考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

読書する生徒(と読書する私)

2006年04月13日 | 教育
 図書館利用ガイダンスがあったようだ。そのせいだろう、休み時間に本を読んでいる。学校の本である。
 こんな光景、初めて。
 
 ますます隔離したい。

 関係ないけど、自分が読書をする理由がわかった。というか、なぜ、このように読み差しの本が多くて平気なのか、わかった。
 私は、どうやら知識を得ようとして本を読んでいるのではないようだ。(笑)知識を得たいなら、最後まで読むはずである。でも、読まないことが多い。(まるで、ばか。笑)
 で、何をしているかというと、脳味噌の整理をしているのである。本は、何らかの「論理」に従って書かれている。(というか、そう言う傾向の本を私は好んで選ぶようだ。)で、それに従って、「読む」という行為をすることで、私の脳味噌も、何か秩序だってくるような気がするのだ。
 放っておくと、ぐちゃぐちゃになるのが多少すっきりする。もう一つ、ついでに言うと、書くのも「整理」である。まあ、こっちの効果の方が高いけど。
 「考える人」で、養老先生が、時間について考えたとき、本を集めたが読まなかったらしい。人の考えが邪魔になるそうだ。養老先生ほどアタマが良くなくても、この気持ち、よくわかる。自分一人で考えても、けっこう考えられるもの。養老先生も脳の中を「整理する」とおっしゃっている。とてもよくわかる。 

 有り難いのは、みなさんです。お付き合い下さって、どうもありがとうございます。
 私は、ブログのお陰で、脳味噌の健康を保っているのかもしれない。(笑)

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