内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』の憂鬱になるほどのアクチュアリティ(上)

2023-08-29 23:59:59 | 読游摘録

 この夏の一時帰国中は、ずっと酷暑に見舞われ続けたので、毎朝のジョギング以外、日中外を出歩くこともほとんどなく、冷房の効いた室内で読書して過ごす時間が多かった。おかげで普段あまり手に取ることもないような本にも出会うことができた。
 一昨日の記事で言及した『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎、ダイヤモンド社、1984年。中公文庫、1991年)もそのような一冊である。1984年に刊行されて以来、今日まで読みつがれている名著だが、今回はじめて読んでみて、まことに遅まきながら、大げさでなく、衝撃を受けた。
 大東亜戦争史上の六つの失敗例の組織論的観点からの精密な分析の見事さだけでも圧倒される思いだったが、私がなによりも驚嘆すると同時に憂鬱にもなったのは、それらの分析から引き出される日本軍の組織的特異性及び弱点の指摘が現代日本社会のさまざまな組織にもそのまま当てはまることであった。極論すれば、「日本って、戦前・戦中から何も変わってないじゃん」と呟きたくなったほどである。
 そんな思いを私に懐かせた箇所をいくつかここに書き記しておきたい。

いかなる軍事上の作戦においても、そこには明確な戦略ないし作戦目的が存在しなければならない。目的のあいまいな作戦は、必ず失敗する。それは軍隊という大規模組織を明確な方向性を欠いたまま指揮し、行動させることになるからである。本来、明確な統一的目的なくして作戦はないはずである。ところが、日本軍では、こうしたありうべからざることがしばしば起こった。(中公文庫版、268頁)

 こうしたありうべからざることが現政府内で起こっているように見えるのは私の無知のせいであろうか。

およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。(325頁)

 「日本軍」のところを空欄にして、適語で埋めよという問題を出したら、いろいろな組織の名前が全部正解になってしまうのが日本の現状ではないでしょうか。ちなみに、この一文は「学習を軽視した組織」と題された節の冒頭です。

組織学習にとって不可欠な情報の共有システムも欠如していた。日本軍のなかでは自由闊達な議論が許容されることがなかったため、情報が個人や少数の人的ネットワーク内部にとどまり、組織全体で知識や経験が伝達され、共有されることが少なかった。(327頁)

 「日本軍」の代わりに「自分の職場」と入れたい衝動に駆られた方も少なくないのではないかと拝察申し上げます。

ここには対人関係、人的ネットワーク関係に対する配慮が優先し、失敗の経験から積極的に学びとろうとする姿勢の欠如が見られる。(330頁)

 今、「「ここ」ってうちの組織のこと?」と思わず呟かれました?

日本軍の例で見ると、目的の不明確さは、短期決戦志向と関係があるし、また戦略策定における帰納的な方法とも関連性を持っている。明確なグランド・デザインがない場合には、戦略オプションも限定された範囲のなかでしかうまれてこない。短期決戦志向や全体としての戦略目的が明確でないとすれば、バランスのとれた兵器体系は生まれにくいであろう。(339頁)

 この指摘が今日の日本の企業の戦略策定にも適用可能であるとすれば、日本は大東亜戦争からいったい何を学んだと言えるのでしょうか。