リアル書きしましたが、昨夜はフェリーに乗って意気揚々と上京したものの、恐ろしい地震によって港を閉鎖され、10時間あまりの遅れの船旅となりました。
その詳しいことなど。
まずは高速で札幌から苫小牧を目指します。
恐らく地震はこの時間のころ、発生してしまったようです。
苫小牧フェリーターミナルに着いたのは午後5時。
ちょっと遅れ気味で申し訳なかったです。
商戦三井フェリー、昔は東日本フェリーだった気がしますが、分割状態でこの商船三井に大洗航路、津軽海峡フェリーに青森航路と大間航路を引き継いで今に至るようです。
ほぼ同時に出航する仙台行太平洋フェリー。
昔のブルーハイウェイラインかな?
オリジナル商品。
これはなかなか格好いいですね。
乗船手続きをしたら、車を乗り込ませ待機場に進めます。
若干判りにくいです。
一度乗れば判るものですからたいしたことではありませんが、電光掲示板が違う光文字を表示している間に違うところに行ってしまいました。
大型トレーラーがびっしりです。
フェリーはすべてにおいて貨物トラックが先行だったり、優遇があるように思えます。
専用食堂mあったり、専用ルームもあったりします。
ヘビーユーザーだからかかな?
と思っておりましたが、後で若干異なることがわかります。
左が太平洋フェリーきそ号仙台行
木曽なのに杜の都行です。
奥が私たちの乗る「さんふらわ・さっぽろ」
さんふらわーといえば、トミカのおもちゃでも遊んだ、聞いたことのあるフェリーブランドです。
ちらっと太陽マークが見えます。
乗り込み口に進めます。
やっぱり慣れが必要です。
港湾の案内も最初乗りには若干とっつきづらい独特なルールと空気があります。
「初めて乗り」の案内があればうれしい。
乗り込みです。
これはわくわくします。
非常にタイトに乗船されます。
特にここは難易度が高いわけではありません。
積層階層がかなり多いです。
これは夕方の便だから。
深夜1時に出航する深夜便はかなり装備と設備が簡素化されていますのでご注意を。
旅客として乗るには夕方便が圧倒的によろしいです。
ロビーです。
装備的にはクレジットカードの使える衛星電話、各種飲料自販機、食料も土産もある売店(夜九時まで)、レストランや展望デッキ、お風呂があります。
インターネットもあります。
ただし衛星回線であることと、特殊なブラウザのため制限が多いです。
まずメールがだめ。
SNS関係も対応しておりません。
WWW受信は出来ますが、発信はほとんどで出来ないものです。
価格も割りと高価であり、25分500円です。
私はうまく利用できませんでした。
また速度も14400ボー程度です。
ブロードバンド慣れした身には遅いです。
パケット制ですね。
チャイルドルーム。
おもちゃ的には若干弱いかな。
テレビゲームでもあれば別かな?
いや、大人が使っちゃうかw
シュールすぎますwww
喰いねぇくいねぇ鮨、喰いねぇ!
なんて言いますが実は夕食時間が極めて早く終了してしまい、午後7時30分で終わってしまいます。
出航が6時半くらいですから、ちょっと落ち着きません。
だから弁当になります。
また食事も若干馴染めなかったこともあります。
ただし、隣の扉で閉ざされたトラックドライバー食堂は大活況。
酒を飲めや歌えの男の大宴会。
食事は隙間から見たところ、ミックスフライ定食かな?
こういう気楽なメニューが一般にもあればなぁと少し羨ましかったです。
大宴会の大喧騒を見て、ドライバーとの一種隔離を理解しました。
私は仕事ながらも一般の旅。
トラックドライバーにしたら、孤独な仕事の一瞬の「楽しい日常」なのでしょう。
それが一緒になるのは決してお互いに良いことではないのかもしれません。
すごく楽しそうに宴会するドライバーは「はっきり言ってすごい勢い」でややおっかないものですが、仕事考えたら「存分に!」と思います。
受付ロビーです。
ここが10数時間後、ちょっと異様な雰囲気になるとはまだ予想しておりません。
航海途中でかるく波に洗われる程度だと思っていたのです。
ロビーの反対側。
ここで十数時間後、テレビにみなかじりつくことになろうとは。
廊下。
非常に清潔な室内です。
装備は大変多岐にわたります。
でもくれぐれも深夜便は違うようですよ!
