、絶対的な領域はどこからどこまでであるか、そういう範囲みたいなもの、領域みたいなものは、どういうふうに親鸞なんかの中で確定されているかというふうにかんがえてみますと、これまたいろいろな云われ方、表現のされ方がされています。例えば浄土真宗の観点からゆくならば、悪人正機というやつで、つまり悪人のほうが善人なんかよりもずっと救済される、あるいは浄土へ超出する、そういう契機が大きいんだ、つまり絶対的な世界ではそういうようにいえる。それじゃ相対的な世界といいましょうか、相対的な思想というものの領域のなかで、それにたいしてどういう反論、反問というのが可能かといいますと、そういう例を挙げてあります。

例えば、悪人であればあるほど、往生して浄土へ往きやすい、悪人正機ということが正しいんならば、人間はどんどん悪いことをしたほうがいいということになるじゃないか、つまり悪いことをしようということになるじゃないかという反論は、当然、相対的な世界からは発せられるわけです。それほど悪人のほうが救われて浄土へ往きやすいというならば、どんどん悪いことをしたほうがいいじゃないかという、一種の反問なんですけど、それにたいしては絶対的な領域というのはどこだと答えているわけです。その答え方はどういう答え方かというと、そうじゃない、必然的機縁があって、あるいは契機があって悪をせざるをえなかったとか、人を殺さざるをえなかったというなかには、自力というものがないんだ、しかし故意に、悪人のほうが救われるなら、どんどん悪いことをしようじゃないかというふうな考え方のなかには、微妙ですけど自力という考え方が混入してきていると親鸞は云います。だからそれは正しくないんだ、だめなんだと云っているんです。ただ、絶対他力の領域で機縁に促されて悪をせざるをえなかったとか、人を殺さざるをえなかったというんならば、そこには自力というものはない、しぶんがそうしようとおもってそうしたという契機がない、機縁のみがそこにあって、いわば自力というものはそこにない。それは絶対他力にとって救済の正しい契機になりうるんだ。だけど、そんなこと云うんなら、結果からいってどんどん悪いことをしたほうがいいということになるじゃないか、あるいは悪いことをどんどんするほど救われることになるじやないか、それはどうなんだという反問の仕方のなかには、いわば微妙に自力が混入してきて、そこがいちばん問題になるんだ、だから契機なくして、悪いことをしたほうがいいよということになるじゃないか、あるいは悪いことをどんどんするほど救われることになるじゃないか、それはどうなんだという反問の仕方のなかには、いわば微妙に自力が混入してきて、そこがいちばん問題になるんだ、だから契機なくして、悪いことをしたほうがいいという考えは、ぜんぜん成り立たないと答えています。その答え方は、はぐらかされたような気がするんですが、本当はそうじゃなくて、最後に知識を放棄して愚者に近づくという課題にたいして、相当徹底的な視点を持ったときに、そういう答え方はが出てくるんだとおもいます。そういう問答は、たくさん拾いあげることができます。それらは大体、親鸞自身の著作よりも、親鸞の弟子たちが親鸞の語録として集めたもののなかで、浄土真宗の絶対他力の考え方、あるいは親鸞自らが築いた絶対他力の考え方自体をも、否定し、解体させる、相対的な視点が見事に現れています。

相対的な世界から、その種の反問はいくらもありえます。例えば、念仏をとなえて、極楽浄土に往生できるというなら、念仏をとなえても、少しもうれしい気持ちにもならないし、それから、さっさと死んで浄土へ往きたいという気持ちも起こらないのはどういうわけか、そういう反問が、相対的な領域から発せられるわけで、それにたいして親鸞は答えています。念仏をとなえて浄土へ往けるのは、本当ならばうれしいはずなのに、うれしい心が起こらないのは煩悩のせいなんだ、煩悩が存在するということは、浄土への契機のひとつでありうるわけだから、それはまことに当然のことであるというのです。それから、念仏をとなえて死んだら浄土へ往ける、浄土は素晴らしいというような浄土真宗の教義にたいして、さっさと死んで、そんな素晴らしいところへ往こうという気が起こらないのは、どうしてなんだというような問いにたいしては、煩悩のふるさとというのは、なかなか捨てがたいもんなんだ、まだみない浄土へ往くというのは、なかなかおっくうなんだよ、という答え方をしています。それも一見すれば、ちょっとはぐらかされたような白けちゃう答えのようにみえますが、その答えのなかに含まれた思想の自己解体の契機は、現在、ぼくらでも受け取ることができます。これはやっぱり重要な、いわば三願転入をもう少し発展させたところでかんがえられる、親鸞の究極の思想だとおもいます。これは現象的には、答えをはぐらかしているにすぎないようですけども、本質的にいえば、知識にとっての最後の課題にたいして、親鸞自身が、宗教的な形で展開しているとみることができます。

