言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

西行論② ー僧形論ーその1

2017-12-16 13:59:02 | 言の葉綴り
言の葉49 西行論 ②
ー僧形論ー その1



西行論 著者吉本隆明 発行所(株)講談社 1990年2月10日発行
より抜粋

高野山真言宗総本山金剛峯寺の公式ウェブサイトより

一山境内地とは
総本山金剛峯寺と言う場合、金剛峯寺だけでなく、高野山全体を指します。高野山全体がお寺なのです。


僧形論1より抜粋
……平安後期から鎌倉期にかけて、山野に庵をかまえ、街巷に念仏をとなえて彷徨する僧形たちは、おおきく三つにわけてかんがえることができる。
(1)浄土寺門に得度したもの
(2)高野山の寺門につながる真言浄土系の聖
(3)独行の捨て聖
そして「選集抄」がとりわけ固執してみせている在家のものの個人的な動機による出家遁世の姿は、(3)の独行の捨て聖に、あたうかぎりよく似ていたといってよい。だが、手ずから「もとどり」を切った在家の遁世者にとって、僧形ということは、仏門の専従者になったいうよりも、現世を捨てたことの象徴にほかならなかった。かれらは、仏法の修錬にも、経文にも、仏事にも、ほんとうは無関心だったといってよい。この点で、単独の捨て聖とも異なっていた。ただ、こういう在家の素人が、何らかの動機から、つくづく在世の生活が嫌になって僧形になり、あとは、人しれず自滅することだけが望みだという生活をおくったとすれば、この生活にあたうかぎり思想的な根拠をあたえたのは、(2)の高野山系の真言浄土の聖たちと、(3)の単独の捨て聖のうち、思想的な根拠をもつものたちだったといえる。
西行とはなにものであったか、これは、わたしにとって最初の問いであるとともに、また、最後の問いでもある。西行が在家の武士であり、若年のある時、不明な、個人的な動機から出家したという意味では「選集抄」が偏執している一系列の世捨て人に似ている。また、西行が、生活思想についてのべたとしても、詩歌を通じてしか、いつさいの思想を語らなかったという意味では、当時のどんな僧形にも属さなかった。西行についてわたしたちが知っているのは、それだけだ。少しの糸口があれば、そこから解きほぐしながら、いくらかでも、それらしい西行の像に近づくよりほかに術はない。………

僧形論4より抜粋
伝説西行の出家の動機から、虚像をすべてひき剥がすとなれば、依然として無動機の出家しか心に当たらない。幼少から内向的で時代の思想に敏感なひとりの青年を想像すれば、かれはいつも出家遁世を心に忘れたことがなかったとしてよい。名利と愛憐の絆を捨てて、浄土を目指すことは、おおきな時代思想のひとつであった。僧侶概念を階層から切りはなし、学問修行の問題から思想
の実践の問題へと転換させたのは、横川にこもって念仏を提唱した源信が最初であった。この実践的な姿勢は、西行の生い立った時代には、貴族階級と接触する武門をとらえるまでになっていたのである。これが庶民をとらえるには、法然の出現までまたなければならない。こうかんがえると、時代思想として、出家遁世を実践しようとする姿勢が、鳥羽院の親衛であった西行をとらえる契機は、それほど不自然でなくあったとかんがえてよかった。かれは、身辺の動機なしにも、時代思想に敏感で、すべてに多感でありさえすれば、充分に出家遁世に踏みきる根拠をもつていたのである。出家は、いわば、平安末から鎌倉期にかけての前衛的な思想であり、僧形は、ある意味で前衛的でもあった。青年が流行の思想に踏み込むのに、いつの時代でも、さしたる個人的な動機が必要なわけではない。そういう意味では、西行の出家を時代思想に埋没させても、よいようにおもわれる。………

……西行の時代思想にたいする認識は、歌から間接的にうけとるほかない。

五首述懐
九〇八 身のうさをおもいしらでやゝみなまし そむくならひのなき世なりせば

九〇九 いづくにか身をかくさましいといても うき世にふかき山なかりせば

九一〇 身のうさのかくれがにせん山ざとは 心ありてぞすむべかりける

九一一 あわれしるなみだの露ぞこぼれける くさのいほりをむすぶちぎりは

九一ニ うかれいづる心は身にもかなわねば いかなりとてもいかにかわせん
(「山家集」中・雑)

西行は、出家遁世の時代思想が、身の近くになかったなら、漠然とした現実嫌悪の感性に、自覚的な内省をくわえることはできなかったろうと述懐している。時代思想は、ひとびとの不安に、浄土欣求への志向性をおしえた。その志向性は、どう実現したらよいのか。このばあい「深き山」というのは、比叡か高野、とくに高野山のような聖地をさしていた。そこには、おおくの遁世者が別所をつくり念仏三昧の修行や、日常の使役にしたがっていた。そこへ身を隠せば、現世の絆や嫌悪をたち切ることができた。だが、やってみなければ判らないことはある。思い切って僧形になってみての思いは別であったかもしれない。遁世者の世界には、その世界にしかない孤独がある。その孤独は名づけようがないが、草庵をむすんだあたり、草葉をこぼれ落ちる露にふれただけで涙ぐまれてくる。また、遁世の境涯は、ただそれだけで自足した静かな世界でもなかった。心はまた、遁世の境涯からどこかにさ迷いはじめる。どこへ浮かれ出てゆくのかわからないが、西行にとって、遁世僧形になりすましても終点にならないのは、たしかだった。………