言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

「重層的な非決定へ」

2016-02-01 20:20:50 | 言の葉綴り
言の葉1
埴谷雄高との論争
「重層的な非決定へ」吉本隆明著
1985年 大和書房
抜粋その1

「重層的な非決定」とはどういうことを意味するのでしょう? 平たくいえば「現在」の多層的に重なった文化と観念の態様にたいして、どこかに重点を置くことも拒否して、層ごとにおなじ重量で、非決定的に対応するということです。
私はしばしばそれを「資本論」と「窓際のとっとちゃん」とをおなじ水準で、まったくおなじ文体と言語で論ずべきだという言い方で述べてきました。

抜粋その2

西欧の先進資本主義「国」でとられているラジカルな理念の方向は、モダニズムとポストモダニズムの姿です。私には構造主義やポスト構造主義の思想が西欧でとっているこの方向性の方が、まやかしの少ない不可避な危機感の表明があるようにおもわれます。そこはもはや資本主義と社会主義の同一化が、「現前」している地続きの地域であり、差異をつくるとすれば社会主義「国」は強制管理過剰で遅れてしまった資本主義の変種としてしかみえていないという点です。私はそこから沢山のことを学ぶことができているようにおもっています。
ただ私の場所からみえる「現在」は(つまり先進資本主義「国」日本にあっては)、モダンやポスト・モダンに単層的に収束できるようにおもわれないのです。ここでは「重層的な非決定」が、どうしても不可避であるようにおもわれてなりません。




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