言の葉94 共同幻想論
①祭儀論…その1
吉本隆明全著作集11 思想論II 共同幻想論 著者吉本隆明 発行所勁草書房 昭和四七年九月三〇日第一印刷発行 より抜粋
当方より
既にブログ言の葉綴り4で、共同幻想、対幻想、自己幻想について概略取り上げているので参照下さい。
共同幻想論 祭儀論…その1
原理的にいえば、ある個体の自己幻想は、その個体が生活している社会の共同幻想に対して〈逆立〉するはずである。しかし、この〈逆立〉の形式はけっしてあらわな眼に見える形であらわれてくるとはかぎっていない。むしろある個体にとっては、共同幻想は自己幻想に〈同調〉するもののようにみえる。またべつの個体にとっては、共同幻想は〈欠如〉として了解されたりする。また、べつの個体にとっては共同幻想は〈虚偽〉として感じられる。
ここで〈共同幻想〉というときどんなけれん味も含んでいない。だから〈共同幻想〉をひとびとが、現代的に社会主義的な〈国家〉と解しようと資本主義的な〈国家〉と解しようと、反体制的な組織の共同体と解しようと、小さなサークルの共同性と解しようとまったく自由であり、自己幻想にたいして共同幻想が〈逆立〉するという原理は変わらないし、この〈逆立〉がさまざまなかたちであらわれることもかわらないのである。ここですこしつきつめてみると、もともと〈逆立〉するはずの個体の自己幻想と共同社会の共同幻想の関係が〈同調〉するかのような仮象であらわれるとする。
すぐにわかるように、個体の自己幻想にとって、社会の共同幻想が〈同調〉として感ぜられるためには、共同幻想が自己幻想にさきだつ先験性であることが自己幻想の内部で信じられていなければならない。
いいかえれば、かれは、じぶんが共同幻想から直接うみだされたものだと信じていなければならない。しかしこれはあきらかに矛盾である。かれの〈生誕〉に直接あずかっているのは〈父〉と〈母〉である。そしてかれの自己幻想の形成に第一次的にあずかっているのは、すくなくとも成年にいたるまでは〈父〉と〈母〉との対幻想の共同性(家族)である。またかれの自己幻想なくして、かれにとっての共同幻想は存在しえない。だが極限のかたちでの恒常民と極限のかたちでの世襲君主を想定すれば、かれの自己幻想は共同幻想と〈同調〉しているという仮象をもつはずである。あらゆる民族的幻想行為である祭儀が、支配者の規範力の賦活行為を意味する祭儀となぞらえることができるのはそのためである。
ところで、現実社会に生活している個体は、大なり小なり自己幻想と共同幻想の矛盾として存在している。ある個体の自己幻想にとって共同幻想が〈欠如〉や〈虚偽〉として感ぜられるとすれば、その〈欠如〉や〈虚偽〉は〈逆立〉へむかう過程の構造をさしているはずだから、本質的には〈逆立〉の仮象以外のものではありえない。
こういう個体の自己幻想とその個体が現存している社会の共同幻想との〈逆立〉をもっとも原質的に、あらわししめすのは人間の〈生誕〉である。
ふつう〈生誕〉について語るとき、〈父〉と〈母〉から〈子〉が生まれるという云い方がある。また、一対の男女の〈性〉的な行為から人間は生まれるものだという云い方がある。エンゲルスのように骨の髄まで経済的範疇が好きであった人物からすれば、最初の分業は〈子〉を生むことにおける男女の分業であったという云い方もできる。
けれど人間の〈生誕〉の問題がけっして安直でないのは、人間の〈死〉の問題が安直でないのとおなじである。しかも〈死〉においては、ただ喪失の過程であらわれるにすぎなかった対幻想の問題が〈生誕〉においては、本質的な意味で登場してくる。ここでは〈共同幻想〉が社会の共同幻想と〈家族〉の対幻想というふたつの意味で問われなければならない。心的にみられた〈生誕〉というのは〈共同幻想〉からこちらがわへ、いいかえれば〈此岸〉へ投げだされた自己幻想を意味している。そしてこのばあい、自己の意志にかかわりなく〈此岸〉へ投げだされた自己幻想であるために〈生誕〉は一定の時期まで自覚的問題ではありえないのである。そして大なり小なり自覚的でありえない期間、個体は生理的にも心的ににも扶養なしには生存をつづけることができない。人間の自己幻想は、ある期間を過程的にとおって徐々に周囲の共同幻想をはねのけながら自覚的なものとして形成されるために、いったん形成にされたあかつきにはたんなる共同幻想からの疎外を意味するだけでなく、共同幻想と〈逆立〉するほかないのである。そして、自己幻想の共同幻想にたいする関係意識としての〈欠如〉や〈虚偽〉の過程的な構造は、自覚的な〈逆立〉にいたるまで個体が成長してゆく期間の心的構造にその原型をもとめることができる。
わたしの知見のおよぶかぎりでは、この問題にはじめて根源的な考察をくわえたのはヘーゲルであった。そしてヘーゲルの考察は根源的であったがために、〈前生誕〉ともいうべき時期の〈胎児〉と〈母〉との関係の考察においてもっとも鋭いかたちをしめした。
空間的なものおよび物質的なものの方から見れば、胎児としての子供は自分の特殊な皮膚等々のなかに実存していて、子供と母の連関はへそのお•胎盤等々によって媒介されている。もし人々がこの空間的なものおよびこの物質的なもののもとに立ち止まっているならば、そのときはただ外面的な解剖学的•生理学的現実存在が感性的反省的に考察されるだけである。本質的なもの、すなわち心的関係に対しては、あの感性的物質的な相互外在や被媒介態やはなんらの真理性をもっていない。母と子供の連関の場合に人々が念頭におくべきことは、ただ、母の激しい興奮や危害等々によって子供のなかに固定する諸規定が驚嘆すべきほど伝達されるということだけではなくて、ちょうど植物的なものにおける単子葉植物のように、媒体が全体的心理的判断(根源的分割)を行なって、女性的本性が自己のなかで二つに割れることができるということである。そしてまた子供はこの判断(根源的分割)において、病気の素質や、形姿•感じ方•性格•才能•個人的性癖等々におけるそれ以上の素質を、伝達されて獲得したのではなく、根源的に自己のなかへ受容したのである。
