言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

智恵子抄 ①

2017-03-25 10:05:22 | 言の葉綴り
言の葉 33 智恵子抄 ①

抜粋その1
智恵子抄 高村光太郎 新潮社文庫発行



同著のブックカバー裏面より引用

明治の末年、グロキシニアの鉢植をもってアトリエを訪れた智恵子嬢を〝人類の泉″と讃えた恋愛時代から、
〝東京に空が無い″と語り合った幸福な結婚生活を経て、夫人の発病、そして昭和十三年十月の永別——。しかも死後なお募る思いを〝智恵子の裸形を残して、わたくしは天然の素中に帰ろう″と歌い、昭和三十一年四月の雪の夜に逝った詩人の、全生涯を貫く稀有な愛の詩集である。

智恵子抄より抜粋

樹下の二人

——みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ——

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

かうやって言葉すくなに座ってゐると、
うっとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。

あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ霊妙な愛の海ぞこに人を誘うことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽やかな若さの泉を注いでくれる。
むしろ魔もののように捉えがたい
妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私は恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
大正十二・三


あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
昭和三・五

抜粋その2
高村光太郎 決定版 吉本隆明著 発行所(株)春秋社 昭和41年2月発行



同著「智恵子抄」論より抜粋

女の誇り(プライド)に生きたいとか何とか云つて威張ってゐる女、節操の解放とか何とか云つて論じ立てる女、これが当世社会の耳目を集めて居る彼の新しい女である。長沼智恵子は矢張りこうした偉い考へを持つた青踏社同人の一人である。女子大学を出てから太平洋画会の研究所に入つたのが四十二年で昨年辺迄同所に通つて居た。見た所沈着いた静かな態度物言ひをする女であるがイザとなれば大いに論じ男だからとて容赦はしない。研究所の男子の群に交つて画を描いて居ても人見しりするような事は断じてなく話かけられても気に喰はぬ男なら返事は愚か見返りもしない。其代り柳さんであらうが坂本さんであらうが写生旅行に行かうと云へば怯めず臆せず同道する。それで居て滅多に間違ひはないそうだ。中村 氏とは盛んにローマンスがあつたもので艶書の往復も可成りあつたと伝へられて居る。現に氏が重い病気の為に入院した時の如き智恵子が見舞いに行ったとて非常な評判になつた事なぞもある。それが何方から飽いたか飽かれたのか今では鼬の道で全然の他人になつて了て居る。聞けば中村氏の方では「あんな締まりのない婦は嫌になつた」と云つてゐる相だが智恵子を放れた中村氏は目下所定めず放浪的な旅行をしているのでこれを尋ねる某画家は大いに困つて居ると云ふ。更らに智恵子の方は近頃に至つて高村光太郎氏と大いに意気相投合して二人は結婚するのではないかと迄流言れたが智恵子は却々持つて結婚なぞする模様はない。矢つ張り友人関係の気分を心ゆく許り味はうとして居る。於暫くは公私内外一致の行動を取るのださうな。(「国民新聞」大正ニ年九月十日、「女絵師」(五))

