内的自己対話-川の畔のささめごと

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科学思想史家としての志筑忠雄(6)― 先進的な科学的精神と時代錯誤的な鎖国擁護論との間の「矛盾」

2023-08-17 06:40:19 | 読游摘録

 ここ十五年ほど間に出版あるいは発表された志筑忠雄関連の書籍及び論文の参考文献に必ずと言っていいほど挙げられているのが、松尾龍之介氏の『長崎蘭学の巨人 志筑忠雄とその時代』(弦書房、2007年)である。
 その「はじめに」によると、二〇〇六年、志筑忠雄の没後二百周年を記念して、世界中から志筑の研究者たちが長崎歴史文化博物館に集まり、「国際シンポジウム」が催されたが、そのときの諸発表ではまったく無視された「気球伝来」という視野から、志筑の生涯に迫ってみたというのが本書の意図である。
 とても斬新で魅力的な観点の提示であると思う。本書はいわゆる歴史研究ではない。史実・史料・先行研究に依拠した歴史叙述と著者の文学的想像力によって生み出された志筑忠雄とその同時代人たちの談話・会話とによって構成されている。この構成は全体を飽きさせずに読ませるための工夫なのであろう。
 当時としては例外的な科学的精神の持ち主としての志筑忠雄の生涯を、気球への関心を縦軸として、志筑の生涯に直接間接に関わる同時代者たち、志筑の生涯のそれぞれの時期の蘭学をめぐる状況、同時代の重要な歴史的出来事、十八世紀後半の国内外の時代状況、当時のヨーロッパの先進科学、東アジアの地政学的状況などを織り交ぜて描き出した歴史叙述は大変興味深い。
 著者自身の志筑忠雄に対する評言にも注目すべき点が少なくない。例えば、『暦象新書』に示された志筑の学的姿勢を次のように評価している。

 忠次郎(=志筑忠雄)は決して開明的な西洋礼賛主義者でもなければ、ニュートン学派たらんと志したわけでもない。むしろ逆である。彼はどちらかといえば伝統主義者であり、あくまでも、東洋が主で、西洋は従でなければならなかった。東洋の伝統である易や陰陽五行説を貴びながらニュートン哲学を受け入れようとすれば様々の齟齬が生じるのは当然である。そこで彼は「忠雄曰く」とか「忠雄案ずるに」という具合に自説を数多く挿入することで、絶えずバランスを計ろうとした。また、「問うて曰く」という設問をつくり、自問自答を重ねながら、西洋の説を鵜呑みにするのではなく、咀嚼するように慎重に筆を進めていった。
 こうなると『解体新書』のような翻訳書とはいえない。原著から独立した文明批評の書といった方がふさわしい。何故なら、そこでは東洋の道徳思想と西洋の科学思想とがぶつかりあって、汗まみれ・血まみれの格闘が展開されているからである。(93頁)

 しかし、私としては残念なことに、『鎖国論』への言及はきわめて乏しく、しかも幕府の排外的な鎖国政策を弁護する志筑を「時代錯誤」と切って捨てている(189‐190頁)。ちなみに、同書の帯には「《鎖国》という言葉を作った男」というコピーが大きな活字で組まれているが、本書の意図・内容を伝えるコピーにはなっておらず、むしろ内容を裏切る宣伝文句でしかない。
 当時としては先進的な科学的精神が発揮された『暦象新書』と当時の地政学的状況に対して盲目的とも言える「時代錯誤」的な鎖国擁護論である『鎖国論』という、一見して相矛盾する二つの立場は、志筑においてなぜ両立し得たのか。あるいは、それらは止揚されぬまま矛盾に終わったのか。この問いに対する納得の行く解答はまだ見つかっていない。