鉄道模型工作記録帳

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【資料】三岐鉄道2002 2

2011-11-30 20:21:00 | 模型工作雑ネタ日誌

「機関車は力強ければ良いものだ」
ということがある意味恐らく、想像ですが理論的に否定されることがあります。


秩父鉄道から応援に来たまま、先日除籍となって三重の土に還りそうなED202
在籍10年。
稼働2年半
何だかんだ長く在籍しましたが、後半7年はほぼ稼働せず。

ED45より遙かにハイパワーのマシンで、各数値で単純に考えるとED45の1.8倍の性能を持っています。
但し歯車比は10%程度低速に振られております。

「それならED45の重連を単機で走行することが可能ではないか?」
と思うところです。

で、現地での評判はと言うと余り芳しい話は聞かせてもらえませんでした。
性能上はモーターで40%ほど出力が高く、引張力では倍の力を持っています。
つまり70%程度の電力で単機置換えができるじゃないか・・・・。

暫し考えました。
北海道の炭鉱鉄道を考えようと。

炭鉱鉄道は石炭を崩す山から海や平野に運ぶのが基本です。
下るときはものすごい重量で、登るときは空っぽです。
D51が単機で50両近くの石炭車を牽引する・・・「往復とも」
そもそも実は牽引力なんて大して要らない。
私鉄では8620のボイラにD型の足を付けた夕張11型、また美唄鉄道では4110が使われてます。
スピードはいらないが、思った以上に非力な機関車のステージだったりします。
それより注目すべきは「制動させるソコソコの軸重を稼ぐ車輪の数」というのが浮き彫りになってきます。
基本下りのみまともな貨物で上りは空荷ですから、引き出しさえ終われば下りを以下に制するかというのが課題です。

制動を大きく取れる車輪は数多いほうが良い。

という作法から、炭鉱鉄道の機関車はおのずと「駆動もするブレーキ車」の用途が大きくなります。

つまり、藤原へ片勾配が続く三岐鉄道も、炭酸カルシウムを藤原から下ろし、比重の軽いフライアッシュを上げるという石炭鉄道に似た特性がある。

比較的軽性能のED45重連のほうが、大出力単機牽引よりブレーキが安定する。
その際細かいノッチも要らなければ、大出力も要らない。

だから機関車用の細かいノッチも不要だし、このように大型機関車が単機でもダメなのではないでしょうか?


まぁ、この台車にもわかっていたとは思いますが、整備性はかなり悪いとは聞きました。

しかも妙な動きで制動時の軸重補償が乱れるという本当かどうか分からない話も。





同203
2003年当時既に休眠していました。









制動は大して変わらないのに電気だけ倍近く消費するこの機関車は歓迎されなかったのかも知れません。


たまたま藤原セメント工場入換機の元南海ED301が居ました。


凸型とは言え実に近代的構造で模型チックな機関車です。



  ↑あと1回つづけます。


【資料】三岐鉄道2002 1

2011-11-29 23:27:00 | 模型工作雑ネタ日誌

三岐には魅力的(少なくとも自分にとって)な機関車が揃っています。
自分は原型主義ではなく、どちらかと言うと「東武ED台車に揃えた後の姿」が好みでして、板台枠などが闊歩していた時代より統一された美しい下回り時代が好みです。
HOでもNでもこの「東武のED用台車」を確保しています。


超基本のED451
東洋製の特有の車体(丸っこくて裾もRが入り、端正なデッキ)の好ましいスタイルです。
基本スペックなどはほかのページでご覧ください。
とにかく台車が更新されて非常にバランスの良い機関車になりました。


ED45といえば実際「汎用三岐機関車」ですが、台車統一後はその台車に一つの共通項が生まれ、モーターはMT40の電車用。そして右運転台でHLマスコンを使用するという「運転扱い上では極めて電車に近い」私鉄機関車の真骨頂です。

右運転台はイレギュラーですが、運転台に座る小さな?HLマスコンは中々興味深いものです。

ED451

中部国際空港建設輸送時に応援に来た機関車は、この機関車よりパワーもあり、本格的私鉄電気機関車が大量応援でしたが、結果全て退役し、「程々の性能、簡便な扱い」のこのED45に再統一されたと聴きます。
「カチカチカチと、多段ノッチが面倒だった!」とここで聞いたと思います。

HLなら「ガンガンガン」と最大8ノッチで終わりですものね。


デッキは非常にシンプルです。


ほっそりした車体がまたキュートです。


連結が長期間に渡るため中間がかなりスライダー汚れの目立つようになっていますね。


ED451


ED452
451と同時製造だったはずで、基本的に同じです。


ここではフィルターが外されて検査中ですが、このフィルターはかなり腐食してぼろぼろであり、似たようなものに作り変えられているものがあります。



ED453
つなぎ合わせ写真に付き、床下が正確ではありません。
ただ、マシンごとにこの床下に大変多くのバリエーションがあります。



台車は思いの外、端部に寄っています。


453は側面中心ですね。


1~3は基本的に同一のハズ・・・。
但し453は運転台側面窓がアルミサッシュに交換されていますね。


ED454
マイナーチェンジが果たされ、裾は直線切り落としに。
窓も大きくなりました。

ED455は撮れていません。


ED456
更にマイナーチェンジ。
窓が更に大きく軽快になり車体のカーブのとり方も変わりました。
ビニロックフィルターのようなエアフィルターに変わっています。
また、後年改造で正面ドアが西武451系由来の乗務員扉に交換されています。
これは暫時導入されたようで、西武からわざわざドアだけ購入しているものです。


