さて。
痛々しいただの日記も飽きてはきているんですが。
谷中。という街があります。
タニナカではなくヤナカ。
場所は上野動物園の徒歩圏とも言ってよく、根津の隣町でありながら台東区です。
谷中墓地というのが有名で、歴史上著名な人物の墓がいくつもあるものです。
その街の一端が非常に模型的なので紹介。
道が非常に細い住宅街。
下宿も散見できて、静かな町並みです。
ここにも車が通るんだから良くやりますわ・・・。
家の周りには何故か鉢植えがそこらかしこにあります。
既に車は入れませんね。
住もうと思ってもなかなか住めないような一種の閉鎖感がどこと無くあります。
階段の脇に井戸があります。
まだ実用されているようなので驚きます。
さらに驚くのが
個人の井戸が道のほとりにあるという。
やんわりと一見さんお断り雰囲気。
グーグルアースでもこれ見えないんじゃね?
もうなんだか判らないでしょうけど、ずっと一本道です。
道は続きます。
公道というか・・・・「ひとみち」
くねっくね。
しかも前回までこの道を利用した、学生の光の芸術演出作品の舞台として使われていたり、
その存在は誰のものなのかすらわかりません。
極めつけ。
この道は街道には出ていません。
なんと。
奥が街道。
言問通り・・・東大赤門横にすぐ出る道です。
寺の境内に入っていたんです。
そら外街から全く見えないわけだ。
こっちからだとはいる入り口すら見えない生活道。
境内真ん中あたりから生活道が分かれるなんて、開拓土地の北海道民には理解できません。
それだけ寺町として生活と密集した寺が一体なのでしょう。
実はこの生活路沿いに200程度ある流れの中に7個は寺があります。
寺まみれだったのですここ。
一方、言問通。
坂を下ると文京区根津。
狭小住宅の古いものばかり。
まさに3丁目の何チャラ。
既に根津。
テレビの中でも最近はお目にかかれないような街コレの世界です。
街コレはこうして使え。
そういう街です。
外露出の肉屋とかさ
コレでも営業している店舗です。
一体今は昭和何年だ。
もう完全街コレです。
街コレジオコレドンと来い。
タモリがぶらりと歩いていそうなの。
街コレ使うときのディテールになりますよ。
一番近代的?な商業施設が左の赤札堂というスーパー。
それにしたって、地方では駆逐されてもう無いような古いふるいスーパーです。
さ、通勤。
お。
これは珍しい行き先。
一日数本あるそうですよ。
で、昼間の間、地下の電留線で惰眠をむさぼって夕方走って終わりだそうで。
何かと話題の皇居。
早朝の丸の内。
京葉東京駅。
今日の快速は201系でした。
方向幕は何故か「京葉線」
でも快速蘇我行です。
ドア淵に黄色を発見。
元習志野電車区の車両ですね。
かっとぶ201系。
向こうは元山手。
本日の乗車車両。
この光景も今日で終わりです。
明日はもう海浜幕張にはきませんから。
この文字体は純然たる国鉄に近い。
既に旧番号見えず。
ハイフン以下の文字並びが一定ではありません。
昨日の同じ場所にあった編成。
この「2」に良く見える変形した文字はなんだったんでしょう。
明らかに違います。
これは夜撮影。
コレも微妙に文字体が違う。
ひょっとして物凄くディープな世界を見つつあるのでしょうか。
だんだんムキになって資料集めしちゃいそうな。
ついぞあの変形文字のクハ204-32に文字はほかには見つからず。
あ、仕事終わりました。
もうくたくたです。
さよなら海浜幕張。
ぐいっと一杯。
実は精根尽き果てて頭の中がもうめろめろで・・・。
ここで気が付くんです。
札幌生活では車でのドアトゥードアですから、移動の体力なんて関係ないでイベントならイベントで全精神力と体力もろもろ使い果たすのがデフォルトだったんですが。
東京は帰る体力がとても必要だということを痛感させられます。
あ、ATS-P機器箱のある2段窓205系ってある意味新鮮。
この黒い部分、模型でも再現したくなってきた。
ちーばーそがー!
偉い思いで痛い足を引きずって歩いたら、閉まっているし。
6時半弊店早すぎ~
丸の内散歩。
足はズキズキ。
東京駅改装中。
丸の内の静かな雰囲気はいいですね。
まぁ、エリートさんたちの街ですけど。
田舎ものは帰ろう。
柏!
根津着
赤札堂で夕食の買い物。
てかこんな古ぼけたスーパーが地域一番店でまだあるなんて。
どんだけ昭和なんだよw
明日から2日間オフ。
でも模型作るかどうか不明。
↑日曜日に帰り始めようと考えています。