言の葉109〈非知〉へ——〈信〉の構造「対話篇」
⑤神々の原像…その2
〈非知〉へ——〈信〉の構造
「対話篇」一九九三年一二月二五日発行 著者吉本隆明 発行所株式会社 春秋社
より抜粋
⑤神々の原像
対話者 山折哲雄
一番神に近い存在としての〝翁信仰” より抜粋
山折 なぜ、日本の文化伝統のなかにそういう意識が非常に根強く受け継がれてきたかという問題ですが、どうも風土的条件が非常に大きいという気がします。風土決定論には注意しなければいけませんが、どうもそう思わざるをえないところがある。七、八年前に三〇〇〇メートル上空からセスナ機で日本列島を、沖縄の与那国島から北海道の宗谷海峡まで撮影し、一時間のビデオに収め、それをいろいろな分野の人に解説してもらうという企画がありました。私も宗教学の立場から意見を求められましたが、そのビデオを見て驚いたのですが、沖縄は別として、九州から北海道までは三〇〇〇メートル上空から見ると、山また山、森また森なんです。そしてごく少部分が、大阪、京都あたりと関東、この辺りが平野ですが、この都市部が上空から見ると賽の河原のような無残な傷跡に見えるんです。
「この日本列島がなぜ、稲作農耕社会なのか、とうていそのようには思えない。森林社会や海浜社会というならよくわかる」と、そのとき率直にいいました。現実には稲作農耕社会を作り上げてきたんですが、もしそうだとすると日本の稲作農耕文化は圧倒的に周辺の森林文化の影響を受けてきたに違いない。それをかなり大きな要因としてとらえておかないと間違うかもしれないと感じたんです。縄文文化の重要性が、特に宗教や文化を考えるときに必要ではないかという気がしたわけです。また、専門家にいわせると一定の地域に森林や山岳が密集している地域は日本の他はノルウェーかフィンランドだけだそうですね。
吉本 ぼくは「柳田國男論」(柳田國男論集成)(宝島社)のなかで、そういう書き方をしたことがあるんです。つまり日本というのは風土的にいうと、中国の楊子江流域やエジプトのナイル川流域のような、いわゆるアジア的大平野、早くから農耕が発達したところですね。その要素が一つ。また丘陵、高原地帯、アジアでいうとチベットとか、中国の一部。つまり高原の要素が一つ。そしてヒマラヤのような高い山岳地帯、その要素が一つ。この三つの要素が三重に被さり、その規模を縮小したものが日本風土だと書いたんです。日本の風土とは何かと考えたとき、そう考えるのが一番考えやすい。だから文化の基層も、多分、この三つの要素をそれぞれに考えていくと、考えやすいのではないかなと思ったのです。
山折 先程、仏教が入ってきて、神道も神像を作るようになったといいましたが、神像を作り出したのは奈良時代の文献に出てきており、七、八世紀の段階には神像は作られはじめていたのではないかと思います。しかし、今日残っている一番古い神像は京都の松尾大社の男神像、女神像ですが、そういうものを見ると、神様の顔は老人の顔をしているんです。たとえば松尾大社の男神像でいうと顔に深い皺があり、白髭をたくわえ、目は釣り上がり気味のちょっとこわい顔をしています。
もちろん、後期になると若い顔の神像も作られるようになりますが、だいたい由緒のある神像というのは老人の顔をしています。それはどうも二つくらい理由があるのではないかとと思っています。一つには、仏教がもたらした仏像は青年の顔を理想化したものです。老人の顔をしたものはない。若々しいアポロン的な肉体を持った仏像です。そこで神道の側はまず、それと区別するために老人の姿をした神像を作成したということが、表面的な理由としては考えられると思います。もう一つは、これは柳田国男もいっていますが、日本人は古い時代から人間は死ねばいずれ神様になると考えていた。そうなるとわれわれの人生段階で、死にもっとも近い、つまり神様に一番近い存在は老人ということになるわけです。老人の姿をした神像は、日本人のそういう信仰に関連しているのではないかと思うんですね。それで「仏は若く、神は老いたり」というテーゼを自分で作ってみて、これを広げて考えていくとどうなるかなと思っているんです。
吉本 三角寛さんの「山窩の研究」という本を読むと曽祖父の上の高祖父になったおじいさんはテガカリ神といい、そういうおじいさんは既にいる神様と見なして山窩の共同体の人たちが交替で面倒をみるんだと書いてあります。山窩は神道ですから、そういう原理だそうです。たしかに死ぬと神様になるんだから、老人は神様に一番近く、また死後の世界はこの世と相似形をなしている。死後の世界では死者同士が村を作りこの世と同じように暮らしているんだという、この二つが大変特徴なような気がします。
