考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

思考の再構築

2009年06月21日 | 教育
 ある先生が言うには、二年生のとき、教えたことについて、めちゃくちゃな持論を展開してくる生徒がいるが、そういった生徒が三年生になって急激に伸びてくることがあるということだ。

 これ、私、なぜそうなるかが、わかる。

 その生徒が滅茶苦茶な持論を述べていたのは、その際に、習った事項を自分で再構築しようとしていたと考えられるからだ。だからこそ伸びることが出来たのだと思う。

 再構築とは、与えられたものを取り込むために行わなければならない過程である。食べ物の消化吸収に似ている。取り込むべきものは、一旦バラバラにして、自分のなかで再度組み立て直す。これをしないと、実際のところ、習ったことの消化吸収にならない。上記の生徒は、2年生のときに先生の前で行ったのだろう。彼(彼女?)がその際に学習したのは、習得すべき事項そのものというより、習得の方法だったと言える。それで、これこそが、学習上の最大の武器になる。どんなに複雑なものであっても、丸暗記では駄目だということだ。

 こうした思考の再構築の強みは、応用に通じるという点である。体系化された構造のどこに自分が今現在必要としているものがあるのかを抜き出して見出すことができる--これが「考える」ということで、勉強をするとは、これをして初めてのものである。
 できる生徒は、無意識であったとしてもこれを必ず行っているものだ。だから、力をつけるため、力を付けさせるためには、こうした思考の再構築を重視しなければならない。
 しかし、この重要性に気がつかない人は多い。だって、試験で問われるのは、「結果」だけだから、気がつかないのである。普通の生徒がなかなか勉強ができるようにならないのがだからだ。

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