言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

言語にとって美とはなにか ⑦表出史の概念

2017-01-28 08:36:34 | 言の葉綴り
言の葉 29 言語にとって美とはなにか ⑦表出史の概念

言語にとって美とはなにか 第Ⅰ巻 著者吉本隆明 発行所 勁草書房 昭和40年5月20日発行


抜粋その1
同書第Ⅳ章 第一部 近代表出史論(Ⅰ) 1表出史の概念 より



 ひとつの作品は、ひとりの作家をもっている。ある個性的な、もっとも類を絶した中心的な思想をどこかに秘しているひとりの作家を。そして、ひとりの作家は、彼にとってもっとも必然的な環境や生活をもち、その生活、その環境は中心的なところで一回かぎりの、彼だけしか体験したことのない核をかくしている。まだあるのだ。あるひとつの生活、ひとつの環境は、もっとも必然的にある時代、ひとつの社会、そしてある支配の形態のなかに在り、その中心的な部分は、けっして他の時代、他の社会、他の支配からはうかがうことのできない秘められた時代性の殻をもつ。
 このようにして、ある時代、ある社会、ある支配形態の下でのひとつの作品は、たんに異なった時代のちがった作品にたいしてばかりでなく,同じ時代、同じ社会、同じ支配の下での他の作品にたいして決定的に異質な中心をもっている。そればかりでなく、おなじひとりの作家にとってさえ、あるひとつの作品は、べつのひとつの作品とまったく異なっている。言語の指示表出の中心がこれに対応する。言語の指示意識は外皮では対他的な関係にありながら中心で孤立している。
 しかし、これにたいしては、おなじ論拠からまったく相反する結論にたっすることもできる。つまり、ある作品は、たんにおなじ時代のおなじ社会のおなじ個性がうんだ作品にたいしてではなく、異なった時代の異なった社会の異なった個性にたいして決定的な類似性や共通性の中心をもつっているというように。この類似性や共通性の中心は、言語の自己表出の歴史としての時間的な連続性をなすとかんがえられる。言語の自己表出性は、外皮では対他的関係を拒絶しながらその中心で連帯している。影響という意味を本質的につかうならば、いままでのべた両端はたとえばつぎのような言葉で支配される。

  人は人に影響与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。
                             (太宰治「或る実験台」)

  剽竊家というのは、他人の養分を消化しきれなかった者の謂である。だから彼は、元の姿の認められるような作品を吐き出すのだ。
  つまりオリジナリテというのは、胃袋の問題でしかない。
  もともとオリジナリルな文人なぞは、在りはしないのだ。真にこの名に値する人々は世に知られていないばかりでなく、知ろうとしても知りえない。
  しかし、わたしはオリジナルな文人だぞ! という顔をする人間はある。
                      (ヴァレリー『文学論』堀口大学訳)

つまり、人間は現実においてばらばらにきりはなされた存在であることを認識したときほんとうは連鎖と共通性を手にいれ、また不幸にしてこの現実で連鎖の中にある存在だと認めたとき孤立しているのだ。すぐれた創造者はひとつの文学作品が現実社会のなかで作者のどこからやってきてつくられ、それが存在してしまうまでの経路について疑いようもなく知りつくしているとおもえる。作品を原稿用紙や書物に存在している具体物として視るかぎり、ひとつの作品でさえそれを知りつくすために、作品から作家の性格へ、作家の性格から生活や環境へ、生活や環境から時代や社会へと延びて行くすべての連環を解き明かさなければならないことを教えている。根もとをほりおこし、土壌をしらべ吸い上げられた養分を分析するというようにそれは膨大な労力の積みかさねを要する。文学の批評家たちがやっている仕事は、この膨大な連環の一部を拡大し、そこにじぶんの好みや関心が集中する中心を投げ込んでいるわけだが、じっさいはそれ以外にはほとんど術がないのである。ただ批評家は、じぶんの批評方法こそが正当だなどと主張しさえしなければいいのだ。いいかえれば、文学の理論を具体物としての文学作品をもとにしてでっちあげようとさえしなければ。
(略)

ある芸術・文学の<作品>は、上部構造一般ではなく、個性的な具体的表現である。この表現は、たとえば文字又は音声による対象的な固定化によって、表出の一般性から突出したものになる。ここでは、<作品>は、作者の意識、あるいは精神あるいは観念生活にそのまま還元(reduzieren)することはできなくなる。ここでは意識の表出が、産出(produzierenn)としての表出に転化するのである。芸術・文学の作品が、意識性への還元も、また逆に土台としての現実社会への還元もゆるされない性格を獲取するのは、ここにおいてである。
(略)

文学作品の歴史を本質をうしなわずにあつかいうる方法は極端にいえばふたつに帰する。そのひとつは中心が社会そのものにくるような抽出であり、このばあいには個的な環境や生活史がその環のなかにはいってくることが必須の条件である。もうひとつはその中心が作品そのものに来るような抽出であり、そのばあいには環境や人格や社会は想像力の根源として表出自体のなかに凝縮される。いまここでわたしがやろうとしているのは、ふつう文学史論があつかっている仕方とはまったく逆向きのことである。
ひとつの作品から、作家の個性をとりのけ、環境や性格や生活をとりのけ、作品がうみ出された時代や社会を取り除けたうえで、作品の歴史を、その転移を考えることができるかという問題である。いままで言語について考察してきたところでは、この一見すると不可能なようにみえる課題は、ただ文学作品を自己表出としての言語という面でとりあげるときだけ可能なことをおしえている。いわば、自己表出からみられた言語表現の全体を自己表出としての言語から時間的にあつかうのである。
何だって? 個々の作家が恣意的につくり出した作品を、それだけで必然的な史的な転移として考察できるはずがないではないか。いったい何を基準にしてどんな具合にそれが可能だというのか? どの作品とどの作品をつなげることによってこの連鎖と転移を考察するのか?
もとろん、自己表出としての言語というところまで抽出することなしには、ただでさえ強烈な個性が恣意的にそれぞれの時代的環境のなかでつくりあげた作品を時間的な連鎖としてつなぐことはできない。具体的なままで文学史を必然としてとりあつかおうとすれば、ルカーチのようにただ土台史と作者のイデオロギーと作品とをとり出して短絡させるほかなくなる。けだし、文学の理論の俗物化のはじまりは、社会の歴史のように文学の歴史を必然の連鎖としてつかまえようとする理論家としてはさけがたい欲求に根ざしている。しかも、それらは可能となる条件を追求しようとはせずに、手ぶらで、いいかえれば社会史への考察方法をそのまま具体的な作品の歴史にあてはめようとするため、文学の歴史はせいぜい特有の肉体をもった、イデオロギー史に化けてしまうのである。わたしたちのいままでの考察では自己表出としての言語の表現史というところまで抽出することによって、必然史は可能とならなければならない。なぜならば、言語の表出の歴史は、自己表出としては連続的に転化しながら、指示表出としては時代や環境や個性や社会によっておびただしい変化をこうむるものだからである。