それに反して、母体のなかの子供は、われわれに対して、まだ子供のなかで現実的に独立的になっているのではなくてもっぱら母のなかで始めて独立的になっている心•まだ自己自身を独立的な維持することができない心•むしろもっぱら母の心によって維持されている心を明示している。その結果ここでは、夢見のなかに現存しているあの関係•自己自身に対する心の単純な関係の代わりに、他の個体に対する同様に単純で直接的な関係が実存している。そして、まだ自分自身のなかに自己をもつに至っていない胎児の心はこの他人のなかに自分の自己を見いだすのである。(ヘーゲル『精神哲学』船山信一訳)
ひそかに推測してみると、人間の生存の根源的不安を課題にした『不安の概念』におけるキェルケゴールと、あらゆる不安神経症の根源を〈母胎〉から離れることへの〈不安〉に還元したフロイトとは、ともにヘーゲルのこのような考察からたくさんのものを負っているとおもえる。しかし、ヘーゲルのこの考察は、自己幻想の内部構造について立ち入ろうとするとき問題となるだけである。わたしたちが、ここでヘーゲルの考察から拾いあげるものをもつとすれば、〈生誕〉の時期における自己幻想の共同幻想にたいする関係の原質が胎生時における〈母〉と〈子〉の関係に還元されるため、すくなくとも〈生誕〉の瞬間における共同幻想は〈母〉なる存在に象徴されるということである。
人間の〈生誕〉にあずかる共同幻想が〈死〉にあずかる共同幻想と本質的にちがっているのは、前者が村落の共同幻想と〈家〉における男女の〈性〉を基盤にする対幻想の共同性との両極のあいだに移行する構造をもつということである。そして、おそらくは、これだけが人間の〈生誕〉と〈死〉を区別している本質的な心的差異であり、それ以外はすべて相対的なものに過ぎないことは、未開人における〈死〉と〈復活〉の概念がほとんど等質に見做されていることからもわかる。かれらにとっては〈受胎〉、〈生誕〉、〈成年〉、〈婚姻〉、〈死〉は、繰返し行われる〈死〉と〈復活〉の交替であった。個体が生理的にはじめに〈生誕〉し、生理的におわりに〈死〉をむかえるということは、〈生誕〉以前の世界と〈死〉以後の世界にたいして心的にははっきりした境界がなかった。
『古事記』には、〈死〉と〈生誕〉がそれほどべつの概念として存在しなかったことを暗示する説話が語られている。
伊耶那岐(イザナギ)は死んだ伊耶那美(イザナミ)を追って死後の世界へ行き、「おれとおまえが作った国はまだ作り終わっていないから、還ってこないか」といった。伊耶那美は「もっとはやく来てくれればよかったのに、わたしは死の国の食物を食べてしまった。だが、せっかくあなたがきてくれたのだから、死の世界の神にかけあってみましょう。わたしを視ないでください」とこたえて家の中へ入ったがなかなか出てこなかったので、伊耶那岐が燭をつけて入ってみると、伊耶那美の頭や、胸や、腹や、陰部や手足には蛆がわいてごろごろ鳴っていた。伊耶那岐は恐怖にかられて逃げだすと、伊耶那美は「わたしに辱をかかせた」といって死の世界の醜女に追いかけさせた。
海の神の娘、豊玉姫が「しぶんは妊娠していて子を産むときになった。海で産むわけにいかないから」というので、海辺に鵜の羽で屋根を葺いて、産屋をつくった。急に腹がいたくなったので産屋に入るとて、日子穂穂出見に「他国の人間は、子を産むときは、本国の姿になって産むものだから、わたしも本の身になって産みます。わたしを見ないで下さい」といった。妙なことを云うとおもって日子が子を産むところを覗いてみると、八尋もある鰐の姿になって這いまわっていた。日子はおどろいて逃げだした。豊玉姫は恥ずかしくおもって子を産んだ後で、わたしの姿を覗かれてはずかしいから、本の国へかえると云って海坂をわふさいで還ってしまった。
この〈死後〉譚と〈生誕〉譚とはパターンがおなじで、一方は死体が腐って蛆がわいてゆく場面を、一方は分娩の場面をみられて、男は驚き、女は自己の変身をみられて辱かしがるというようになっている。死後の場面も生誕の場面もおなじように疎通しており、このふたつの場面で、男が女の変身にたいして〈恐怖〉感として疎外され、女が一方では〈他界〉の、一方では「本国の形」の共同幻想の表象に変身するというパターンで同一のものである。
男のほうが〈死〉の場面においても〈生誕〉の場面においても場面の総体からまったくはじきだされる存在となる度合は、女のほうが〈性〉を基盤とする本来的な対幻想の対象から、共同幻想の表象へと変容する度合に対応している。『古事記』のこのような説話の段階では、〈死〉も〈生誕〉も、女性が共同幻想の表象に転化することだという位相でとらえられている。いいかえれは人間の〈死〉と〈生誕〉は〈生む〉という行為がじゃまされるかじゃまされないかというように、共同幻想の表象として同一視されていることを意味している。
では、人間の〈死〉と〈生誕〉が〈生む〉という行為がじゃまされるか、されないかという意味で同一視されるような共同幻想は、どのような地上的な共同利害と対応するのだろうか?
