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教育における「不易」と「流行」

2008年01月06日 | 教育
 見渡して思うに、「流行」はカネと物を動かす。ファッションを見れば一目瞭然である。一方の「不易」は、時の流れを耐え抜く抽象的な事項であることが多く、目に見えてはっきりとしない。他に例えて言うと、多くの場合非常に形式的な「儀式」にしても、「儀式の形式」は「流行」によって変化するが、「儀式の存在や意義」は「不易」である。儀式のない人間社会は存在しえないだろう。そういった不易こそが「ヒト」が「人間」足るべくに重要な働きをするのではないか。しかるに、不易は一般に目に見えないから流行と見間違えられる。不易は決して方法論ややり方ではないのである。ここに陥穽があり、昨今の混迷があろう。流行の一種に過ぎないものを不易と捉える勘違いである。

 今の教育は、「流行」を追う傾向が強い。「今の時代はこうだから」と言いながら、人間として生きるための普遍的な事項が大事にされていない。というより、「時代遅れ」でもあるかのように無益なものとされる。

 理由の一つに「不易」はカネも物も動かさないことが挙げられないか私は疑う。

 「共同体」の成員を育てるはずの公教育ですら「私の利益」「我が子の利」のためのものになっている。公立学校の「生徒集め」の原理もこれだろう。「私利」の意識が当然とされるから、「私利」を謳わないことに「だれも納得しない」のだ。(「ちなみに「わからない不快」が嫌悪され、「わかる快感」が求められるのも根は同じである(と言っても、通じない人は多いだろうなぁ。)誰も「利益の質」を問わないのである。
 「競争をすれば教育はよくなる」という言説が蔓延る理由も同根である。なるべく数多くの人に競争をさせればさせるほど、動くお金の量は大きく、その意味では経済の活性化を促す。(中学受験などに翻弄された親の金銭と労力は、非常に多くの教育・輸送産業に貢献し、実質的に大卒者の失業率を下げているのは現実にあるだろう。)

 根本には、「教育『も』カネと物を動かすためのもの」になってしまっているのだろう。これは、近頃ときに目にする、コドモを「投資先」として扱おうとしていることに通底する。「受験」だけに一体いくらの金銭が動くかをちょっとだけでも考えればわかる話だ。
 「コドモ」=「いずれはカネと物または名誉につながるもの」と見なされている側面がある。気の毒に親も子も翻弄されている現実が一面であろう。
 「合格者数」の競争が、学校や塾の間での真剣勝負のゲームと化すのは、何せ「生き残り」が掛かっているからである。しかるに合格者「数」に関する「生き残り」主体は、非常に多くの場合、決して子供にない。あくまでも学校や塾の「生徒集め」という、「そこで働く人やシステムの死活問題」に関わる生き残りである。(子供の合格を純粋に喜びたいなら合格者「数」の発表を止めるのが一番である。)

 まあ、とにかく、こんなので「人間」が育つはずがない。

(一部修正09年3月9日)


4 コメント

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TBありがとうございました (kurazoh)
2009-03-09 22:52:59
TBありがとうございました。
この記事を読んで感じることは,「競争は必ず敗者を生む」という誤った競争観,あるいはゼロサムゲームとしての競争観ばかりが想定されていることの問題点です。
競争には,Win-Winの関係を生み出す原理があるからこそ,成長や発展の重要要素として欠かせないものであるわけです。
競争がもつプラスサムの側面を軽視しがちなのが学校現場です。
別に競争をしなくても「敗者」の状態が生まれることはいくらでもあります。
競争=悪という偏った固定観念が教育現場の動きを重くしているのです。
競争によって問題が発生したとき,あるいは発生しそうなとき,社会は普通,競争をなくするのではなく,問題が発生しないような規制や工夫を考え出していくものです。
「学校現場は地球上に残存する数少ない共産主義勢力」と揶揄する人がいましたが,そんな誤解を受けないような努力が必要だと考えています。
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不易は勘違いを生みやすい (ほり(管理人))
2009-03-09 23:15:38
わざわざコメントをすみません。
kurazohさんが、不易と流行について勘違いされていると思ったのでTBさせて頂きました。

競争や揶揄については、気が向いたら記事にするかもしれませんが、上記の競争は敗者について言いたかったのではないので、すみません。むしろ、文脈でおわかりのように、お金が動くことについて言いたかったので、今回のご指摘は重箱の隅を突っつかれた気がします。いつもながら舌足らずや誤解を招く表現で申し訳ないです。競争の敗者については削除しますね。(敗者についてはない方が、確かに私の言いたいことは通じますね。)ご指摘をありがとうございます。
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日本は世界で最も成功している社会主義国? (kurazoh)
2009-03-10 20:44:03
お金の話なら・・・。
たとえば,もし「学校選択制」が小規模化している学校数を減らし,1校あたりの生徒数と教員数の増加を見込む(教員が余るようになるので,相対的に,教員は増加する印象が強くなる)ためのものである,とすれば,これは「無駄な経費を削減する」ための「時代の流行」です。
「不易」では経費は節減できないかもしれませんが,「競争」はそれを実現する有効な手段になるわけです。
もちろん,少人数学級は学力向上の根拠を示す最大の武器になるなど,小規模校は小規模校なりの存在意義があり,表向きは,学校選択制は「よさを競い合う」「特色に合った学校を選ぶことができる」ようなメリットをねらっていますが。
要は,子どもにどのようなお金の使い方をするのが将来のためになるかをしっかり議論しなければならないということです。
公的には,あえてお金を使わないようにする,というのも選択肢の一つになり得ます。
日本は世界で最も成功している社会主義国であるとも揶揄されていますが,既得権益を守ろうとするのは教員の世界も全く同じようですね。
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競争 (ほり(管理人))
2009-03-10 20:56:16
競争については、記事を書きました。読んでね。
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