言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

共同幻想論

2016-03-29 13:23:38 | 言の葉綴り
言の葉4 共同幻想論
吉本隆明全著作集 11 思想論 II
昭和47年9月

抜粋その1 共同幻想論序
注(言語にとって美とはなにかから、心的現象論、共同幻想論へ)
言語の表現としての芸術という視点から文学とはなにかについて体系的なかんがえをおしすすめてゆく過程で、わたしはこの試みには空洞があるのをいつも感じていた。
注(言語にとって美とはなにか)

ひとつは表現された言語のこちらがわで表現した主体はいったいどんな心的な構造を持っているかという問題である。
注(心的現象論)

もうひとつは、いずれにせよ、言語を表現するものは、そのつどひとりの個体であるが、このひとりの個体という位相は、人間がこの世界でとりうる態度のうちどう位置づけられるべきだろうか、人間はひとりの個体という以外にどんな態度をとりうるか、そしてひとりの個体という態度は、それ以外の態度とのあいだにどんな関係をもつのか、といった問題である。
注(共同幻想論)

抜粋その2 共同幻想論、国家論
……僕の考え方では、一つは共同幻想ということの問題がある。それが国家とか法とかいうような問題になると思います。
注(共同幻想)

……もう一つは、僕がそういうことばを使っているわけですけれども、対幻想、つまりペアになっている幻想ですね、そういう軸が一つある。それはいままでの概念でいえば家族論の問題であり、セックスの問題、つまり男女の関係の問題である。そういうものは大体対幻想という軸を設定すれば構造ははっきりする。
注(対幻想)

……もう一つは自己幻想、あるいは個体の幻想でもいいですけれども、自己幻想という軸を設定すればいい。芸術理論、文学理論、文学分野というのはみんなそういうところにいく。
注(自己幻想)

……共同幻想も人間がこの世界でとりうる態度がつくりだした観念の形態である。〈種族の父〉(Stamm-vater)も〈種族の母〉(Stamm-mutter)も〈トーテム〉も、たんなる〈習俗〉や〈神話〉も、〈宗教〉や〈法〉や〈国家〉とおなじように共同幻想のある表れ方であるということができよう。
人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることを知りながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である。共同幻想もまたこの種の負担のひとつである。だから人間にとって共同幻想は個体の幻想と逆立する構造をもっている。そして共同幻想のうち男性または女性としての人間がうみだす幻想をここではとくに対幻想とよぶことにした。
注(共同幻想、対幻想、自己幻想)

国家論
……現在さまざまな形で国家論の試みがなされている。この試みもそのひとつと考えられていいわけである。ただ、ほかの論者たちとちがって、わたしは国家を国家そのものとして扱おうとしなかった。共同幻想のひとつの態様としてのみ国家は扱われている。それにはわけがある。わたしの思想的な情況認識では、国家をたんに国家として扱う論者たちの態度からは現在はもちろん未来の情況に適合するどんな試みもうみだされるはずがないのである。つまり、かれらは破産した神話のうえに建物をたてようとしているのだが、わたしは地面に土台をつくり建物をたてようとしているのである。このちがいは決定的なものであると信じている。
注は当方で付記したものです。

海行かばー内兵の誇りー 大伴氏の言立て

2016-03-18 21:31:21 | 言の葉綴り
言の葉綴り3
海行かばー内兵の誇りー (大伴氏の言立て)

詩の自覚の歴史ー遠き世の詩人たちー 山本健吉著 筑摩書房 昭和54年
日本詩人選 5 大伴家持
山本健吉著 筑摩書房 昭和46年

抜粋その1
大伴氏の言立て
詩の自覚の歴史第二十章
大伴家持より

天平二十一年(七四九)、大仏の鋳造完成が真近かになりながら、それに塗る黄金がなかったが、二月になって、陸奥の国で黄金が出たという報せがあった。驚喜した天皇(聖武天皇)は、……そのことを謝する宣命を発し、…同じく百官への長文の宣命を発し、その中に諸氏の功績を述べ、とくに大伴、佐伯両氏のともがらに対する深い信頼が述べられていた。
そして、古くから大伴氏に伝えられている言立が、その中に折りこまれていた。その宣命に言う。
「……又大伴佐伯の宿禰は常にも云ふ如く、天皇が朝守り仕え奉る事顧なき人等にあれば、汝たちの祖どもの云ひ来らく、海行かば美豆く屍、山行かば草牟す屍、王の幣にこそ死め、のどには死なじ、、と云い来る人等となも聞し召す。是を以て遠天皇の御世を始めて、今朕が御世に当たりても、内兵と心中してことはなも遣わす。……」
この報を得て感激した家持は、長い一篇の賀歌を作って、宣命をパラフレーズするような形で、大伴、佐伯の氏人たち、または部下の役人たち示す。
陸奥の国より金出せる詔書を賀く歌一首
……大伴の遠つ神祖の、その名を ば大来目主と、負い持ちて仕え官、
海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、大皇の辺にこそ死なめ、顧はせじと言立て、 大夫の 清き彼の名を、いにしへよいまの現に、流さへる祖の子等そ。大伴と佐伯の氏は、人の祖の立つる言立て、人の子は祖の名絶たず、大君にまつろふものと、言い継げる言の司そ。梓弓手にとりもちて、剣太刀腰にとりはき、朝まもり夕のまもりに、大王のみ門のまもり、われをおきて人はあらじと、いや立て思いしまさる、大皇の御言の幸の、聞けば貴み(巻十八四〇九四)

