言の葉綴り

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〈非知〉へ——〈信〉の構造「対話篇」 ③ロゴスの深海…その2

2020-11-19 10:28:00 | 言の葉綴り

言の葉16〈非知〉へ——〈信〉の構造「対話篇」

③ロゴスの深海その2







〈非知〉へ——〈信〉の構造

「対話篇」一九九三年一二月二五日発行      著者吉本隆明 発行所株式会社 春秋社

より抜粋







ロゴスの深海

対話者 梅原猛


日本人の信仰  より抜粋


吉本  いまは、仏教受け入れ以前の日本の宗教みたいなことが梅原さんの関心事ですか。

梅原  私は人間が宗教というものを考え出したのはいったいいつの頃で、それはいったいどういう意味をもっているかということを考えているのです。死んでから天国へ行くという、そういう思想は実に古いものじゃないかというようなことです。そういう思想が発明されたのは少なくとも三万年ぐらい前じゃないでしようか。そういう思想がいろいろな形で残っていて、いろいろな宗教になって、展開してくるんだろうと思うんですけど、私はいまそういう古い日本の宗教をなんとか再現できないだろうかと考えているんです。土着宗教といわれる言葉の真の意味になんとか肉薄したいというふうに思っているんです。土着分化といいますか、土着の言葉や宗教を、いろいろな学問を総合して少しでも解明できないかということに、いま情熱を燃やしているんでくけどね。

吉本  ぼくは親鸞を読んでいてときどき疑うことは、この人は本当に死んだら浄土へ行くということを信じてないんじゃないかということなんです。疑うけれど親鸞は言葉でそう言っていないので、確信は持てないのですが……

親鸞は信心が定まったときに往生も決まる、そうはっきり言っていますし、それで命終(めいじゅう)つまり此の身が終わったときを待つこともないし、来迎を待つこともないんで、信心が決まったときに往生が決まるんだ、つまり信心が決まったときに正定の位に就いて、それはもう浄土はすぐに行けるところなんだ、そういう言い方を繰り返しますね。だから確かにそう信じているように思いますし、それから、いずれ浄土でお会いしましょうみたいな言い方を書簡の中でしているところもありますから、浄土という死後の浄福の世界を信じていたというふうに思えることは確かなんです。そうですが、そうであるにもかかわらず、この人は浄土ということには醒めた、死後の世界ということには醒めた人だなという感じが一方ではしてしょうがないんです。

梅原さんはそう思われませんか。つまり親鸞は、信心が定まったときに正定聚(しょうじょうじゅ)という位に就く、それは浄土にすぐ行ける場所なんだと強調するけれど、浄土自体が美麗な美しい世界だという観相浄土は否定しているところがあって、正定の位ということを繰り返し説いている。

これはぼくの小規模な、勝手にこじつけた解釈になるわけですが、親鸞は二つの死後の世界あるいは死というのを考えていて、一つは正定の位というふうに言っている。そのことを親鸞は死というふうに考えていたんじゃないか。

もちろん肉体が死んだ後に浄土に行く、命が終わった後には浄土に行くわけですが、別に来迎なんか待つこともないんで、その行くことはもう決まりきっているんだというふうな言い方で言っています。そういうときには死後の世界として浄土を描いている。だけれど、親鸞は信心が決まったときにその位に就くといっている正定の位というのをかなり重要な死という観念に当てているんじゃないか。そういう気がしてしょうがないんです。つまりどうも親鸞の中に死が二つあって、その二つが、親鸞が信仰というものをもう一度立体化しようとするところの大きな要になっているんじゃないかなという気がします。

死とは何かということを考えるとき、リルケのように昔の人は胸の中にいつでも死を持っていて、だから生き方がよかったんだというような言い方がある。そういう「胸の中にいつも死があったから」という言い方と、それから「もっと古い時代には、どこかの山のてっぺんとか海の向こうの何とかいう島にちゃんと死後の世界があって、そこでいつでも魂が仲良くしていて、いつでも村里に帰ってこれるんだ」みたいな、そういう言い方がありましょう。

そういう、時代の死の認識の仕方という言い方で考えて、現在死というのはどこにあるんだけどいうことは、やはり相当一生懸命見つけていかないといけないんじやないかな、といったことを考えるんです。