これがもっともよく象徴する説話が『古事記』のなかにある。
須佐男(スサノオ)は食物を穀神である大気都姫(オオゲツ)にもとめた。そこで大気都姫は、鼻や口や尻から種々の味物をとりだして料理してあげると、須佐男はその様子を覗いてみて穢いことして食わせるとおもって大気都姫を殺害してしまった。殺された大気都姫の頭に蚕ができ、二つの目に稲種ができ、二つの耳に栗ができ、鼻に小豆が、陰部に麦が、尻に大豆ができた。神産巣日(カムムスビ)がこれをとって種とした。
この説話では、共同幻想の表象である女性が〈死〉ぬことが、農耕社会の共同利害の表象である穀物の生成と結び付けられている。共同幻想の表象に転化した女〈性〉が、〈死〉ぬという行為によって変身して穀物になることが暗示されている。女性に表象される共同幻想の〈死〉と〈復活〉とが穀物の生成に関係づけられる。
ここまでかんがえてくると、人間の〈死〉と〈生誕〉を、〈生む〉という行為がじゃまされるかじやまされないかのちがいとして同一視されている共同幻想が、初期の農耕社会に固有なものであることを推定することができる。かれらの共同幻想にとっては、一対の男女の〈性〉的な行為が〈子〉を生むという結果をもたらすことが重要なのではない。
女〈性〉だけが〈子〉を分娩するということが重要なのだ。だからこそ女〈性〉はかれらの共同幻想の象徴に変容し、女〈性〉の〈生む〉という行為が、農耕社会の共同利害の象徴である穀物の生成と同一視されるのである。そしてこの同一視は極限までおしつめられる可能性をはらんでいる。女〈性〉が殺害されることによって穀物の生成が促されるという『古事記』のこの説話のように。
蚕の生成については『遠野物語』は、いわゆるオシラサマの起源譚として、馬と女の婚姻説話のかたちで記載しているが、穀物の生成についてはわたしたちは北方民譚である『遠野物語』を捨てなければならない。『古事記』は穀物についての説話をいくつも書きとめているが、このことは、『古事記』の編者たちの権力が、はじめて穀物栽培の技術を身につけて古代村落をせきけんした勢力を始祖たちとかんかえたか、かれらの勢力が穀物栽培の発達した村落の社会に発祥したか、あるいはかれらの始祖たちの政治的制覇が、時代的に狩猟•漁獲を主とする社会から農耕を主とする社会への転化の時期にあたっていたかのいずれかを物語っているようにおもわれる。
この『古事記』の説話的な本質は、石田英一郎の論文「古代メキシコの母子神」が記載している古代メキシコのトウモロコシ儀礼とよくにている。古代メキシコの「箒の祭」ではから選ばれた一人の女性を穀母トシ=テテオイナンの盛装をつけさせて殺害する。そして身体の皮を剥いで穀母の息子であるトウモロコシの神に扮した若者の頭から額にかけて、彼女のももの皮をかぶせる。若者は太陽神の神像の前で〈性〉行為を象徴的に演じて懐胎し、また新たに生れ出るとされている。
『古事記』の説話のなかで殺害される「大気都姫」も、「箒の祭」の行事で殺害される穀母もけっして対幻想の性的な象徴ではなく、共同幻想の表象である。これらの女性は共同幻想として対幻想に固有な〈性〉的な象徴を演ずる矛盾をおかさなければならない。これは、いわば絶対的な矛盾であり、したがって自ら殺害されることによってしか演じられない役割である。自ら殺害されることによって共同幻想の地上的な表象である穀物として再生するのである。
(以下は祭儀論…その2にて)