繋げ写真ですが、たいへん軽快な車体です。
屋根Rも全く異なります。


一枚もの。
床下はこちらのほうがよくわかります。
板のような機器があるようで、つなげ写真との見え方の違いが資料になります。


奥のED453と断面がまるで異なります。


全体を見ても453と456ではかなり異なります。
好みが別れるところです。


こちらは自社発注最終のED457
ED456に似て非なる車体で、一度捨て去った丸みをヘッドライト周辺などで回復しています。
デッキはしごも手すりも似ているようで、まるで異なるスタイル。


運転台側面窓も一枚大型窓ですね。
このマシンだけ西武所沢工場で生産されたので東洋製の456を模して設計したものと考えられます。
屋根上もかなり異なります。


ED457
正面ドアはまだ電車用ではありませんでした。


結構有名な元東武5001のED458
暫く東武番号でしたが台車交換前後に改番しましたようで。
いままでのED45とはまるで違う「実に機関車らしい」そして東芝製私鉄型の典型です。


類型が大手私鉄各社にありました。
プレーンなスタイルは私鉄型EF15とも言われるスタイルです。
実は、三岐鉄道モデラーとして有名な南野哲志さんがTMSコンペでこのマシンで入賞したから、私が三岐に惚れ込んだという曰くがありまして。



側面は三岐きってのプレーンスタイルです。
台車も割と真っ当な場所に配置されています。
元々板台枠だったのに三岐で後輩の台車を頂戴した不思議な縁があります。


東武時代より格好いいと思いますがいかがですか?


こちら側にチラ見するエアタンク。

実に格好いい。


ED459
これこそ元々東武5060型で東芝電気機関車の結論が出たというべき機関車。
三岐に来て長らく放置されるわ。一緒に来た僚友は改造途中で解体されるわ、苦難の歴史がありましたが、右運転台、HLコントローラー化、正面窓拡大の低運転台化などですっかりED45の仲間入りを果たしました。




東武の機関車で、そのままかと思いきや、正面ドアはしっかり西武電車のドアがハマる。


実に面白いですね。


好みで言えばこの車がイチバンです。






どうも今年ようやく竣工したらしいのが

同一種車のED5080型


訪問時は来たばかりでした。
実は塗り直されているようで、表記類を軽くマスクして、ナンバーあとも綺麗だったんです。

ナンバープレートは運転台にありましたが、まさかそのままの番号で出てくるとは!?

このまま何も手を加えないで稼動したそうなので、ED459とは元々同一だったのに、運転操作も運転台向きも異なるという皮肉なことになったようです。
いつか本格改造されそうな気配は感じますけれどもね。

そのときはED4510とかED4511になるのか?
三岐はもう一本、ネガがあるのですがデータ化していないのです。
そこに運転台においてあったナンバプレートの写真があったはずなのですが・・・



  ↑あと2回つづけます。



【資料】近江鉄道2000~2004年 2

2011-11-29 03:05:00 | 模型工作雑ネタ日誌

某誌記事書き終わり。 
今回はかなりやばい。 
制作が雑すぎる。 やばい。 
締め切り数週間前に仕事生活激変でどうにもならんかった・・・。 
本当にごめんなさいです。
あと、加工を欲張り過ぎたな・・・。


さて、気をとり直して資料整理です。

機関車編。


謎の軌道・・・動力は何!?


ED31-3






結局半永久保存になったので、あまり資料価値は高くないとは思います。
いまでも撮影できますものね。

床下ってブレーキシリンダーしか無いんですね。


ED31-3は割と最後まで走行していたので元気な様子です。




ボンネットトップは風変わりな換気装置がありました。





テールライトの置き位置です。





逆側面。


既に退役していたED31-2


稼動状態にあったED31-4
-3と共にアンカーをなったようです。


やはり退役していたED31-5ですが、何故か塗装はきれいにされていました。
台車が他車とことなる貧弱なものを履いています。


?が付いているんですが、一番きれいでした。


なんか・・・・タンクSLの後部のようです。
こちらはヘッドライトすら有りません。


床下機器はシリンダー、小さなエアタンク、そして手前はなんだろう?


台車は完全な電車用・・・まぁ本来もDT10ですが、更に軸距離も小さな小型電車用のイコライザ台車を履いていました。

別機会に見た元同僚。

全くの別物・・・になった上信電鉄ED316・・・・ですが


車体は取り替えられたのではなく。


継ぎ接ぎで箱型になっていたのでした。
これは実車見てびっくり。



韋駄天ちびすけのロコ1101
有名な阪和電鉄プッシャーです。


顎が外れた表情のよう。
非常に魅力的なチビ機関車です。
1500Vをマスコンに直接取り込む大胆な直接制御であり、直接制御電動車で1500耐圧は余り例がありません。







組み合わせれば、全体像という。

反対側面が見当たりません。
自分の撮影脳が足りないのです。


ED14-1はあまりに有名です。


茶色復元も居ました。
ヘッドライトの庇は仙石線装備の名残でしょうか?