諸国の分派闘争にたいして、親鸞がおめえたちにそんなことを云ったってしょうがねえじゃねえかということで、ついでに云っていることがあるんです。〈余の人を縁(えにし)として念仏称名の宗教というものをひろめるようなことをするのはもってのほかだ〉というふうなことを云っています。「余」というのは〈異う〉ということです。つまり〈余の人〉といったばあいには、浄土真宗に機縁なき人、契機なき人ということでしょうけど、いろんな意味あいがあるかもしれません。そういう人たちの縁(えにし)をたどって、称名念仏の宗教をひろめようとするようなことはしてはならないということを、分派闘争のさかんな書簡のなかで云っています。おれだって弟子なんて全然ひとりもいねえとおもっているんだ、だから余の人、つまり契機なき人、機縁を媒介にして念仏宗教、つまり浄土真宗をひろめようなんてかんがえては絶対に相ならん、というようなことを云っています。こういう云われ方は、宗派にとってはまったく矛盾なんで、あるいは救済にとっても矛盾てあるかもしれません。しかし最後に親鸞は、いわば浄土真宗自体の本質的な核になる思想自体をも、解体さしているといいますか、相対化しているように、ぼくにはおもわれます。だからそういう相対化のところで、いわば無伽藍、無宗教、念仏をとなえたって地獄へ往くか極楽へ往くか浄土へ往くか、そんなことはわからない、ぜんぜん存知しない、というところでもって、本当の意味での親鸞の思想というのは大団円しているようにおもわれます。この大団円の仕方は、なぜかしら現代性をもっているので、それはしかめつらしい文章をも読んだってちゃんと突き刺さってくるものは、突き刺さってきますし、今でも古びない知識の課題、思想の課題、あるいは宗教の課題へ到達しているようにおもわれます。

このところまで突きつめたときに、親鸞にとって、浄土真宗を信ずるも信じないも、あるいはまた念仏をとなえるもとなえないも、それはやっぱり〈面々の御計〉であるというふうなことになったいます。これは別の云い方で他の宗教が念仏称名、浄土真宗を誹謗し、それをおとしめても、念仏者というものは他の宗派を誹謗し、これを排斥するというようなことをしてはいけないんだと云っています。これもまたきわめて新約聖書に似てくるんで、〈隣人を愛せよ〉っていうわけで、〈右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ〉というのと非常に似てきてしまう契機が含まれているんです。

そこの契機までゆくと、これは絶対に対手を許容する、絶対に対手をゆるすということになるのか、あるいは絶対に許さないから、許すのであるというのか、そこのところは、また微妙に重なってくる場所が出てきます。そこがまた弁証法的に興味深いところで、聖書の〈右の頬を打たれたら左の頬も出せ〉とか、そうすると、いやに隣人を愛する宗教じゃないかとおもっていると、ちょっとまたちがうので、別の箇処では、〈われは地上に平和をもたらすためにきたんではない、剣を投ぜんためにきたんだ〉なんていう言葉もでてくるわけで、それを無限の許容、寛容というふうにかんがえると、ちょっとちがうとおもいます。