山折 仏教は輪廻転生から解脱すると永遠の生命を得る、と解いているんです。永遠の生命をを具象化するとどうしても若々しい肉体の感じになると思います。ところが、神道では年をとって、枯れて、白髪になり、そして死んで神になる。それが永遠の生命なんですね。
吉本 転生と違うのだけれど、帰ってくるという概念は神道にもあると思います。その場合には、死者の魂はたとえば赤ちゃんのところに宿って生まれ変わるんだというような、仏教とわりに似ているかもしれないけれど、仏教の輪廻転生は次々に生物の間を生まれ変わるということですね。
山折 陰惨な感じがしますね。
吉本 それに対して、神道は神様になって、またスーッと帰る。村の外れの山に行けば、あるいは森に行けば帰ってくるのに会えるという感じなので、仏教の十万億土とは大分観念が違う感じがしますね。
山折 邇邇芸命(ににぎのみこと)が日向の高千穂に天下りますが、その時迎える神様の一人に塩土老翁(しおつちのおじ)(事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ))がいます。翁の姿をしていて、自分は国津神(くにつかみ)ですと名乗っています。これは老人です。また、『風土記』でも古翁(ふるおきな)という老人が重要な役割を果たしている。地方の物産や神の行動、地名など、そういう知識を蓄えて、後世に伝える役割ですね。古老は地上の神であり、神の行動を目撃している人間であり、それを後世に伝える語部である。そして死ぬと郷土の先祖となる、そういう存在です。あるいは八幡神やお稲荷さんの古い時代の縁起を見ると、本来は目に見えない存在だけれど、この世に姿を現しているときには大体、翁の姿をしています。
ヨーロッパではオールド•ワイズマンといって、老賢者の思想はあるんですが、しかし全体としていえば老人というのは、老いと衰亡と醜悪を象徴するものとして排除され忌避されることが多い。それに対して日本では、翁というのは老衰、消耗、醜悪のシンボルではあるんですが、同時にそれを理想化する思想が一方にいつも働いている。やはり、日本は翁の思想という面から見ると独自性を持っているように思います。それが、世阿弥の段階では「翁舞い」の翁の理想形において結晶したわけですね。
カオスの中に身を隠す不思議な神々
より抜粋
吉本 日本の古典の文学理念の後ろについている考え方は、季節が移り変わるように自分の生命を成熟させていき、そして現世の人と来世の人の中間である出家のような形で、自分の生を全うするという考え方があるように思います。
山折 それは先程のアニミズムに繋がる考え方ですね。
吉本 日本の仏教も、神道も、原始的な自然信仰もそうですが、全体的にいえばきれいすぎる気がするんです。それは柳田國男とか折口信夫の考えている日本人の習俗、民俗性などもきれいすぎるという感じがどうしてもするんです。たとえば、人間が死ねと霊魂だけが、沖合の島や村はずれの山の頂に行って、誰かが生まれると、そこに帰ってきて、生まれた子供に宿るんだという考え方は、南はオセアニアから北はシベリア沿岸まで骨格は広く分布していると思うんですが、なぜか日本に残っているものはきれいになりすぎていると思うんです。
なぜ、こんなにきれいになったかが解明されないと、比べようがないという感じが残ります。そのところがうまく解けないと、中国や朝鮮、シベリアでもいいし、オセアニアのいろいろな島でもいいんですが、そういうところと関連っけられない気がするんです。
山折 ええ。
吉本 つまり、戦前のいい方にすれば神道の祭は神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭(にいなめさい)にすべて集約されてしまうように思うんですが、このように集約するために、ずいぶん、怪しげな、土俗的な神道的なものを全部
他のところにまだ持っていってしまったような気がして仕方ありません。それらをどういうように総合していったらいいのか。そうでないと近隣地域と結び付かないような気がします。
