言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

シェイクスピア・アンド・カンパニィ書店① 5 パリの「ユリシーズ」

2019-07-24 09:55:23 | 言の葉綴り

言の葉74 シェイクスピア・アンド・カンパニィ書店 ①
5 パリの「ユリシーズ」


シェイクスピア・アンド・カンパニィ書店 著者 シルヴィア・ビーチ
訳者 中山末喜 初版発行一九七四年
発行所 (株)河出書房新社より抜粋




5
パリの「ユリシーズ」



私が、ジェイムズ・ジョイスに会ったのは一九ニ〇年の夏のことで、私の書店が開店して丁度一年目のときでした。ある蒸暑い日曜日の午後、アドリエンヌはアンドレ・スピールの家で催されるパーティに出かけようとしていました。彼女は、スピール一家はきっと喜ぶだろうからと言って、彼女についてくるようにと私に言い張りましたが、私は躊躇しました。スピールの詩に私は心を惹かれてはいましたが、個人的には彼に全然面識がなかったのです。最終的にはいつもの調子で私を強引にに説得し、私たちは、当時スピール一家が住んでいたヌーイに一緒に出かけました。
スピール一家は、ブローニュの森通り三十四番地にある建物の二階の住居を借りて住んでいました。確か、この建物の回りを何本かのよく繁った大木が取り囲んでいました。聖者のようなあご髭とたて髪のような巻き毛の頭髪をして、どこかブレイク(ウイリアム・ブレイク、一七五七年〜一八二七年、イギリスの詩人)を思わせるようなスピールは、彼の不意の訪問者を大変親切に歓迎すると、やがて私を傍に引き寄せ「例のアイルランドの作家、ジェイムズ・ジョイスがきていますよ」と、私の耳に囁いてくれました。
私は、ジェイムズ・ジョイスを大層崇拝していましたので、彼がきているというこの予期せざるニュースを聞くやいなや吃驚してしまい、逃げ出したくなってしまいました。しかし、スピールは、ジョイス一家を連れてきたのはパウンド一家ですよと私に話してくれました——開いた扉の隙間からパウンドの姿が見えました。私は、パウンド一家なら馴染みになっていたので、中に入っていきました。
ー中略ー
私はパウンド夫人を発見し、彼女の傍に近づいて話し掛けました。夫人は一人の魅惑的な若い女性に話し掛けておりましたが、この女性がジョイス夫人だと紹介すると、それから私たち二人を残して席を立ちました。ジョイス夫人は、どちらかと言えば背の高い方で、太ってもいず、やせてもいませんでした。彼女はとても魅力的で、巻き毛の赤味がかった髪の毛と睫毛をし、眼はきらきらと輝いておりました。彼女の声にはアイルランド人特有の抑揚があり、さらにある種の重々しさもあって、これがまた一層アイルランド人らしさを示していました。彼女は、私たち二人が英語で話ができることを知って喜んでいるようにみえました。ジョイス夫人はこの場で交わされる言葉を一語も理解できなかったのです。イタリア語だったらどんなによかったでしょうに。ジョイス一家はトリエステに住んでいたので、家族みんながイタリア語を知っていて、家ではイタリア語を話すことすらあったのです。
私たちの会話は、スピール氏が美味しいゴールド・サッパー(ビーフ等を主体とする夕食)を始めるので長いテーブルにつくように誘った時中断されてしまいました。われわれが食べたり飲んだりしている時、アルコールを全然口にしない一人の客がいることに気がつきました。この客は、コップにアルコールを注ごうとするスピール氏の再三の勧めを断っていました。最後にこの客はコップをひっくりかえしてテーブルに置き、スピール氏の勧めを完全に断ってしまいました。この客がジェイムズ・ジョイスだったのです。そして、パウンドがジョイスの皿の前のテーブルの上に全ての葡萄酒の瓶を並べ始めると、彼はかんかんになって怒ってしまいました。
夕食が終わると、
ー中略ー
私は天井まで書物がぎっしり並べられている小さな部屋にぶらっと入っていきました。すると、その部屋の二つの本箱の隅にうずくまってジョイスがいたのです。
身震いを覚えながら私は「ジェイムズ・ジョイス先生ですか」と尋ねました。
「ジェイムズ・ジョイスですが」と、彼は答えました。
私たちは握手を交わしました。つまり、これを握手といえるかどうか分かりませんが、彼は彼のしなやかで骨のないような手を私の硬い小さな手の平の中に入れたのです。