抜粋その2
海行かばー内兵の誇りー
日本詩人選5 大伴家持より

……この詔詞と家持の賀歌とを較べてみると、まるで「割り符を合せる様」(折口信夫氏「日本文学の発生ーその基礎編ー」)な一致が見られるのである。折口氏は言う、「恐らく此時代には、詔詞が発せられると、族長•国宰の人々は、かうした形式で、己が部下に伝達したものと思われる。其と同時に、その氏•国の特殊な歴史と結びつけて表す風があったのである。」(同上)
家持の長歌も、聖武天皇の詔詞のパラフレーズの意図をもって作られたもので、大伴氏の特殊な歴史に照らして、その部分をクローズアップしたものである。ことに、大伴氏に古くから伝承され、宮廷とのかくべつ親密な関係を見せている言立が詔詞の中に織りこまれたこと、ことに天皇が、大伴•佐伯のともがらを「内兵(うちのいくさ)と心中(こころのうち)のことはなも遣わす」と言われたことは、家持等の泣きどころに触れたものであった。その感激が家持をして、この長篇の詞章を作らせ、ことに彼等にとって「生命の指標」とも言うべき「海行かば」の言立を、最後の一句を換えながらもう一度繰り返させた。この一句の入れ換えで、この詞章が数層倍生命あるものとなったことは、誰しも認めることだろう。「顧みはせじ」との一句は、「天皇(すめら)が朝(みかど)守り仕へ奉る事顧みなき人等にあれば」と言う一節に呼応している。……





満州国演義四 炎の回廊

2016-03-01 23:02:05 | 言の葉綴り
言の葉2
満州国演義四 炎の回廊 船戸与一著
新潮文庫 平成28年1月
外務官僚 敷島太郎とジャーナリスト
香月信彦の会話(昭和11年二・二六事件前)より抜粋

その1「国体とは」「八紘一宇とは」
太郎「…北一輝のいう国体って?」
信彦「国体とは何ぞや。神詔を体してこの日本国を肇建し給える神武国祖の御理想、すなわち、君民一体、一君万民、八紘一宇の謂である。…」
太郎「…八紘一宇?…」
信彦「純正日蓮主義を唱える田中智学の言葉なんだよ。『日本書紀』のなかに大和橿原に都を定めときの神武天皇の詔勅があるんだ、六合を兼ね、もって都開き、八紘を掩いて宇となすという一節がね。六合とは国の内を差し、八紘とは天のしただ。宇とは家を意味する。要するに、天下をひとつの家にするということだろうよ。」

その2「天皇とは」
信彦「天皇は日本人が産みだした最高の虚構なんだよ!」
太郎「穏やかじぁありませんね、香月さん」
香月「…、天皇は三つの性格を持っている。まず立憲君主制のなかの君主。次に、兵馬の大権を独占する大元帥。三番目に神事を司る最高の祭司。つまり、法律的最高権威であり軍事的最高権威であり宗教的最高権威なんだ。そのことは現人神という虚構でしか纏められん。」…
信彦「現人神・天皇という虚構は立憲君主国家を目指す伊藤博文と兵営国家を作りあげようとした山県有明の妥協の産物として生まれた。そして、それは最高の虚構として機能した。明治維新からたった六十八年間で日本がこれだけの強国となったのはこの虚構のおかげだ。江戸時代に天皇はどんな役割を持っていた?
室町時代や鎌倉時代は?天皇にできたのは元号を決めるくらいだった。それが現人神という虚構となって日本人を纏めあげ、日本は欧米列強に対峙できるまでになったんだ。国体明徴を唱え天皇機関説を排撃すれば、論理的には天皇とは何かという問題に行き着かなきゃならなくなる。せっかく日本人が創りだした
最高の虚構をあらためて白日のもとに曝すことになるんだよ。馬鹿げてると思わないか?虚構は虚構としてそっとしておかなきゃならない。最高の虚構はなおさらだ。それなのに、天皇機関説排撃を言い立てて政府を追い詰めようとする政友会には腹が立つ。機関説排撃によって青年将校を煽り、その動きに阿り、陸軍内の抗争利用しようとする真崎教育総監らにはもっと 腹が立つ。……」