親鸞が他宗が念仏者をどのような仕方で誹謗しようとも、それはそのように受け取れ、絶対に他の宗派を誹謗してはならんぞ、というような云い方をしているときに、それは浄土真宗、あるいは自己解体の過程で出てくる一種の寛容さにみえますが、単なる寛容というふうにかんがえたらまちがうのであって、それは自ら築いた絶対他力のの思想を自ら相対化する過程で初めて出てくる過渡期的な思想といいましょうか、そういうものの万やむをえない発露みたいなふうにかんかえたほうがよろしいのです。その寛容さの裏側に、絶対に他宗なんて許さんぞという意識もあるとみたほうがいいかもしれないし、そういう二重性が、どうしても入ってきてしまうわけです。そこのところの含みといいますか、二重性といいますか、そういうまったく相反し相矛盾すると考え方を、いわば二重化している、あるいは包括しているところが、親鸞なんかのいちばん重んじた〈還相〉における思想、あるいは〈知識〉の最後のあり方とみられます。

ぼくは、うちの習慣的なものが浄土真宗だということを除いては、宗教もイデオロギーもそれほど絶対化しては信じていないし、ぼくは自立だ自立だとてめえがやれないことは、たれもやらないとおもえとか、絶対に許すなとか、そういうことばっかりいって、まことに正反対の不肖のものですが、若いときから親鸞というのは好きでして、まったく反対なことをいっているというふうにはちっとも感じないところがあります。それはおそらく、親鸞の絶対他力といいますか、三願転入のなかの選択本願というもののあとにくる自己解体の過程が、いわば絶対他力が同時に絶対自力というものを二重化するといいますか、包括するというところを明らかに指し示しているからではないかとぼくにはかんがえられます。異なった関心をいっているようには、ちっとも感じない。親近感が強いんです。中世ですから、イデオロギーというのは、宗教の形でしか出てこなかったわけだし、また宗教は一種の宗派宗教としてしか出てこなかったのですけども、宗教だから縁がねえよってなものでもない。宗教というのは、無神論者にとっても唯物論者にとってもたいへん重要な問題だというふうにおもわれます。親鸞についての著書とか解釈とかは、山とありますし、ここニ、三年だけ取ってきても相当ありますけども、たいていはつまらない(笑)とおもいますよ。そういうことは、相対的なものですから、絶対的な思想からは問題にならないことで、どうでもいいことだとおもいます。

でも、宗教的ということで、偏見をもつんじゃなくて、イデオロギーとして、あるいは思想として、あるいは、そういうことを抜きにしても、それから、ぼくらが、そこから遠いとおもっている絶対信仰というような観点からも、日本の中世の新興宗教というのはたいへん学ぶところが多いし、問題が多いとおもいます。好みの問題はありますから、なんともいえませんけど、ぼくらは親鸞が最も面白いとおもいます。最も見事だとおもいます。見事だということは、最後には単なる仏教的範疇というようなものに包みきれないで、いわば世界観といいましょうか、普遍観念というようなもののところでかんかえるほうがいいようなところまでいっているようにおもいますから、そういう意味あいで、仏教の教養のなかでどうだということじゃなくたて、かんがえうるところがあります。つまり、それをハミ出しているところがありますから、親鸞は興味深い宗教家だとおもいます。



〈信〉の構造 吉本隆明•全仏教論集成1944.5〜1983.9 ⑥親鸞について…その2 21/05/07

2021-05-07 08:02:00 | 言の葉綴り

116〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成1944.51983.9

⑥親鸞についてその2


投稿者 古賀克之助







〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成

1944.51983.9 昭和五十八年十二月15日第一刷発行 著者吉本隆明 発行所 株式会社 春秋社 4親鸞について抜粋







親鸞についてその2


承前


日本の中世には、いろんな興味深いことが、思想的にも政治的にも、それからまた経済的にもあるわけですが、親鸞とか日蓮とか道元とか、日本の思想史上最も見事な思想家とおもわれる人たちが続々と出てきています。それはまことに見事な眺めですが、そういうなかで、親鸞が究極に求めた絶対他力は、愚者になり切るというところへゆきます。もちろんなり切ろうとしてもなり切れないことはありますが、そこを親鸞は逆説を使ってとび超えています。知識は、つきつめられた頂点から愚者を捉える過程というようなところに入っていきますが、そういうばあいに、本当の愚者になりえない矛盾がおこるわけで、その矛盾は逆説的にしかとび超えられないかもしれません。ここが親鸞の思想の要になっているとおもわれます。そのとび超え方にたいして親鸞は〈横超〉という特別の言葉を使っています。