高村は、そのころせまい美術家仲間や女人達の間で二人に関する悪質なゴシップが飛ばされ、二人とも家族などに対して随分困らせられた、と述べているから、この種の記事は、実際はもっと流布されていたにちがいない。一方では、高村の方にもデカダンス生活の高波があって、「よか楼のお梅さん」が、結婚するつもりで家に押しかけてきて、長沼智恵子の電報が机の上にあったのを見つけて、怒ってかえり、幕切れになるという場面があった。高村と長沼智恵子の結婚は、こういう公然とした庶民社会の視線のなかで、男女関係のデカダンスを噛みわけたうえでおこなわれたことに注意しなければならない。高村のデカダンスが、世界共通性の意識と、孤絶意識のあいだに、日常環境を設定できないところにあるかぎり、しかるべき江戸前の娘さんを嫁にして、光雲の門閥をつぎ両親、親族一統を安心させるというような日本庶民社会の習慣のうえに、結婚生活を築くことができなかったのは自明であった。高村がくりかえしのべたところによれば、長沼智恵子との結婚は、デカダンスからの浄化であった。それならば、高村が世界人たるの意識において日本の封鎖した庶民社会に生活の足場をきずきえなかった所以と、西欧先進の社会の優位性に対する絶望から孤絶意識におちいり、人種は人種を理解することができない、人は人を理解することができないというところに走っていった所以とは、長沼智恵子との結婚によってどうゆうふうに転換しえたのであろうか。たとえば「智恵子抄」は、「おそれ」のなかで、「私の心の静寂は血て買った宝である あなたには分かりやうのない血を犠牲にした宝である この静寂は私の生命であり この静寂は私の神である しかも気むづかしい神である 夏の夜の食慾にさへも 尚ほ烈しい擾乱を惹き起すのである
あなたはその一点に手を触れようとするのか」とかいて、高村の孤絶意識が、長沼智恵子との恋愛でアンビバレントにはたらくさまを叙述している。この内心のアンビバレントと、四辺の悪声とに高村はどのような意識を対置させたのだろうか。私のかんがえでは、高村は独特の「自然」思想を対置させたのであった。








春の京都 桜の古社寺案内 祇園白川、平安神宮、平野神社

2017-03-11 12:17:14 | 言の葉綴り
言の葉 32 春の京都 桜の古社寺案内
祇園白川、平安神宮、平野神社

サライ 2015年4月号別冊付録
洛中洛外11カ所 より抜粋






祇園白川

歌人も愛でた、川の流れと石畳に映える枝垂桜
見頃 4月上旬
樹種 枝垂桜、染井吉野など





祇園は、平安中期より八坂神社の門前町として発達をみせた。参拝者を相手に、茶屋町が形成されていったのである。とりわけここの八坂神社は、全国の八坂神社と素戔鳴尊を祭神とする約3000社の総本社。平安時代、朝廷の特別の崇拝を受けた22社のひとつに数えられたことにより、信仰が広がった。八坂神社東に隣接する円山公園には京都を代表する名木、樹齢80年を迎え枝垂桜が、妖艶な姿で佇む。
祇園の交差点から東大路通を北に歩を進めると白川に差しかかる。ここから白川沿いに通る白川北通と白川南通一帯が、祇園随一の桜の名所として知られる祇園白川だ。石畳の道に並ぶ格子戸、白川の流れと柳が風情を織りなす。



歌碑近くに咲く優美な枝垂桜

とりわけ春、水面に影を映して桜が咲くさまは古都ならではの雅趣に満ちる。白川を北通から南通へ行くと、巽橋付近に巽橋大明神がある。そこには、小さな社を覆い隠すかのように染井吉野が咲く。その名所を過ぎるとまもなく歌碑が立つ。京都に心魅せられた歌人吉井勇は、

かにかくに 祇園はこひし寝るときも
枕のしたを水の流るる

と詠んだ。その詩情に応えるように、歌碑近くには枝垂桜が優美な姿を見せる。
そこから先に続くのは、染井吉野の桜並木。陽光のもと眺めるのも良いが、ライトアップされた夜桜にもぜひ足を運びたい。宵闇迫るなか、灯りに浮かび上がる桜は幽玄な興趣に満ちている。


当方より
2年前4月上旬、京都花見の旅に出かけた折の最終日、都をどり(会場 祇園甲部歌舞練場)を観覧。歌題は琳派400年を記念して「花都琳派染模様」と題した、八景仕立てでの披露。美しく、華やかな芸妓さん、舞妓さんたちの京舞を楽しんだ。

