本日はお仕事というより半休暇です。
摩天楼の横を通りつつ。
やってきました高崎。
どうも、ここから「小田原行」なんて列車が出るのは俄か信じがたいもんです。
ふらふらと上信電鉄ホームへ。
ネタとしてはあんまり美味しくありません。
そんなわけで散策。
高崎機関区の敷地外ぎりぎりからズームで撮った茶釜。
お、またいましたお召DD51
本務機(左)と予備機(右)
美しい本務機。
おやおや?緑シートにくるまれたあれは何?
EF65のように見えるのですが。
なんだろうなぁ・・・と言いつつ足は進めます。
何年かぶりにまた来たこの場所。
前回はEF65PやF、一般型が並んでいましたけれども
PF型、しかも更新型が廃車待ちとは本当に時代が変わりました。
3台ありましたが結構ただならぬものを持っております。
1044と
1056です。
PS22をはじめて取り付けたEF65のはずですが
PS17を積んでいます。
変形機だったんですね。
一方、1044は中期型のくせにPS22を積んでいました。
パンタがお互い本来とは逆形式になっています。
EF200-901がここにいました。
ここにいるってことは、あまり使用されていないということですよね・・・?
ぐるっと
見回す
機関車の砦
高崎機関区。
こんなものも居ましたよ。
DE15-1530
これはひょっとして・・・
張り紙を拡大すると、東新潟機関区から大宮工場に移送途中だそうで。
JR東日本からJR貨物に売却された、DE10-3000番台などになる連中では?
おっと。
なんばープレートも上下に拡大された変形・独特なものを見ることができますね。
保存車両はEF65-501か?EF60-19なのか?ほかなのか?
去ってい行く際には広々した写真を1マス
あすはこの続きでも。
@東京でございます。
今回のお仕事先。
と
この二か所。
天賞堂もある場所ですねぇ。
で、ちょっと寄り道して
この駅の
こういう
道を歩き
やってきましたHOゲージの聖地。
エコーモデル!
うーん。HO初心者の私には何でもかんでも見るもの初めてのものばかりでございます。
すげぇなぁ・・・。
あっという間に時間が過ぎていきます。
部品の数がすごいですねぇ。
かっちょええなぁ。
カメラマンと向き合ってみる。
おお、こんなキットもあるのか!
四日市の太平洋セメント引き込み線で同じものを見たことがあるぞ!
もとラサ工業・高崎運輸ときて四日市に流れた白い機関車。
聞いたことがないメーカーだけど欲しいのう。
指をくわえてみているだけ。
まぁそんな折。
夕張鉄道の気動車の部品を相談しながら買い進めてしまい。
口車に乗って・・・いや、財布のひもが壊れて。
危うく。
1万円もするコアレスモーターを買うところで止まりました。
このモーター、小さくても大型モーター並みのトルクなんだそうです。
いやぁ、危ない危ない。
買えばいいんでしょうけれどお金がいくらあっても足りません。
TMSで使用されていた部品が目の前にあります・・・・買いました。
製品見本を見せてもらいつつ
懇切丁寧に説明受けながら部品を買い進めると
ここから始まって
大福2個位の重さと質量で。
諭吉さんが2名と半分ほど飛んで行ってしまいました・・・・。
そこで見つけた
こんなキットの委託品。
何気なく見せてもらうと
なんかすごいものが入っていたんで即お買い上げ。
3年もここに在庫していたそうです。
帰る頃には暗くなっていました。
若旦那の部屋で検品。
なんでこれにあっという間に理性が飛んだかというと
何か様子が違うんです。
ホワイトメタルのナカセイキットはともかく(それでもパイピングが!)
謎のもう1個の車体。
あれ?
ナカセイの金型製作種が出ていたのかな?
い や ち が う
聞くところ。
ナカセイ車体に気が治まらなかったモデラーのフルスクラッチの車体だそうです。
ええええ!
これ全部単純材料のくみ上げですって!
オリジナルの挽きものやパイピング。
いやになるくらい正確な半田工作・・・。
全部手作りだそうです!
うわわわ。
リベットが植え込みだ!!!
ミクロウェイト。
全部手作りに恐れ入ります。
網目板も自作ですって!
数々の半田細工・・・。
もう目の保養ですね。
すごい・・・エッチング使用しないで作りきってます・・・。
スゴスぎません?
