言の葉綴り

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新・書物の解体学 吉本隆明著 『三島由紀夫評論全集』その2

2022-11-21 10:49:00 | 言の葉綴り


言の葉綴り139新・書物の解体学

吉本隆明著

『三島由紀夫評論全集』その2



新・書物の解体学 著者 吉本隆明

199291日発行 株式会社メタローグより






『三島由紀夫評論全集』その2


承前


行動思想家としての三島由紀夫が、じぶんの肉体と精神のあいだに何が実現したとき理想の達成とみなしたかは、はっきりしている。じぶんの肉体を賭けた行動が、肉体のすべてを観念の色合いに染めあげようとする意志の実現に当たっており、それは同時に無意識の肉体の反射運動が肉体的訓練の最高の成果と合致している瞬間をつくりあげる。それがかれの理想だった。そしてその瞬間のすぐあとには死がひしめいていてもよかった。これは肉体的な行動によって受ける身体の苦痛に最高の価値を与えようとする異様な思想だ。だが、ここまで意志的に肉体の鍛錬と肉体についての思考を追いつめていったかれの理路と、死によるその理路の完成には、疑わしいところは何もないというべきだ。むしろ疑わしいところがないことに、わたしは乳幼児のときから囁きかけられたおまえは生きてはならないという声のないかれの無意識の悲劇性を見るべきだとおもえた。眼にみえないそして自身にもなかなか意識できなかった悲劇性を超えようとして、アスレチックのジムナジウムで筋肉を鍛え、剣道や空手の道場にかよい、軍事訓練や空中降下訓練に瞬間の意志を集中し、肉体のすべてを精神で自在に染め上げようとする意識を磨いたのだ。

わたしはたしか『美しい星』あたりで、かれの作品をていねいにたどるのをやめてしまった。だが、かれのなかではこのあたりから作品を走らせる言葉の原理と、肉体を走らせる行動の原理とを統合しようとする意図がはじめられたにちがいない。作品の文体は古典主義的な格調をもちながら儀礼文ふうに空虚で大げさになり、すこしも現実的な実感をあたえなくなり、風俗の現在の核心にも入りこめなくなった。登場人物の動きはすべて大文字の構をもった古典人形で、私的な囁きも吐息も感じられない。誇張していうと『春の雪』から『天人五衰』にいたる最期の『豊饒の海』四部作で、わたしの印象にのこったのは、夜の公園の木陰にひそんだ主人公本多老人が、暗がりで若者たちがやっている奔放な性行為の場面を覗くところだけだといってもよい。しかし三島由紀夫にとっては、意図して古風な、時代に背いた重みのある文体をえらび、真実といえども格調にそわずに醜ければ捨ててしまい、登場人物たちの一挙手にも一投足にも大文字の荘重な雰囲気をもたせることで、言葉の走りと行動の走りを統一させようとする理念にほかならなかった。ほんとをいえば、一人の作家が文学と行動の理念を走りつめてたどりついた場所は、それがどうであれ、はたからはどうすることもできない決定的なものだ。これは資質の宿命というよりほか術がない。肉体についての思想は、どんなに精緻にすみずみまで意識化されたとしても、性(的行動)にゆきつくか死(への行動)にゆきつくほかありえない。つまり行動は人間の形而下的な輪郭をつき崩したり、その輪郭を離れたりできないからだ。

自衛隊での落下傘の操縦訓練、十一メートルの高さからの塔からのとびだし訓練、そのあとのサーキットトレイニング、そして夕方ひと風呂浴びて宿舎へ一人でかえる途中について、三島由紀夫はこう描写している。


私はトレイニングパンツと運動靴で、そこをごく自然に歩いてゐた。これこそ私の望んだ生活だった。夏の夕方の体育の美しさに思うさま身を浸したのち、古い校舎と植込みの間をゆく、孤独な、荒くれた、体操教師の一刻はこのとき確実に私のものになった。

そこには何が、精神の絶対の閑暇があり、肉の至上の浄福があった。夏と白い雲と課業終了のあとの空の、何事かが終つたうつろな青と、木々の木漏れ日の輝きににじんでくる憂愁の色と、そのすべてにふさはしいと感じることの幸福が陶酔を誘った。私は正に存在していた!

