言の葉綴り155心的現象論•本論②
あとがきにかえて➖『心的現象論』の刊行にあたって
吉本隆明インタビュー
心的現象論•本論 吉本隆明著
2022年1月31日 初版一刷発行
発行所 (株)文化化学高等研究院出版部より抜粋
『心的現象論』を書きはじめた時、個人の幻想が共同幻想につながるところ、それは集団性と社会性につながるところまてのびていけばいい、その意図が推察してもらえるところまでいけばいいというかんがえで、「このように完成する」という意味合いはなく、「だいたい、いくところまでいったな」というところで止めて、そのままになっているのですが、その間、わたしの姪が子宮がんになり、医者から「これ以上の治療はない」といわれた。姪から「あてがないのならば、治療を打ちきりたい」という相談が来たのです。
それはちょっと待ってくれ、そういうことを決めるのは、お医者さんは医学的見地からそうおっしゃるだろうけれども、家族親族の見地からすると、最終的によく看護なさっている方の意向を確認して、「治療を打ちきって結構です」と承認を得なければ、今の段階では確認できないし、強行することもできないはずだ、そういって待ってもらったのですが、当人はよくわかっていて、わたしに「おじさん、どうかんがえたらいいの」とたずねられた。要するに死ぬとわかったばあいのじぶんの気持ちをどうかんがえたらいいのと聞かれて、それに答えられなかったのです。今も答えられないかもしれませんが、その時はもろに答えられなかった。
なにをどういっていいのかじぶんでもわからない、病院の中だけで車椅子で散歩しながら、世間話、何気ない会話をする以外何もできない、じぶんは何もできない、本当に答えがない。「もういかんよ」と知っていて、医者からもそういわれ、そんな状況にある人から、「どうかんがえたらいいの」といわれたら、答えられるか今でもすこぶる疑問です。そういうことが途中で入った、それが気分として、あるいは記述として入っているのではないでしょうか。
本来的に、死の問題はそこに入っていたわけでも何でもないという意味合いからすれば、べつにどうという
こともないと思っていたら、全然知らない読者の方から「交通事故」について「どうかんがえたらいいのかわからないから、もし何かあったらいってくれないか」とべつの機会に尋ねられたのですが、これも何もいえなかった。
『心的現象論』を連載して最中に、姪たちからそのことをいわれて、ほどほどまいったというか、反省にもなりました。つまり通りやすいところばかり通るな、通りやすいところばかり通ると必ず抜け落ちてしまう重要なことがあって、実際問題としては、人にとっては重要なのであり、そこを適当なところで済ましているのではないか、それはきちんとしっかりかんがえぬかねばならない、それでなけれは思想などといえないとおもったのです。
答えることができないこれでは駄目だ。こんなことに答えられないのに、何か書いたり、やったりしても、そんなことでは意味がない。ほんとうに駄目なのだとおもいはじめるようになって、そのことをそれなりに一生懸命にかんがえたりしたのですが、姪のことで自分の思想的範囲、囲い、守備範囲の中では答えるだけのものは、しぶんにはない。徹底的に、はじめからこれは駄目だ。これについては、もしじぶんなりにやるならば、これからかんがえていかなければいけない。そういうふうにおもうまま、姪は亡くなったのですが、それは今もひっかかっています。なんとかじぶんなりの出口はないのか。じぶんだったらどうなのか。そういうことは今でもじぶんでわからないけれども、ひとつの問題としてはいつでもあります。
とりあえず、わたしなりのフーコーの読み方と、わたしなりの親鸞の読み方があります。親鸞は「死なんてものは、かんがえるな。それがいちばんいい」といっている。死というものは、当人にとっては、いつどんなばあいにどんな病気でやってくるのか、予測も何も全然できない。そういうものに、わかったようなことをいうのはおかしい。死については、かんがえるなというのです。
具体的に、医学的に、科学的に、死といっているものは、死ではなくて、親鸞は浄土教だから、そこからすぐに浄土に行ける。ふつう人が死といってるものは、そういうことであって、実際の死とちがう。死に至ってどうするのかといえば、浄土というか、天国というか、理想社会かもしれませんが、そこへ行く前提のところまでは行けることは、非常にわかっていることなのですが、それ以上のこと、いつどういう形でどういう病気で死ぬかは全然わからない。死について何かをいうと、まるで見当ちがいなのです。それが、親鸞が浄土教として最後に到達した観念です。
フーコーは、人間は生まれた時から、死ぬ時までを全部が見える場所にあるのではなく、死はその人にくっついているわけではない。いってみれば、対極的には親鸞と同じような考え方をしています。死んだと人がいっていることも、医学的にいえば、ほんとうの死は細胞がすべて死んだ時は死といえるけれども、いくらかでも生きた細胞が残っている時に、死というのはほんとうはちがうのだ。すると、死というものは、人がかんがえるように、ここまで生きて、ここで死んだという区切りはできないのであって、死とは時間であって、厳密に科学的、医学的にいえば、ひとつの細胞も生きていないところまでいった時、はじめて死というべきであって、それは当人にわかるわけもない。そんなことをわかったようにいうのはおかしい。科学的な考え方にたいして、親鸞は宗教的にかんかえて、そんなものわからないのに、かんがえるのはおかしいという考え方です。