(同乗の部下いわく。部下は前回深夜便でした)
ドライバーゾーンの境界線。
展望デッキに上がってみました。
月が明るい。
まさかもう一度拝むことになろうとはww
煙突です。
一定の重低音が響きます。
展望デッキ。
24時間は入れるのは知りませんでした。
展望デッキから見たレストラン。
できれば・・・パブ営業などあれば・・・・。
てか、10時ころにはおなかがちょっとすきます。
月夜がいい感じ。
ここで風呂に入って寝ることになります。
風呂は銭湯より広くなかなか快適です。
朝6時ころ。
日の出です。
お、一緒に出発した太平洋フェリーのきそ号がずっと併走しているではありませんか。
さんふらわあと文字ときそ号
煙突はやはり大きい。
波しぶき。
19ノット程度のスピードだったかと。
実は既にこのころ、津波が襲ってくるとの情報が出ておりました。
少し不安だったのですが・・・
きそ号。
部下がきそ号を眺めます。
この直後、きそ号は仙台に入港していきます。
ここが運命の分かれ道。
きそは恐らく定時に入港したでしょう。
朝食の時間です。
1000円でおなかいっぱい食べることが出来ました。
考えれば、このときおなかいっぱい食べておいたのが後でよかったと思います。
食べすぎでしたが、夜の空腹が・・・。
あ、できれば生卵もほしかったなww
レストランの色合いは独特です。
ちょっと風変わりな感じ。
ドライバー食堂の扉。
やっぱりドライバーの食事は気楽なものでちょっと羨ましい。
おいしいです。
日本銀メダルおめでとう。
本当に惜しかったなぁ。
3フロアになるロビー。
ロビー、客室、レストランと上がっていきます。
いわき市沿岸に居ました。
だんだん不安な情報がテレビからもたらされます。
この直後、事態は予想を超える道に入るのであります。
「津波警報発令・港閉鎖」
そして途絶えながらも携帯電話AUは繋がっていたのですが、途絶。
通信手段がなくなってしまったのでありました。
午前10時25分
>>大洗定時入港は諦める模様。
>>入港時に二メートルが予想されており、安全を確認されるまて、大洗近海で回遊の予定。
>>本日の設営入れ込みだけとは考えていたけど断念の方向。
>>明日1日で設営する。
>>N岡さんは就寝中。
>>たった今、海上保安庁が大洗港閉鎖が通達。
>>避難警報解除まで入港されず。
このメールを会社に送った直後に通信は事実上衛星電話しかなくなります。
数時間の閉鎖だと思っていたのでこのときはまだ船内も「困ったなぁ」程度でした。
3mの予想には驚きは隠せませんでしたけれども。
係員さんがBS-NHKにチャンネルを合わせます。
地震と津波情報が流れます。
この係員さんと、黒っぽいユニフォームの女性係員さんが、本当に最後まで不安を解消する業務に熱心に取り組んでくれました。
本当に力強かったです。
既にだんだん不穏な船内。
津波情報に落胆する乗客です。
「参ったなぁ・・・」
鳩山首相の談話で「警戒は数日を要するかもしれない」
この言葉の直後、空気は非常に重たくなります。
「冗談じゃない・・・」
うめくドライバーさんも居ました。
陸では良い表現かもしれませんが、海では絶望的な言葉に聞こえるものなのです。
サブロビーでも五輪より情報集めに訪れる乗客が多くなりました。
波は無い様に見えるのですが・・・。
でも昼飯は来る!
とってもなんともいえぬ面白メニュー。
カレーバーになります。
本来、ここでは軽く食べてすぐ下船だったはずです。
部下盛り。
盛りすぎじゃない?
いや、実は部下は朝を食べ逃して腹ペコだったのです。
このときはまだそれほど食べに来る人は少なかったのです。
大洗沖には着ても着岸できず。
回遊が始まりました。
だんだん・・・殺気というかゲンナリというか、不満じみた空気が立ち込めてきました。
しかしまだ序の口だったのです。
↑つづく