当方より 今回で吉本隆明著「言語にとって美とはなにか」を終え、次回は、「吉本隆明が語る戦後55年②」にて表現移転論、構成論、内容と形式、立場論の内容とポイントを取り上げます。
なお、本書の吉本隆明の作品における位置づけ、原語論・文学論の評価について簡潔にまとめられた石川九楊さんの『原語にとって美とはなにか』―二十位世紀に残す本残る本
(「書文字アジア」吉本隆明・石川九楊|対談●付録・関連資料)を次に引用します。




『言語にとって美とはなにか』――二十一世紀に残す本残る本
                               石川九楊

    きょうから、ぼくらは泣かない
    きのうまでのように、もう世界は
    美しくもなくなったから
                        (吉本隆明「涙が涸れる」

 多感な――つまりは文体を欠いた――学生時代に、私は吉本隆明のこの詩の一節にふれて、おぼろげながら人生の生き方についての見通しを得た。美しい世界はもはやない。だが、だからこそ美しい世界を希求して、生きる価値があると。絶望=希望という言葉の生きていた時代である。
白い貼紙函入、白い布クロス貼の表紙に、ごつい焦茶の書き文字の題字が、大きく印字された上下二巻本であった。
 だが、その時は買わずに帰った。内容のせいではない。今では一万五千円くらいに相当する千五百円が学生の身には痛かったのだ。アルバイト料を手にした日、早速この本を買い求めた。そして多くを学び、今なお座右の銘である。
 本書の第一の達成は、作品に即して作品自体の構造を解き明かした点である。評者の嗜好か印象にすぎない批評がいまだに横行する中、この本の中で展開された、対象に即し、対象に語らせる以外にありえない文学批評法は今後も他本とされるべき価値をもつ。
 第二の達成は、作品に対する政策的評価は本質的な文学批評たりえないことを、実例を挙げ、理論的に明らかにした点である。右翼・左翼・保守・革新・先進・後進・強者・弱者・若者・老人・男性・女性・健常・障害・差別・被差別など政治的分類を批評と錯覚する傾向は、なお改まってはいない。
 第三にはむろん理論的達成。対象を指示する「指示表出」と、積乗された人間の共同的観念と意識の自発的外化である「自己表出」の二重性を言語の基本構造ととらえ、指示表出からみられた言語構造を意味、自己表出からみられたそれを価値と定義づける。さらに意味や音のほかに、指示表出度に応じて言葉は「像」をもつという驚くべき構造まで明らかにされた。その他を含めて、本書の精緻で巨大な理論的達成を定着し克服するという課題も二十一世紀に持ち越される。『共同幻想論』『心的現象論序説』『初期歌謡論』等その後の吉本の思想的営為の萌芽がすべてみられるという意味において、本書は吉本隆明の代表作である。同時に日本の生んだ二十世紀最高の言語論であり、文学論である。
 著者は『ハイ・イメージ論』や『マス・イメージ論』が本書の補訂版に位置づけられるとするが、現時点で全面的に書き直された『全訂増補版・言語にとって美とはなにか』という私の思いは拭いきれない。
                  (「産経新聞」二〇〇〇年二月二十六日)

言語にとって美とはなにか ⑥その2韻律・選択・転換・喩

2017-01-21 11:35:29 | 言の葉綴り
言の葉 28 言語にとって美とはなにか ⑥その2韻律・選択・転換・喩

言語にとって美とはなにか 第Ⅰ巻 著者吉本隆明 発行所 勁草書房 昭和40年5月20日発行




抜粋その2
同書第Ⅲ章 韻律・選択・転換・喩 2 詩的表現より

喩(当方注)
 たとえば、いままで喩という言葉や暗喩というコトバを無造作につかってきたが、それは無意識のうちに詩の世界、散文の世界の住人を、あてにしてきたからだ。しかも当てにした住人が、それの応じてくれるものかどうか、あらかじめあきらかではないのである。すでに流通している喩の概念が存在するかもしれないから、それと角遂するにしても包みこむにしても、もともと流通している概念をはっきりさせておかなければならない。
 ピエール・ギロー『文体論』(佐藤信夫訳)は、喩についてつぎのようにのべている。
 語のあやすなわち転義法(比喩)は、意味の変化である。そのうちでいちばんよく知られているものは、隠喩である。そのほかたとえば、提喩は、白帆といって船を意味するように、部分を全体とみなすものだ。また換喩はお酒のかわりに容器を内容とみなすものである。
 転義法のおもなものは、隠喩[メタフォール]、諷喩 [アレゴリイ],引用喩「[アリュジョン],反語法[イロニイ],皮肉[サルカスム],等(当方 以下略)