これの続き制作って相当すごい作業間違いなし
美しき自作部品の数々
図面まで描いてらっしゃいます・・・。
すげぇ・・・比較までしてやがる・・・。
図面に書いてあった文字で大方わかりました。
旧車号時代を作る上、昭和56年3月28日に書き上げたようです・・・。
1/145とは言いますが、実は各部少しづつ「小さく」製作していただいているようです。
ではまたあした。
↑日曜日は名古屋でGOです
出張先でなぜか若旦那の家で居候するというわけのわからない宿泊先。
若旦那に借りた部屋で届く道具
道具御開帳。
セッティングしちゃった。
椅子工作で慣れているので、あぐら工作ははたしてやる気になるかということ。
とりあえず、若旦那から新たに出された課題の都電2台-マスターピース製を出してみた。
工作途中で放り出された都電1200.
ジャンクキットとして購入したらしい。
各部の半田付けが気に入らないらしいよ。
とりあえず磨いてみて、素性を明らかにしてみましょうか。
うぃいいいいいいん。
磨いてみた。
一見綺麗だけど。
深いヤスリ傷。
結構深い。
まぁ、しょうがないなぁ。
あす若旦那が起きてきたら、これの工作方針を話し合おう。
都電7500も。
これは新品。
が、なんせバリがかなりあり、窓全部バリがあって全てヤスリ落とさねばならないことが。
これは結構めんどいぞ。
ナイフで落として行ったり。
丸やすりや針やすりも使って。
片面落とすのに1時間も掛った。
正面なんぞ。
どれのラインを基準にして垂直水平を出せばよろしいのでしょう。
参ったなぁ。
屋根の真ん中にも筋がある。
均していくと、今度は肉抜けの乱れのアバタが多数。
うーむ。
方や完全再バラシをするかどうか。
方や、メタル一体ではなく、普通の真鍮キットにしてほしかったもの。
↑うーーーむ。気楽じゃねぇ・・・
長期出張になりまして。
えー・・・若旦那の家に居候しております。
取り立てて本日の写真はございません。
明日からモデルをここで作ろうかな・・・?
さて、旭川通運にDD13-40のあとに入ったのは、
苫小牧埠頭から譲られてきたD5603です。
十勝鉄道に行ったものの同僚です。
こちらは苫小牧埠頭時代の塗装そのままです。
この部分がこの機関車の大きな特徴。
これは冬季の姿ですね。
ラジエターに可動式の羽が取り付けられております。
これはさっきの夏姿だったのです。
台車から端部までがやや長いことも特徴ですね。
おまけに逆サイドのラジエター。
変わりませんけれども。
妙な角度ですが。
屋根上です。
我侭言って撮って貰ったのです。
貴重な資料だと思っております。
煙突のふたの上に石!
突端の部品は何なんでしょうね・・・?
模型化できる資料はありますね?
このD5603も、再び追われる立場になりました。
JRからDE15-1521が譲渡され、メインの座は明け渡してしまいました。
メイン機は奥の車庫に入る権利?が得られます。
この日はもう運用が終わっていたので、さすがに十勝鉄道ほどの襟を正した公式訪問と異なったため見ることは出来ませんでした。
・・・・・・・・
やっぱり、十勝鉄道、旭川通運のD5600を紹介するとここも解説していかねばなりません。
北海道から遠く離れた名古屋臨海鉄道に嫁いだ、苫小牧機関車。
元D5604のND55216と元D5605のND55213です。
すっかり国鉄風の色に染められ、ラジエターの耐雪カバーもはずされ「なんちゃってDD13」になっております。
ご存知の方も多いのですが、この番号自体、払い下げDD13の廃車のあとに同番を付けた「2世」になっており、ややこしいですね。
あいにく雨であまりよく撮影できませんでした。
ここもご案内していただいた方に「扱いやすいよ」と教えてはもらいました。
「ものすきだねぇ・・・わざわざ北海道から・・・」と(*‘ω‘ *)
ND55213の運転台です。
十勝に行った5606と比較
以上5606
すごく細かいどうでもいいことですが、懐中時計の置き場所が異なりますw
あと、メーターの外形規格が異なる・・・。
本当に意味がない差ですけれども。
ND56216はこの日、検査中でばらばら。
雨は本降り。
まともに写せず。
ということで近々、公式に訪問するのではなくあおなみ線から見えると言う場所でリベンジしようかなと。
↑名古屋に行くと?