梅原  『教行信証』ですけどね、やっぱり死後の世界についてはの巻をみなければいけませんね。

吉本  ええ、ええ。

梅原  巻は『教行信証』でいちばん読みづらいところです。そこで、十八願浄土と、十九願浄土と、二十願浄土が分かれるわけですね。つまり、易行を信じている人間はすぐに極楽浄土へ行くが、それを信じない人間はすぐそこへ行けない。煉獄みたいなところしか行けないという。という点で浄土の差別が出来ることを説くんです。だけど『教行信証』のまではよくわかるんですけど、の世界にどれほどの情熱を親鸞はかけたかということに、私も疑問を感じていたんです。

吉本さんの言葉に即すれば、親鸞の『阿弥陀経』はあまり著書に引用していないですね。『阿弥陀経』というのは美しい浄土の様を書いている。こういう美的に浄土を説いた経典をあまり引用していない。それから『観無量寿経』にしてもあまり引用していない。これはそういう美的浄土へ往生する方法を説いているんですけどね。

そうすると、の世界は、おっしゃるように稀薄になってくる。しかし私ははの世界なしに浄土教は成立しないと思うんですよ。やはりの世界が中心になる構造を持っているんでしょうね。もう一歩進むとの世界が消える。しかし、消えたら浄土教ではない。日蓮はの世界を切ってしまいますからね。現実の世界が仏の世界で、現実が仏の世界で、現在が浄土という考え方になります。しかしまだやっぱり親鸞でも浄土教である限りは、それを残しているわけです。現世が絶対にはならないですね。だからどれだけ信じているかわからないけれど、少なくとも、現世を絶対にしないという制約を親鸞の浄土教が持っているところが、重要な点じゃないかと思います。

それからもう一つ、現在においていったい死はどうなっているのかという問題ですが、現代文明は死を他者として見ていんじゃないかと思う。だから突然にこの死がわれわれの中に入って来ると、その他者が入って来たときどうしょうもない。われわれは死に対して思想的になんの対策も持っていない。そういうことでしょうね。

われわれの祖先だと、死というものにたいする対策をもっていた。長い間日本人の信仰では、死は魂が肉体を脱ぎ捨ててあの世に行くことだった。だからおっしゃったように、魂は山のあなたに行ったり、海の彼方に行ったりして、そして天に上がって、また甦ってくる。こういう信仰が、私は日本の古来からの信仰だと思いますね。ときどき祖先の霊は、お盆やら、正月やら、またお彼岸にもやって来る。そしてそれは子孫の守り神としてずっと子孫によって祭られながら、霊がずっと生きているんだと、そういうことだと、死というものは耐え易いですわね。

それから浄土教が入ってきて、実は霊は、そういうふうに、山へ行って、  天へ行って、また帰ってくるんではなくて、極楽浄土へ行くんだということになる。だけど、柳田国男が大変おもしろい指摘をしているんですけど、日本人は死後の世界を必ずしも浄土教のように考えていない。死んで遠い極楽浄土へ行ったと言いながら、お盆には帰ってくると信じている。だから本当は遠い極楽浄土に行っているのではなくて、山から帰ってくるのだという信仰をどこかで保存している。あの世の性質をあいまいにしているのが、日本人の信仰だと言う。これは大変的確な指摘ですよ。

私はだんだんわかってきたんですけど、それで、日本の宗教儀式の中心に死者を天国に送るとか、極楽に送るとか、死者送りの儀式がある。だから、仏教は葬式仏教だと言うけれど、いちばん大事なのは死者の魂を無事にあの世に送り届けること。そうすることによって、後に生まれ変わって来ることができる。ここら辺に霊が迷ってウヨウヨしていると、大変困ったことになる。生まれ変わることができないし、宇宙の循環を妨げることになるというので、魂を天に送るというのが、古くからのもっとも大切な日本の宗教儀式だと私は思うんです。そのような文化で育てられた人間は、死というものを、率直に受け入れられると思いますね。


現代と親鸞  より抜粋


梅原  ところがいまのようになってしまって、近代文明というのは自我が中心になった。ところが自我は絶対ではなくて有限だ。必ず死がやって来る。その場合に、死はそもそも絶対的であろうとする自我に対して、他者として存在する。その他者が何か暴力をもって自我の中に入り込んで、そして自我の存在を奪ってしまう。それにどうして対処するか。だからなんらかの形で、死というものをもう一遍考え直さなければいけない段階に来ているような気がしますね。われわれの同世代に癌になる人が多いですけど、明日、癌だといわれたら、吉本さん、どうするか(笑)。それをみんな見ていると思うな(笑)。