草生した中のED4001
このあとめでたく?東武に里がえり。


8年後再会した姿。

気のせいかと思ったのですが側面運転手窓が開戸からHゴム窓になっています。
あれ?
それでいいの?
ソコのほか機器室窓の様子もかなり異なっております。

ホイッスルは恐らくコレが復元?
またワイパーも撤去されています。

余計Hゴム窓が増えたことが?ではあります。


キリンビール専用線に用いたDD13-104もちろん元国鉄。
コレが解体されましたが、一つ目のウィングバネ台車である2次型の全滅でした。
まさかイコライザ型のタイプが構成にあとまで残るとは。
大宮のDD13-1と旭川のDD13-40のほうが旧式なのです。

特徴の台車が全く映っておりませんが・・・。


ですから、タケモリモデルのDD13はコレです。
台車が後期型と同じなのです。





産業用レディメード機 
小名浜臨海や製鉄所などでよくみられた車です。
この車も八幡製鐵所出身のハズ。


貨車。
形同じですが、一台だけ機関車色。


確か7台くらい有りました。






シュー式なのにプレート穴あき一体車輪。
古式と近年トレンドの奇妙な組み合わせ。
吊りかけなのに電機司令ブレーキと共に近江の面白さ真骨頂です。


これは「ト」かな。


やや構造が違うシュー式です。

その他部品レベル。


抵抗器のケースは二種類が入り乱れており、混ざったものもありました。








こういうとり方をもっと気にするべきなんですよね。
琴電とかやっておけばよかった。

近江500型の床下は抑えてありました。






これはクハ1501






これはモハ501
ちょっと資料として中途半端。






クハの反対側





モハの反対側

おまけ・完全再録。

221号車はこの後年、室内にデッドウェイト積んだり動力強化改造かなんかして機関車代用になっているそうです。







床下をつなげた写真。
クリックするとビッグ画像。
これはモハ220




  ↑近江鉄道在庫写真ほぼ終了。


【資料】近江鉄道2000~2004年 1

2011-11-27 23:39:00 | 模型工作雑ネタ日誌

ツイッター上で何回か会話させていただいた方のブログさんに
http://celluloidcity.blog32.fc2.com/blog-entry-484.html

触発されて。
近江鉄道に見学を申し出たのは隔年3回です。
まだ再開発が始まる前で雑然とした在庫物が山のようにあった時でした。

近江の写真をみると200枚くらい有り、一度には100アップのこのブログでは資料まとめになりませんが。

「変なもの。ああ、そんなのもあったなモノ。」


軽いジャブから。
西武401系を在庫続けて10数両。
800系統に改造している最中ですが、この車、少なくとも2度は見ました。
既に台枠エラを削っていますが、その台枠エラ削りの角が既に赤錆が吹いていたという非常になんというか「ゆったり改造」していることを知りました。
実際、1本目は改造して落成・・・運用まで7年留置という他所になないことが実際起きていますので、この鉄道には時の流れは通用しない?
 7年ったら13年車生があったとしたら実に半分寝ていた。
しかも使う気満々で。

 すごくほかのセオリーが当てはまらない豪快な鉄道であります。
 大好きです。

しかも仮塗りが黄色系で、「なんで合わせてあるんだろう・・」と思っちゃうところがキュート?です。

綺麗に幌枠も外して整えているのに。


同型在庫車です。
ここに何年留置されていたのかはわかりません。
少なくともエレクトロニクスをふんだんに使った車なら、「機械全部ダメになって」いてもおかしくない時間は経ています。


旧西武419-420ですね。
こちらは未だに着工していないとか。
約10年在庫状態で流石にお流れでしょうか?
いや・・・わからないぞ・・・。
椅子とかどうなっているんでしょう。
ダニとか・・・・。


こちらは旧西武412


411です。
こちらはモハ811-モハ1811に改造されて「一昨年」竣工したそうですw
この訪問から6年は放置されていたようです。

凄いですねぇ・・・。


800系に改造している長きに渡った中。(10年掛かって11本)突如簡易改造してそのまんま出てきた820系。
800系に再改造されることもなく、理由がファンには不明。

電気司令ブレーキも「おお、すごい大手でも最近なのに」という装備ながら、すごい形のブレーキハンドルとそのボックスにはど肝を抜きます。


番号違い。


この時、ちょうど改造中でした。
確かモハ809-モハ1809となっていった元435です。

きちんと?ステンレスの厚板を下部に噛ませているんですね。
これが更に平面ツライチ溶接突き合わせです。
実に拘っているのです。


その切り取られた前面です。
雨樋が後期型なのがわかります。
まるでGMおまけパーツ。


吊りかけ時代のローズピンクが見えるのが面白いでしょ?
そしてカットラインは「台枠上」です。
ここちょっと注目点ですね。


まだ在庫があった新前面。
既にパンなし1809は組まれていたので、いまこれは810~811のどこかに張り付いていることでしょう。


よく見ると左裾、パイプ縁が絞られています。
細かい造形ですよね。


前面取り付けの横では修繕工事もたけなわです。

データ化していませんが、この反対側車両は雨樋を総取返していました。
「それなら雨樋位置を統一できるんじゃないかなぁ」と思うのは野暮ですね。


まだ運用を降りたばっかりの旧型車も残っていました。


角度感がわかるかなぁ・・・?


