考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

理科と社会は内と外

2006年04月17日 | 教育
 「理科」あるいは、「自然科学」は、観察対象を外部に求めているようで、ホントのところは、ウチに向いてるんじゃないかと思った。
 自分は、黒い枠線に囲まれ、内部が白くなっている点である。その白い中に、イロイロ何かが詰まっている。いわゆる「自然」と同質のものが詰まっているわけだ。身体が自然あるとは、養老先生の言で、事実である。高いところから落ちれば、物理の法則に従うだろう。惑星の観測と同じ結果が得られるだろう。(ま、そっちは、もっと複雑な自然が関わるだろうが。)

 一方、「社会」あるいは「人文科学」は、観察対象を「他」に向けている。自分は、黒い点であり、内部に観測すべきものはない。目は常に外に向いている。この「外」とは、自分と同じような黒い点である。要は、他人と言うことで、その他人が、どう動くが、どう反応するかをひたすら追求し、同様に黒い点としての自分の位置付けや他との関係を考えるわけである。
 「社会」の基本は人間関係であるが、人間関係とは、一見、心理的で自己の内部に関わる部分が多そうだが、実は、全く、逆。だって、心の中で何を考えていようと、大事なのは、自分にしろ、他人にしろ、どんな行動に出るか、それが他にどのような影響を及ぼすか、という点に尽きる。つまり問題になるのは常に「外」であって、ここの内部はどうだって良いのである。

 数学は、自然科学になる。直線は、脳の神経細胞の働きと関係があるらしい。脳の構造を明らかにする学問が数学らしいということである。1+1が常に2になる世界である。
 政治は違う。「社会」である。多数決である。1+1が3になると言う人が多ければ、3が正しい答えになる。

 学校で教えるべきことはどっちなのかなと思う。基本はきっと自然科学だろう。人間が文明を築き上げたのは、自然科学ゆえだと思うからだが、現実に教えられていることは、そうでもなさそうだという気がする。
 たぶん、上記両者のどちらをより好むかは人によって異なると言うことだろう。

  

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