山折 記紀神話で天津神の出所進退をみますと、高天原でいろいろ活動して身を退くときは、ほとんど”隠れる〃という表現をしています。宇宙の背後に隠れてしまいます。だから天照大神が天の石屋戸に隠れてしまうのも、あれも一度、神が隠れて、世の中が真っ暗な状態になって、カオスの状態になってしまう。大国主も須佐之男命も伊邪那岐命も隠れるんです。決して死なないわけです。いつでも出てくる可能性があるわけで、しかし一時的に、わけのわからない闇の世界、カオスの世界に隠れてしまう。それが神の不思議なところでもあります。
ところが、天孫降臨以降の神々は地上に下ってきて死ぬんですね。死んでお墓に葬られてしまう。だから神話の原初の段階では、隠れる神と葬られる神の二種類があった。地上に下って地上の神として葬られる神になって初めて、その神は地上の権力システムのなかに組み込まれていき、階層的な支配秩序のなかに位置づけられていった。
今のお話にあった日本の神々の土俗的な恐ろしいような面、わけのわからないようなものというのは隠れる機能のなかにあるような気がしますが、しかしのちになると、それが、仏教の影響を受け、神像を作り、社殿も作るようになってコスモス=秩序の世界のなかで顕在化してしまう。そういう形で表現されてしまうと、身動きできなくなってしまう。きれいごとになってしまう面もある。
しかし、カオスのなかに身を隠していて、何をするかわからないというところが、実は神の面白いところで、そういうわけのわからない、不気味な、デモーニッシュな神のエネルギーというのは相変わらず底流にあり、のちに入ってきた仏教に対しても逆に影響を与えることがあった。前述したように神像を作るというのは仏教の影響を受けた面ですが、逆に神道の側も仏教に影響を与えています。その一つが仏像を隠すという秘仏化の傾向ですね。これはインドや中国の宗教世界ではあまり見られなかったことです。たとえば善光寺の観音は長い間秘仏化されてきたし、東大寺の二月堂の観音も、大観音、小観音の二つがありますが、これも誰も見たことがありません。法隆寺の救世観音像もフェノロサが明治になって来日して、岡倉天心と一緒に行って開けるまで、何百年のあいだ秘仏化されていました。また出羽三山にも神像なのか、仏像なのかわからないような、グロテスクな秘仏があります。そういう秘仏は全国にたくさんある。
そういうように見てくると、先程いわれた土俗的な神々というのは、隠された、カオス的な世界にそもそも存在根拠を置いているんだということが見えてくるような気がします。
吉本 沖縄の与那国や八重山などにあるアカマタ•クロマタという仮面秘密結社のような、祭は自体を封鎖しておくという、今でもやっているのではないかと思いますが、それは秘仏化と同じ原理に基づいている気がします。
山折 アカマタ•クロマタの祭りでは、写真を撮ることも、見ることもできませんね。
吉本 そうですね。そういわれると見たくなりますが(笑)、しかし見たら特別なことがあるかというと、僕にはそんなに特別なことがあるとは思えません。
天皇の即位の儀礼でも、あるいは大嘗祭でも、それを見たら別にどうということをしているとは思わないのです。制度的な決まりでは天皇自身と内閣総理大臣と、後は係官くらいしか見れないと思いますが、それは別に隠すほどの物じゃない、大したことをやっているわけではないといえば、その通りだと思います。なぜか、隠しているんですが、そこがわかりにくいところですね。
山折 そうですね。
吉本 これは問題も含めてそうですが、何も人種がちがうわけでもあるまいしというようにいえば何でもないわけですが、なぜかそういう秘仏化する作用がある。それはとても特殊なような気がします。
山折 ええ。
吉本 日本のある大企業は、たとえば勤続三十年以上の人で定年退職した人は高野山に仏様として祀っているということです。社長になる人はそれを拝みに行かないと、社長に就任できないという話を聞いたことがあります。これは面白い話で、これは日本だよな、という感じて、何かアニミズムの世界が、現代日本の高度資本主義、高度情報社会に繋がっているという感じがするんです。
山折 その話は事実ですね。それを始めたのは松下幸之助で、昭和一七、八年頃に高野山に会社供養塔を立て始めました。家族ぐるみの会社ですから、勤続何十年かの人が亡くなると、その人の名前を書いて供養塔を立てるんです。それがずっと戦後まで来ているんですが、これを他の企業も真似し出すんです。日本的経営の元祖の松下幸之助がやったことの基礎に先祖崇拝があるんですね。
吉本 それはとても面白いんですね。
欧米の資本主義が日本資本主義を分析する場合でも、そこまでは分析してないんじゃないかという気がしますね。