花柄電車。
台車に注目です。
DT12のように見えます。
恐らく、昭和40年代後半、鳳電車区や神領電車区の国電がここで解体を請け負われているのですが、その時の発生品ではないかと思います。
ここでは80系200番台300番台も解体されており、西武E31型の「突如出現したDT20」はここから発生したものと推測しています。

と、いいますのは西武から中古電車を買うとここで台車を交換して所沢にもどすなどといった移動があるからです。




快速札がキュートです。
ジャンパ栓が比較的新しい形です。
さすが細かいところが要注意の近江鉄道です。

左は西武701系中間車です。
すんごい切り刻まれて小田急1600型の台枠の上に組み付けられてモハ220になったり、部品取りで800の餌になったりしました。
が、DT21類似のFS台車はこの鉄道では竣工しませんでしたね。



いずれも制御器が取り外されていたのが目につきました。





唯一旧型で稼働していたのは

このやたらコテコテさせた編成でした。


ステンレス板。



唯一取り付けられていた大型靴摺。





実にシンプル。



よく見るとテールライトが異なりますね。
またジャンパ栓がすべての編成で異なります。
解放テコも2種あります。


モユニ11
元京王帝都電鉄の車ですが、遡ると東急3650型のクハになる予定で作られて、戦後のどさくさのなかで車両不足となった京王線に駆り出されたいにしえの車です。


十和田電鉄に行った3603とつなぐことが本来の夫婦でした。
東急時代はこちらが広幅貫通路だったわけです。


東横線を快走するはずが・・・・。


モユニ10です。



良い感じに朽ちていました。








元岳南鉄道の日本車両標準型。


こんな角度しか残していないことに後悔です。
運転席延長部分を撮影しそこねています。
また、電気司令ブレーキもドアから見えたのですがシャッターを押し損ねました。
「すごい形のブレーキ弁」でした。
また、とてもごついジャンパ栓は電気ブレーキ仕様だからです。

この車103です。

が、実は最初に訪問した時「となりにも103」が居ました。
写真抑えなかったのが悔やまれます。
が、「活躍末期に振替」してしまったのでしょう。

ナンバー削ってありますものね。


モハ9です。

側面をすべて撮っておこうとして・・・













近江鉄道の宝箱しか映らなかったというオチです。
よく見ると連結面の端側窓の形が違います。





萌えますね。


錆びと草と土化した車体。




中間窓。


抵抗器。


何故か大きく数値が書き換えられている表記。


もっと撮影すべきだった車が見えるのが悔しいです。


元京急400の車体が載せてあったと聞いた台車。



軸距離が短いDT10ですね。


レールバスも4台並んでいました。
なぜもっと撮って置かなかった・・・
ネガフィルムが限界だったのかも。



この台車でもコロ軸です。
西武から流れてきたんじゃないかと考えています。




  ↑あと2回つづけます。



セミリタイヤ中のED76-500 4

2011-11-26 23:16:00 | HO製作のあれこれ

ここで一度終わる記事です。


昼過ぎまでの仕事がとりあえず捌けて


ちょと2時間だけ時間があったので



少しハンダを取り去っておきます。


綺麗になりましたが・・・・。
余計な穴が開けてあったりと謎が多いものになりました。
ちなみに例えば507(平成5年廃車)などはこの3本リブがなく非常にすっきりした床下機器になっています。
またリブがあるものも実際はこんなにごつくありません。



ハンダを取り去り続けます。


屋根板。
どうも怪しい

熱で剥がれません。


ですから再び炒めてみました。
中火で。


やっと剥がれましたが、接着剤でした・・・。
ランボードも。


この炭は接着剤です・・・・・・・。

凄いことになっていますが、よく加熱して炒めたのでワイヤブラシで取り去れるようになりました。


ここまできれいに。

で、更に仕事して夕方。







焼肉接待w
で、KBと制作打合わせ。


あ、これはこうしてあーして・・・・。

かなり細かくお願い。


賄賂はゴニョゴニョ・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「天賞堂並にやってwww」
ひでぇお願いです。

ということで、次に記事になるときは生地ボディになってくれると・・・思う。



  ↑面白がってくれたから助かります。


セミリタイヤ中のED76-500 3

2011-11-26 03:10:00 | HO製作のあれこれ

やはり状態が酷くても憧れだったマシンを目にすると、ちょっと無理してしまいます。


網焼きフライパン。
嫁の居ぬ(寝ている)間に。


炒めてしまいます。




ぱたん・・・と一枚一枚倒れていくシュールな光景。


最後はつついて


ばらんばらん・・・


我が家初夜にして木っ端微塵になりました。


あーあー・・・・


部品の検品して、数がちゃんとあることを確認。


炒めている間、接着剤が気化して目をやられました。焦げているのは全て接着剤です。


一部は磨きました。


丁寧に袋詰め。
焦げなどは取り去っていませんが。


追加部品と共に箱詰め。
「実は2台分」



インサイドギアだけ手元に残して、明日土下座製作依頼です。



  ↑明日も仕事だわっしょいしょい


セミリタイヤ中のED76-500 2

2011-11-26 00:23:00 | HO製作のあれこれ


かなり状態があれなカマです。


先ずパンタ。
使い物になりません。


逝っちゃってます。


ハンダ・・・・?


この垂下の原因はあとでわかり、発狂ものでした。


これは全て接着剤で貼りつけられています。




傾いている時点で・・・。


浮いてまーす!!


ちょっと力入れたら凹みました。


ネジが外れません。
ネジ頭にエポキシが充填されています。
なぜ?