喩が意味の変化であるということをのぞいては、またしても壁画的分類をみている。欲しいのは壁画ではなく言語本質から喩を理解することである。言語学者の言語観にたいして、破壊するのも、独走するのもなれてしまっているし、感覚的な曲芸にも食傷しているため、このような分類には耳をかたむけるものは、ふくまれていない。
日本現代詩のすぐれた理論家である鮎川信夫『現代詩作法』ははるかに実際的に喩について語っている。

ところが、詩の表現に必要な言語の特性のひとつとして、その代表的なものに比喩があります。比(譬)喩は、直喩(シミリ)と隠(暗)喩(メタフォール)に分けるのが普通であり、若しこの意味の範囲を広くとれば象徴(シンボル)も寓意(アレゴリー)も映像(イメージ)も、すべて比喩的表現のうちに含まれると思いますが、ここではいちおう直喩と隠喩を、その標準単位として考えてゆくことにします。

詩の隠喩は、直喩のばあいと同様、やはり対象に私たちの注意をひきつけ、同時にそれを新しく価値づけるものでなければならないのです。

一つのものと他のものとの類似した関係を把握する能力は、隠喩の場合、ほとんど想像力の働きによるものであり、詩人はかぎられた言葉で無限に変化する自分の観念を示すために、広い想像の領域をもつこの方法を用いるのです。

シュルリアリストの隠喩的表現はかたちのうえでは『隠喩』であっても詩の『隠喩』ではなく、そこには『一つの言葉を、通常の意味から別の意味に移す』というはたらきがありません。そこには、異質のもの、あるいは異質の『観念』を同時平面的に並置しただけの、一首の型(パターン)があるだけなのです。

隠喩法には、<もの>と<もの>との対照の観念とともに調和の観念も含まれており、それ自体が独立した表現として一つの全体性を形づくる傾向があります。それは言葉のスピードと経済を本旨とし、すくない言葉で、ある事柄を言いつくそうとする心があると言えましょう。

隠喩についてのすべての定義に共通している観念は、『一つの言葉を、通常の意味から別の意味に移す』ということです。そしてこの『別の意味に移す』という働きが、直喩と隠喩を区別する最も大切な点なのです。
(略)

 さきに鮎川信夫は、シュルリアリストの隠喩的な表現は、形のうえでは隠喩であるが、そこには「一つの言葉を、通常の意味から別の意味に移す」という働きがないから喩とはいえず一種の型だとのべている。いままで考察してきたところでは、シュルリアリストは、ただ、指示表出と自己表出のないまぜられた言語構造を、自己表出の機能を極端に緊張させてつかっているにほかならないから、このばあいの喩は(自己表出としての)意味喩または像的な喩とよぶことができる。喩は言語をつかって探索をおこなう意識の探索であり、たまたま遠方にあるようにみえる言語が闇のなかからうかんできたり、たまたま近くにあるともおもわれた言語が遠方にに訪問したりしながら、言語を意識からおしださせる根源である現実世界にたいして、人間の幻想が生きている仕方ともっともぴったりと適合したとき、探索は目的に当たり、喩として抽出される。

(1) 運命は
    屋上から身を投げる少女のように
    僕の頭上から落ちてきたのである       黒田三郎「もはやそれ以上」)

((2)(3)略)

 これらのいわゆる直喩や暗喩は意味にアクセントをおいれあらわれた意味的な喩である。運命が自分の身上を訪れたという観念的な意味を、現実的にうらずけるために、「屋上から身を投げる少女のように」という直喩的なおきかえがつかわれる(1)。これは意味のアクセントでつかわれているから、屋上から身を投げる少女の像ではなくて、恋か生活苦か何かいわば失意によって屋上から投身自殺した少女の行為の意味にアクセントをおいて、「僕」に訪れた「運命」と連合されていると、みることができる。

(4) 靄は、街のまぶた
    夜明けの屋根は 山高帽子
    曇りガラスの二重窓をひらいて
    僕は無精ひげの下にシガレットをくわえる    (北村太郎「ちいさな瞳」)
  
 ((5)略 )

 (4)はいわゆる暗喩で、(5)は直喩だが、これらが像的な喩であることに言語本質からの喩としての意味がかかっている。
 (4)で「靄」と「まぶた」とは<意味>として結びつくことができないから、意味的な喩としては、ふたつは結びつくことができそうもない。靄が、地面や家々のあいだを白く垂れ込めている像は、あたかも上のまぶたをとじる像とむすびつくことができるため、像的な喩としてはじめて連合される。第二行の「屋根」と「山高帽子」もまったくおなじで<意味>としてだけかんがえれば、どのように自在な意識の暗闇もこのふたつをおなし表出に連合させることはできないが、夜明けのまだ薄明かりの街の屋根屋根の像は、黒い山高帽子の像と結びつくことができるため、ふたつの言語はまねきよせられて喩を形成しているということができる。
 夜明けの屋根と山高帽子のあいだの像的な喩はこの詩人の西欧的な嗜好をすめすにすぎないだろうが、「まぶた」と「靄」との連合は、「まぶた」がただちに実体をしめすとともに、<まぶたの母>というように観念的な意味をあたえられることをかんがえると、おそらくこの詩人の深いところから喚びよせられているのである。
(略)

 価値としての言語において、わたしたちは、現在の言語の水準をかんがえるかぎり、本質的にはいままでみてきたものの外の喩の表現に出遇うことはできない。ただ、類型をふやし喩としての多様さを壁画のように、ひとりの詩人がうまれるごとにひとつづつ殖やしていくことはできても、言語構造自体をこれ以上すすめることはできない。また、これ以上の喩の形態を考察する必要はないとかんがえられる。じっさいの文学(詩)作品でわたしたちがぶつかるのは、いままであたってきた喩がつぎつぎに繰りだされる波のようなうねりであり、また、それによる共鳴(Resonanz)や相乗(Synergie)の効果にほかならない。
(略)

(8) どこか遠いところで
    夕日が燃えつきてしまった
    かかえきれぬ暗黒が
    あなたの身体のように
    重たく僕の腕に倒れかかる      (鮎川信夫「淋しき二重」)

