内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

この世にありがたきもの ― わかりやすいテツガク書と深遠なトリセツ

2023-08-07 00:08:10 | 雑感

 この夏のお楽しみ読書として、斎藤美奈子の名著、は褒め過ぎか、でも、少なくとも、快著、である第一回小林秀雄賞受賞作『文章読本さん江』(ちくま文庫、2007年。初版、2002年、筑摩書房)を読んでいる。愉快、痛快、爽快である。でも、おもしろうてやがて悲しき……の感が読み終わると襲ってくるのかなぁと予感している。
 それはともかく、彼女が言うところの文章読本界の御三家 ― 谷崎潤一郎『文章読本』・三島由紀夫『文章読本』・清水幾太郎『論文の書き方』、新御三家 ― 本多勝一『日本語の作文技術』・丸谷才一『文章読本』・井上ひさし『自家製 文章読本』は、私も若き日にかなり熱心に読んだ口で、それらの内容を思い出して、ほろっとノスタルジックな気分に浸りかけたけれど、ひとたび斎藤書を読み始めれば、そんな甘ちょろい気分は雲散霧消、彼女の切れ味鋭くかつ吹き出さずに読むことが困難な分析の速射砲に圧倒されるばかりである。
 それはそれで楽しい読書経験ではあるのだが、読みながらいろいろ考えさせられもした(殊勝でしょ?)。
 文章読本が説く五大心得の第一番目として彼女が挙げている「わかりやすく書け」という心得は、確かに、およそ文章読本及びその手のマニュアル本には必ずと言っていいほど出て来る。この心得は、当たり前と言えば当たり前で、今さら問題にするまでもないことのようにも思われるし、問題はむしろどうすればわかりやすく書けるかの方にあると論点が直ちに移行していくのも当然のことのように思われる。
 しかし、と我愚考す。ゆえに我はあるのかないのかわからないが、それはともかく、わかりやすく書くためには、書くテーマ・内容について書き手が知悉しているという前提があるはずではないか。自分でよくわかっていないことをわかりやすく書くことは金輪際できないはずだからである。
 もちろん、これには様々な場合がある。例えば、ある新聞で「現代科学の最前線」という特集記事を組んだとしよう。この場合、特集を担当する記者は科学部に属し、理系の大学院修士号程度の知識を持っていることは望まれても、取材対象の最先端の研究者と同じレベルの知識を持っていることは必要ではなく、それでも読者にとってわかりやすい記事を書くことは可能であろう。
 他方、家電製品の取扱説明書は、使用者であるユーザーにとってわかりやすい文章であることが求められるが、そのためには製造担当の技術者が持っている専門知識だけでは不十分である。知識のない素人にわかりやすい説明文を書くにはそれなりのテクニックが必要だ。単純な構造と機能の製品であれば、わかりやすい説明文を書くことも容易だ。例えば、ヘアードライヤーの取説など数行で済むだろう。しかし、電子機器の説明はそれほど簡単ではない。
 さて、ここまでは前置きである(長っ!)。
 問題は、この五大心得の第一項を哲学書にも適用できるか、ということである(言っちゃったね、大将)。
 上記の前提に従うと、わかりやすく書くためには、書くテーマ・内容について書き手が知悉している必要がある。いわゆる概説書の類、例えば、大学一年生向けの西洋哲学史概説であれば、この必要条件を満たすことはできるだろう。
 しかし、古代ギリシアから延々と論じ続けられている問題、今まさに熱い議論が展開されている問題について立ち入って論ずる場合、わかりやすく書くことは、不可能とまでは言わないにしても、前人未到の至難の技であろう。なぜなら、そもそも問題そのものがわかりやすくないのであるから。
 そもそもわかりやすくないことをわかりやすく書くことは、ほぼ不可能であるばかりでなく、読者を騙すことであり、オレオレ詐欺(ってまだ現役?)のように司法によって裁かれる犯罪ではないにしても、倫理的に許されることでは断じてない(ですよね、アリストテレス?)。
 このような状況下で(懐かしき全共闘世代的言い回し)、良心的で誠実なテツガク研究者にできることはナンであるか? それは、テツガクのコンポンモンダイがどれほどわかりにくい問題であるかをできるだけわかりやすく書くことに尽きるであろう。
 ここから突然、論理的飛躍及び破綻(それどころか支離滅裂?)を承知で暴言を吐かせていただきます。
 わかりやすい言説の横行は文明の末期症状なのだ。
 わかりにくさ・難しさに耐えられない。糞面倒くさい議論にじっくり時間をかけることを省き、手っ取り早い解決策を優先する。自分と異なった意見は、ただそれだけの理由で排除する。それが今の日本じゃあ~りませんか? これって、オワコン以外の何ものでありましょうか?
 わかりやすい文章が金科玉条であるかぎり、中江兆民のかの有名なご託宣を繰り返すしかないと我愚考す。
 「我が日本、古より今に至るまで哲学なし。」