考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

センサーの感度を高めろ

2010年05月15日 | 教育
 「教える」「学ぶ」について誤解があるように思う。
 近頃感じるのは、「これこれは、重要語句だから覚えなさい。」と指示されないことに覚えようとしない生徒が増えたということだ。先生の言うことに従順ではあるが、学習の仕方として間違っている。
 先生の言うことを聞くな、ということではない。先生の言うことだけを当てに勉強をするな、ということである。
 学習者にとって大事なのは、自分が学習をする対象そのものに対峙し、自分の感性を高めることである。「先生の言うこと」はあくまでもその補助に過ぎないと捉えることである。しかし、昨今の問題点は、生徒が自分の感度を高める重要性がわかっていないこと、先生の指導が、果たして生徒の感度を高めることになっているかということだ。
 小学校、中学校、あるいは、高校に入ってからでも、彼らは非常に悪い学習の癖が付いている。これをいかにして取り除くか。

 「これが大事だ」とか「これを覚えよ」などをストレートに試験に直結することはなるべく言わないことにした。教科書の欄外の熟語などである。大事に決まっている。それより、ふつーは余り重視しないことを教えることにした。「英語の感性」を育てる上で私が勝手に重要であると思っていることを教えることにした。力を付けるのは、そうしたことを「利用して」自分で捉え直す習慣である。

 例文がある。何でも良い。This is a pen.で良い。そこから、何を学ぶか。多く学べる生徒は感度が良い生徒である。新規事項もあれば(さすがにこの文ではないだろうけれど。)、既習事項の確認もあるだろう。「これはペンです。」と訳して終わるようではいけない。全ての文について学習しろ、というわけではないが、どの文についても学べないと、学ぶべき文に出くわしたとき、十分に学べないだろう。
 自分で学習する感性が身につけば、必ず勉強はできるようになるものだ。

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