ようやくオープン!

既に外れた例の部品。
これで車体を支えていたはずですが・・・。



超巨大オモリが浮いてます。


正直、何がなにやらわかりません。


ざっくり配線は捨ててしまいます。


このウェイト


聞いて驚け476g!





テールライトが点くようになっていました。
本当・・・?


グチャぐた


ワイパーの真鍮線がこんなところまで伸びている図。




取り出した臓器。


あの床上のオレンジの物体はなんでしょう


おおよその重量450g

つまりウェイトの方が重い。





コンなところにエアタンク。




中間台車は解体できない構造。
なんでだろう。


謎のオレンジ部品。
セレンでしょうか?


ドロップ二枚張りの台車は接着・・・?
え?なんで?







シンナーざぶーーーーーーーーーーーNNNNNNん!


恐ろしい状態がどんどん出てきます。

凹んでいるんじゃありません。
「接着剤」です。


OH!タイフォンが接着!!!

ドアからも接着剤が染みでている!




台車からガンガン滲み出る接着剤。


ゴム系とエポキシと瞬間接着剤がゴテゴテです。

中間台車も接着組み立てでした!


接着剤がディテールを埋めている図


例の垂下していたフレームも、なんとエポキシ接着でした。


床下機器箱周辺も非常に怪しい加工です。


迸る半田。
ずれる断面。


突然剥げ落ちる前面ドア。


なぜD50のナンバープレートが!?


なくなっている碍子。








下辺だけゴテっとハンダしてあるエアフィルター。


屋根がどうなって取り付けてあるかわからない。


はみ出る接着剤。





すかさず電話。
「あ・・・もしもし・・・」
友人KB「電話来ると思った。」
「(;´Д`)」
友人KB「まずはフィルターだけ外してきて」
「ラジャー」

ということで、友人KBに組み立てを依頼したのでありました・・・・。
自分にはとてもいなせる自信なし!
時間も無し!



  ↑これはすごい状態です・・・



セミリタイヤ中のED76-500 1

2011-11-25 13:07:00 | HO製作のあれこれ

お昼休みです。

九州から荷物が届きました。
仕事の激変であれですが、魔が差して落としてしまったもの。


偉い豪快な梱包です。


これ・・・。


「ED73517」として出品されていたものです。

「ED76517」が正解のもの。
遂に長年の夢・ED76-500を射止めたのです。
割と安価に。

が。
天賞堂ではないことは解っていました。
インサイドギアだったからです。
そうなると ひかり か つぼみ か しなのマイクロ です。
オークションの小さな写真で「しなのだろう」という事で落札。

で。

これから「お値段以上それ以上ニトリ♪」ではないですが(北海道だけの時代は「それ以上」というのが歌に入っていました。リズムはそのままなので歌ってみてください)

お値段・・・・まぁ、そんなもん これは♪

という、仕事が落ち着いたら凄い苦闘が待っていそうな状態です。

言うならば「ボロッボロ」

この一枚で全てが物語っています。
フレーム帯の垂下。
ドロップと聞くフィルターはガタガタです。


インサイドギアは恐らく放棄です。


ぐたーぐたです。


恐らく何一つ、ハンダを活かす部分はなさそうです。


な・・・んだコレは・・・・?

多分、部品はハンダを取り去ればマシなんじゃないかというのが解ります。

多分・・・。


・・・・・・。
手すりアナが複数開いています・・・。


ヘッドライトがガチャ目です。


あれ?缶モーターだ。
これは痛ましいなぁ。インサイドのまま逝くか?


パンタすら畳めません。
コレは強烈な難敵だと思いました。



  ↑機関車はコレで良いですもの。
 ロクニは・・・・?多分転属。


【資料】続・琴電2005

2011-11-25 01:53:00 | 模型工作雑ネタ日誌

今宮車庫に行くと見学させてもらいました。
「当然 遍路姿」です。
で、琴平線と長尾線、志度線で本来分けるべきですが、なんとなく過去のイメージからここでは長尾線を組み入れちゃいます。
この当時はまだ「琴平」「志度-長尾」の色が出ており、
いまや小型車が琴平線に逆流用されている姿とは違います。


まだ旧型車両がソコソコ残っていました。
と言っても名古屋市交が既に大挙して導入されていて、かなりバリエーションは失われていましたが。


335


この車は既にないんでしたっけ?120


日本車両スタイルの車がワンサカと居ました。
325


315だけ客ドアの前一枚がオフセットされています。
運転台拡大と見えますが、あるいみ京成スタイルのドアに見えなくも・・・ないか


当時唯一このスタイル系で朱色で残っていた500
窓まわりが硬いこととテールライトの位置が上がることで少し小田急HB風味になります。




讃岐空港付近場所にあった62
現役時と台車が異なります。
文字も昭和40年代の文字に近い文字で書かれています。


ズラッと小型旧型電車。


当時は23だけが茶色。
4両とも在籍しているのはよほどこの車が使いやすかったのか。
あるいは日本車両グループと実質「運用するに」スペックが一致しているから扱い易かったのか?