当方注 「淋しき二重」が収録されている鮎川信夫全詩集



 (9、10略)

おそらく、喩は言語表現にとって現在のところもっとも高度な選択であり、言語がその自己表出のはんいをどこまでもおしあげようとするところにあらわれる。<価値>としての言語のゆくてを見さだめたい欲求、予見にまでたかめることができるものとすれば、わたしたちは自己表出としての言語がこの方向にどこまでもすすむことをいいうるだけである。そして、たえず<社会>とたたかいながら死んだり変化したりしなければならない指示表出としての言語との交錯するところに価値があらわれ、ここに喩と価値とのふしぎなななめにおかれた位相と関係が描かれる。
(略)

抜粋その3
同書第Ⅲ章 韻律・選択・転換・喩 4 散文的表現より

選択(当方注)

わたしたちは、めぐるべき螺旋の階段をひとめぐりしてきたようだ。まえに、価値としての言語というように、散文作品の断片をとりあつかったときよりはるかによく視えるところから散文作品をあつかうことができるはずである。わたしたちは、喩と喩における韻律のはたらきと、言語における韻律のはたらきをながめることによって、つぎのようなことをみてきたのである。ひとつは、ある作品のなかで場面の転換はそのままの過程として抽出せられたとき喩の概念にまで連続してつながっており、また、喩はその喩的な本質にまで抽出せられない以前では、たんなる場面の転換にまでつながっているということである。喩の抽出がすでに習慣まで通常化したものが、たとえば、ギローが『文体論』であげているような隠喩・諷喩・引用喩・反語法……などといったような修辞的な区別となる。そして、喩の概念が縮退した状態をかんがえれば、たんなる場面の転換というところにたっする。
 それならば、場面の転換が縮退したところ、あるいはより混沌とした未分化なところを想定すれば、なにが残るのだろうか。
 これにはきわめて興味ある挿話を想い出したほうがいい。以前にある文芸評論家が、「南極探検」の記録映画が公開されたとき、任意にとられたフィルムをつなぎあわせたようなその映画は、映画でなければとれないような技巧が使われていないから記録映画であるかもしれないが、記録芸術ではないと評した。これのたいして、ある哲学者が、そんな馬鹿なことはない、赤ん坊や白痴は人間でなければできないような高度な活動をなしえないからとて人間ではないと云うことができようか、それは、芸術か非芸術かのもんだいではなく、いい芸術かそうでない芸術化のもんだいにすぎないと反駁した。
 もちろん、哲学者のほうがまともにもんだいをとらえていたのだ。なぜならば、たんに任意にとったフィルムをつなぎあわせたにすぎないようなその「南極探検」の映画も、場面を意識的にしろ無意識的にしろ選択したところですでに初原的な美のもんだいが成り立っているからである。なぜ、「宗谷」丸の背景に氷山と空をえらび、前景にペンギンの群れを、しかじかの角度からえらんだかというところに。
 言語の表現のもんだいも、自己表出の意識としてべつもんだいではない。言語の場面の転換の縮退したところには、場面そのものの選択ということがのこるのである。
(略)

 (5)いいか、ここにあるものはなんでも持っていけ、アメや野郎にとられるよりは、みんな持っていけ、とわめく魚雷班兵曹のくしゃくしゃになった顔を踏みつけるように、突如ザッザッと銃剣をつけた水兵たちの一隊があらわれて何処にいくのか、軍需部の岸壁を速足で行進していき、なんだあいつら、戦争に負けたというのに、と鹿島明彦の背後で酔いつぶれていた兵曹がひどく血走った眼をあげて呟いた。
                    (井上光晴「虚構のクレーン」)

 これも場面の転換とかんがえていい。作者は、まず、「ここにあるものはなんでも持って
いけ、アメ野郎にとられるよりは、みんな持っていけ」とわめく魚雷班兵曹に移行し、つぎ
に、とつぜん作者の位置にかえって銃剣をつけた水兵の一隊の行進を描写し、また、とつぜん「なんだあいつら、戦争に負けたというのに」とつぶやく兵曹に転換し、さいごの「ひどく血走った眼をあげて呟いた」でその<兵曹>を対象に転化するため作者の位置にもどって描写したうえで、この文章はおわっている。その人称転換は複雑をきわめており、このめまぐるしい転換が喩として抽象しうるまでになっていないが像や意味のうねりをかたちづくっている。
 言語の表現は、作家がある場面を対象としてえらびとったということからはじまっている。これは、たとえてみれば、作者が現実世界のなかで、<社会>とのひとつの関係をえらびとったこととおなじ意味性をもっている。そして、つぎに言語における場面の転換がこの底辺からより高度に抽出されたものとしてやってくる。この意味は作家の現実世界のなかで、<社会>との動的な関係のなかに意識的にまた無意識的にはいりこんでいることに、たどることができる。
 さらに、場面の転換からより高度に抽出されたものとして喩が存在している。その喩のもんだいは作家の現実世界で、現に<社会>との動的な関係にある自己自身を外におかれた存在とみなし、本来的な自己を奪回しようとする無意識の欲求にかられていることににている。
 このようにして、わたしたちは現在、韻律を根源において、場面の選択というもっとも底辺にあるもんだいから、場面の転換をへて、言語の現在的水準としてもっとも高度な喩のもんだいにまで螺旋状にはせのぼり、また、はせくだる表現の定形をもっている。そして、表現としての言語がつみかさねてきたこれらの過程は、現在の水準のなかにすべて潜在的には封じこめられているとみることができる。そして、これが、指示表出としての言語が<意味>の構成としてもつ思想的ひろがりと交錯するところに詩的空間・散文的空間の現在的水準がくりひろげられている。
 まだ、唱うべき対象をえらびとることができないままに表現された記紀歌謡のような古代人の世界から、すでに高度な喩をつかって現実に選択している<社会>との関係を否定しそれを超えようとする欲求を表出している現代の文学の世界にいたるまでのげんごのつみかさねられてきた長い過程は、いままで、言語を成り立たせてる共通の基盤として分析してきた特性として、現在の言語空間のなかに並列されている。