ジョイスは中背で、ほっそりとし、少し前かがみでとても上品でした。誰もが彼の手に注意しました。手はひどくほっそりしていて左手の中指と薬指に指輪を嵌めていました。それも、がっしりとした嵌め込みの宝石の指輪をでした。彼の眼は濃いブルーで、天才の輝きをおびてとてもきれいでした。しかし、私は、彼の右眼が少し異常であるのに気づきました。そして、彼の眼鏡の右のレンズが左よりもずっと厚めであるのにも気づきました。彼の髪の毛は房々していて、赤黄色で波状にカーブし、広くて生え際の整った額から高い頭の上に撫で上げられてていました。彼は、私がかって経験したことのないずば抜けた感受性の持主であるとの印象を与えました。膚は美しく、二、三、そばかすがみられましたが、やや赤らんだ色艶をしていました。顎には一種のあご髭を生やし、鼻筋が通り、唇は薄くくっきりと刻まれていました。私は、青年時代にきっと美男子だったに違いないと思いました。
テノール歌手のような甘い音色をおびたジョイスの声は、私をうっとりとさせました。
ー中略ー
「何をされていますか」とジョイスは尋ねました。私は、シェイクスピア・アンドカンパニィ書店のことを彼に話しました。この書店の名前、それに、私自身のこともジョイスの興味を呼んだようです。魅了的な微笑が彼の口もとに現れました。ポケットから小さな手帳を取り出すと、私は眺めていてとても悲しい思いで気づいたのですが、この手帳を彼は眼の間近まで近づけて名前と住所を書きとめたのでした。彼は、そのうち私に会いに行きましょうと言ってくれました。
突然、犬が吠えてジョイスの顔が真っ青になりました。事実、彼はぶるぶる震えておりました。犬の吠え声は通りを隔てて聞こえてきました。私が窓から眺めてみると、犬はボールを追って駆けていました。大きな吠え声ではありましたが、私の感じでは決して人間に噛みつくような吠え声ではありませんでした。
「こちらにやってきますか、どう猛なやつですか」と、ジョイスはひどく不安そうに尋ねました。(彼はどう猛という言葉を独特に発音しました。)私は、犬はこちらにやってきていないし、どう猛にも見えないと彼を安心させるように言ってやりましたが、彼は依然として気がかりな様子で、犬が吠えるたびに、びくびくしていました。彼は、「この動物」に顎を噛みつかれた五歳の時から、犬がとても恐ろしくなったと私に話してくれました。そして、あご髭を指差しながら、これはその傷跡を隠すためなのですよと言いました。
私たちは話を続けました。ジョイスの態度には何の飾り気もなかったので、私は、当時最も偉大な作家を前にして圧倒されましたが、何かしら彼と話しているととてもくつろいだ気分になりました。この最初に会った時も、その後もそうでしたが、私は常に彼の才能を意識しておりました。それでいて、私は彼ほどくつろいで話ができた作家を知りません。
ー中略ー
パーティのあったその翌日、ジョイスがダーク・ブルーの上着を着、フェルト帽を阿弥陀に被り、余り白くもないゴム底の運動靴をはいて小刻みな足取りで急な坂道の小路をのぼってきました。
ー中略ー
ジョイスは、私の書店に入ってくると、ウォルト・ホイットマンやエドガー・アラン・ポーの写真を、次いでブレイクの二枚の絵を注意深く覗き込みました。そして、最後にオスカー・ワイルドの二枚の写真を検閲しました。これが終わると、彼は私の机の傍にあった余り座り心地のよくない小さな肘掛け椅子に腰を下ろしました。
ー中略ー
私は「ユリシーズ」のことを聞きたくてうずうずしていました。そこで、私は彼がこの作品を書き進めているかどうかを尋ねてみました。“I am”(アイルランド人は決して“Yes”とは言いません。)彼はこの作品に既に七年間取り組んでいて、目下書き上げようとしていました。パリに落ち着けばすぐに続けるつもりだと語りました。
ー中略ー
ジョイスは店を出る前に、私の貸し出し文庫の会員になる方法を尋ねました。『海に騎りゆく人人』を棚から取り出して、この本をお借りしたいと言いました。彼は、彼がチューリッヒで組織した小さな演劇グループの公演のために、一度この芝居をドイツ語に翻訳したことがあったと話してくれました。
私は、「ジェイムズ・ジョイス、パリ、ラソンプション通り、五番地、一か月の登録、七プラン」と記入しました。そして、互いに挨拶を交わして別れました。私は、ジョイスからこの数年間の彼の仕事の様子を聞き、大層感激したものでした。