東京は明日の出発なんです。
旭川通運にも機械扱いのスイッチャーが存在します。
石油ヤードのタンク貨車を入れ替えするために存在します。
歴代の旭川通運スイッチャーは、私が知る限り、
最も古いものはこのDD4501が記録されております。
もちろんこれは定山渓時代ですが、昭和39年に定山渓を去り、北海道拓殖鉄道に移動後、昭和43年くらいに旭川通運に移動しております。
小熊米雄先生の記述などから、最初から予備機として転入したらしく、その当時のメイン機は何だったのかは記録されておりません。
次に記録しているのはこの、D32です。
元は九州・大分交通の機関車で、姿かたちが国鉄のDD11によく似ているため、「平成まで国鉄DD11が旭川にある」と噂されておりました。
ひょっとして、DD11がここに在ってこれもあったのかもしれません。
まだ自分の浅学では確認できておりません。
昭和46年に来て、平成6年くらいまで使用されていたようです。
この撮影は平成8年くらいだった気がします。
その4年後、平成12年の姿です。
このとき既に、運転台機器も取り払われておりました。
既に部品もかなりありませんでした。
姿的には残念でならない状態を見せていただきました。
丁寧に記録したつもりですが・・・。
またも屋根上を撮影する機会を断っていると言う落ちです。
もう取り返しの付かない・・・
さて、このD32ですが既に予備機ですらなく、
その冬だったかを最後に消えてしまいました。
奥にいたのをご案内いただいてしまいました。
この日動いていたのは、DD13-40です。
国鉄からの払い下げをうけた、恐らく全国最後の稼動1灯DD13だったと思っております。
この訪問時の本務機は元苫小牧埠頭のD5603ですが
検査中だったので予備機登場だったようです。
エンジンの検査だったそうです。
凛々しく最古参機関車としてかくしゃくとしておりました。
私この頃の行動力が異常だったせいか、
DD13の1灯を全国巡っていたのです。
近江のDD13-104と
名古屋臨海鉄道のND55212が番号から言う1灯DD13でした。
既に両方とも車籍は残っていたものの、非稼動。
ND55212については
ボンネットをDD13後期型に、台車を私鉄DD13タイプ用に交換され、まさかこれが国鉄DD13-12とは思えませんね。
このND55212は燃料タンク、台車、テールライトで普通には説明できない矛盾があるんですね。
ゆえにこの旭川のDD13-40は大変貴重であったと言えます。
それもつかの間。
平成19年には
ナンバープレートをはずされた姿となって、役目を終えてしまったのでした。
まことに残念。
DD13の一次型稼動はこれで全滅ですね。
小型の燃料タンク。
反対側
配線の這い方が異なりますね。
イコライザ台車。
これ以後まだ確認しておりませんが、もう無いかもしれません。
↑至極残念です。
月曜日から出張です。
で、工作道具一式全部東京に送っちゃいましたんで、ここでは工作が出来ませぬ。
10日も出張なら工作道具もっていかにゃw
( ゜Д゜)y?~~
十勝鉄道の機関車の際紹介続き。
砂糖を製造する工場からの路線ですね。
途中の石油ヤードにも路線輸送があり、2荷主構成です。
メインはトラックによる輸送なんですけれども・・・。
今は引退して、動かない体を休めているDD201です。
1回目の見学時は稼動状態でした。
昭和56年日立製のレディーメード産業用動力車です。
個人的には好みのフォルムです。
模型では新貨車工房さんが、これのセンターキャブタイプをリリースしていた気がします。
DE10の取り付けられていた大型プラウがありますね。
これは北側にしか補助羽根が無いのです。
アイスカッターも西帯広方面に装備。
線路間の雪をほじくり返す装備です。
運転台です。
マスコンはDC用のものが取り付けられております。
扱いやすかったと聞きました。
座布団がキュート。
よく見ると、自動車用カーステレオが取り付けられております。
このあたり、専用線のゆったりした雰囲気が垣間見られます。
運転台は北側に一組です。
芽室側はこのようにシンプル?な造詣。
運転台側は張り出し窓があり、ちょっとだけゆったりさせようという構造です。
南側の側面舐め撮り。
プロペラシャフトが見えますね。
ミラーが面白いです。
奥のほうに運転台があるので補完しているんですね。
ラッパもかわいい。
ボンネットは低めです。
この機関車、釧路開発埠頭のKD5002のエンジンを譲り受けた。
と言う記述があります。
これですね。
伺ってみると、確かにエンジンだけは購入したそうです。
が、正直余り状態は良くなく部品のみ予備として利用しただけとか。
このように、エンジンのナンバーや銘板も引き受けて保管しているしきちんと整備しているのが面白いです。
ちなみに結構コアな部品をこちらでは保存しており、十勝鉄道専用線黎明期のDD101のプレートも保管しているんですね。
2枚保管されておりました。(・∀・)
DD11も。
写真ぶれていてどうもなりませんけど。
(;゜д゜)
本題に戻り
長いボンネット側の前面。
よく見るとこちら側の右ステップのみ形が異なります。
西帯広側・短いほう。
芽室側。
連結器の張り出しが案外長い。
てかデッキが既に張り出しの寸法。
こんな角度は参考になるかな?
