カナダの記号学の専門誌から仏語の論文の査読を頼まれ、その論文を読んでいたら、意外なことに、『失敗の研究 日本軍の組織論的研究』(戸部良一/寺本義也/鎌田伸一/杉之尾孝生/村井友秀/野中郁次郎、ダイヤモンド社、1984年。中公文庫、1991年)に言及されていた。論文の本筋からすればさして重要な言及ではないのだが、ちょっと気になって、中公文庫版を購入してパラパラとめくっていたら、「文庫版あとがき」の次の箇所に目が止まった。
組織が継続的に環境に適応していくためには、組織は主体的にその戦略・組織を革新していかなければならない。このような自己改革組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを作りだすこと、すなわち概念の創造にある。しかしながら、既成の秩序を自ら解体したり既存の秩序を自ら解体したり既存の枠組みを組み換えたりして、新たな概念を創り出すことは、われわれの最も苦手とするところであった。日本軍のエリートには、狭義の現場主義を超えた形而上学的思考が脆弱で、普遍的な概念の創造とその操作化ができる者は殆どいなかったといわれる所以である。(410頁)
十九世紀の初頭、志筑による造語である「鎖国」は、ケンペルの『日本誌』にその発想は依拠しているとはいえ、日本語としての一つの概念の創出であった。しかし、それ自体で自己と世界に関する新たな認識枠組みを作りだすものではなかった。
「鎖国」という概念が広く知られるようになるのは幕末以降であり、「開国」の対立概念としてであった。明治期に鎖国の功罪を論じる鎖国得失論が盛んに行われたとはいえ、近代化=開国という等式が揺らぐことはなかった。
しかし、「開国/鎖国」という二項対立的な図式のなかで開国が日本の進むべき道として選択されたのであるから、日本と世界に関する新たな認識枠組みを創り出すことに「鎖国」もまたその一つの契機として貢献したとは言えるのではないだろうか。