会場 點茶


会場の庭




平安神宮

谷崎潤一郎が〝紅の雲〟と称えた、境内を覆い尽くす紅八重枝垂桜

見頃 3月下旬〜4月中旬
樹種 紅八重枝垂桜、染井吉野、彼岸
桜、山桜など






平安神宮の神苑に足を踏み入れると途端、紅八重枝垂桜が天蓋を覆い尽くすように咲くさまが目に飛び込む。その紅色、量感ある八重の花びら、枝の流線。王朝絵巻を想起させる華麗さに満ちている。
そんな圧巻美は、文豪・谷崎潤一郎の心をも奪った。小説『細雪』のなかで、主人公の姉妹は京へ花見に出かける。《彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残しておくのは、この神苑の花が洛中に於ける最も美しい、最も見事な花》だからである。《夕空にひろがっている紅の雲》を《一年待ち続けた》。《まことにここの花を措いて京洛の春を代表するものはない》。美に執着し、美の真髄を生涯かけて見定めようとした谷崎が幾度も表現を変え、ここまで手放しに称賛するのは稀である。

300本の桜が神苑に咲く

その平安神宮の代名詞である紅八重枝垂桜は咲き始め、満開、散り際と、すべてが風情に満ちる。しかし、五分から七分咲きの頃に、その紅色が最も濃くなるといわれる。それ以外にも彼岸桜、山桜、寒緋桜、鬱金桜、染井吉野など約20種が咲き誇る神苑の大きさはじつに約3万㎡。そこに約300本もの桜樹が配置されているのだから、見事という他ない。
《池の汀、橋の袂、路の曲り角、廻廊の軒先、等にあるほとんど一つ一つの桜樹の前に立ち止って嘆息し、限りなき愛着の情を遣る》。そうも綴った。





なかでも名所とされるのは、朱色の神殿に紅八重枝垂桜が美しく映える南神苑。より侘びた風情を望む向きは、東神苑がよいだろう。そこには京都御所より下賜された建物の尚美館が、栖鳳池のほとりに佇む。その書院造りの建築物は池にせり出すように立ち、閑雅な姿を桜とともに、鏡面へ映している。




平野神社

60種類、約400本が咲き競うさまは〝桜の博覧会〟の趣
見頃 3月中旬〜4月下旬
樹種 魁、寝覚、胡蝶、嵐山など







3月中旬、春の彼岸前になると、早くも魁という枝垂桜の一種が、その固い蕾を押し開く。早咲きのこの桜樹が開花すると、「京都の花見の幕が開いた」と人々は囁く。平野神社の境内にあるのは約60種、400本もの桜の木。数多、桜の名所が存在する京都のなかでも圧巻である。「桜の宮」という美しい呼称がついたことにも、得心がいく。

多彩な樹種を一か月半愛でる

何といっても特筆すべきは、その桜の種類の多さだろう。例えば、「平野神社の珍種10」に挙げられるのは魁、寝覚、胡蝶、嵐山、虎の尾、平野妹背、御衣黄、松月、手弱女、突羽根。風流な名には、それぞれ謂れがある。白色の一重で、葉が茂ると同時に開花するさまが「目の覚めるよう」だとその名がついた寝覚。大輪の淡紅色の花をつけるため満開時にはあたかも蝶が飛んでいるかのように見える胡蝶。平野妹背は実を結ぶ時、花柄の先に可愛いらしいふたつの実をつけることに由来し、夫婦や仲の良い男女を表すという。
約8000坪もある境内は、このさまざまな種類の桜が順次、開花する。1か月以上にわたり、異なった雅景が眼を愉しませてくれる。桜樹がこれほど多いのは平安中期、桜を愛したその名も花山天皇が、境内に植えたことに起源を持つという。以来、生命力を高める神の象徴として、平野神社は桜を盛んに植樹してきた。
さらにここは江戸時代から「平野の夜桜」としても名高い。夜の帷が降りると、昔ながらの雪洞に柔らかな火が灯り、桜を照らし出す。そして幻想的な世界へと人々を誘ってくれる。




当方より
同じく2年前4月上旬、京都京花見の旅では、当日生憎雨模様で、平野神社の境内は泥濘んでいた。それでも、本殿側の白雲、平野妹背、大内山、御衣黄、芝山などを愉しんだ。
また、都をどりの第八景は「平野社桜花絵巻」で、平野神社本堂と満開の桜を背景に、出演者全員が登場し華やかなフィナーレとなった。