改めて張り出したデッキ部分を見られます。
跳ねるプラウの関係から前に突き出させたと言う理由かな?
こちらにはプラウ。
跳ねるプラウはありませんね。
デッキのステップの関係で少し様子が異なります。
台車はシンプルな軸バネ式。
芽室南側。
ブレーキシリンダーは車体内側に向いております。
これは西帯広南側
シリンダーが逆です。
張り出し具合の斜め前から。
ボンネットトップは折れ屋根です。
左が北
右が南
南にだけボンネットの張り出しがあります。
これは廃車後の写真の一部。
褪せてきてますけど。
屋根上が余り撮れてません。
修行が足りません・・・。
↑今度見に行ったときこの車は残っているでしょうか・・・?
カテゴリーが廃車体なんですがw
まぁどれも「機械扱い」なんで、廃車体といってもいいのか稼動しているからどうなのか。
要は優勝月間&繁忙期&出張近々でモデルがさすがに手につきません。
今まであちこち見学してきた北海道スイッチャー事情なんて書いてみようと思います。
北海道でもっとも盛んなスイッチャー群といえば
十勝鉄道
があると思います。
日本甜菜製糖芽室工場から、西帯広貨物駅に至る専用線で、室蘭本線としばらく並走するアレです。
薀蓄はともかく、現在動いている主力は
DE10-1543です。
もちろん元国鉄?JRのマシンですね。
手前が北。
奥が南です。
外見的にはA寒地型のように見えますが、実はJR東日本宇都宮所属のものが大宮工場で旋回窓などを取り付けた上で譲渡されたものなので、
JR北海道所属のものとは異なる特徴があります。
プレートナンバープレートではなく、切り抜き文字の直付けというのが其処に現れているほか、
何故かJR東日本の銘版を一枚取り付けたまま、なおかつ色返して目立たせてあるんですね。
社紋のほか、補助灯が追加されております。
前任マシンもありましたからね。
西帯広向きには、アイスカッターが取り付けられ、更に跳ね上げプラウを持っております。
油圧で動くんですね。
アイスカッターは朝西帯広に行くときに2箇所ある踏切を避けるもの。
大型のプラウは今回初装備です。
状態は、大変よく。
軽くワックスも掛かっているんです。
なんせ大切にされている機関車です。
乗車したときの前面展望。
運転台は北向きの運転台のみ使用の様子です。
これは南側運転台
乗車した感想は「硬い!」でした。
最大25kmの速度しか出しませんのでエンジンはアイドリングのままのような感じです。
運転はこのように斜めに傾いておりますので、首が痛くなりそうだなぁ・・・。
使い込まれた感じのするDE10の運転台
横から見た図。
左が西帯広。
右が芽室。
手前が北。
プラウのズームアップ。
もっと詳しく撮影してくるんだった。
現場評判としては
「乗り心地が良い」
「パワーがあって楽」
「エンジン一台だから燃費が期待できる」
「もう一台欲しいところだな」
といったところ。
これの前任・・・まだ引退していないからNo2に格落ちしただけなんですが
何回か挙げているD5606ですね。
改めて説明すると、苫小牧埠頭の機関車を譲り受けたものです。
DD13にパワーアップさせたもので、ボンネットが延長されて冷却関係の大きさが異なるほか、
南側はこのように運転台窓が一枚物となっており、
見えづらいのですがハッチ扉があります。
じつはこのハッチから乗り降りしています。
屈まないと乗り降りできません。
なぜこの、大きな扉から乗務しないのかわからないのですが・・・。
ほかでもこのように片方を一枚窓にした類似系はありますが、方側面に集中させて前後非対称にしているのはここだけだったかもしれません。
苫小牧時代の色は廃され、十勝色になっております。
DE10は「改造先(大宮)できれいに塗ってくれたから、そのままにしている」という理由だけで、ひょっとしていずれこの色になるのかも?