親鸞は思想的にはもうすこし重大なことをいっています。浄土教は、インドでは今でもそうだとおもいますが、死にそうな人を集めてきて、仏像の手から五色の紐を垂らして、その紐をつかみながら最終的に臨終の念仏を唱えるという考え方を編み出していったが、親鸞はそういうことは徹底的に嘘だ、そんなことはわかるはずがない。わからないのにそういうことを予め想定するのはおかしい。浄土あるいは天国でもいいが、実体として、死んだ後にどこかにあるという考え方自体が間違いだ。だから臨終に際して、臨終の念仏を重要視する浄土教の考え方を間違いだ、浄土とはそういうものとはちがうのだ、親鸞は、その説明として、料理の「科」という字を使っています。それを過程なのだという意味合いだと使ってしまうとちがってくるし、それはひとつの手段、というとまたちがうのですが、とにかく、実体として浄土があるという考え方を否定してしまうのです。だいたい、わかりもしないことをいうのはおかしい、予め設定するのはおかしいという考え方だとおもいますが、徹底的にそこまで持っていってしまっています。それがいちばんいい考え方というか、フーコーも『臨床医学の誕生』の中でやっていることもいちばん妥当なかんかえで、死は生まれた時から死ぬ時まで見ているもの、つまり本人にくっついているものでは全然ないのだ、ということです。この考え方はたいへんわかりやすくて、いい考え方だとおもいます。親鸞も宗教的に、ほぼ同じところにあって、取りようによっては、仏教における死や念珠や念仏や浄土を実体化する考え方を徹底的な否定してしまった。その考え方は宗教として最終的な考え方ではないかとおもいます。
ガンジス川の河川敷に小屋が建っていて、死にそうな人をそこに連れてきて、坊さん階級の人が世話したり、説教したりして、最後は行けそうな感じがするやり方をしています。日本でも仏教が入ってきた時、鴨川のほとりにそういうものをつくってやっていた。親鸞はそういうものを徹底的に否定します。
こういう問題が途中であったのです。聞かれても何も答えられない。このざまはないな、と。交通事故でケガしたことをどうかんかえればいいのか。そういう思想的な問題にたいして、何も答えられなかったし、しぶんではショックでした。「こんなこともいえないのに、やったような顔をするな」とじぶんでおもって、一生懸命にかんかえたのですが、そういうことが途中で入って、脇道に逸れたりしています。
ーー実際に、『心的現象論』は三十年以上かかって書かれました。『序説』(一九七二年九月刊行)におさめられたのが、一九六五年十月から一九六九年八月まで、この本論は、一九七○年一月から一九九七年十二月までです。これはたいへんな思想の持続力です。三十二年間、どういう状況だったのでしょうか。
なぜ、まとめなかったかというと、いろいろな面で理由があるのですが、何がいちばんひっかかって問題だったのか、それは言葉による表現もそうでが、一種の自己疎外なのです。自己疎外は、何かをすれば、されたものは皆、価値化する。マルクスの言い方をすれば、あらゆる行為の対象となったことは、精神的行為ないし身体的行為の対象自体は、その人の身体の延長線に変わってしまう。そのことをもし価値化といえば、価値化してしまう。元のありのまま、物質とか、自然とは、それはちがうものである。価値化した自然は、人間化した自然といえるものです。
同時に、それは、人間が自然に変わっている時だ。精神的な行為をしたとか、精神的にかんかえたとか、身体的に行為をしたとか、精神と身体のどちらでも、何かにたいして仕掛けたばあい、人間は本来的な人間ではなく、マルクスはそれを有機的自然といっている。つまり生きた自然に変わってしまってる。自然の方は生きていない。価値物に変わってしまっており、元の物質でもなければ、観念でもない。そのように変わっており、それを承知の上で、人間は有機的な自然物に変わっている。
そのことは、言語の表現にももちろんなりたつわけで、マルクスの基本的な自然哲学であると、観念でわかっても、実感的として、具体性を帯びたひとつの考え方としては、どうしてもこちらには入ってこなかった。
「表現は自己疎外のひとつだ」という言い方をこの本でしていると思いますが、「それをじぶんはほんとうにわかっているだろうか」とたいへん疑問であり、具象性を帯びて、わかったという感じにはならなかった。それが嫌で、この本を刊行するという話が出ても流れてきたという案配です。これをまとめるという気にならないというかんがえになっていたのです。
今はほとんど具象性を持っている気がじぶんではしています。マルクスの考え方は最終的に、未だ滅びていないと、じぶんが信じているところなのです。後の話はたいてい、困った話ではないかととおもっています。レーニンの『唯物論と経験批判』とか、スターリンの「上部構造論」は全然駄目じゃないか、「駄目だ、駄目だ」とあまりいわないようにしているのですけれど、じぶんの中では、生きているのはたぶん、マルクスの自然哲学だけです。人間の観念の作用と、実際的な身体行為と、それ以外のものとの関係の仕方を自然哲学とすれば、それだけは今現在も残っているとおもっています。その他のことは駄目になっているのではないかと。わたしはそうおもっています。
以下略
ーー吉本隆明インタビュー ニ○○七年三月六日 聞き手 山本哲士