吉本  梅原さん、それはこんなことですよ。ぼくらの年代では、このあいだ橋川文三さんが亡くなられたけど、橋川文三さんの最後の葉書を読みますと、岡倉天心に触れた文章と、その後書きのところで、「自分は戦中派として、歴史意識みたいなものにこだわってきた。でも今は歴史体系みたいなものを離脱して、宇宙的な何かを信じたいみたいな気持ちだ」といった謎のようなことを書いておられるんです。それからぼくの知り合いの谷川雁という男は、昔からそういう書き方をする人ですけれども、「いまから十の何乗倍か知らないけど、億年か知らないけど、そういうずっと後になってから、高句麗の浜辺に立ってみたい」とかね(笑)。そういうことをそろそろ言い出したわけですよ。

ぼくは、それほど死後にこだわりがない。およそのところでは、死ねば死にきりと、そう思っているわけです。ただ、肉体が死ぬか死なないかっていうことでは、自明のことならばそれはそれでいいんですけれども、そのときどうわめき騒ぐか、そういうことについて、ぼくは少しも自分を保証しない。そうじゃなくて、常住不断に自分の生を見ている死からの視線はどこにあるのかとか、どのように死を捉えるかということが、自分で重要なような気がしているんです。

だからそれは努めてなんとか見つけたいもんだと言いましょうか、どこにあるのか、それはどこの場所にあるんだって。死は自分の生をどういうふうに見ているのかということは、やはりよくよくはっきりさせておかないといかん、というような気がしているんです。


(中略)


吉本  そうですね。本当にそこの問題で、現代ということと自分なりっていうこととは無関係の二つではないんでしょうけれども、やっぱり自分なりの死と言いましょうか、生を照らす死みたいなものを発見する場所と、それからその構造と言いましょうか、実態と言いましょうか、それを自分ではっきりさせなければしょうがない、そういう感じを持っています。まだ発見しているわけではなく、依然としてさまよっているということですけれど、それをはっきりさせたいみたいなということがあります。

ヨーロッパのそれこそハイデッカーの影響を強く受けてたような若い年代の思想家は、それなりによく考えている気がいたします。でも、本当にそれは一生懸命探さないと行けないみたいな感じがあるんです。ぼくはあまり谷川雁が書いたみたいに、何十万年後に高句麗の浜辺に立ちたい……(笑)。なかなかそういう気にならないんです。本当に難しい問いと思いますけどね。


(以下略)




〈非知〉へ——〈信〉の構造「対話篇」 ③ロゴスの深海…その1

2020-11-09 13:05:00 | 言の葉綴り

言の葉15「非知〉へ——〈信〉の構造「対話篇」

③ロゴスの深海その1







〈非知〉へ——〈信〉の構造

「対話篇」一九九三年一二月二五日発行      著者吉本隆明 発行所株式会社 春秋社

より抜粋







ロゴスの深海

対話者 梅原猛


親鸞の言葉  より抜粋


(前略)


吉本  ……本当に繰り返し繰り返しで、親鸞についていちばん新しく書いたのは、「親鸞における言葉」(『信の構造PAR T I』所収)という文章だと思うんです。いまぼくが関心をもっているのは、やっぱり「親鸞における言葉」ということなんですね。

梅原さん、どう思いますか。例えば『歎異抄』は喋り言葉ですね。つまり唯円の耳の底に入っているのが書きとめられているという喋り言葉でしょう。もう一つ、パウロの書簡みたいに、話し言葉を書いた書簡体の言葉がありますね。それからもう一つ、本格的に『教行信証』みたいに、当時の一般的な書き方にのっとって漢文で書いたものと、その三つの種類がございますね。

梅原さんも書いておられますけれども、『歎異抄』にぼくらがひかれていったのは、多分「パラドックス」ということを通じて、真実の中へストッと入っていく、それにひかれたと思うんです。そのひかれ方を、いまあらためて言葉ということから考え直してみています。親鸞のパラドックスに見えた言葉は、結局、話し言葉としての出所からいえば、往相還相という場合の、還相というところから出てくる言葉なんじゃないかという気がするんです。

「至心に信楽(しんぎょう)して念仏を称えれば往生できる」という教養の眼目があるとすると、例えば自分は念仏を称えて地獄にいくか、浄土に行くかは、もうわからないというような言い方をしますね。すると教養に対して否定する言葉を、そこに話し言葉としてぶつけていくわけですが、そのときの親鸞は、還相の回向(えこう)といいましょうか、出(しゅつ)の第五門といいましょうか、そこから言葉がでていて、それがひとりでにパラドックスになっている。