当方注 ご参考 吉本隆明著「記紀歌謡論」



言語にとって美とはなにか⑥その1韻律・選択・転換・喩

2017-01-15 08:14:53 | 言の葉綴り
言の葉 27 言語にとって美とはなにか ⑥その1韻律・選択・転換・喩
言語にとって美とはなにか 第Ⅰ巻 著者吉本隆明 発行所 勁草書房 昭和40年5月20日発行

抜粋その1
同書第Ⅲ章 韻律・選択・転換・喩 1 短歌的表現より




概論(当方注)
 言語の表現を、ややつきつめてみてゆくと、表現の内部にいくつかの共通の基盤が抽出できることにすぐ気づく。この共通性は言語の表現の長い歴史が体験として蓄積したものである。これを表現の体験が積みかさねられた結果としてみるならば、歴代の個々の表現者が必然的に、あるいは不可避的に表現者によってつくりだされる。しかし、この共通性は、いったん共通性として意識されると、自覚的に表現者によってつくりだされる。このような過程は、人間が対象的に行うことにいつもつきまとう問題である。言語の表現だけに特有のものではない。
 この言語表現の内部で抽出される共通の基盤は、表現としての韻律・選択・転換・喩とよぶことができる。
 わたしたちはすでに、意識の表出としての言語を、言語表現にまで拡張させることによって、文学的表現をあつかうための前提に達している。文字による固定化を媒介にして、表出の概念を、表出と表現とに分裂する総過程(具体的には語りのような音声による文学・芸術と書かれた文学・芸術との分裂と同一性としてあらわれる)に拡張することによって、すべての文学理論と違った道に一歩ふみこんだことになる。あるばあいに、たんに表出としての言語の特性から、文学的表現の特質にまで拡張したりしていても、それは、文学によって固定化された表現を特に強調する必要があるばあいをのぞいて、共通性として誤解をまねく余地はないとかんがえるからである。げんみつにいえば、芸術としての言語表現の半歩手前で、言語表現が表現として提起する問題をとりあつかおうとしているわけだ。この半歩手前で、わたしは、言語を文学的表現とみなしながら、芸術としてではなく言語表出としてあつかうだろう。何故このような態度が必要かといえば、言語表現を文学芸術とみなすために必要な構成の問題を、現在までのところ取り扱っていないからである。

韻律(当方注)
 尚、短歌については関連作品に吉本隆明著「抒情の論理」中 短歌命数論等があります。






 感動詞のように意識の自己表出がただちに指示性として意識に反作用をおよぼし、文字に固定されないかぎり対他的な関係をおよぼさない言語を例にとるとする。たとえば、感動詞<うわあ>を、<ウ><ワア>と分けて発音すると、何かを視たり、きいたりして感嘆している意味になるが、<ウワア>とひと息に発音すれば、うなり声や叫び声をあらわすことになる。<ウ><ワア>と<ウワア>が、もし違った意味をあらわすとすれば、ふたつの韻律の違いにその理由をもとめなければならない。すでに、韻律をふくんでいるこの指示性の根源を、指示表出以前の指示表出の本質とみなしてきたこれについて、ヘーゲルの『美学』(第一巻の中、竹内敏雄訳)には、つぎのようにかかれている。

  詩は韻文で書かれることを本質的条件とする。そうして韻文の様式はまさに韻律を有することを要件とし、この感覚的側面における区分が音や言葉に強制を加えることをまってはじめて成立する。これによってかような材料は同時に感覚敵領域から離脱したものとなる。韻文を聴く人には、それが通常の意識において気ままに語られたものとは別種のものなのだということが、すぐにわかる。それに固有の効果は内容にあるのではなく、対象面にあるのではなくて、これにつけられた規定にあるものであり、この規定は内容にあるのではなくてもっぱら主観に帰属することを直接に明示している。ここに存する統一性・均等性によってこそ、規則的な形式は自我性に諧和するひびきを発するのである。

見事なのは、意味としての言語も、価値としての言語も、対他-対自的なものであるが韻律としての言語が内容とも対象とも異なった「主観に帰属するもの」、いいかえれば意識それ自体にへばりついてはなれないも、完全に対象的に固定化されないものとみなしている点である。これをヘーゲルのように「強制を加える」ものとかんがえるかどうかはべつに論じなければならない。たとえば、日本語の韻文詩人である歌人に、七・五調、三十一文字は強制であるか、またあらかじめ保証された形式の自由とかんがえるかたずねたばあい、どちらの答えを得るかは、まったくわからない。散文家が制約とみるかもしれない音数律が、歌人にはあらかじめ保証された無限の許可とみえることはありうる。
日本語の韻律が音数率となることについて言語学者は、充分な根拠をあたえているようにみえる。金田一春彦の『日本語』は、

日本の詩歌の形式で、七五調とか、五七調とか音数律が発達しているが、拍がみな同じ長さで単純だからにちがいない。ただし、四や六がえらばれず五とか七とか奇数が多くえらばれたのはなぜか。日本語の拍は、先にのべたように点のような存在なので二泊ずつが人まとまりになる傾向があるからだろう。つまり二泊からなるものが長、一拍からなるものが短と意識され、そういう長と短との組合せで詩を作り出そうとするためであろう。いわゆる都々逸のリズムが、単なる三・四・四・三……ではなくて、一・二・ニ・ニ・ニ・ニ・ニ・一……というふうに、一と二の組合せでできているのは、そのあらわれにちがいない。

時枝誠記の『国語学言論』は、

  若しこのリズム形式を、等時的拍音形式と称するならば、国語に於いて観取されるもの、そして国語の音声的表現の根本的場面となるものは、正しくこの等時的拍音形式のリズムである。それは強弱型・高低型リズム形式に対立するものであって聴覚的には音色の変化に伴う知覚の更新感により、生理的には調音の変化による運動感覚によって、回帰が知覚される処のリズム形式である。