お世辞にも格好が良くなく、しかも中途半端に古く新しい車体の22


同21
特に違いは見られないように思います。


同24
テールライトが下部にあれば究極に野暮ったい車に見えるようですが、上部にあるとなぜか「関西より西」を印象つけられるのは気のせいでしょうか。


24


本当に野暮ったい。


22が収納され
(ちなみに奥の鉄くずに托鉢が)




解体が惜しまれる28
このとき最後の京急230でした。


引き出して貰えちゃったり。
引き出す予定をちょっと早めてくれたんです。


立体感がわかるように撮ったカット。


「凄い」車間距離を感じました。


Tc台車です。
生意気にコロ軸です。


こちらはMc台車。
確か旧阪神電車のものと交換したはず。
似たような台車でもギア比が違ったんだっけ?




存分撮影会です。
「くたばれ鉄オタ遍路行者」
そんな声が聞こえます。


ホルホルしておりました。



軽快ですね。。。。




すぐ引っ込みました。
しかし後年、この資料を元にこのモデルを組めたので良かったです。


その代わり走行シーンはこれだけ。
乗ればよかった。
何故か時間がなかったのよ。
確か四国を離れる日だったからかな。
(サンライズで離れたから、恐らく困憊していただけかも)
琴電はこれだけ撮影しても殆ど歩いたのですが、志度線だけ全て乗ったと思います。

↓一刻訪れた琴電ブームの工作記
http://blog.goo.ne.jp/komume1973/c/69fe21c8cfc65573c30e72444b5315b1


65は好ましいスタイルです。
20型とスペック上は似ていますが野暮ったさが抜けたちょっと「昭和40年代近代スタイル」です。


ここからロゴを作成したことも。


以下少々つまらない元名古屋。




屋根の深さが違ったり


色とりどりだったり。




名城線のスタイルのままのもの。


一本だけは東山線300のまんまだったり。


最近は3連対応で編成を解除したり、なんと琴平線に向かったりと、どうも当初の『小型車置き換え』の調度良さからは外れてきているようですが・・・。




760を瓦町駅横にて往復ビンタで撮影していたようです。
この車、十和田観光2400と同型だったという車ですよね。
今は玉野市に戻っているんでしたっけ。

蔵王急行電鉄の注文流れグループだったと記憶。


あれ?時間が明らかに違うもう一枚有る。
どうやって撮ったんだっけな・・・。


これも、さっきステップ改造してたもの。
工場入り直前の姿かも。
長尾線拡幅直前だったんでしょうね。
よく見ると仏生山で撮った時にはジャンパ栓水切りが一度カットされています。
恐らくこのあと長尾色になっているはずですから、コトデンそごう色最後の数日か最後の運用と考えられます。

ことでんそごう色といえば





賛否両論ありますが、個人的には好きでした。


京急一族には塗装されなかったのが残念。


そういえば、この1090が今週日曜日で運用を外れ廃車とか。
(ことちゃんツイッタより)

琴電も冷房車が退役するという。
しかも置き換えが同じ京急1000での押し出しという。
50年の活躍お疲れ様でした。


こちらも今回全廃とか。


こうして見ると非常に格好のよい電車でした。
古さを余り感じませんが、50年活躍していたというのですから。
最後まで実に丁寧に維持されていたということに感服いたします。


ことちゃん。


ことちゃんデカールどっかに無いすか?








元京急700


元名古屋

ちなみに托鉢とは「骸骨型テールライト」でした。
日本車両系の旧型の廃棄品で一部穴が開いては居ますが「要る?」と言われて貰ってしまったのでした。
「いくつでもいいよ」とは言われたんですが一個だけ。
それをスーパーの袋に入れて抱えて更に歩いたという。(ニガワライ)
なんともね
キチガイですよ。
今考えれば「二個くらいもらっとけばよかったwww」
ですが、まぁ、持って歩けるのは一個が精一杯だったなと。

いまでも、共に歩いた遍路杖と飾っています。

(このお陰でN模型に色調がわかったのですが)




  ↑それでも、遍路で歩いた事自体は非常に良かったです。うどん県でこそ鈍ら遍路に狂ってこそ居ますが、他の県では伊予鉄と高知駅で少し撮影しただけで撮っていませんので


これ、遍路していたときの本当の「托鉢」の一部です。
あるお寺でお婆さんにいただきました。
なんか・・・貰ったことより、励ましてもらった(ちなみに手を合わせてももらうことが多かった)ことがありがたかったですね。


千葉【京成3500系】マリーンズ14

2011-11-23 23:54:00 | 俺たちの誇り・京成マリーンズ

2011年01月29日以来の記事です。

それ以降には
なんとサブローが居なくなり
サブローが帰ってくるかも知れないという。
更にハム出身の山本と高口と工藤がマリーンズに居るんだと。

わ。時が経つのって凄い。

僅か10分程度ですが。

何年越しの京成3500を引き出してました。


停止中のほぼ2年間にデカールも出ました。


台車も


先頭だけ違うという姿に凝っていたんですね。


床下は途中で放り出したまま黄変が始まっています。


グロスブラックに吹いたら車体の整形傷が多くて投げたんだっけ?