そういう言葉が教養の眼目と衝突したところで、真実がパーッとでてくるみたいな、そういう意味合いになるのかなあと思います。

そんなふうに言葉から考えてみたらどうかなと考えていましてね。そうすると、『歎異抄』は、例えば石田端麿さんみたいに、唯円の言葉がだいぶ入っているから、親鸞はやはり『教行信証』で見なければいけないと言われる研究者の方もおられるけど、ぼくらは最初に『歎異抄』に入っていって、そして最後にもどうしても『歎異抄』が問題なんだと思ってしまうのは、やはり話し言葉ということの問題なんじゃないか。

つまり、声という、概念の意味でぶつかってくる言葉が、最初に来て、また最後の問題も、その中に含まれていくみたいなことがあって、やはり『歎異抄』は重要なんではないかなと思います。言葉のところからそういう考え方をしていったらどうかな、みたいなことに関心が深いんです。

梅原  吉本さんの一連の親鸞解釈を読んで、やはり最初から言葉についての関心から入られたような気がしますね。

『親鸞和讃」が戦時中のものあるとすれば、これは多少小林秀雄に似ている。

吉本  そうなんですよ。強烈な影響なんです。

梅原  一遍を捉えると、一遍は親鸞と対極的に浄土教の一面を発展させた。厭離穢土、欣求浄土という、この世の穢さを嘆き、人生の短さを嘆き、そして浄土の美しさを歌い、ひたすらそこへ往生したいという、それは死を現実の生活の中へ取り入れて生きるという生き方である。それが中世の叙情の伝統となって連なっていく。

それと対極に親鸞の『和讃』があるんだと。そういう一般的な嘆き、世界の醜さ、人間の命のうつりやすさへの嘆きではなくて、それを自分の問題として、自分の愚、自分の罪という形でとらえ、それを徹底的に懺悔する。だからそれは一遍とは別の、一つの非詩といってもいい。もし一遍が詩であれば、これは詩ではない。詩でない世界に、実は本当の詩がある。そこにはいつも自分というものを問題にせざるを得ない自分を原点とした思想がある。

これは吉本さんのパラドックスだと思うけれど、非詩と言われるところに本当の詩がある、という考えだと私は思うんですね。それでそういう世界を『和讃』は示している。『歎異抄』も同じことなんで、親鸞の『和讃』には親鸞の肉声が聞こえてくる。また手紙にもそれがある。『歎異抄』にも、弟子の証言を通じてではあるが、肉声が響いてくる。しかしそれが『教行信証』になると、まったく出てこないことはないですけれども、間接にしか出てこない、ということがあるわけですね。その辺をいま、おっしゃったんじゃないかと思うんですが、私も同感ですね。

『歎異抄』の思想と『教行信証』の思想に違いがあって、『教行信証』のほうが親鸞の本当の思想で、『歎異抄』は唯円の解釈だ。それは誤解じゃないにしても、浅い親鸞解釈に過ぎないという説もありますけど、なおかつ『歎異抄』や、それから、おっしゃったように手紙だの『和讃』から聞こえてくる、あの親鸞の肉声がというもの、これをとらえないと、親鸞解釈が十分じゃないだろうと思うんですよ。

こういう指摘は詩人じゃないと不可能で、私は吉本さんの親鸞解釈に、いままでの仏教学者がとらえられない親鸞の肉声の響きを、的確にとらえているところがあると思いましたね。


向こうから来るもの  より抜粋


吉本  どうですかね。親鸞の言い方の中で、いちばんむずかしいな、ほんと言うとよくわからないなと思っていることがあって、関東のお弟子さんに対する注意の中にそれがいちばんよく出てくるような気がするんです。「自ら計らわない」という、自然法爾で言えば「自然」ということでしょうけれども、自ら計らったらいけないんだ、向こうから来るという形でしか第十八願の信仰は成り立たないんだということを、繰り返し繰り返し注意しています。お弟子さんの「造悪論」もそうですが、解釈の中に少しでも自力の理解の仕方が入っていると「ちょっとそこのところは自力を交えているんじゃないか」という注意をしますね。自分のほうで計らったらいけないというやり方でしか、浄土への道には到達できないんだけどいうことを、繰り返し繰り返し繰り返し注意しているんです。そこがいちばんむずかしいなとぼくら思うところなんです。