  ふたりの言語学者は、等時的な拍音が日本語の特質であることを認めている。短歌や俳句のような定型詩は、この特質が日本語の指示性の根源と密着するために必然的に五・七律とならざるをえなかったものであるということができる。日本語の散文や自由詩は、いわば言語本質の表現が、指示性の根源としての韻律と言語の表出としての特性として分離したものにほかならない。
  たとえば短歌のような古典詩形がなにかを問いただそうとするとき、古典詩の一種だとか、五・七の音数律をもとにした三十一文字の短詩形だとかいう答えは、はねかえってくるが、それが本質的に問われ、本質的にこたえられたことはない。日本語において短歌は言語本質が指示性の根源である韻律と不可分のかたちで表出されるもの、したがって必然的に五・七の音数律となった詩形のひとつとして考察されなければならない。

 転換(当方注)
  ここでまず、短歌的な表現をつかって韻律・選択・転換・喩を考察する。これはたんなる例であり、音数律をはらんでいるすべての詩形に共通するものを基盤にして、短歌詩固有のもんだいのあらわれ方をあきらかにしたい。たとえば、近代定型詩や俳句について考察しても、共通のもんだいと、それぞれの詩形に固有なもんだいとがあらわれるはずである、
  まず、短歌的な表現の原型をさだめなければならないが、ここでは、自然物や事実を客観的な体でのべている形をえらぶ。語り事の核が抒情となり、やがて自然物のような景物を嘱目のなかからえらびとってうたう純粋叙景によって、短歌としての表現を完成させていったという発生史的な理由からも、またそのばあいに短歌的な表出はもっと特質を鋭くされるという理由からもこれを原型として大過があらわれない。

  (1)国をおはれしカール・マルクスは妻におくれて死ににけるかな(大塚金之助)
  (2)隠沼の夕さざなみやこの岡も向ひの岡も松風の音(藤沢古美)

  国境を追われたカール・マルクスは妻にさき立たれ、そのあとから死んだとか、隠沼に夕さざなみがたち、こちらの岡にも向かい側の岡も松風の音がしている、という叙述だけで、それがどうしたとか、だからどうなのだ、という作者の主意がのべられていない。この作品が、ただ事実をのべたとか、景物をみたとかいう無意味さにかかわらず、詩としての自立感や完結感をあたえうるのはなぜか。こういう問いに短歌の詩形としての秘密の原型がかくされている。
  伝統詩形というような言葉で、ぼんやりとかんがえているものは、韻律が音数律として七・五の三十一文字に定着していくまでに封じこめられた、しかも必然的な推移の過程が積みかさねられた言語表出を意味しており、その韻律の必然にのっかってかなり複雑な転換をなしとげているものをさしている。作品を自己表出の面から、具体的に分析すれば、よく理解される。

 「国境を追はれしカール・マルクスは」

 「国境を追はれし」までは、作者の表出意識は、マルクスになりすまして国境を追われている。そして、「「カール・マルクスは」で、作者と、それをある歴史的事件として唄っている対象的表現は分離する。

 「妻におくれて」

 ここでマルクスに観念のうえで表出を托した作者が自分にかえってマルクスは妻の死んだあとも生きのびてのち亡命者として死んだな、かんがえていると解してよい。

 「死ににけるかな」

 のところへきて、作者は表出の原位置にかえり、マルクスの死の意味に感情をこめている。
 ちょっとかんがえると或る歴史上の事実を客観風にのべたにすぎないような一首が、高速度写真的に分解して、表出としてみるとき、作者がいったんマルクスになりすまして国境を追われたかとおもうと、マルクスの感懐にふけり、また、作者の位置にかえってその死の意味に感情をこめているといったような、かなり複雑な主客の転換をやってのけていることがわかる。もちろん、この転換が作者にとって意識的であるか無意識的であるかは問題ではない。無意識の場合は表出の伝統、または指示性の根源である音数律の伝統にのってやっているだけで、いわば伝統が自覚の代償をなしているからだ。

 (略)

言語にとって美とはなにか ⑤ 文字・像と言語表現における像

2017-01-03 14:55:13 | 言の葉綴り
言の葉 26 言語にとって美とはなにか ⑤ 文字・像と言語表現における像

言語にとって美とはなにか 第Ⅰ巻 著者吉本隆明 発行所 勁草書房 昭和40年5月20日発行

抜粋その1
同書第Ⅱ章言語の属性 3文字・像より

*当方注 像についての関連著書として、ここではサルトルの『想像力の問題』への言及がなされている。



(略)
 たんなる遊吟であり、謡であり、語り伝えであり、また対話であった言語が、文字としてかきとめられるにいたったとき、言語の音声が共通に抽出された音韻の意識がはっきりと定着するまでに高度になったことを意味すると同時に、その意味伝達の意識がはっきりと固定化するまでに高度化したことを意味している。おそらく、文字は、たんに歌い、会話し、悲しみをのべていた古代人が、言語についての高度な抽出力を、手に入れたときはじめて表記されたのである。語り言葉、歌い言葉との分離と対立と浸透との最初のわかれは、文字の出現からはじまったということができる。
 ここで、文字の成立は何を意味するかはっきりさせておかなければならない。
 文字の成立によってほんとうの意味で、表出は、意識の表出と表現とに分離する。あるいは、表出過程が、表出と表現の二重の過程をもつともいってもよい。言語は意識の表出であるが、言語表現が意識に還元できない要素は、文字によってはじめて完全な意味でうまれるのである。文字にかかれることによって言語表出は、対象化された自己像が、自己の内ばかりでなく外に自己と対話するという二重の要素が可能となる。
 (略)