こんなのも用意しています。
「塗装すればほぼ終わりの状態」


ザック


ザック


ちょっとだけ加工。






鉛粒を


敷いて


均して


固める。


終わり。



  ↑頭が回らない回らない回らない。


私信。

2011-11-23 00:15:00 | 模型工作雑ネタ日誌


頂きものの相鉄5000
バラバラにしてあったのを組んで、動力入れて


KATO密連N入れて
台車は代用の小田急FM台車はめて



M'cにはTNなんて驕り散らして


軽いので


GMウェイト適当に切って


何の工夫もなくゴム系で貼って


おわり。


正直、相鉄の色というのはアルミ車の赤帯以外好きではないのですが
(6000を幼少の頃モノクロでしか知らず、カラーを知ってぶっ飛んだ)

とりあえず興味のあまりない車にしては適当に豪華に組んでおきます。
友情列車ということで。

鉄コレはめただけの記事なんてありえない・・・・。


奥の部分。
正直、あと何年掛かるのやら。



  ↑相鉄はまるで他の世界感を醸成するものがありませんw


【資料】琴電2005

2011-11-22 23:13:00 | 模型工作雑ネタ日誌

今琴電はかなりファンで賑やかのようですが、その直前夜と言ったところの時期に行った時の記録です。

車庫も一声で入れてもらったり、楽しかったです。

・・・というのもおかしいですが、「全線の線路横を歩いた」という奇特旅でした。
実に奇特なことをしました。
線路際と民地の隙間がずううっとある部分があり、そこをとぼとぼと早朝、4日かけて歩いたのです。(旅自体は13日)


いや、実は「遍路」などやったのです(真面目に)

だから、実は遍路格好だったという「邪心でいっぱいの遍路」(結果的にソウ言われても止む得ません)
と、いいつつ88霊山のうち50は歩いたのです(大マジ)

前首相のような車移動はしてません。


これ、1番電車です。
夜じゃないんです。
確か、築港近くの宿から歩いて琴平に向かった時だったかと。


これも早朝です。


これ、琴平駅ですね。


琴平。


確か仏生山の途中。やっぱり朝です。
香川の2月って、寒かったけなぁ?あんまり記憶がないんですよね。
遍路の格好で早朝歩くのは結構見る光景です。




あんまりうまく撮影したという状態には程遠いんですが。
この列車なんて阪神+三岐ですよ。
もっとちゃんと撮影するべき列車でした・・・


コトデンそごう色がまだあった時です。

土手の途中から撮った記憶が。



農道から。





確か仏生山奥の踏切から。
これが角度的にはベストかな・・・。




3本も待ったようです。

柵が見えますね。
その上にカメラ乗っけて撮ったような。
「遍路の格好で」


で。肝心の三岐をミスショットしたというお馬鹿。
後追いで我慢。


歩いて三岐を追いかけ。
これが撮影したかったんですが、今考えるとワンショット撮って満足してしまった愚かさ。


部品撮影しておらず。
それにしても関西窓配置で、更に長く格好いい・・・。




長らくここの主だったそうです。


京急3銃士。


先日引退した元京急600


見学申請して(遍路の格好で)・・・ちゃんと全体撮れよと・・・・。


これは琴平かな?


この色、好きでした。



河原町から一個築港寄りの駅。


その踏切。








この編成がたまらなく格好良かった・・・。

別の日。

長尾線拡幅に伴いステップを取り付ける元名古屋。






仏生山敷地外から撮れる迫力の連結面。




この角度もよく電車が見える仏生山。




これ、留置線路上です。
横に運転手さん付きです。
「遍路」・・・・実際、歩きコケた格好です・・・ある意味無敵でした。
凄く、凄く言い難いですが、遍路の格好で「そういえば昨日、線路端歩いていたよね、ご苦労様、撮る?」とか言われるんです。
いや、その・・・あの・・・
「結構まじめに他の四国地域は歩いてお寺回ったんで」
このブログだけ見ると「なんという卑怯な鉄オタ」ですが、ちょっとその、結構まじめに回ったんです。
因みに、午前2時から午前11時くらいまで歩くんです。
だから早朝しか写真がない。
しかも2月です。
かなり狂気の沙汰です。
ええ、遍路ってある意味煩悩と切り離れ・・・ていませんね。
今から考えると酷い遍路行者です。
やっぱり卑怯な鉄オタでしかなかったのかもしれません。






長尾から志度に歩くと、こんな撮影も。

デカ!



最近綺麗になったそうですね。


これ、こんぴら号10000型の台車だったとか。


  ↑次は今宮車庫へ行った時の写真でも。
もちろん遍路の格好でしたが驚くべき「托鉢」も!


【資料】スハネフ14-550

2011-11-21 23:58:00 | 模型工作雑ネタ日誌

はまなすに連結されているスハネフ14-550は御存知の通り、北海道に配置されたオハネフ25-200の3両のうち2両を、転属早々にエンジン取り付けしてしまった車ですが、
HOなりNでも「作ってみたいなぁ」と思っているうちにマイクロから出た車であります。

で、先日気楽に「なんだHOでスハネフ15が出てんなら簡単じゃん。

なんて思っていたら、今更まるで違うことに気が付き、ちょっとまとめたのが今回です。
(排気管とクーラーの位置についてはまた今度。一番の違いの根本比較写真がないのです)

真横から撮影した角度が無い、床下機器が不完全なので、ここは再調査ポイントでしょう。

かと言って暫く調査にもでられる状態でもないのですが。


雰囲気はこの様になります。

もう一枚あります。

違い、わかりますでしょうか・・・?