(三島由紀夫『太陽と鉄』)


この種の肉体の存在感の至福が、繰り返し述懐されるとき、読者が感ずるのは、悲劇的な世界の予兆でもないし、破壊を内包した明日なき意志の世界にかれがいるという痛みでもない。また言葉による教養ではなく肉体的な教養をつみかさねて得たかれの至福感の陶酔にたいして同感することもない。かれの無意識が乳幼児のとき与えられた致命的な打撃に気づかずに、ふつうひとが一片の思考も意図的な行動もついやさずに、ごく自然に体験しているありふれた幸福な瞬間の開放感を、かれが身体や頭脳の超人的な鍛錬のあとに、やっと実感している不幸にたいして、一片の痛ましさを感じているのだ。すくなくともわたしにはそうおもえる。かれが最後に死をかけた行動の過程で獲得した肉体についての思考の至福感のようなものは、天才的な作家が生涯をかけて手に入れるほどのものではなかった。鼻たれ小僧が幼少年期までは、立川文庫のような通俗的な正義感の影響で獲得し、通過すべき行動論理にほかならないといえた。この種のかれの述懐は、繰返されるたびに、いつもわたしたちに痛ましい不幸の感じを強いてやまない。


駆けることも亦、秘儀であった。それはただちに心臓に非日常的な負担を与え、日々のくりかえしの感情を洗い流した。私の血液はたとへ数月の停頓をも容赦しないやうになった。たえず私は、何ものかに使役されてゐた。もはや肉体は安逸に耐へず、たちまち激動に乾いて私を促した。人が狂騒と罵るやうな私の生活がかうして続いた。ジムナジウムから道場へ、道場からジムナジウムへ。そのたびの、運動の直後の小さな蘇りだけが、何ものにもまさる私の慰藉になった。たえず動き、たえず激し、たえず冷たい客観性から遁れ出ること、もはやかうした秘儀なしに私は生きて行けないやうになった。そして言ふまでもなく、一つ一つの秘儀の裡には、必ず小さな死の模倣がひそんでいゐた。

(三島由紀夫『太陽と鉄』)


あとは三島由紀夫の肉体的な行動の理念である『文化防衛論』に触れれば、行動思想家としてじぶんを鍛えあげた三島由紀夫が評論群の骨格だけは透視できるはずだ。


まず、文化に与えたかれの特異な定義からいってみる。


1)文化は、能の型から人間魚雷からとびだして日本刀をふりかざして射たれた一海軍士官の行動までをふくみ、源氏物語から現代小説までの文学や中尊寺の仏像から現代彫刻まで、お華やお茶から武道まで、禅から軍規まで、ようするに型にまで練られたすべてを含む。

2)そうかんがえたうえで日本文化の特徴はオリジナルとコピーの区別をもたない。伊勢神宮の二十年毎の遷宮も和歌の本歌取りもそうだ。

3)文化主義は、守られるべき対象の特性から守る行為を規定しようとするから、かならず暴力の否定から国家権力の否定にまでなる。

4)文化の全体性という概念は政治の全体主義と矛盾する。


天皇は、いまも保存している賢所の祭祀と御歌所の儀式とによって象徴されるように、「みやび」の体現者であり、民衆文化の伝統である「みやびのまねび」にたいして、いつも文化の全体性の中心であったし、これからも中心でありうるというのが、彼の確信だった。そしてこれを守るためには天皇と軍隊とを絆でむすぶような栄誉大権を、天皇が軍隊にたいしてもつような体制に変革しなくてはならない。これは政治概念としての天皇復活ではなく、文化概念としての天皇復活を意味するものだ。これがかれの行動の集団的な理念の中心にあたっている。

現在読むと、天皇は文化の全体性の統括者としての伝統を保ってきたから、この天皇の位置を回復し保持するために、栄誉大権を獲得しなければならないという考えは、三島由紀夫にとって「盾の会」をつくり、軍事的集団訓練と肉体の鍛錬を行い、行動の理念と論理と心理の基礎を与えようとしたことと、どこかで照応していたにちがいない。かれは「盾の会」の結成や訓練やメンバーの自衛隊への体験入隊を「間接侵略」に対置する民間防衛の一翼を担うためと書いている。そこまで言ってしまえば、はじめから空しい取るにたりない目的ということになりそうだが、わたしたちがかれの評論集にみている骨格は、じぶんの資質と才能と文学的営みの過程で、肉体、行動、現実にたいして次第に意志的にぬきさしならぬ根拠を与えようとして、思考をつみかさね、身体を錬成し、肉体そのものを精神の鎧で防御してゆく、孤独で異様な必然の姿であるようにみえる。かれの評論集成は、肉体的な行動をめぐる理念と論理と心理について、わが国でははじめての特異な一思想の誕生を、わたしたちに告知しているといっていい。(全四巻新潮社刊)