ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

55年間

2014-05-28 | ほとほと日記



今日は私の55回目の誕生日でした。

さすがに55歳というと「中老の部」に入ったようで他人に言うのも憚られますが、そんな誰も気にしてくれないタメライにかまけている暇もなく、56歳、57歳…となって行くのでしょう。

もう、内心呆然としたまま受け入れるよりありません。


今日はふと、10年単位で誕生日を振り返っていました。

2004年。45歳。
私は事実上の失業状態でした。
何とか生き直さなければ…という焦りの中、図書館で高齢者介護に関する資格を取ろう…と決めました。
証券会社で肉体作業のアルバイトもしていました。


1994年。35歳。
ソーシャルワーカーの資格を取って障害者施設で働き始めました。
今考えると最後の青春期のような甘酸っぱい思い出もありますが、人間関係の悩みから心療内科に掛かり始めた歳であることを思えば、決して簡単な日々ではなかったのでしょう。


1984年。25歳。
印刷会社に勤めて営業部員をしていました。
いつも暗い顔をして否定的なことを言いながら「もっと自分にふさわしいところ」に行くことばかり考えていました。
世の中はプレバブル期で浮かれ始めていましたが、そもそも私の心も視線も実社会に向かっていませんでした。


1974年。15歳。
千葉県市川市から東京都三鷹市まで二時間近く掛けて電車通学する中学三年生でした。
受験の不安に脅えながら、小説や映画の世界に逃避する生活を送っていました。
その後長い期間続く「屈託の時代」がすでに始まっていました。


1964年。5歳。
静岡市の国鉄職員官舎に両親と兄と姉の五人で住んでいました。
『ひょっこりひょうたん島』を兄と観たり、東京オリンピックの聖火が静岡を通過するのを家族で見に行ったことを覚えています。
末っ子の立場を利用して、万事に甘えていました。



こうしてみると、5歳15歳はともかく、成人してからでは今は比較的に安定していると言えなくもありません。

もう人生の選択肢が現実的に限られていますから、地味に働き続けるより生きるすべはありません。

すぐに揺らぐメンタルを持つ私にとっては、むしろそれくらいが良いのかも知れません。



今日は自分で自分を祝おうと、夕方近くのコンビニで小さなケーキを買いました。

冒頭の写真がそれです。

イタリア栗のクリーミーモンブラン。

甘くて柔らかくて、とても美味しく感じられたことです。





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