内的自己対話-川の畔のささめごと

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科学思想史家としての志筑忠雄(最終回)― 無限宇宙論に到達した科学思想家による憂国の鎖国擁護論

2023-08-26 07:26:59 | 読游摘録

 志筑は、ケンペルの鎖国政策擁護論を手放しで礼賛しているわけではないが、その諸論点に関して概ね賛成である。一方、ロシアの南下政策による北方の脅威を認識してはいるが、武備が堅固な日本に攻め込んでくることはなかろうと至極楽観的である。外患に対して用心するに越したことはないと断ってはいるが。
 『鎖国論』に込められた志筑の意図を推察するには、「訳者あとがき」に相当する部分の最後の書き込みに注意する必要がある。その書き込みの内容は以下の通りである。

さらにまた異国異風の恐るべき邪説や暴論を憎んで、広く天下に求めてもさらに尊敬すべき人はおらず、仰ぐべき教えもないことを自覚して、国外からの侵入を防ぎ、国内は和合を強めることが最も必要なことで、その決心を固める上において本書は少しは役立つであろう。

 この「書き込み」は、後世、志筑以外の誰かによって書き加えられたという説もあるようだが、この連載は「書き込み」は志筑自身の手になるという前提に立つ。そのとき、ケンペルの『日本誌』の一部を訳し、それに自註を加えたこの『鎖国論』という一書は、次のような志筑の願望を動機として生まれたのではないかという推論が可能になる。
 それは、当時の日本の知識人たちが日本固有の地理的・政治的・経済的諸条件及び地政学的現況を冷静によく認識し、鎖国政策の積極的意義を理解した上で、安易な楽観主義の上に胡座をかいて惰眠を貪ることなく、これから日本が国内的・対外的に取るべき姿勢を主体的に選び取り、日本の将来への展望を構築していくための一助にしてほしい、という切なる願いである。
 このような切願から志筑は『鎖国論』を訳した。これがこの連載の第一回目と昨日の回で提起した第一の問いに対する私なりの解答である。
 第二の問いは、十八世紀末から十九世紀初頭にかけて順次翻訳が進められていた『暦象新書』とその合間に翻訳された『鎖国論』との関係である。
 志筑は、ケールの著作に導かれてのこととはいえ、無数の恒星とそれに付属する惑星がそれぞれ系を成しつつ存在するという無限宇宙像に到達していた。この宇宙論的視座が志筑の世界認識にも反映されていると見ることはできないであろうか。つまり、宇宙と同じように、地球上においても、それぞれに独立した複数の系が共存しうると考えることは、少なくとも非合理的ではないと志筑は考えたのではないだろうか。とすれば、志筑が鎖国政策について以下のような擁護論を構想していたとしても驚くにはあたらない。
 一つの独立した系として自律的に機能し得ている国家を他の系へと開いて相互的に交流させることは、そのことに合理的必然性あるいは絶対的必要性がないかぎり、内的には制御不可能な外的圧力に国家の運営が左右されるという危険を招き、一つの系としての自律的存在を脅かしかねない。したがって、ケンペルが列挙した日本固有の地理的・政治的・経済的・法制的・産業的・文化的諸条件が維持されうるかぎり、「鎖国」を堅持することが日本国家にとって最良の政策である。
 このような「時代錯誤的」な鎖国擁護論を、当時の世界情勢についての無知と根拠を欠いた楽観主義とに因る謬説であると批判することは易しい。しかし、未知の先進的な西洋の学知を集約した蘭語の書籍の翻訳という困難な作業を積み重ねながら、外来の知識と外的な観点とを内在化させ、自立した判断の主体であろうした志筑忠雄の三十年に及ぶ学問的研鑽から私たちが学ぶべきことは今もなおあると私は考える。
 以上の結論をもって、今回の連載を終了する。