でもこの車も入線以来、磨かれつくして再塗装はしたこと無いそうです。
「一番新しいからこれにしたのさ」
と言うように、昭和52年というのは大型スイッチャーとしては新世代が台頭するまでは極めて新しい部類ですね。
ボンネットです。
DD13と変わりないかも?
余り角度良くないんで違うところでこの面は確保しなければなりませんでした。
側面です。
端正なDD13タイプ。
磨かれつくして美しいの何の。
これは西帯広側の覗き見。
アイスカッターは無く、通常のプラウですね。
でもこれはちょっと昔の姿。
西帯広側が2エンドと言うことになります。
DE10入線後にごらんのようにアイスカッターが追加されたようです。
これは西帯広側のみの装備。
ちなみに2回目の訪問となったDE10との時代では普通に扉から乗り降りしてました。
運転台です。
機関車然とした運転台ですね。
DD13タイプでも、たまにDCマスコン&ブレーキ弁で動かすものがありますね。
(元鹿島DD902とか)
そうではなく、機関車対応の操作関係です。
もちろんこのように操作されてます。
前面の展望。
DE10に比べて、縦振動が大きい印象です。
25kmでも結構ガンガンと突き上げる感じにゆれます。
クッション感が薄いというイメージです。
実は・・・
重連特別運転だったのです。
お計らいいただきままして感謝感激。
添乗なんて出来ると思いませんでした。
もちろん、西帯広駅構内までは行きません。
あくまで専用線内だけの話。
D5606は2機エンジンのため、燃費がちょっと悪いと言う旨。
細かい故障が起きて最初は苦労した旨。
苫小牧時代の整備が余り芳しくなかったようだという旨を聞きました。
新しいから期待したんだけれど、5606はあまり使われていなかったようで、到着に際しては細かい部分の部品をかなり取り替えたそうです。
もう一台、DE10就役とともに退任したDD201はまた次回。
↑記事的には2回目なんですけどねw
出張出発日決定。
いかん。
もう数日しかない!
準備しなきゃならないのに。
大まかに盛っていますから、側面も傷埋めに持ったものがあふれています。
とはいいつつ、屋根削り。
拓殖と同じ作業なのに、こっちはちょっと遠回りしてますね。
まず大まかに削って
側面のパテは磨く。
ポリパテなんで、結構クイツキガ良いのです。
細かい隙間には入ってくれるように。
側面だけまずは削り取ってきれいにします。
溶きパテでサッと傷や隙間に詰め込み。
とりあえず一台をかまぼこ型に削り込み。
溶きパテで段差チェック。
雨樋の埋まりはあとで復帰させなきゃ駄目ですよ。
ハイ今日はここまで。
綺麗なおでこ屋根が出来れば何回でもやり直して良いんですよ。
ホワイトメタルよりちょっと楽かどうか。
合いがよければいいんですけどねぇ。
そうそうお知らせ。
定山渓鉄道モハ2201・
2202キット(要は新日国車体の右運転台)、生産して貰える数のコメントいただきましたので、メーカーさんにおねだりしたいと思います。
今週中にもまだ欲しい方が居ればコメントください。
↑今のところ、自分含めて8個だったかな?
カメラが仕事場に召し上げられており、撮影が思うように行かないので間ネタです。
ちなみに定鉄の2200のおでこ整形をちょっとだけやってます。
興部を出て
中興部に来ました。
ここは、笑っちゃうようなネタ保存車として有名です。
雰囲気は良いですけどねw
・・・・・・・。
なぜこのような構成になったのやら。
最近塗装しなおされたようですよ。
上回りだけ見れば、地味にかなりきれいな車体です。
廃止後に運ばれたのか、下回りがまるで破壊されているっことを除けば。
車体の腐食は少ないし、塗装もきれい。
勿体無いけど下回りがまるで原型ではありません。
表記類も比較的正しいのですが、床下機器は謎のイミテーションというのが残念です。
車体だけ考えれば、恐らくもっとも保存状態の良いキハ27となっています。
複製のサボも取り付けられてチャーミング。
鉄道の心ある方が整備されているのではないでしょか?