親鸞の主著『教行信証』は、浄土系のインドおよび中国、日本の経典を集成し註釈を加えたものです。『教行信証』は、親鸞の浄土門の経典を独自に分類し集大成した主著で、ここでは仏教浄土門の最後の大成者です。親鸞そのものは生前『教行信証』によって人々の前に出てきていません。親鸞の思想が人々の眼のまえで展開されたのは、むしろ親鸞の著書よりも唯円が親鸞の語録を集めた『歎異抄』みたいなもののなかにあります。つまり親鸞の直接の著書とはいえないんだけど、弟子が親鸞の云うところを祖述したというような著書が、三願転入以降に展開されている親鸞の思想をみるばあいにみのがせないもので、あるいは従覚の編とされている『未燈抄』のようなものを、もっとみなくちゃいけないだろうなというふうにおもいます。それは『三願転入の展開』ということになるわけなんです。

では三願転入の展開とはなんなのかといいますと、今度は称名念仏をとなえれば浄土へ絶対に往けるんだ、それは一遍となえようと多遍となえようとどうでもいいんだ、とにかく一遍でもいいからとなえればいいんだ、そうすれば完全に浄土へ往けるんだ、それを疑うことはなにもいらないんだという考え方、つまり絶対他力の考え方を、いわばもう一度解体させるわけです。親鸞自体は解体させていっちまう。本当は三願転入の展開は、親鸞の最後の思想的な課題であるとかんがえていいんじゃないか、そういうことを云うと専門家に叱られちゃうから、与太ばなしみたいなことで聴いといてくたさればいいんですけども、本当は三願転入の少し先に、念仏称名をとなえれば、一遍となえようと多遍となえようと、浄土へ絶対に往けるんだという、そういう絶対他力の考え方を親鸞自身が解体させるわけです。解体させるという云い方が悪ければ、絶対他力をもう一度相対化するわけです。

どういうふうに相対化するか、つまり究極的にどういうふうに解体させるかというと、根本的には「不存知」つまり「存知せざるなり」ということに帰着するとおもいます。知ったこっちゃねえ、ということなんですよ。もうひとつ得意の言葉があるんですけど、それは「面々の御計(おんはからい)」。おまえたちの勝手だよ、ということだとおもいます。この「存知せざるなり」というのと「面々の御計なり」というのは、親鸞が最後に、念仏称名をとなえればたれだって、むしろ愚者であればあるほど、あるいは悪人であればあるほど浄土へ往けるんだという考え方にたいして、もう一度否定を加えた言葉とも受けとることができます。親鸞は自身が究極的に展開した考え方をもう一度否定、解体させるわけです。その解体の根抵になっているのが「不存知」という言葉、あるいは「面々の御計」ということです。それはどういう言葉で出てくるかといえば、とにかく念仏をとなえて、その念仏が浄土へ往く種になるか地獄へ堕ちる業になるか、そういうことは「総じてもて存知せざるなり」ということなんです。知ったこっちゃないですよ、ということなんです。絶対に念仏をとなえなさい、それは浄土真宗の絶対他力の精髄である、しかしながら究極的にそれは解体させられなければいけない。その解体は、念仏をとなえなければいけないけれども、しかし念仏をとなえたから浄土へ往けるというふうにおもったら大まちがいだよ、ということなんです。つまり、そういうことはわかりませんよ、というふうに云ってるわけです。わかりませんよ、ということはなにかといいますと、要するに浄土宗の絶対他力の考え方、あるいは親鸞自らが三願転入の最後で展開した考え方、その絶対他力の考え方自体をもう一度相対化しているということです。ですから念仏をとなえれば救われるぞ、あるいは浄土に往けるぞいうふうに教えて、自らもまたそう流布してきた。それをもう一度相対化したときにどういうことになるかといいますと、念仏称名はやっぱり浄土真宗の命である、しかしながら念仏称名によって浄土へ往けるなんてじぶんで主観的におもいきめたら大まちがいですよということをもう一度云うわけです。そうじゃないんだ、念仏をとなえて地獄へ徃くのか、浄土へ往生できるのか、それはまったく存知しない、わからないんだけども、念仏称名ということに浄土真宗の命、思想の生命はかかっているんだ、かかっているけれども、それをやったがゆえに浄土へ往けるというふうにおもい込んだらちがいますよという、つまり地獄へ徃くか浄土へ徃くか、そんなことはわからないというふうにかんがえるべきだというところへ、そういうふうに解体させるわけです。その種の表現は到るところにあるんです。それは親鸞の著書というよりも親鸞の弟子が記録したものの中に、そういう考え方というのはよく表現されています。

