考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

英語は左から右へ読むなよ~

2012年10月25日 | 教育
とまあ、マトモな英語教師が聞いたら目を丸くするようなことを書く。

 英語を読むときに、左から右へしか読めない、あるいは、読まない生徒は、あまり英語が出来ない。(断言。)近頃、こういう生徒が増えている。中学の時から、「左から右」「後ろから前へ訳して読むな」あるいは、「耳から入る英語」などで教え込まれたのだと思う。だって、そーゆー読み方や理解の仕方が「流行」だもの。

 しかし、この読み方が有益なのは、主語と動詞の関係を明解に理解している場合である。英語の階層構造を十分に理解している場合である。でなければ、この読み方は誤読にしかならない。自分の知っている単語で、順番に勝手に意味を取っているだけである。で、間違っている、と言われても、なかなか気がつかない。ホント、意外に、気にかけない。

 思考の次元が平面的なのである。英語は、関係詞や接続詞が多用されると、どうしても階層的な構造になる。しかし、この階層構造を理解しないかぎり英語は理解できない。この階層性は日本人にはとても難しいのである。中学生高校生の時、関係代名詞に困った方は多いだろう。ネイティブが左から右に読むものだから「左から右へ読む」はもっともな方法に思われるが、階層を理解しないかぎり、絶対に、無理。
 節が2つ3つと重なってくると、大方、あれれ、と思うだろう。その難しさである。難しいのがふつーなのだ。(何かで読んだが、節が7つ以上になると、ネイティブもこんがらがるらしい。人間の記憶の限界は7つらしい。だから電話番号も7つなのだ、と書いてあった。)だが、「左から右」はこの「迷い」を徹底的に否定する。そのせいで、「後戻り」が出来ないせいで自分の間違いに気がつかない生徒がなんと多いことか。
 この数十年、「文法」が否定されているが(だって、文法という科目がない。)、文法というのは、何も、「書き換え」や(  )埋めでないのである。文をしっかり正しく理解する、正しい文を書く、それが目的である。ところが、その文法をやってないから、力が伸び悩む。
 大昔、私が高校生だった頃は、やたら難解な文や文章が入試に出た。たぶん、それを是正する動きで、文法反対論みたいなのが出て、結局「文法」が英語の科目から消えた。(科目名は消えたが教えるなと言っているわけでない、と言われそうだが。)しかし、今だって、テキストは、そのあたりのネイティブのジャーナリストが書く文章も、けっこうこれが難解なのに変わりないのである。しかも、格調も何もなく、名文でもなく、難解なのである。これが、「左から右」で読めるわけがない。そもそもこうした階層性が徹底して苦手な日本人である。よって、当人もよほど努力しないと、なかなか悪い癖は抜けず、正しい読み方が身につかないという不幸が起こる。思考法を変えなければならないほどの学習は、初心者段階で行う方が自然で良い。

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