言の葉97共同幻想論
②対幻想論…その2
NHKテキスト2020年7月 ●Eテレ100分de名著
吉本隆明『共同幻想論』
著者 先崎彰容 より
吉本隆明全著作集11 思想論II 共同幻想論 著者吉本隆明 発行所勁草書房 昭和四七年九月三〇日第一印刷発行 より抜粋
対幻想論…その2
(中略)
西岡秀雄は『日本における性神の史的研究』や『性の神々』のなかで、わが国でも新石器時代(縄文中期から後期以後)において、女性器をつけた土製の土偶がおおくつくられ、また男性器の形をした自然石や人工石や棒のたぐいが宗教的な象徴として祭られた痕跡があることを指摘している。また、おおくの民族学者や民俗学者がかんがえているように、穀物の豊饒を祈念する農耕祭儀や習俗が、なんらかの意味で男女の性的な行為の象徴をふくんでいることもたしかである。
たとえば『古事記』のなかに、よく知られているつぎのような場面がある。
そこでイザナギはその女イザナミに問うて「お前の身体はどんなぐあいにできているのか」とたずねると、女はこたえて「わたしの身体は一個処欠けているところがあります」といった。そこでイザナギは「わたしの身体には一個処余計なところがある。それだからわたしの余計なところと、お前の欠けたところを刺しふさいで国を生もうとおもうがどうか」というとイザナミは「それはよいことです」といった。そこでイザナギが申すには「それなら、わたしとおまえとはこの天の御柱をまわって性行為をしょう」とうながした。そう約束してから「おまえは右からまわってこい、わたしは左からまわってこよう」といって御柱をまわるときに、イザナミがまず「ああ、愛しい男よ」といい、あとからイザナギが「ああ、愛しい女よ」といった。
この個処は典型的に共同幻想(国生み)が〈対〉幻想の行為と同致することを象徴している。この共同幻想と対幻想との同致は、人類のどの社会でも農耕社会のはじめの時期に発生した思考であるとかんがえてまちがいない。ここでは〈対〉幻想はその特異な位相をうしなって共同幻想のなかに解消しているかのようにみえる。
おそらく『古事記』のこの場面は、男性器を象徴する自然石や石棒のまわりをまわって行う男女の性的な祭儀に現実的な基盤をもっているだろうが、すでに現実的な基盤をはなれて〈対〉幻想そのものが共同幻想と同一視されるまでに転化してしまっている。
おおくの民族学者や民俗学者は、男女の性行為によって女性が妊娠し子を産むことが、穀物を栽培し、実りを生みだすことと類似するために、古代人が〈性〉的な行為の模擬によって穀物の実りが促進されるという観念に支配されていたものとみなしている。いわば穀物神の信仰として普遍的なものとかんがえている。しかし、古代人がそんな観念をもっていたかどうかは疑わしい。なぜならば、こういう観念が生みだされるためには、まず〈類推〉というかなり高度な知的判断を必要とするからである。神話はそれを創り出したものと、神話に対応する現実的な習俗を実践したものとのあいだに区別をもうけることなしに理解することはできない。だから、わたしたちはまったくべつの理解の仕方が必要なのだ。
この『古事記』の挿話が象徴するようにある種族の神話は、農耕部族の世襲権力によって創られたため、世界の生成、あるいは国生みを〈対〉幻想の結果とむすびつけることからはじまっている。そして『古事記』がそうであるように、最初の男神あるいは女神がうみだされる以前の神は独身の神で、その神はいわば先験的に存在したものとみなされている。それならば男•女神による国生みは、あきらかに農耕社会の段階にはいった時期に特有の発想でなければならないはずである。
わたしたちは、農耕神話に特有な共同幻想と〈対〉幻想との同致という現象を解きえないならば、〈対〉幻想という概念を設定することが無意味であるという問題に遭遇するのである。
(中略)
『古事記』は周知のように冒頭に天地初発の事跡を記している。
天地のはじめの時、タカマガハラに現われた神の名は、天の御中主(ミナカヌシ)の神。つぎに高御産巣日(タカミムスビ)の神。つぎに神産巣日(カミムスビ)の神。この三神は、みな独神で現われて、死んだ。
つぎに国がわかく、浮かんでいる油脂のようにしてクラゲのようにただよっているときに、葦かびのように萌えでてくるものによって現われた神の名は、ウマシ葦かびひこじの神。
つぎに天の常立(トコタチ)の神。この二神もみな独神で現われて死んだ。
以上の五神はまったくべつの天の神である。云々。
ここで別格あつかいの「独神」というのは、いわば無〈性〉の神ということであり、男神または女神であったのに〈対〉になる相手がいなかったという意味ではない。わたしのかんがえではこの「独神」の概念は原始農耕社会以前における幻想性を語るものである。かれらが海岸や海上での漁獲や山野における鳥獣や自生植物の果実の収穫によって生活していたにしろ、穀物を栽培し、手がけ、その実りを収穫して生活する以前の社会には流通した概念にもとづいている。そこでは鳥獣や魚や自生植物は自然そのものが生成させたもので、その収穫は自然の偶然に依存していた。このような自然は先験的に存在するものでなければならなかった。それは人間にとってすでに与えられて目の前にあったのである。
