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青木光一さん、お元気ですねー!!

2011年09月27日 23時45分05秒 | 
今日(9/27)の歌謡コンサート、青木光一さんがお元気な姿を見せてくれました。
御年85歳になられたそうで、歌声も健在でした。



                      

きょうの歌は、「早く帰ってコ」。
作詞は、茨城県出身の高野公男さん。
作曲は、この後数多くのヒット曲を世に送り出すことになる船村徹さん。
船村先生は、コロンビア移籍第1作目。

このコンビは有名な話ですが、
高野さんが「俺が茨城弁で作詞するから、お前は栃木弁で作曲しろ!!」 と、
いつも話し合っていたという。

「別れの一本杉」が大ヒットするも、翌年高野さんが肺結核で26歳で永眠する。

▼二人のコンビで、他にヒットした歌は
・あの娘が泣いてる波止場(三橋美智也)
・ご機嫌さんよ達者かね(三橋美智也)
・ハンドル人生(若原一郎)
・早く帰ってコ(青木光一)
・男の友情(青木光一) などがある。


青木光一さんには、歌手を目指していた若かりし「坂上二郎さん」が一時付き人をしていた。
青木さんの代表曲といえば、やはり「柿の木坂の家」ではないでしょうか。
私的には、「小島通いの郵便船」も大好きで、若い頃は良く歌っていました。

先ほどの、栃木弁の作曲ですが、船村先生がず~~とあとで述懐されているのが
栃木弁は「しり上がり」が特徴的だそうで、それを曲に挿入することにより
より栃木弁らしさを出していたそうです。

例えば、きょう歌コンで歌われました「早く帰ってコ」の【早くコ 早くコ】のコの部分がそれにあたるようです。
また、「柿の木坂・・・」では、【思い出すなー】のなの部分に見られます。
船村先生は、高野さんが亡くなられた後でも、こうして約束を履行されて、
親友の無念を形に残されていらっしゃる様です。

青木光一さんも、日本歌手協会名誉会長として、ますますお元気で頑張って欲しいものです。
唄声は、まだまだお若いです~。

~~~~~~~~ 追     記 9/28  ~~~~~~~

「早く帰ってコ」・・・・・・・・・・・・・青木光一さん

「柿の木坂の家」・・・・・・・・・・・・青木光一さん

「小島通いの郵便船」・・・・・・・・青木光一さん



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