何故なら。
最初に見たとき
そもそもテールライトが原型を損ねていました。
1998年くらい
周辺も整備したけどすさんでいましたが
その後、テールライトが修復されたものの劣化が進んでいったのです。
2001年8月
これが
ここまで綺麗になっていったんですよね。
表記類もすばらしい。
メンテナンスしている方がかなり気持ちをこめて復元していると見えます。
連結器とかジャンパとか再度形だけでも復元できれば良いですね。
旧名寄本線下川駅に移動します。
町の広場にあります。
てか駅が広場になりました。
前回来たときは、かなり状態が良かったのですが
ちょっとお疲れになっておりました。
これは2002年位かな。
お疲れの模様。
雨が・・・・。
このキハ22、部品類は良く残っているのですが、手すり関係が殆ど切断され、屋根に上らないようにされてしまっております。
レプリカプレートもキュート。
エンジンの耐雪カバーもそのまま。
車体の修繕がそろそろあったら良いなぁ・・・。
さて、名寄本線をあがり
有名なキマロキへ。
怠けてこの保存地写真撮りませんでした。
奥にサロベツが走る。
士別の水郷公園に移動し
D51があります。
D51-397
よくなく悪くも無く。
さてこのあと、和寒町、上川町のD51めぐりを考えていたんですが、時間が無く飛ばしたんです。
その直後10日余り後に、上川のD51-157がまさかの解体に・・・。
これは悔やんでも悔やみきれません。
これを優先してしまったのです。
てか映っとるやん・・・。
さて、解体するなんて思いもしないまま、
神居古潭へ。
石狩川を渡り
階段を上った先に
神居古潭駅が見え
元構内とともに
広がるSLワールド。
ここも来慣れているので、遠景ばっかり。
29638
標準的に見える北海道9600
D51-6
いつ来てもここは露出が難しいことになる場所。
で、ここの白眉。
C57-201
全国的にも珍しい4次型の流麗な姿にしばし見惚れます。
C57は華奢で余り好きではないのですが、4次型は別格の雰囲気を持っております。
いやぁ・・・露出が酷い。
このときコンデジだったんです。
緑に引っ張られてしまう。
駅から川向の国道を望む。
動輪もあります。
C57-130の第一動輪
このとき気が付いたこと。
あ、現役時の線路じゃなかったんだ。
ずれています。
いざ、札幌へ!
メシ!!!
苗穂駅近くのサッポロビール園です。
内地人に北海道の力を見せるのだ!
観光鍋だなぁあああ・・・。
カンパーイ
はい、これが正統派ジンギスカンの焼き方でございます。
淵には野菜をこんもりと敷き詰め、真ん中に肉を被せきるように乗せる。
肉汁で野菜を煮焼きし、
肉をひたすら焼いていく。
冷凍丸(ラム)肉最高。
生肉?
