惜別 なかにし礼さん
自由と色気 確たる平和主義
朝日新聞2021年2月6日(土)夕刊
より転載
戦争への甘美なる復讐——。
旧満州から始まる人生は、この言葉に凝縮されている。
石原裕次郎さんとの偶然の出会いが運命の扉を開き、「北酒場」などで日本レコード大賞を3度受賞、小説「長崎ぶらぶら節」で直木賞に輝き、名声を極めた。だが2012年、食道がんで最初の余命宣告を受ける。
「死んだと思った命。僕は生まれ変わった」。がんを克服して14年12月、東京•新宿のライブハウスでの自身初のライブに誘ってくれた。歌と語りと朗読と。「世界はエロチックでわいせつなんですよ」「僕は徹底した個人主義と平和主義でね」。最後は作詞作曲した「時には娼婦のように」を歌って締めた。
そのライブで、声楽家の佐藤しのぶさんに請われて作詞した「リメンバー」も紹介した。
〈リメンバー ヒロシマ•ナガサキ/過ちは繰り返さない〉〈遠くとも核なき世界目指して/手を繋ぎ みんな歩きはじめよう〉。14年夏の長崎市や朝日新聞社主催の国際平和シンポジウムでは、佐藤さんと地元の中学生たちが「リメンバー」を合唱する場も作ってくれた。
シンポ前日。長崎原爆資料館で、一枚の写真に釘付けになった。直立不動で幼子を背負う「焼き場に立つ少年」。
すぐに「少年」と題して作詩し、絵本詩集「金色の翼」や「詩集「平和の申し子たちへ」に収録、ライブでも披露した。
詩集はこう始まる。〈ニ○一四年七月一日火曜日/集団的自衛権が閣議決定された/この日日本の誇るべき/たった一つの宝物/平和憲法は粉砕された〉。その年の暮れ、インタビュー日本「僕は絶望している」と吐露した。「安倍政権になってね、日本はブレーキのとれた暴走列車のように猛烈な勢いで下り坂を突っ込んでいる。誰も止められない」。時代の危うさを問う原点には、旧満州の壮絶な引き揚げ体験があった。
「平和だからこそ、個人が恋愛だの好きだの嫌いだの、死んでしまうだの馬鹿なことが言えるのであって、それこそが文化であってね。国と合体することで自分の価値が上がるとか、自分の死が美化されるなんて思うのはとんでもない勘違いなんだと」。彼はそれを体現した。
ナンパで不良。大衆性と文学性。おしゃれにアルマーニを着こなすその人が、斜に構えることなく正面から堂々と語る。
そこに本物の強さを見た想いがする。
(編集委員•副島秀樹)
2020年12月23日死去(心筋梗塞)
本名•中西禮三 82歳