オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

山岳信仰・山伏修験者の起源は鉄

2024-05-06 11:17:29 | 地球と生きる

 

 

 介護・様子を見ている89歳と88歳の婆さんを連れ出して、買い物をしたり孫と飯を食ったり夜景を楽しんだり、週末も仕事を早めに切り上げて動いていた。

 毒を吐かせて、毒で制す、孤立させずに笑いの絶えない時間にしてやってる。

 ゴールデンウィークはいつもの週末とは違って、混雑や渋滞の具合がぜんぜん違ってくるし、今年は外国人観光客も多くいるから、それらを避けるように動いてなければ高齢者には疲れるだけになる。

 メディアに染まって同じ動きに終始している猿の群れは完全に読み切っているから、間抜けな混雑・渋滞を眺めながら俺の行くとこはゆっくり会話を楽しめる。

 色んな日常の話をしてやって、刺激を与えて、冥土の土産を作ってやってる。

 ・・・次の機会も早めに作るから、正気で健康に生きてなさいよ

 歩行器や杖も車に積み、トイレに行くのさえ一騒動、それでも寝たきりにならないようにゆっくりでも歩かせている。

 楽しく喋らせているが、俺も前期高齢者だから寝る時分にはクタクタになる。

 

 身体が重くなってるから、暗いうちに出発して高い山に登るつもりだったが、疲れが抜けず寝てしまい、猿の群れの混雑を避けて行き帰りできる近場で自然の中を歩き登りできる場所に出掛けてきた。

 しっかり汗をかいて、日に焼けてきた。

 何処に行っても・・・日本に気軽に遊びに行って来たのよ!・・・なスマホ片手の中流外国人観光客はいるから、問題意識のない田舎の村のルール作りやトラブルはこれからだろうが、それすら避けるには人の寄らない険しい山の上や、荒々しい海になる。

 鍛え上げていないと、これからの島国では自由自在には生きれないし、楽しく過ごせない。

 これもすでに40年前には解っていたことだから、俺の場合は経験を積んで来てる。

 

 島国の土着の民の血は、定住しない。

 定住にこだわるものは、よそ者の血だ。

 この島国で定住するなんざ、地球や自然の摂理に反している。

 自然災害の多い島国で、豊かに暮らして生きて来た遺伝子は、笑って浮遊する。

 猿マネの西洋化がすべて滑稽な猿芝居になるのは、無理があるからさ。

 

 伝統の祭りや、古典芸能や、集落ごとの風習や、家ごとの慣わし、そんな昭和の呑気な日常が黴臭いだけの負債になってくると、跡継ぎや仲間を増やすにしてもロクでもない連中しか集まらなくなっている。

 地元の祭りとは言いながら、よそ者ばかりになって行く。

 俺の古馴染の爺・婆には、江戸の祭りには何処でも呼ばれて神輿を担ぎ賑わいに出掛けている祭りのプロの集団がいるが、もう何十年も前からだ。

 伝統や歴史だとほざいてはいるが、中身は昔からそんなもんさ。

 メディアを挙げての広告・宣伝でも、まともな消費者は反応しなくなって、観光地には馬や鹿のオツムの病持ちばかりが集まってくるのも、おなじこと。

 個人の発信が簡単になった訳は・・・馬鹿や愚か者が此処にいるよ!!・・・と位置情報や反響も含めた下着の中身を自ら勇んで詐欺師に伝えさせる為だ。

 人気になれば金儲けが出来るんだって!! もっともらしい演者や仕掛け人に踊らされてる猿にしても、衰退する新聞・テレビの役割を、そんまんま引き継いでいる。

 とうの昔に社会は2分されているから、いまだに粋がっている者は笑いモノになってるが、自意識過剰な女子供らだけでなく、大人の男等も見事に操られている。

 新しい創造や自己主張などナニも無い古いだけの退屈な猿芝居なんざ、歴史にも語られない衆愚の酔っ払いだ。

 海外からやってくるメディア奴隷な中流以下の観光客に迎合している日本社会は、どんどん堕ちて行くしかなくなってる。

 