そんなのはナンセンスです。
冷凍成型の丸肉こそ、ジンギスカンの王道。
ラムなんて贅沢よ。
本当はマトンだったよなぁ。
でもマトンは匂いがきつく、当時子供心にも苦手でしたが安かった。
ラムは高級なんで、取って置きで全体の1/4とかの量で少しづつ食べられるものでした。
完食。
こげ等付くのは下手な証拠(おお、大きく出たなww)
さて、
廃車体ツアーはまだ終わらないよ
ここにはこれがあるんでね。
日曹炭鉱天塩を経験した9600若番号。
廃車体ツアーは昼間に札幌にいることは無いので、ド早朝かこうして夜になってしまう・・・。
ということで、今年も廃車体ツアーが終わりました。
↑今年は2泊3日でした
ちょっと週末がすべて仕事で埋まって落ち着かないのですけど。
おでこ作りでもして見ます。
ポリパテを混ぜて
いつもどおり豪快に塗ったくる。
豪快すぎかw
20分ほどで半ガワキになりますから、ノミで削っていく。
ショリショリと簡単に削れるので、大まかに削っていく。
するってーと、
今回ちょっとヘマしてしまい・・・。
気泡が結構目立つ羽目に。
あーあー・・・・。
今回これはやっちまったなぁ。。。
しょうがない。
これにポリパテ盛りなおしても気泡は消えるもんじゃないので
溶きパテ。
ラッカー系パテなんで、乾燥してもやせるのが落ち着くまで待たないとならないんだけど、
瞬間接着剤充填すると硬度が違いすぎてよい結果にならないので
溶きパテを塗って何回かに分けて穴関係を埋めます。
ポリパテの基本。
空気を抱かせない。
これを怠ると、このように面倒なことになります。
おでこは予想以上に手間が掛かることになってしまいました。
↑出張までに形にならないな・・・これは
二次試作がやってきました。
ここからが本当の地獄な気がします。
なんせ実費が掛かってきておるんですからww
あと最後にもう一度3次試作をやって、ホンチャンに行くわけです。
スケジュール的には
今回の試作組をまずやります。
エラーをここで完全に洗い出します。
で、前面が出来てくるのを待ちます。
前面原型だけで、6万円相当はするらしいです。
あっはっは。
3D設計できればもう少しお安くなるんですが、3Dはさすがに出来ないんで、3面図を立体に起こしていただき、原型を葺く事になります。
原型って「銀」らしいです。
貴金属じゃないですか!!!
この銀がお高い。
実は、これ以前にロストにするか、ホワイトメタルにするかの判断をします。
実際は今回メタルにするんですけど。
ロストとメタルでは収縮率が異なることから、原型の大きさが異なるそうです。
ロストの方が小さくなってしまうんですって。
さて、今回設計どおりに行ったのですが、依頼先から提案というか質問がありまして。
「車体渡りがまだ若干大きいのではないか?」
というものでした。
結局、相談の結果、
屋根肩を9mm直径のものと1.2mm直径の2通りの曲げをしていただきました。
希望は9mmの曲げですが、そうすると若干幅は広かったとのこと。
なので、幅優先で曲げていただいた1.2mmで試作組をすることにしました。
開始です。
このキットの最大の手間部分は客ドアです。
折り曲げて
半田しました。
実はエラー一つ目。
ドア下の部分。
折り曲げて靴刷りを表現しようとしたんですが、不都合があり。
折り曲げを諦めることに。
だから
この切れた部品から
靴摺りを取り外して、これだけで取り付けることにしました。
ちょっと小さいですけどね。
で、先に
これらの補助部品から
ドアHゴムを切り出します。
この状態から
当て込みます。
このHゴム部品は、完全塗装後に行うのが本番の作業です。
今回は最初に半田しました。
完全塗装してから、灰色に塗ったこのHゴム部品を接着すると、簡単に誰でもシャープなHゴムになるという構造です。
ここでエラー二個目。
4箇所のドアのうち、3箇所の客ドア窓が0.2mm程度ずれておりました。
写真は合っている一箇所です。
どこでズレたんか。
簡単に図面直せますけれどもね。
乗務員扉と靴刷りを
半田しました。
構想どおり進んでいます。
ドアの引っ込み具合はもう自分の理想通りで感動です。
乗務員扉もツライチです。
この部分がこのキット最大の山場であり見せ所になりそうです。
見えにくいですが。4枚重ねのドア回りはキットとしては異例かもしれません。
あとの具合は最高に良いです。
で、下回りはご勝手ですが、一応の推奨として
トミックスの17系DCの床下を推奨します。
とはいってもとはいっても、定鉄は床下排煙なのでこのモールドでも厳密には正しくありません。
台車は
こんな台車です。
DT22に近似のようで角ばっているところが異なります。
キハ20系床下で我慢すれば、台車はポン付けです。
被せてみました。
仮です。
17系と連結してみたり
20系と連結してみたり。
うん。
20系より狭く
10系より若干広い・・・・このなんともいえぬ姿にします。
そうすると
屋根が深くなりますので、やはり車体渡りは詰めんばなりません。
以上3箇所のミスと部品組変えによる変更が待っています。
ただし、今度は前面が出来てからの最終変更ですので、作業はしばらくありません。
定山渓鉄道キハ7000の試作に埋め込んだ夕張鉄道と雄別鉄道の社紋が出来上がりました。
で、
どなたか要りませんか?