梅原  論理ではわかったとしても、実感としてはわかりにくい。

吉本   ええ、わかりにくいですね。

梅原  信仰としてははっきりわかりませんけれど、私の場合は学問の世界に還元するとわかるような気がする。学者が真理をみつける体験と似ているんじゃないかと思うんです。私の学者としての体験をいうと、私の気持ちとしては、真理は向こうからやって来る。自分で作るような真理では、そんなものは真理じゃない。すぐ壊れてしまう。

吉本  うん、うん。

梅原  ずっと一つのことを探究し続けて、よくわからない。その気持ちを何年もつづけて、ある日、向こうから突然世界が開けてきて、はっきりあるものが見えてくる。そういう体験が、私にあるんです。

吉本  はい、うんうん。

梅原  もちろん、そういう学者としての体験と親鸞の体験は違うが、やはりどこか共通のものがあるような気がします。向こうから何かがやってくる。

吉本  なるほど。

梅原  私は仏教を研究しているとき、そういうことが実体験としてよくわからなかったですけど、その後「古代学」に入って、そういうような体験を持ったです。そのときは、もうなにもこわくないわけですね。誰がなんといおうが、向こうにあるものだから、どうしようもないという感じがするわけです。宗教的体験もそれに似ている。それ以上であると思う。おのずから、親鸞はしょっちゅうそういう体験ももっていたというふうに思う。私は宗教家でないので、学者の体験から類推するのです。

吉本  梅原さんのお仕事は、いつでもそういう意味では、大変創造的ですから、そこはよくわかるような気がします。

親鸞が向こうから来る「計らわない」ということと自分の体験を、結びつけると「オレはなろうと思ってなったことは、何もないんだ」という感じが、実感であるんですよ。意志して出来ることは半分しかないぞ、あと半分は向こうから来るに違いないというのは、実感としてありましてね。

そういうことから類推すると、つまんないことになってしまうのですが、しかし、それをもっと大規模にしたものなのかなと想像するんです。自分はいろいろありところで行き詰まったり、いろいろな生き方で挫折したり、いろいろあるけれども、とっかかったときに自分の意志通りにいったということは、まず絶対にない。一○○パーセントない。意志が通るのはせいぜい半分で、あとは多分、何か向こうから来たもので、その道をただ行ったといいますか、道がそこで開いたから行ったというだけで、自分が行こうと思って意志していったということは、ぼくはまずないな。そういうことが、体験的にありまして、それをもう少し、高次元に大規模にすると、親鸞が考えていた「自然」というのが、そういうことに近いのかなと類推してみたりするんですね。大変わかりにくいところのように思いますね。

梅原  そこがやっぱり親鸞思想の中心じゃないですかね。そのことを三十代のはころは、よくわかりませんでした。親鸞を読んでいたときわかりませんでした。五十歳を超えてから、やっとそういう世界が少しわかってきた。

今の吉本さんの言葉には大変重要な思想が含まれている。戦後の日本人はヨーロッパ的自我哲学から出発した。なんでも人間がすることは自分がはっきり意識することだ。この自我哲学の最たるものがサルトルでしょうか。サルトルの場合はすべて人間の行為にははっきりした自己意識が必要だ、そして人間はそういう自己意識の行為に全面的に責任をもたねばならない。

私も若い時はそういう考え方をしていた。たとえば芸術でも芸術を自我の創造と見る。「芸術とは創造である」と、これは岡本太郎さんの好きな言葉ですけど、芸術はつまり自己のすることだという。ところがどうも、だんだんとそういう近代的な自我観に懐疑をもってきているんです。やっぱりどうだろうか。自分でしようとすることは、大したことじゃないんじゃないか、と。今西錦司さんはしょっちゅう「なるべくしてなったんだ」「人間は生れるべくして生れたんだ」という。そんな説明はないですよ。説明になっていない。

その、「生れるべくして生れた」というのは、いまいった考え方に近い考え方ですね。なるべくしてなる、向こう側から自然に熟してこないようなものは駄目だと。学問にしても芸術にしても、本当に向こう側から現れ出てくる。そういうものじゃないと駄目ではないか。私も五十すぎてから、だんだんそういう考え方に変ってきた。それを通じて、やはり親鸞の言っていることは、あるいはこういうことのもっと高次なことじゃなかったかと考えるようになったんです。


(以下略)