 エコノミック・アニマルのお返し逆襲が始まっている。

 

 我が国で鉄器が使われるようになったのはどのくらい前のことかは正確には解らないが、西暦でいう5~6世紀の古くには錬金術師・鉱山師とも言える職人たちが山を歩き、鉱石・砂鉄をみつけて製錬をした痕が日本中の山には残っている。

 いまでは人も寄り付かない、木々の生い茂った原生の森になっている。

 多くは中国や朝鮮半島からやって来た連中だった。

 紀元前の長い時代は、長野周辺の山々から獲れる黒曜石が星の欠片と呼ばれて重宝され、日本中に運ばれて日常生活に使う鋭利な刃物として取引されていた。

 天竜川をのぼり諏訪湖に至る物流の水路を使い、それらは海を渡って運ばれていた。

 美ヶ原高原という場所の2000mを超える端っこにある諏訪湖を見下ろす頂上には、日本の祠・仏像とは異なる種類の石の彫り物があったりするが、そんな話になると1年くらい話っ放しになるから止めとく。

 現代社会に栄えている街は海に面している場所が多いが、古代は山の中に多くの人々が棲み暮らしていた。

 奥秩父に多い縄文人の遺跡痕は、標高1000mを超える場所にあるし、山名からして製鉄をしていた山の安達太良山なんて、智恵子の青い空になる前から、東北地方の入り口にある。

 日本中に、鉄に関わる山々があると言っても良いし、そこに祀られている神は鉄を司る神だったのが本当だ。

 鉄の文化は自然の黒曜石を加工して使っていた時代に、大きな変化をもたらした。

 山岳信仰や、山伏や修験者の能書きはイロイロあるが、大元はそんな黒曜石を見つけたり鉱脈を探し歩いた鉱山師たちがその起源となっている。

 山間の村で見かける段々畑や棚田の起源は、鉄砂流しに使われていた段々な丘陵をそのまんま棲み付いた連中が田畑に利用した痕でもある。

 こういう歴史の見方が主流になって来なければ、本当の島国の歴史など語り継がれることもなく、その時々の嘘と作り話で終わってしまう。

 現代社会で語られている日本の歴史なんざ、毎週毎週と日本中の山や海に出掛け、それも半世紀を超えてくると、いい加減な金儲け迎合主義でしかないと解る。

 山に入り、海で泳ぎ出る前に、義務教育やメディアの洗脳で恐怖や禁忌を叩き込まれてしまってる猿の衆は、死ぬまで本当のことを知らないまんま、芝居の演者で終わってる。

 日本人の9割以上が机上の空論を信じ込み、偉そうな間抜け顔して生きて居る、現実はそんなことだろう。

 こういう米・英に靡く以前の時代の歴史が、ほとんど書店でも見かけないことが、俺には不愉快。

 本当のロマンとは、現実・真実の中にこそあるんだが、安易な嘘と自作自演ばかりになってる現代社会では、ワザとボタン一つで消去されてしまっている。

 俺は10代のガキの頃から山に登り土器を掘ったり、露天の水晶を集めたり、そんなことから山を身近にしていったから、メディアの囃す登山者というカテゴリーには入らないような行動ばかりをいつも続けている。

 海では餌獲りから始める釣りや、夏は素潜りに明け暮れていた。

 それが66歳にもなれば、普通ではなくなってるさ。

 

 BRICS側に集結している中東の主要な国々や、アフリカの国々が、アメリカ政府に対して、大量に持ってしまってる米ドルを金(ゴールド)の現物に交換してくれと言い始めている。

 アメリカ政府や基軸通貨のドルが信用できないという、健全な国家による通告だ。

 いよいよ世界の大転換が大詰めになって来た。

 ちゃんちゃん。

 

 ・・・ということで、今日も仕事の合間に高齢者を連れて、ニンニクたっぷりの美味しいラーメンを喰ってくるわさ。