上が551、下が552であります。

ざっくり見て2ヶ所違います。
・ドア横のエンブレムの位置と色
・手前から3つ目の窓下。グリルの有無。

結構大きな違いです。
時期的なものかもしれませんが、それにしても改造ポイントの目玉が異なります。
上の551は2008年の姿です。
下の552は5011年5月の姿です。

非常に見難いですが

2010年3月の551です。
グリルが消えています。
つまりここ近年でどうも再埋め込みされたようだと考えるのが自然です。
しかも金色のエンブレムに変わっていますね。
ただ、場所は552と異なる場所のままです。


ついで。
2004年4月の551
もちろん?グリル付き。青エンブレム。


2009年の552。551ではグリルがあった場所。




2004年の552


2010年の552
こちらは変化が見られません。

551初期写真で見られるグリルはキハ40原型とほぼ同じものが張り付いているようです。

今も消えていない逆サイドのグリルは幾分小型です。



これが幾分小型のグリル。


2010年3月の551ですが、これは残っていますので、こちらの幾分小型のグリルは両者とも残っていると見てよろしいようです。

何気ない捨てカットにディテール調査を救われることがありますね。

ただ、552の「大きなグリルがあったかもしれない古いカット」がまだ見つかりません。


キハ48-303のグリル。
あれ?
縦寸法違いますね。
551の昔についていたグリルはこれと同一ではないようです。


やっぱり違いますね。
似てますけど。


実はスハネフ14-500も同様の変化があったことは知っていたのです。

PCからDCに置き換わる直前のスハネフ14-500
グリルがあります。
が、551ともちょっと下辺真ん中周辺が違います。


全体像。
よく見ると置き換え直前の気動車色も珍しい姿ですが、こちらの幌はすっかりDC用になっています。(エンブレムはありません)


廃車からちょっと前2004年の同車。
グリルは消え失せています。

とどのつまり、551(恐らく552初期も)の大きなグリルは特別品であると考えるのがいいのではないでしょうか。
で、スハネフ一族が2000年中半前後に順次こういったものを取り去ったと。


ちなみにこちら側もグリルがありません。

これは持っている写真については全てありませんでした。
本州時代のオリジナルにもないので存在したことはないと考えます。


反対妻面はこの様な感じです。
基本、ジャンパ栓はわかりませんが恐らくオハネフ25-200のままのように見えます。

エンブレムです。


どちらもスハネフ14-500のものです。
こちらでも2種ありました。

どちらもN/HOともにキッチンから出ています。



参考・オハネフ25-219(東オク)
つまりコチラ面は、最近姿にするなら逆に無改造かもしれません。

近々に手稲で撮影してきちんと記録したいですね。(552のエンジンだけ記録退散した自分は阿呆です)
(あと、実車のこの部分を触手して埋めた痕があるか確かめたい)



オク車に比べると外見が痛んでするんですがもう治らないでしょうね。


内装です。



特に模型化の障壁はありませんが


ろくな角度ではありませんが、ベッドが茶色です。
ほかの金帯寝台などは全く別のピンクモケットですので、ここは特徴的です。
もっとまともに撮ればよかった。


北海道の多数派?のモケット。
今のところオハネフ25-216やオハネフ25-7、オハネ25-11で確認。


オク車はこの様な色。


改造は土崎だった・・・?いや、これは引戸化の時のものと思われます。


廊下はなんとも言えない暖色系です。
(オク車もこれですね)
ただ、これは552で、551とカーテンが異なることを発見。
いや、ちゃんともう一度調べるべきかも。


551のトイレ
まぁ、別に・・・

ただ、安定して同じように撮影していないのが悔やまれます。
「どうせ同じだろ・・・」という余裕ブッカマシがこうやって比較しようとすると謎を呼ぶんですよね。
「2日続けて札幌駅で撮影すればいいじゃん」かもしれませんけど。


551のドア文字。
(反転加工済み)
このドアだけ変な文字間隔だっただけで、もうちょっと離れています。
再現してもしょうがない部分ですが。



  ↑
スハネフ14-500のモケット、廊下カーペットはまた全く異なります。


どうすんのよ、このレイアウト13

2011-11-20 23:05:00 | TOMIX8018レイアウトベースキット


野球の時間だけ作業します。
今日も仕事ですから。


だいぶ覆えてきた。




あとで取り去る部分も結構有りそう。


というか、良い出来は期待しないでください。
はじめて&考えていませんから。


絵の具で裏側は隠す。


余り見栄えよくないね。


道路の延長。





油絵のコテで整える。


まもなく作業終了のようです。


適当に配置してみる。
黒い街。
石炭住宅街。
昭和40年代末期生まれの自分が感じる昭和50年代はじめの北海道の田舎すら「灰色の風景」だったのに昭和30年代の石炭街だと写真で見る限り本当に黒いイメージ。

レイアウトにあるような華やかな緑、にぎやかな色彩の商店街ばかりというイメージなし。

まぁ、草を生やさないというわけではなく、一度全体を土に埋もれさせたかっただけ。


クネ曲がった細めの砂利道、ムリクリな山並み建築、まぁ、そんな感じじゃないですか?
夕張とか三笠とか、頼城とかのイメージって。
産炭地って、とにかく異質なまちづくりだったりしますから。

この街並みコレクションを見た時、屋根は瓦はありえないけど、イメージがそのまま炭住に感じたのでした。
まぁ、炭住は実はコンクリマンションとか結構あったんですけどね。
物凄く土地の風景に異様な建築物の集団として。



  ↑
明日からこの作業時間すら減ります。