いろいろな云い方がありますが、例えば、じぶんは父母の孝養のために念仏をとなえたことは一つもない。もし縁ある同行者ならば、それはわが兄弟であり父母であるとも云っています。丁度、新約聖書と同じようなことです。分派闘争では、あいつはおれの弟子だというようなことで、相争うなんてもってのほかである、親鸞は弟子一人ももたず候、というふうに云うわけです。親鸞が弟子一人ももたず候、というふうに云うときに、いわば親鸞自体が最後に到達した絶対他力自体をも相対化してしまっているわけです。あるいは今の言葉でいうと、白けさせちゃうということです。じぶんて白けさせちゃうわけです。その白けさせちゃったところに念仏を一遍となえれば絶対に浄土へ往けるんだという考え方、そういう絶対他力の考え方を、もう一度相対化する視点というのが、いわば〈存知せず〉ということ、あるいは〈面々の御計〉だという、そういう云われ方は受身の云われ方のようにみえますけども、必然的な契機というのが逆にあるというふうにかんがえてもよろしいわけです。〈存知せず〉、あるいは〈面々の御計〉だ、つまり勝手にしなさい、おまえがそうおもっているんならそうおもいなさい、そういうような云い方で、相対化するということをやっているわけです。おそらく、そこらへんのところが親鸞の思想の最後の到達点だとおもいます。こういうふうになったら、結局、宗教か非宗教かというようなことはわからないとおもうんです。つまり微妙な解体のさせ方なんですけども、おそらく専門家が云っている三願転入というようなことで、三願、つまり撰択本願というところに、念仏をとなえれば必ず浄土へ往けるというようなところへ、最後に計いを放棄して到達した、その到達点と云われるわけですけども、しかし、その到達点いうのは、少なくとももう一度解体させられているということ、それは自からの手で解体させているということが云えるようにおもいます。こういうところまでいってしまいますと、親鸞の思想が、いわば現代性を獲得します。今でも古くなっていないなとおもえるところは、結局、最後の、絶対他力の考えをもう一度相対化していく、〈存知せず〉、あるいは〈面々の御計〉だというところまで解体させてゆく、そこのところの一種の永続性であって、おそらく現代でもぼくらになにか訴えてくるところがあるということだとおもいます。ここまでくると、親鸞の思想は、いわば世界思想としての資格みたいなものを獲得しているようにおもわれます。例えば新約聖書みたいなものの云われ方での表現の使い方と 同じところにいってしまうんです。

やっぱり、『歎異抄』のなかにありますけども、親鸞が弟子の唯円にたいして、おまえはおれの云うことを信ずるかときくわけです。唯円が、もちろんあなたの云うことを信ずる、と答えると、親鸞が、例えば人千人を殺してみろ、というふうに云うわけです。それにたいして唯円が、いや、わたしにはそれだけの器がないから人ひとりだって殺せそうもない、まして千人をも殺せない、というふうに答えます。つまりじぶんにそれだけの器がないというふうに答えるわけです。それにたいして親鸞が、おまえは今、おれが云うことを信ずるかと云ったら信ずると云ったじゃないか、ともう一度問い返すわけです。だけど、それはわかるんだ、なぜならば、人間というのは〈機縁〉〈契機〉がなければ人千人殺すことができないだけじゃなく、人ひとり殺すことさえできない、しかし機縁あるいは〈不可避〉というものがあれば、自からはそういうふうに意図しなくても千人を殺すということはあるんだ。それはまったく機縁というものの問題であって、要するにおまえが、わたしは千人をどころかひとりさえ人を殺す器じゃありませんというのはどういのはどういうことかというと、そういう機縁がなければ悪も殺人もみんな可能じゃないんだ、ただ機縁があったばあいには、しぶんが欲しようと欲しまいと殺すということというのはありうるんだよ、といことを親鸞は云っています。

