言の葉102〈非知〉へ——〈信〉の構造「対話篇」① 序
〈非知〉へ——〈信〉の構造
「対話篇」一九九三年一二月二五日発行 著者吉本隆明 発行所株式会社 春秋社
より抜粋
序
宗教へのわたしの関心のいちばん中核にあるのは〈信〉と〈不信〉とを架け橋する過程の構造だった。〈信〉の構造というとき、ほんとうは〈信〉自体の構造よりこのことに重点があったといっていい。この〈信〉と〈不信〉のあいだの弁証は、底ふかくまで届いたら宗教だけではなく、宗教的なもののすべて、また信念の論理としてのイデオロギーにも拡張できるとおもえた。ただ精神内部にとじこもって、その部分をなすものだけは、文学の作品にゆだねられるほかない。
たとえば「西方の人」の芥川にとって「クリスト」は古代のジャアナリストだった。比喩をつくるために使われている葡萄園、ロバ、工人など、素材をいつも目のまえに見えるものに択んで生きいきと弁じたからだ。このジャアナリストに芥川はふたつの属性をあたえた。ひとつは聖母マリアの私生児だということ、もうはひとつはボヘミアン的な精神の持主で、流浪しながら布教したこと、そして聖母マリアに日本のふるい母親の像をあたえているとおもう。また「クリスト」の内心に幼な児の無垢さをあたえ、ボヘミアンとしては、佐世保や横須賀に死を常住としながら転任してゆく海軍将校(つまり芥川の同僚)の家庭の幼児を類推してみせた。芥川は「クリスト」をどんなモチーフで描こうとして「西方の人」や「続西方の人」を書いたのだろうか。わたしは十代の後半のころから現在まで何度も何度も読み返し、読み返しているが、ほんとは一度も芥川のモチーフをよくわかったことがない。そこでいちばん最初にまだ『聖書』の知識もなにもないときに読んだときの印象にかえるほかないとおもえた。つまりは、「自分に似た」ように書きたかったのだが畏れを感じて、そこまで書ききれないままに収めてしまった芥川の暗い自画像のようなものだ、という印象に。ほんらいは神への〈信〉と〈不信〉、あるいは人間の〈聖性〉と〈卑性〉の弁証として描くべきモチーフを〈人間クリスト〉というモチーフにおき代えてしまったものとして読める。かくべつ西方的でもない「クリスト」を、西欧近代文学への関心の象徴としてみようとしたので、芥川の「クリスト」は西欧的な「人間」という概念の宣明になっている。
太宰治の「駆け込み訴え」になるとはるかにモチーフは明瞭とおもえる。芥川とおなじように『新約書』の主人公をとりあげて描くのに、ユダの眼をとおして、無垢な世間知らずの幼な児のようなイエスを、世間智にたけ、汚れ役に徹してイエスの言動の後始末を陰でやってきたユダという眼の設定を介して描いている。〈信〉にたいして〈不信〉の眼がいだく尊崇と侮辱のアンビバレンツな愛憎が、あざかに浮き彫りにされている。このイエスの描かれ方は卓越したもので、世界的に類型をもとめることができないほどだ。このイエスの〈信〉とユダの〈不信〉との葛藤は、作者太宰の内なる〈神聖〉と〈卑性〉との葛藤の象徴ともなりえている。ひとは、じぶんを愛するように他人を愛することができるか、とか、献身は悪なりやとか、太宰の心の奥ふかくにいつもくすぶっていた問いを表現するために、ユダの眼に自身の自嘲をこめることで、照れや耻しさをうち消そうとしている。これ以上〈信〉と〈不信〉の繊細なドラマはかんがえられない。
わたしたちは宗教の〈信〉と〈不信〉とを疎通させるために、たぶんもうひとつ宗教以前にある習俗への〈信〉と〈不信〉の考察がいるような気がする。べつの言い方をすれば、習俗はどの水準で切断し、どの水準で再生されるべきものか、あるいは習俗を反復することで転生の契機を見つけ出すという未開の宗教性は何を意味するのかということだ。いつかそこまで〈信〉と〈不信〉の弁証を拓くことができたらと、しきりにかんがえる。
吉本隆明