80分の1
雄別鉄道 社紋A ×1
87分の1 か SLの一部にあった小さめの80分の1社紋
雄別鉄道 社紋B ×1
80分の1
夕張鉄道 社紋C ×2
のワンシートを2枚。
つまりAが2枚 Bが2枚 Cが4枚
で
500円です。
ハッキリ言って
「高い!」って思われてもしょうがないっすけどね。
試作代のおおよそ面積割です。
雄別をフジモデルの夕張キットにおいてみた。
で
ヤフオクに出してみました。
ハッキリ言って、使うような人は殆ど居ないでしょう。(苦笑
フジモデルキット組んでいると必要でも、後はどうかなという物。
ひょっとしたらHOメーカーで出ていた部品かもしれないですしね。
北海道じゃ手に入らないから・・・
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w44216099
↑5個出しましたが、一度数間違いの方がいたので
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w44243819
↑再出品しました
ま、仲間内で融通するつもりのちょっとした余りです。
夕張は有名ですが、雄別ってドマイナーすぎというのは秘密です。
だって、製作依頼中キットあるんだもんww
・・・・今考えれば、雄別一枚減らして、夕張もう一枚入れればよかったかなぁ
雄別の本物。
そして僕は途方にくれる。
という歌がありましたけどね。
今まさにそんな感じ。
結論。
定山渓鉄道2200型は
ある致命的?な所が異なって
3 両 と も 違 う ん で すwww
あーマジですか。
車体のメーカーが2種類。
新日国と汽車会社があるのは知っていました。
それの違いはわからなかったんですけど。
それがまず解りました。
1.雨樋の高さが違った。
汽車は低く、新日国はやや高い。
2.屋上ステップの数が違った。
汽車は少なく、新日国は多かった。
で。
3.連結器胴受の周辺の車体処理が3台ともまるで違った。
これは各資料から導き出されたもの。
具体的資料が無かったので、友人KWの家に赴き、
実は友人の家までの間、定鉄の廃線跡を走ることになるんです。
そこに
あーでもないこーでもないと、玄関先で議論するオッサン2名。
で。
2201
格好良いんですけど。
胴受周り、「若干斜めって下がってます」
うん、確かに省電モハ30型にあった台枠だ。
2202
えーーーーっと。
ガッツリ垂れ下がってる!
ここまで新日国車体。
2203
マッ直せーーん!!!!
しかも屋上手すりの数だけではなく、大きさすらこれは違います。
(細かいけど、ドアノブ、ドアリブの位置も違うのねw)
今組んでいるモデルは、2203のみ適応ってことになるんですねぇ。
で
手持ちのこの写真と
この写真。
どっちも2203で決定な訳です。
しかも、前面右窓が1枚ガラスになっています。
フェザントグリーン時代は2段窓です。
某サイトのの2200を見たら、2201と2202の新塗装を確認。
それは2段窓のままです。
ふ・・・深すぎる!!
でね?
メーカーさんにちょっとお願いしてみたりしました。
こうなったら恥も外聞もありません。
「あのー・・・・新日国車体って作ってもらえませぬか?」
「5個以上、まとまったら考えても・・・」
困らせています。
明らかに困らせています。
で、
私も恥も外聞も無い立場で。
「だれか!定山渓鉄道2200型風味の新日国車体類似キット共同購入者募集w!!!!」
お願いした部分
1.雨樋位置の違うやつ
2.前面は2201と2202の2種類付けてくれないかな?
3.少なくとも僕は2個買います!
4.おでこメタルは無理に別にいりませぬ。(その代わり前面を・・・)
ご協賛賛同の方がいれば、コメントください。
非公開にてお返事いたします。
あ、これはキハ7000と違って、特注メーカー品ですw
(お値段は本体4500円くらいからで交渉中)
さて、仮にこの我侭お願いが実現したらこの余る2台。
色違いやったとしても最低1台余るこいつ。
どうしてくれよう。
とりあえず、このままつくり続けます。
あと、
キハ7000の二次試作
明日カミングスーーーーン!
かなりワクワクが止まりません。
でも試作代がこれから掛かってきます。
本日3本目の記事です・・・がお詫びというか感謝です。
※写真に特に意味はありません
コメントをいただいていただいているのに、いつも溜め帰しで申し訳ございません。
そのコメントいただいて一番喜んでいるのは隠すことも無く私でございます。
毎度のことでございますが、コメント返答をためて一気にお返しさせていただきました。
いつもご高覧ありがとうございます。