あたかも幼児が過去の出来事をすべて〈昨日〉と呼び、未来の出来事を〈明日〉の出来事と呼びそれ以外の時称を持たない時期があるように、現に眼の前に存在する自然が、そのとおりに存在するためにだけ〈昨日〉と〈明日〉があったにすぎないのである。
だから『古事記』の「独神」は〈現在〉を構成するためにだけ必要な〈時間〉概念の象徴にほかならないといえる。
もちろんこの時期でも、かれらは〈性〉的な行為を行っていた男•女であった。けれどそれは〈昨日〉性的な行為をしたように今日もし、明日もまた性行為をするという意味しかもたなかったのである。いうまでもなくこのことは、かれらが原始集団婚的な乱交を行なっていたか否かということとはまったく無関係である。ただ〈対〉幻想がどんな意味でも時間的に遠隔化されることがない発生期にあったというにすぎない。
男•女神が想定されるようになったとき、〈性〉的な幻想のなかにはじめて〈時間〉性が導入され、〈対〉幻想もまた時間の流れにによって生成するものであることが意識されはじめたことを意味している。そしてこの意識がきざしたのは、かれらが意図して穀物を栽培し、意図して食用の鳥獣や魚を育てることを知ってからである。かれらは実りの果てに枯死する植物が残してくれる実を、また地中に埋めることによってふたたびおなじ植物が生成することに習熟したとき、自然のなかに生成して流れる時間の意味を意識した。いままで女性が子を産み、人間が老死し、子が育つということに格別の注意をはらわなかったのに、人間もまた自然とおなじように時間の生成にしたがうことを知ったのである。まず、この〈時間〉の観念のうち、かれらにとって女性だけが子を産む存在だということが重要であった。いいかえれば〈対〉幻想のなかに時間の生成する流れを意識したとき、そのような意識のもとにある〈対幻想〉とは、なによりもまず子を産むことができる女性そのものに〈時間〉の根源があると考えられたのである。
それゆえ〈時間〉の観念は、自然においては穀物が育ち、実り、枯死し、種を播かれて芽生える四季としてかんかえられたように、人間にあっては子を産むことができる女性に根源がもとめられ穀母神的な観念が育ったのである。この時期では、自然時間の観念を媒介にして部族の共同幻想と〈対〉幻想とは同一視された。
ここでまた注意しなければならないが、このことは、農耕社会の発生期において母系的あるいは母権的な体制がつくられていったか否かということとは無関係だということである。
けれどこの時期はやがて別の観念の発生によってとって代られる。人間はやがて穀物の生成や枯死や種播きによって導入される時間の観念が、女性が子を妊娠し、生育し、子が成人するという時間性とちがうことに気づきはじめる。穀物の栽培と収穫とは四季をめぐる一年のことである。しかし、人間の女性が妊娠するのは十ヵ月であり、分娩による子の分割から成人まで十数年であり、その間、大なり小なり扶養し育成しなければならない。そしてこの二十年ちかくの歳月の生活は女性だけでなく男性もまた分担せずには不可能である。これは不思議なことではないのか?
このような穀物の栽培と収穫の時間性と、女性 が子を妊娠し、分娩し、男性の分担を加えて育て、成人させるという時間性がちがうということを意識したとき、人間は部族の共同幻想と男女の〈対〉幻想とのちがいを意識し、また獲得していったのである。すでにこの段階では〈対〉幻想の時間性は子を産むことができる女性に根源があるとはかんがえられず、男•女の〈対幻想〉そのものの上に根源が分布するものとかんがえられるようになった。つまり〈性〉そのものが時間性の根源となった。もちろん、この段階でも穀物の栽培と収穫を男•女の〈性〉的な行為とむすびつける観念は消滅したはずがない。しかし、すでに両者のあいだには時間性の相違が自覚されているために共同幻想と〈対〉幻想とを同一視する観念は矛盾にさらされ、それを人間は農耕祭儀として疎外するほか矛盾を解消する方途はなくなったのである。農耕祭儀がかならず〈性〉的な行為の象徴をそのなかに含みながらも、ついに祭儀として人間の現実的な〈対〉幻想から疎遠になっていったのはそのためである。もはやひとびとは男•女の〈性〉行為と女性の妊娠とのあいだに必然的な時間的連関があることも疑わなくなったし、男•女ともに農耕に従事するという慣習になじんでいった。それが水稲耕作が伝えられた時期にあたっていたかどうかについてははっきりさせることはできなし、またはっきりさせることもいらない。ただ、男•女がともに農耕に従事するようになったとき、河沿いの平地や山にかこまれた盆地の定住が慣習となったことはたしかである。
人間の〈対〉幻想に固有な時間性 が自覚されるようになったとき、すくなくともかれらは〈世代〉という概念をを手に入れた。親と子の相姦がタブー化されたのはそれからである。