 言語には、自己表出にアクセントをおいてあらわれる自己表出語と、指示表出にアクセントをおいてあらわれる指示表出語があるように、言語本質の表記である文字にも自己表出文字と指示表出文字の区別があるだけで、これが本質的なのだ。
 たとえば、(恋人)という文字は、指示表出文字である。これを表意的にではなく、表音的に(こいびと)または歴史的かなづかいで<こひびと>とかいても、その指示表出にかわりはない。(恋人)と表意文字でかけば、恋愛関係にある男、または女をさすが、<こいびと>とかな文字でかけば、それを指示しないということはありえない。なぜならば、それは言語本質によってきまるもので、文字によってきまるものではないからである。
 しかし、たとえば<理性>という指示表出文字を、<りせい>という文字でかくとき、わたしたちが、あるためらいをおぼえるのは、現在の言語水準で、<りせい>は、ひとたび《理性》という表意を頭におもいうかべたうえで、<理性>のことであるとなったとするほかないからである。その手続きをはんざつとかんがえるならば、<りせい>というもじをつかって<かれはりせいがある>というような文章をかかずに、<彼はものごとをよくかんがえてきめるたちだ>というように表現するほかない。これは、漢字を意味形象としてつかうという伝統のなかに、わたしたちが身をひたして、書き言語の発達と伝達言語の発達のあいだにひき裂かれているからで、急激にこれを断絶させようとすれば、<りせい>→《理性》→<理性>という二段の手つづきをふむほかないからである。
 こういう問題が真にやっかいな点は、わたしたちが、指示表出語に、意味や、対象の概念のほかに、それにまつわる像をあたえているし、またあたえうるとおもわれる。表意文字でかくことができるのは、もちろん指示表出語にかぎられる。現在では万葉仮名で、助詞や助動詞をかくことはなくなっている。そして、指示表出語だけでなく、言語の指示表出へのアクセントは大なり小なり像をあたえるという点に、言語表記の性格にとって最後のもんだいであり、また言語の美にとって最初のもんだいがあらわれる。
 言語が意味や音のほかに像をもつというかんがえを、言語学者はみとめないかもしれない。しかし、<言語>というコトバを本質的な意味でつかうとき、わたしたちは言語学をふりきってもこの考えにつくほうがよい。言語学と言語の芸術論とが別れなければならないには、おそらくこの点からであり、言語における像という概念に根拠をあたえさえすれば、この別れは、可能なのだ。
 言語における像が、言語の指示表出の強さに対応するらしいことは、わたしがいままで無造作に述べてきたところからも、推定できるはずだ。
 しかし、言語の像が、<意味>とちがうことは、あたかも事物の<概念>と、事物の<象徴>とはちがうのとおなじようなものである。
 言語は、その発生の初期に、視覚的反映にたいする反射的な音声という性格をすててしまった。わたしの考察では、音声が自己表出を手にいれたためである。これによって言語本質は、指示表出と自己表出とのないまぜられた構造となったのである。
 もしも、言語の像を喚起したり、像を表象としたりできるものとすれば、意識の指示表出と自己表出とのふしぎな縫目に、その原因をもとめるしかない。
 ここで、再び言語進化のところで考察したものを、新しい眼でたどってみなければならぬ。
 音声は、現実界を視覚的に反映したときの反射的な音声であったとき、あきらかに知覚的な次元にあり、指示表出は現実界への直接の指示であった。しかし、音声の意識が自己表出としてはっせられるようになって、指示性は現実にたいするたんなる反射ではなく、対象性としての指示にかわった。いわば自己表出の意識は起重機のように有節音声を吊りあげたのである。
 そのようにして、言語そのものは、知覚的な次元から離脱した。像は、人間が対象を知覚しているときには不可能な意識であることは、サルトルが『想像力の問題』(平井啓之訳)のなかで、指摘したとおりである。言語に像を表現したり喚起したりする力があるとすれば、言語が意識の自己表出をもつにいたったところに機動力をもとめざるをえないのである。
 しかしそれとは逆に言語の像をつくる力は、指示表出の強い言語ほどたしかであるということができる。この意味で言語の像は、言語の指示表出に対応しており、また自己表出を機動力とする何かであるといわなければならない。
 わたしが、いま、机の上の緑色の灰皿を眼でみながら、<ハイザラ>という言葉を発したとする。このとき灰皿の像をひきおこすことは不可能である。しかしいま、眼をとじて<ハイザラ>といったとすれば、灰皿の像を喚起することができる。ここで原始人たちが、海を目のまえでみながら、<海>といったとき、この語は反射音声だが、住居の洞穴にいながら<海>といって、なお海の概念をうることができるようになったとき、言語の条件は完成したことを想起しよう。像とは何かが、本質的にわからないとしても、それが対象的概念とも
対照的知覚とも違っているという理解さえあれば、言語構造の指示表出と自己表出の交錯した縫目にうみだされることは、了解することができるはずである。あたかも、意識の指示表出というレンズと自己表出というレンズが、ちょうどよくかさなったところに像がうまれるというように。
 (略)

抜粋その2
同書第Ⅱ章言語の属性 4言語表現における像より

当方注 吉本隆明が語る戦後55年2 戦後文学と言語表現論のなかで、「言語にとって美とはなにか」の延長線上で、想像力の問題を理論的にやってみようと思ってはじめたのが、「ハイ・イメージ論」であると述べています。