こういう話は新約聖書のなかにもあります。イエスキリストがもう磔になるかもしれないというときに、弟子たちの集まっているところで、おまえたちは、あしたの朝鶏が泣く前に、三度必ずおれを裏切るだろう、というふうに云うわけですよ。そうすると弟子たちは、そんなことはない、あなたのゆくところにはどこだってついてゆく、絶対そういうことはない、というふうに答えるんですよ。そして翌朝、キリストが十字架にかけられて殺されそうになるわけです。弟子たちは群衆にまじってそれをみている。そこに顔を知っている群衆がいて、おまえは、あの磔になる男と一緒にいた男じゃないか、というふうに云うわけです。そうすると、ペテロという一番弟子が、いや、おれはあの人を知らない、というふうに答えるわけです。群衆の一人が、いや、そんなことはないだろう、おまえは確かにあいつと一緒にいたぞ、というと、いや、あの人を知らない、と三度拒んだというところがあります。その三度拒んだというところで、丁度前の日にキリストが、おまえたちはきっと裏切るだろうというふうに云ったのを、ペテロや弟子たちは、そんなことはない、あなたのゆくところはどこだってついてゆくと云ったにもかかわらず、いや、そんなことはない、必ず裏切るよといって、その通りになってしまったじぶんをかんがえていたく哭くというところがあります。

そこではなにを云われているのかというと、いわば人間の思想の絶対性というもの、あるいは観念の絶対性といってといいんですけども、そういうものと生身の人間のもつ相対性というものとの激しい、きわどい矛盾についての認識を、そこで提示しているわけです。もちろんそこの矛盾は、キリストのほうはよく洞察しているんですけども、弟子のほうはそれを洞察していない。つまり往相的にしかそれをかんかえていないから、そこのところで、前のは、いや、そんなことはない、あなたのゆくところはどこだってついてゆくんだといって、それを裏書きできないで、まったくキリストの云ったように、あの人は知らないと拒むということで、初めて人間の思想の絶対性というものと、いわば生きて生活してゆくということを繰り返している場所での相対性というものとのきわどい矛盾に、ペテロがさらされるというようなことをエピソードの一つとして新約聖書は掲載しているわけです。

これにたいして、『歎異抄』の親鸞は、おまえはおれの云うことを信ずるか、といい、弟子の唯円が、それは絶対に信ずる、と答え、そんならおまえ人千人を殺してみろ、といったら、いや、わたしは千人はおろかひとりだって殺せません、と答える。そこで問題になっているのは何かというと、人間の観念あるいは思想の絶対性と、生活者としての相対性というようなものとの矛盾というようなことじゃなくて、そこで云っているのは、機縁といいましょうか契機といいましょうか、契機なしには人間は何事もできやしない、しかし契機があるならば、それを欲しようと欲しまいとあることをしてしまうことは、人間にとってありうることなんだ、というところに思想のポイントを置いているわけです。これは新約聖書にあるポイントの置き方とはちがうんです。契機、機縁、あるいは因縁でもいいでしょうけど、そういうものを含まずしてあらゆる現象というのは考察してはならないよ、いうことになろうとおもいます。もしなにかをそこから引き出してくるとすれば、契機ということをかんがえにいれずにある現象、あるいは事件、ある事柄を考察したら、かならずまちがうよというようなことが、親鸞のはばあいの大きな問題提示だろうとおもわれます。

そんなこと云ったってしょうがないけども、例えばある事柄にたいして市民的観点、常識みたいなものは、しばしば契機ということもなしに、じぶんとはほど遠いところでわけのわからん奴によってわけのわからんことが行われたんで、それはどうかしているというふうな観点、それがいわば市民社会の常識なわけですけども、しかしその常識というものの中にうそがあるとすれば、その観点に契機あるいは機縁というものがあれば、人間は欲しようと欲しまいとなにかをするし、またせざるをえないということがありうるのだというこた、あるいは契機がなければどんなことをしょうとおもったってできやしないんだよという問題が、しばしば市民社会に流通する思想のなかに現れてくることだとおもいます。