内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

私撰涼文集(八)「色がないが、なお青い空、果てしない透明さをもった裏錫のない鏡」― ガストン・バシュラール『空と夢』より

2023-08-01 02:27:09 | 読游摘録

 二〇一八年三月二四日から予告編も含めて十六回にわたって「青空から虚空へ―西から東への哲学的架橋の試み」と題して、バシュラールの『空と夢』を手がかりとして、「空」(そら)についての哲学的考察を行ったことがある。西谷啓治の空の思想にまで到達することを目指して始めた連載だったが、他の連載同様、未完のままである。ただ、ずっと気になってはいる。十月のカナダ・ケベック州のラヴァル大学での講演でこのテーマを取り上げ直そうかとも考え始めている(もう二つ候補があるのでまだ決めてはいないが)。
 この考察のなかでは一部しか引用されなかったバシュラールのテキスト(そのなかにはエリュアールの詩の一節が埋め込まれている)をここに引用する。

Le poète aérien connaît une sorte d’absolu matinal, il est appelé à la pureté aérienne « par un mystère où les formes ne jouent aucun rôle. Curieux d’un ciel décoloré d’où les oiseaux et les nuages sont bannis. Je devins esclave de mes yeux irréels et vierges, ignorants du monde et d’eux-mêmes. Puissance tranquille. Je supprimai le visible et l’invisible, je me perdais dans un miroir sans tain... ». Le ciel décoloré, mais bleu encore, miroir sans tain d’une infinie transparence, est dorénavant l’objet suffisant du sujet rêvant. Il totalise les impressions contraires de présence et d’éloignement.
  L’Air et les songes. Essai sur l’imagination du mouvement, Le Livre de Poche, coll. « biblio essais », 1992 (1ʳᵉ édition, 1943), p. 216.

大気の詩人はいわば朝の絶対とも呼ぶべきものを知っており、《形体が何の役目も演じない神秘によって》大気の純粋さを運命としてもっている。《鳥も雲も追い払われた色のない空を探りたいものだ。私は世界やおのれ自身のことも知らぬ、この世界の外の、無垢な眼の奴隷となった。静かな力よ。私は見えるものと見えないものを抹殺し、裏錫のない鏡のなかにおのれの姿を消し去った。》色がないが、なお青い空、果てしない透明さをもった裏錫のない鏡は、いまや夢見る主体だけで充足する客体である。それは現存と離隔の相反する感じを合体する。
                 『空と夢』宇佐見英治訳、法政大学出版局、1968年、叢書・ウニベルシタス、251頁。