 
 言語の意味、価値、像などの概念から言語の芸術にふみこもうとするいま、言語の表出(Ausdrücken)を、表出(ausdrücke)と表現(produzieren)のふたつを分離して含むものとしてあつかうのが、適切であるとおもう。もちろん、文学的な表現もまた、意識の表出であるが、この表出はその内部で、<書く>という文字の表現の文学的な成立とともに、表出と表現に分裂する。言語の美のもんだいは、あきらかに意識の表出という概念を、固有の表出意識と、<書く>ことによって文学に固定せられた対象物への表現意識との二重の過程に拡張せられる。もちろん、その本質的な意味はかわらないのである。
 このことは、いうまでもなく人間の自己意識の外化としての言語表出が、自己意識に反作用をおよぼし、戻ってくる過程と、外化せられた意識が、対象的に文学に固定されて、それが<実在>であるかのように自己意識の外に<作品>として生成され、生成されたものが自己意識に反作用をおよぼし、もどってくる過程の二重性が、無意識のうちに文学的表現(芸術としての言語表出)として前提されていることを意味している。それは文学が固定されて<書く>という文学的表現が成立して以後、文学作品は(書かれるもの)としてかんがえられているからだ。もちろん、語られる言語表現もまた文学、芸術でありうるし、現在も存在しつづけている。しかし、おこりうる誤解をさけるためにいえば、現在まで流布されている文学理論が、いちように<文学>とか<芸術>とか以上に、その構造に入ろうとせず、芸術と実生活とか、政治と文学とか、芸術と疎外とかいいならわせば、すんだつもりになるのは、表出という概念が固有の意識に還元される面と、生成(Produzieren)を経て表現そのものにしか還元されない面とを考察できなかったがためである。
 (略)

 A 彼はまだ年若い夫であった。(庄野潤三「生物」)
 Bその部屋で二人はウイスキーを飲んでいた。(同)

 ふたつは、いずれもひとつの文学作品のなかの文章で、意味はたれの眼にも、もっとも単純なものとしてみえる。
 Aは「彼」という人物が年の若い夫であったという意味で、Bはあるひとつの部屋でふたりの人間がウイスキーを飲んでいたという意味である。もちろん「静物」という作品のなかでは、「彼」は主人公であり、作者と主人公とが微妙に未分化なものとして設定されている。またBの文章で「ふたり」というのは、作品のなかでは主人公と医者であるが、ここではべつに問題とする必要はない。
 ここでいまはじめて当面しているのは、これらの文章を言語表現として、読むとは、いかなることを意味するのかというもんだいである。そのために、言語のおける意味、価値、像の概念をとりあげてきた。
 わたしたちは、言語の価値を自己表出からみられた言語の全体的な関係としてかんがえてきた。したがって、Aという言語表現の価値は、「彼」という代名詞の自己表出、「は」という助詞の自己表出、「まだ」という副詞、「年若い」という形容詞、「夫」という名詞……の自己表出からみられた文章全体である。
 Aという文章で、たんに文法的にみれば「彼」ということばは、第三者を意味する代名詞にすぎない。しかし、作者の意識の自己表出としてみるとき、この代名詞「彼」は作者との関係をふくむことになる。この文章を読んで「彼」ということばが、作者が自分を第三者のようにみたてた表現のようにもとれるし、また、作者とある密接な関係にある他人ともうけとれるような含みを感ずるのは、作者の自己表出として「彼」ということばを考えたうえで「彼」という意味をうけとっているからである。Aの文章で価値として「彼」ということばをかんがえるとは、このことをさしている。
 「年若い」という形容詞のばあいもまったくおなじで、たんに<若い>と表現しても意味にはかわりないが、作者の意識に年齢としての強調があって、「年」という名詞と連合した表現をとらせたということができる。「夫」という名詞もおなじで、<男>とか<亭主」とかで意味としては代置できるもかかわらず、作者の自己表出が「夫」という語感をえらばせたのである。
 このように、「彼」という人物が、まだ若い妻をもった男だったという意味の文章Aがふくんでいるニュアンスが、それぞれの語の自己表出からきていることが、たやすく了解される。このとき、わたしたちは、たんに意味としてではなく、価値としてこの表現をたどっているので、文章を言語表現としてみるとは、このことを意味している。
 (略)

 C しかし彼は、二三歩ふらふらと右に動き、休むでもなく、上の岩を調べるでもなく、ぼんやりと佇み、それからいきなり岩にとりついた。   (「岩尾根にて」北杜夫)

 この文章から、あるはなれたところの岩にかこまれた場所で、ひとりの男が、なんの目的もなさそうに、だが、なにか意味ありげに岩の壁のしたをうろうろしたり、佇ちどまったりしていたかとおもうと、やがて岩に手足をかけて登ろうとした、という情景の像を、しかも、かなり遠方の感じでおもいうかべることができる。
 そして、この像をうかべるとき、わたしたちは、この表現をたんに意味としてではなく、価値としてたどっているのである。これは「ふらふら」とか、「ぼんやり」とか、「いきなり」とかいう副詞のたくみな用法によって助長されているだろうが、何よりも、この文章を、作者の自己表出としてみるとき、その場面転換がすばやくおこなわれるところに、像をひきおこす要因がかくされている。たとえば、「右に動き、左に動き」というばあい、それは作者の意識との関係において右に動いたり、左に動いたりしていることであり、「休むでもなく、上の岩を調べるでもなく」というとき、作者の意識の判断との関係で休むでもなく、調べるのでもなく、ということにほかならない。
 このように作者の自己表出からみられた指示表出はよくうごき、転換しその縫目に像があらわれる。

 D 私が進むと、彼等(蠅―註)はだるそうに飛びあがり、すぐに舞いおりた。
                            (「岩尾根にて」北杜夫)

 この文章は、ちょっとかんがえると作者である「私」が路をすすんでいくと、路のあたりにいた蠅が、にぶくとびあがって、またすぐ路のあたりにとまった、というようにうけとれるかもしれない。しかし、じっさいは、この文章の「私」は、作者の自己表出された像としての「私」であるから、像としての「私」が路をあるいてゆくという文章と、作者の自己表出としての「彼等」(蠅)がとびあがって、まいおりたという文章とが作者の意識の表現として二重に因果的にとらえられ、むすびつけられたものである。
 この文章の含みは、「私」がすすむという表現が、途中で「彼等」(ハエ)がとびあがり、まいおりるという表現に転換し、それが「他」という助動詞でしめくくられることによっておわっている。いわば、文章のなかの「私」や「彼等」(蠅)と作者との関係の転換が、この表現の価値をたかめている例である。
 言語の美にふみこむ道は、このような表現的なところから、複雑な過程へ、言語本質をみうしなうことなしに拡張してゆく道である。